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職場から連絡がありました。今後のことについて話したいから来てほしい。と。まだまだ心も身体も傷が癒えていない。本当は行きたくありませんでした。でも、時は進み続けます。よんちゃんは、二度と帰っては来ません。ガタガタの身体で、ハンカチを握りしめ、職場のある建物の中に入りました。職場から「出産時の領収書」「火葬証明書」の持参を指示されたので持って行きました。念の為「死産届」の写しも持って行きました。私は、死産となってから、上司に報告した際、「まだ2歳の次女に対する育休を取ることはできな
タイトル通り出産しました!早産です最悪なことに常位胎盤早期剥離になりまして、急遽緊急オペ!子どもは無事に生まれNICUへわたしも通常の帝王切開とそこまで大きく出血量もなく無事でした!以下レポです!どなたかの参考になれば!と自分の記憶が薄れる前の記録!まず夜中23時過ぎ頃から生理痛のような腹痛。痛いけどんーー10段階でいうと5-6ぐらいの痛み。便秘かな?とか思ってトイレで踏ん張ってちょっとでる0時まで様子見るもだんだん痛みもきつくなる陣痛のような間
手術が終わっても、私はずっと眠くてたまりませんでした。気づけば眠りについてしまう。遠くから、自分のいびきも聞こえてしまう。代わる代わる、看護師もやって来ます。「めち子さん、お名前と生年月日を教えてください。」私は乾いた声でようやく答える。「めち子、センキュウヒャク…」何度も何度も、このやり取りを繰り返しました。その度に看護師さんが液体を取り替え、私の身体に異常が無いかを聞いてきます。よく見ると、右腕には点滴、左腕には輸血がされていました。しばらくして、先生が来てくださいました
おはようございます。私は、二人の子供がいますが、13年前のこと。二人目の妊娠中、「無痛分娩」に憧れて、希望する産院を訪れました。けれど、担当医との価値観が合わず、不安を抱えたまま出産を迎えることに迷いが生じ、その産院での出産は断念しました。最終的に選んだのは、年間2,000人ものお産を扱う、産科医が充実した京都でも有名な産婦人科病院この選択が、私と息子の命をつなぐ大きな分岐点となったのです。出産直前、私は常位胎盤早期剥離を起こしました。赤ちゃんがまだお腹にいる状態で胎盤
月明かりの眩しい夜でした。便意に似た腹痛で目を覚ましました。時計を見ると3時ちょっと前でした。4度目の出産。帝王切開の予定日から10数日前でした。なんとなく、今回は先に陣痛がきてしまう予感はありました。幼い子ども3人の相手でゆっくりする間などなかったからです。今までより、張ることも多かったです。でも、安静にすれば治まる、その程度の張りでした。検診時に先生にも診てもらったこともありましたが、子宮口もしっかりしまっていて問題ありませんでした。その他のエコーや検査も問題ありませんで
先生から休むことを勧められた私は、職場に電話連絡をしました。もう、復帰まで10日に迫っていました。職場からも了承を貰い、診断書を取るように指示されました。そもそも私は、育休で1年間休む予定であり、抜けた穴には新しい方もいらっしゃいました。職場への負担も無いわけで、私自身、申し訳無さもあまりありませんでした。みなさんも事情を知っているので、無理させようともしません。その点では、本当にありがたかったです。後日、再度かかりつけ医に行き、先生に診断書を書いてもらいました。先生はとりあえず
2024年10月に妊娠32週で娘を死産(常位胎盤早期剥離)したきおです。しばらく死産した日のことと、それからの入院生活〜火葬までの話を書いていきます。LDR室で輸血…赤ちゃんの泣き声が聞こえる手術室に行ったものの、一度戻されて、LDR室で輸血をすることになりました。輸血をして、数値が安定してからの手術(全身麻酔)になるということで、自分にできることはただされるがままに輸血を受けることだけ。大学病院だったので、周りには本当にたくさん人がいました。(※初診時
よんちゃんとの同室が始まってからは、朝昼晩、一回ずつ授乳をしました。もともと母乳の出が良い体質のため、母乳がにじむ程度にマッサージをします。あまり分泌させると、吸ってくれる相手はいないのにバンバン張ってしまうからです。医師から、母乳を止める薬も処方されました。しかも、1錠だけ。たったひと粒で効果を出す薬。4人目の授乳が、こんな形で終わることが悲しくてなりませんでした。助産師さんから、この薬は、私のタイミングで飲んでいいですよ。と、言われたので、お別れするまでは飲まずに過ごそうと思い
大量出血を乗り越えて、順調に育っていくピヨちゃん。12週の壁を越え、流産の心配はもうないと思っていました。最後の検診から3週間後の出来事です。振り返り記録、前回の記事⑪12週の壁、超えたはずだった死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆安定期に入ったらしようと思っていたことがたくさんあった。3Dエコーの予約をしよう!マタニティウェアを買いに行こう!断捨離をして、赤ちゃんのためのスペースを作ろう!赤ちゃん本舗に行
3年前の6月。妊娠41週めに突入した臨月のおなかは大きくふくらみ、ぱんぱんで苦しいくらいだった。わたしは腸閉塞になりやすく腸管の癒着もあるため帝王切開はできるだけ避けて経膣分娩をするつもりだった。いまや予定日も過ぎたため、産科の先生と相談し、入院のうえ陣痛促進剤を使って出産に挑むことになった。入院した日のこと。泊まり込みで付き添いたいと申し出てくれた夫に、明日から本格的に付き合ってもらうから今日のところはしっかり寝ておいてねと説得、しぶしぶ家に帰ってもらった。入院した日の晩ごはんはシー
よんちゃんを常位胎盤早期剥離で亡くしてから、ずっとずっと考えていた問題。いったい、あとどれくらい早くいけばあの子は助かったのか。ネットや本、同じように辛い経験をされた方の体験記等をたくさん読みました。私はお医者さんでも医療従事者でもなんでもありません。ただの一経験者です。だからこれが本当なのかも分からないし、程度によって個人差があると思います。でも、私が感じた感覚として…『腹痛を訴えてから分娩までの経過時間』○約1時間後に出生で脳性まひという方を拝見しました。お辛かったと思いま
しばらくぶりのアメブロです仕事に復帰していました。所属先は外科病棟、子持ちにはちょっとハードですが楽しくやってますさて、私は2度帝王切開をしております。1回目は、長男の時の常位胎盤早期剥離の緊急帝王切開2回目は、次男の予定帝王切開2回目の出産前、胎盤が石灰化したというところまでブログを書かせていただきましたが無事に37週を迎え、次男を帝王切開で出産しました。最近、下の子は2歳になりました。その際、1回目とぜんぜん違ったな〜と思ったレポートを書いてみようと思います1回目常
2024年10月に妊娠32週で娘を死産(常位胎盤早期剥離)したきおです。しばらく死産した日のことと、それからの入院生活〜火葬までの話を書いていきます。車椅子で病棟へ。とにかく現実感がなく、涙も出ない採血の結果を待つよりも先、電話して呼んだ夫の到着も待たずに入院する病棟に移動することになりました。とにかく全く現実感がなくて、先生にも「手術するんですか?」とそもそもな質問ばかりしていた気がします。「いつ手術になりますか?」と聞き、「今日の可能性もあります」
※死産後の妊娠についての記事です。38w1d。帝王切開前日、今日から入院です。ブログは後日書こうと思っていましたが、時間があるのでリアルタイムで書きます。非常に暇なのです笑私自身、予定帝王切開は初めてなので「前日入院は何をするんだろう…」と体験談を読み漁っていたため、この記事もいつか誰かの参考になれば!時系列でババっと書きますね。10:00病院着、入院受付。入室予定の部屋にまだ前の患者さんがいたため、退室&清掃が完了するまでは空いている陣痛室で待機するよう案内
夫とふたりきりで出かけたのは久々でした。実は、出産予定前のゴールデンウィーク中、1日だけ実家に子ども3人を預けて出かける予定でした。車内で「ふたりきりは久々だね。デート行かずじまいだったね。」とか「夜中は渋滞もないし病院もすぐ着くね。」とか、他愛もない話をしていました。ナビ画面に流れるテレビ番組の内容に突っ込んだりしながら、楽しく向かいました。お腹の痛みは、相変わらず、まぁ痛いなぁ、くらいでした。当初予定していた誕生日より早まったけど、もうすぐ会えるんだなぁ、このまま帝王切開、腹をくく
のんたん先日無事に11歳になりました🎵今年は長女が帰国しており、久しぶりにみんなでのんたんの誕生日パーティーが出来ましたのんたん誕生日当日は、私は仕事がお休み。お姉2人も予定を入れずにいてくれたので、コストコ行ったり、安いと噂のスーパーに行ったりして、食材ゲットしてきました。大昔、お姉2人が小さい頃はママらしいこと!として笑ケーキとか手作りしてたんです。。小さかった娘達も手伝ってくれて、自分のケーキを自分で作る!ということが楽しかった、、、と言い出し、なんと!のんたんの誕生日
文面にしたら簡単だけれど、いとおしい、可愛い祖父母に愛され、うえのこに可愛がられ、誰からもそう言われ目に入れたら痛いけれどw食べてしまいたいほどwというのは、3年経っても変わらぬ気持ち。一方で、思う事ずっといてくれるよね、いつかいなくなっちゃわないよねという気持ちうえの子の時にはなかった気持ち、たまに襲う心の奥底からふつふつとくる不安縁起でもないけれど、失ったときのあの時の事、その後のいろいろがしばしば思い起こされる。3年経っても尚。きっと、今後一生つきあ
手術が終わってからの約24時間、私は不思議な体験をした。機械や点滴だらけで寝返りも打てず、周りだけが忙しく動いていくのを呆然と見ているしかない状況で泣けないどころか喜怒哀楽すべての感情がなくなってしまっていたのだ。そして、声がほとんど出ない。ふだん通りに出そうとしても囁く程度にしか声が出なかった。それらが精神的ショックからくるのか、全身麻酔や輸血の副作用的なものなのか術後の痛みによるものなのかそれは今でも分からない。私を心配して数分おきに「大丈夫?」と話しかけてく
息苦しくて、頭の中はふわふわとしたままでよく眠れないまま迎えた翌朝。旦那は小さな簡易ベッドを借りて付き添いとして隣で見守ってくれていた。「○○さん、おはようございます!今日担当のSとTです。採血しますね」この日、私を担当してくれる30代くらいの2人の助産師さんが明るく病室に入ってきた。採血や検温、悪露交換や点滴交換を2人でテキパキと行ってくれる。私はやはり、されるがままだ。「お母さん、頑張ったね」「昨日、赤ちゃんに会えました?」「身体の感じはどう?」「痛みは我
今日はお空の長男の4回目の命日。朝はいつもより早起きして御霊供膳とお団子を作りました。正直、ふだんは次男の育児に追われて良い意味で悲しむ余裕がないのですが今朝は珍しく次男が7時まで寝てくれていたため誰もいない静かなキッチンで黙々と料理を作っていると…久しぶりにボロボロと涙が。お供えを作っているときってやっぱり長男が「確かに存在したこと」と「もうこの世にはいないということ」と両方を思い知らされて悲しくなります。そういえば、育児で子どもが離乳食を食べないという悩みに対して
こんにちわ、猫好きママです。ブログお越しいただきありがとうございます。日が空いてしまいました。お正月休みに、夜中、常位胎盤早期剥離で緊急帝王切開にて出産というドラマみたいな展開後、2700gで産まれた息子は羊水混濁、黄疸の危機をするりするりとかわし、NICUに入院することもなく、母子同室できましたそして、早産児でしたが、正産期で産まれた赤ちゃんとお母さん同様、一緒に退院する事ができました看護師さん達からは、「休み明けて出勤したら、いつもの部屋にいなかったから、あれっ?て思ったら生ま
2024年10月に妊娠32週で娘を死産(常位胎盤早期剥離)したきおです。死産後の気持ちや、検診、不妊治療のことなどを書いています。常位胎盤早期剥離を知らなかった自分に読んでほしいサイト常位胎盤早期剥離について、正直、出産前の私はきちんと認識していませんでした。妊娠高血圧症候群の気があったのにポンコツ野郎だなと思いますが…死産後の入院生活で、たくさんのwebサイトや、早剥経験者の方のブログ・SNSを読み漁りました。その中で、特に産前から読んでおけ
こんにちはあっというまに出産してから早くも19日目…わたしは元気です!一度なくなった出血が産後2週間後ぐらいからまたでたり止まったりを繰り返してます。量は多くないし退院時にまだ子宮に残ってるから出血あると言われてたのでまぁ様子見それで次男はというと昨日からGCUに移動しましたその後も経過は至って順調いまは1回40ccの搾乳した母乳を飲み呼吸サポートもなくなり鼻から入れていた栄養が口から摂取できるようになり1度は2292gまで落ちた体重は2540gま
助産師さんに連れられ、私は個室に移動しました。助産師さんは歩きながら「ずっと皆で心配してたんだよ。めち子さん、どうやって過ごしてるんだろうって話てたの。」と言い、スタッフのみなさんがずっと心配していてくれたことを教えてくれました。助産師さんは「他のみんなも呼んでくるから、外来には私と一緒にいるって伝えとくね。」と言って一旦離れました。そしてその助産師さんが戻ってくると、ひとり、またひとりと助産師さんがやってきてくれました。別の助産師さんが現れる度にまた泣き出す私。嬉しくて、暖かくて、ず
先生とともに旦那が入ってくる。一瞬、旦那と目が会ったけど、お互い言葉を発さなかった。先生は、再び私のお腹にプローブを当てた。「あのね、落ち着いて聞いてね」ああ、聞きたくない…。「赤ちゃんの心臓が…止まってるの」悪い予感は的中した。直前に悟ってしまったからだろうか、パニックにはならなかった。ただ、旦那の顔は見えなかった。「ここ、心臓。分かる?動いてないの」震えた先生の声、たぶん一生忘れられない。先生はそのあと、状況を説明してくれた。これは「常位胎盤早期剥離」という症状で
「自力でトイレに行く」という目標を達成し看護師さんにお礼を伝え、ベッドに戻る。歩けたとはいえ、へっぴり腰だけど。このとき初めて自分の居る病室を見渡せた。こんな部屋にいたんだ。旦那はこんな狭いベッドで寝てたんだ。私はほんとに何も見えてなかったんだ。「○○が元気になってよかった」戻ってきて横になった私に向かって、父がぽつりと呟いた。「生きていてくれて、ありがとう」母はその横で、涙目で鼻をすすっていた。その瞬間、私の目からも涙があふれ出して嗚咽が止まらなかった。「泣け、泣
入院2日目に赤ちゃんと対面してからはずっと病室に赤ちゃんを居させてもらった。たくさん話しかけた。私の体調はというと2リットル以上の出血があったため貧血がひどかったものの鉄剤の注射を毎日打ってもらうことで順調に回復してきていた。そのおかげで、入院4日目に外出許可がもらえた。外出許可願いの用紙に記入した。「外出の理由:火葬同行のため」。もう、お別れしなければいけない。心の準備なんてする間もない。悲しいタイムリミットが訪れた。新生児を連れた他の家族たちが笑顔で正面玄関か
診察室に入りました。先生に、今回の出産で産科DICになったこと。術後も出血があり、皮下血腫が出来ていること。総合病院の先生にも診てもらったが、自然治癒を待ってたこと。ここ2、3日再び痛みだしたこと。を伝えました。患部を見せるため、リクライニング式の長椅子に座ります。いつも、妊婦検診で座っていた椅子。よんちゃんの最期の心拍を聞いたときに座った椅子。いままでは椅子みたいにゆったり座っていましたが、この日はそのままベッドの様に真っ平らにされました。あ、これベッドみたいになるのね、
午前6時。産婦人科までは旦那が運転してくれた。旦那は7時から仕事の予定だったが、職場に事情を話し出勤を遅らせてくれた。旦那がいてくれて本当に助かった。私はといえば、座ることもままならない。車の後部座席に横たわり、シートから落ちないようにしがみつくので精一杯だった。激痛は相変わらず続いている。家を出る前から冷や汗が止まらず、髪の毛もTシャツもびしょ濡れだ。ふだんは少しも気にならない車の揺れが今は苦痛でしかなかった。家を出て15分、いつもの産婦人科に到着。出勤ラッシュと
こんにちは!産後6日目になりました!わたしの方はすっかり体調回復貧血の値は産後すぐ8.2まで落ちましたが産後6日で10.3までに回復してました食欲もあるし寝れてるし無事に明日退院できそうです!体の方はだいぶ回復しておりますが気持ちの方は浮き沈みが結構あります!ご存知のとおり常位胎盤早期剥離にて早産で産んだ次男。体重こそ立派!でしたがまだ週数が浅いので呼吸のサポートが必要でNICUにおります呼吸窮迫症候群というそうです!レントゲンや血液検査で肺の中のサーファク