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以前参加させてもらったお話会を主催されている、なごみグリーフさんそのなごみグリーフさんが発信されているいのちのSTORYに、私の経験を取り上げていただきましたいのちのSTORYSTORY16息子は私たちに大切なことを気づかせてくれましたプロフィール奥澤愛さん/1989年生まれ2022年:第一子、妊娠9週で流産2023年9月:第二子男の子、妊娠36週で常位胎盤早期剥離により死産インタビュー時:死別から3ヶ月#常位胎盤早期剥離#子宮shimeikan.nagomi-gc.comりんた
3年前の6月。妊娠41週めに突入した臨月のおなかは大きくふくらみ、ぱんぱんで苦しいくらいだった。わたしは腸閉塞になりやすく腸管の癒着もあるため帝王切開はできるだけ避けて経膣分娩をするつもりだった。いまや予定日も過ぎたため、産科の先生と相談し、入院のうえ陣痛促進剤を使って出産に挑むことになった。入院した日のこと。泊まり込みで付き添いたいと申し出てくれた夫に、明日から本格的に付き合ってもらうから今日のところはしっかり寝ておいてねと説得、しぶしぶ家に帰ってもらった。入院した日の晩ごはんはシー
大量出血を乗り越えて、順調に育っていくピヨちゃん。12週の壁を越え、流産の心配はもうないと思っていました。最後の検診から3週間後の出来事です。振り返り記録、前回の記事⑪12週の壁、超えたはずだった死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆安定期に入ったらしようと思っていたことがたくさんあった。3Dエコーの予約をしよう!マタニティウェアを買いに行こう!断捨離をして、赤ちゃんのためのスペースを作ろう!赤ちゃん本舗に行
慢性早剥羊水過少症候群(CAOS)chronicabruption-oligohydramniossequence;CAOS四国がんセンターにおけるCAOSの6例31.pdf(tyuushi-obgyn.jp)参考CAOSとは(1)分娩7日以上前から持続する原因不明の性器出血(2)当初は羊水量が正常(3)破水の所見なく羊水過少に至るこの3項目を満たすものと定義されます。早産の原因となったり、出生後の慢性肺疾患、肺低形成、drylungに関連するために
助産師さんとは、その後もしばらく、お部屋で話を続けました。私のカルテ情報を更新したいからと、家族のことについても聞かれました。ジェノグラムをかく際には「ちゃんとあの子もかくからね。名前は何くんかな?」と言って、よんちゃんもかいてくれました。よんちゃんだけ、黒く塗りつぶされてしまったけど…そのジェノグラムを見て、よんちゃんの存在がしっかりと記録に残った事がすごく嬉しかったです。助産師さんは、前回、私とよんちゃんを襲った常位胎盤早期剥離についてお話してくれました。私に対し、早剥はうちの
今日はいろんな方のサイトを参考に作らせて頂いたカニューレバンドの作り方を載せたいと思います前にも書きましたが、肌の弱いゆいくん仕様なので・縫い目が首に当たらない・首側はユニクロのエアリズムで通気性よく・反った時にマジックテープが当たらないように折り返すタイプのカニューレバンドですミシン初心者の不器用ママなのでズーム禁止です笑必要な物Wガーゼ・エアリズム・キルト芯・フリーマジックテープ(雄雌関係のないマジックテープ)(今回使用したのは25×30㎝、これでバンド2本分)まず首
ブログを再開する時。まさか、こんな思いをするとは思っていなかったし。こんな内容も書きたくはなかったけど。正直、担当医の先生とやり取りをする中で、どうしても無力感が沸き起こってしまい苦しいです。ずっと、ずっと、また妊娠したいと思っていて。やっと、妊娠できて。やっと、妊娠後期まできて。あとちょっとで入院。入院したら、いつ何が起こっても大丈夫だって。心の支えになっていたのに。先生から、早剥は予防しようがないから。管理入院と言っても、起きた時にすぐ対応できるだけだから。と、言わ
私たち夫婦は、入院バックを部屋に運んでから、再び、子ども達の待つ駐車場へと戻りました。子ども達とはあと数日、お別れです。とはいえ、赤ちゃんと会えた嬉しさや、総合病院と違ってちょこっと会えるようにもなったので、子ども達も以前ほどの寂しさを感じなくなっているようでした。3人共、ニコニコしながら自宅へと帰っていきました。病室に戻り、ひとりでソワソワと過ごしていると、看護師さんが赤ちゃんを連れて帰ってきました。看護師さんは笑顔でお帰りー!本当に良かったね。みんなでめち子さんが帰って来るのを
こんにちは友人や家族のおかげで最近とても元気に過ごせていて、次このブログを更新するときはレインボーベビーが来てくれる時かなぁ〜なんて思っていたんです。でも、今日これまで生きてきた中でいちばん傷ついた出来事がありました誰かに聞いて欲しくてたまらない。できれば天使親のフォロワーさんに聞いてもらいたい。ちょうどお昼にインスタ見てた時、友達が親しい友達限定のストーリーズを上げてたんです。そしたら「ようこそ我が家へ」という言葉と共に、男の子の新生児ちゃんのお写真を更新して
前記事からの続きです。①やっぱり病院は悲しかった。死産後1か月の検診でピヨちゃんを出産した病院へ。妊婦検診と間違う病院のスタッフの対応に涙したり…久しぶりに会った先生や看護師さんの笑顔に涙したり…ピヨちゃんとの日々を思い出して涙したり…そんなこんなで始まった診察。内診を終えて本題です。先生は、私が言葉を詰まらせる度に「うんうん」って笑顔で待ってくれので、余計に涙が溢れて来ました。検診とはいえ、ピヨちゃんの事を知っている人とピヨちゃんの話が出来るの
私は、頭の中で何度も思いました。まだ生まれてなかったし、夫と、上の子3人の生活に変わりはない。ただ、元の生活に戻っただけなのだ。何度も何度も、そう考えました。そう考えないと、心がおかしくなってしまいそうでした。真正面から、受け入れられなかったのだと思います。よんちゃんの命が絶えたと分かってから、少しだけ、医療スタッフの動きも緩やかになったように感じました。たぶん、もう緊急に取り出す必要がなくなったからなのだろうと悟りました。夫は、かかりつけ医から車で駆けつけました。夫は、ポロポ
午前5時過ぎ、救急病院に到着しました。バタバタと担架で担ぎ込まれます。担架で運ばれる最中、看護師から「PCRしますね」と言われました。私は、運ばれながら鼻に綿棒を差し込まれました。私の周りを医師や看護師が走り回ります。口々に「緊急です。急いで!」と言っています。こんなにも緊急なのか。ただただ、呆然と見ていました。緊急です、緊急です…看護師がバタバタと手術の準備を進めます。一緒に来てくれたかかりつけの先生と救急病院の先生が「エコー!」と言いました。看護師からエコーを受け取り、
「めち子さん!!手術終わりましたよ!」ハッと、目を覚ました。終わったのだ、何もかも。ボーッとした記憶。ベッドごと運ばれる私。赤ちゃんのことは誰も何も言いません。終わったのだ、本当に、何もかもが。眠くて、キツくて、痛かった。夫がやって来ました。目を真っ赤に腫らしていました。泣きながら「良かったね。」と言っていました。何が、良かったのだろう。何度も会話の途中に眠っていました。全身麻酔の影響だと思っていました。お腹を切ってみたら、赤ちゃん蘇生したとか無いかな、とか、僅かな期
先生から休むことを勧められた私は、職場に電話連絡をしました。もう、復帰まで10日に迫っていました。職場からも了承を貰い、診断書を取るように指示されました。そもそも私は、育休で1年間休む予定であり、抜けた穴には新しい方もいらっしゃいました。職場への負担も無いわけで、私自身、申し訳無さもあまりありませんでした。みなさんも事情を知っているので、無理させようともしません。その点では、本当にありがたかったです。後日、再度かかりつけ医に行き、先生に診断書を書いてもらいました。先生はとりあえず
少しのスイッチですぐに涙が溢れてしまう。そんな日々もあっという間に過ぎました。長かったような早かったような。記憶の中から、あの出来事がスッポリと抜けているようです。あれは、夢だったんじゃないか?そんな気持ちさえします。5月のカレンダーには「38週」とか「妊娠検診」とか「赤ちゃんのお誕生日(予定帝王切開だっため)」とか「退院予定日」が記載されていました。これを書いていたころの私は、とても幸せだった。会える日が指折りとなり、ワクワクしていた。あれはどうしよう、これはどうしようと考え
2023年10月5日(木)退院1週間後の健診日。退院後は実家でのんびりさせてもらっていて、すこ〜しずつ前を向きつつありましたが、この日病院に行くことを考えると心がざわついて朝から落ち着くことができませんでした病院到着後、下記の流れで3つのタスクをこなしました。笑血液検査↓助産師さんとのお話↓先生とのお話助産師さんとのお話はメンタル面の確認という感じ。退院してからどんな風に生活を送っているのか?その後気持ちはどう?などなど。入院中に私たち夫婦にじっくり向き合って
タイトルの通りです。週数通りに大きくなってて、人の形になってました。でも、どんな角度で見ても心臓が動いてない。私の目でもわかりました。死産してから手術、初めての体外受精で妊娠して怖くて怖くて、仕事も辞めてしまっていい想像が全くつかなかった。きてくれて嬉しかった。ごめんね。仕事も辞めて妊娠も続かなかった今見事に無職ニートが爆誕しました。笑こんなこと考えれるくらいの余裕はあります。正直、悲しい辛いとか、なんで私ばっかりというより本当に疲れたって言う気持ちが大きいです。あと娘
職場から連絡がありました。今後のことについて話したいから来てほしい。と。まだまだ心も身体も傷が癒えていない。本当は行きたくありませんでした。でも、時は進み続けます。よんちゃんは、二度と帰っては来ません。ガタガタの身体で、ハンカチを握りしめ、職場のある建物の中に入りました。職場から「出産時の領収書」「火葬証明書」の持参を指示されたので持って行きました。念の為「死産届」の写しも持って行きました。私は、死産となってから、上司に報告した際、「まだ2歳の次女に対する育休を取ることはできな
先生とともに旦那が入ってくる。一瞬、旦那と目が会ったけど、お互い言葉を発さなかった。先生は、再び私のお腹にプローブを当てた。「あのね、落ち着いて聞いてね」ああ、聞きたくない…。「赤ちゃんの心臓が…止まってるの」悪い予感は的中した。直前に悟ってしまったからだろうか、パニックにはならなかった。ただ、旦那の顔は見えなかった。「ここ、心臓。分かる?動いてないの」震えた先生の声、たぶん一生忘れられない。先生はそのあと、状況を説明してくれた。これは「常位胎盤早期剥離」という症状で
火葬場には予約時間の30分前に着く必要がありました。火葬場に着くと、私達の親族が待っていました。静かな火葬場に、見慣れた顔が並びます。皆、喪服を着て、悲しそうな顔をしています。よんちゃん。あなたのお父さんお母さん、お兄ちゃんにお姉ちゃん。ひいおばあちゃんにおじいちゃんおばあちゃん、おじさんもおばさんも、みんな生きてるんだよ?なんで、最初に逝ってしまったのですか?また涙が溢れてきました。たまらなく、つらくて苦しかった。よんちゃんをみんなに抱っこしてもらい、手続きに入ります。中
夜、いつもと変わらず布団に入る。横になると肋骨の下あたりに胎動を感じた。これもいつものこと。「あ、赤ちゃん活動中だ」「起きてるんだね(笑)パパママもう寝るよ〜」旦那と一緒にお腹をなでて、赤ちゃんに話しかけてから眠りについた。-----------------------------午前3時半すぎ。ふと目が覚めると、左下腹部に少し違和感を覚えた。感覚的には卵巣の位置あたりに鈍い痛みがあるような気がする。お腹はとくに張っておらず、我慢できるかすかな痛みだったためトイレに
今日はお空の長男の4回目の命日。朝はいつもより早起きして御霊供膳とお団子を作りました。正直、ふだんは次男の育児に追われて良い意味で悲しむ余裕がないのですが今朝は珍しく次男が7時まで寝てくれていたため誰もいない静かなキッチンで黙々と料理を作っていると…久しぶりにボロボロと涙が。お供えを作っているときってやっぱり長男が「確かに存在したこと」と「もうこの世にはいないということ」と両方を思い知らされて悲しくなります。そういえば、育児で子どもが離乳食を食べないという悩みに対して
読んで下さる方、いいね!して下さる方、フォローして下さる方、ありがとうございます3.11『産科医療補償制度【結果】』ついに、3月9日に届いた産科医療補償制度の審査結果通知書を開封しました。結果は『補償対象』となりました正直な感想は、ただただビックリですそして、色々と大変だった申請を思い返して報われた気分と、娘にもっとお金をかけてあげる事が出来る事への安堵ですリハビリに通っている発達センターの先生には『歩けるから多分ムリかな?』みたいな反応をされていましたし、最初の頃に診ていただ
今日は妊娠38週2日(10ヶ月)です。最近一日中お腹が張ってカチカチなので病院からはそんな状態だったら一度連絡くださいと言われていたので連絡してみることに。常位胎盤早期剥離ってのが怖かった。⬇︎これ。時刻は1/28の22時30分。病院へTEL。私お腹がずっと張ってて…胎動はあるんですけど…。痛みは不規則にあります。看護師さんそうですか…一度診てみましょうか私は胎動があって破水も無く、出血もなければ様子見でいいですねって言われたい気持ち半分、診察して欲しい気持ち半
よんちゃんが亡くなってから、約1か月が経過しました。母子手帳を持って、よんちゃんが生まれた総合病院に向かいます。検尿と採血をして先生の診察へ。お腹の中や傷、腹部の血腫の検査をしました。どれも問題はなく、血腫はなくなるまで1か月はかかるが心配ないとのことでした。私は今回の出産に関するお礼を述べて退室します。その後は助産師さんとの面談。エジンバラ産後うつ質問票のチェックでは前回より改善されていました。助産師さんからも、少しずつ落ち着いてきていますね。でも、無理せず、ぼちぼちしてくだ
もう本当に大失態。今まで、ずっと安静に努めて生活してきたのに。完全に、私の不注意です。一昨日の昼、自宅リビングでソファから前のめりに転倒してしまいました。その日、私はひとりで過ごしていて、昼食後に温かいお茶を飲むため、マグカップにお茶を入れてリビングを移動していました。ちょうどテレビがついており、私がそちらに注意を向けていたのがいけなかったのだと思います。テレビを見ながら、マグカップ片手にソファへ腰掛けたところ、ソファのクッションが少しずれており、座り方が浅くなってしまいました。バ
特にこれといった症状もなく不安に駆られながら過ごした長い長い1週間先週5週0日で胎嚢5.4mmで小さくて本来2週間後の受診やけど不安なら1週間後みようとなり受診の流れにわがまま言ってすみません行くのが怖くて怖くて、なんかもうすごい感情で受診ほんまにメンタルに良くないと思うエコー胎嚢12mmくらい?やっぱ小さい…しかもなんか細長い?でも卵黄嚢と、横に小さい小さい胎芽がみえた!まだ2mmとかで、心拍は拾えんかった目視でなんかパクパクしてる所があってこれが心臓やと思いますとの
よんちゃんとの予定。ついに最後の火葬のみとなりました。朝のピクニックを終えた私たち6人は、家に帰ってからそれぞれの髪の毛と爪を切りました。爪は、夫がお父さん指、私がお母さん指、長男がお兄さん指、長女、次女がお姉さん指です。地域によって風習があるそうですが(私の住む地域にもその風習はなく、したことはありませんでした。)『亡くなった方が淋しくないように』という意味があると聞いたので、私たち家族はすることにしました。そして代わりに、よんちゃんの爪と髪の毛を切って胎毛箱に入れました。ちなみに
夫と話をして、この様な場合、葬儀とか火葬とかどうなるのだろう?という疑問がありました。よんちゃんは生まれてから、ずっと背中にアイスノンを敷いてできるだけ冷やしてもらっていました。まだ春先でしたが、部屋はクーラーで冷えていました。私は布団にくるまり過ごしていました。他にも、なるべくキレイで居てもらいたくて、私は唇にワセリンを塗っていました。(乾燥して皮膚が固くなるのを防ぐため)看護師さんからは「職員の家族が手作りしたので良いのがあれば…」と言われて手編みの帽子をいただきました。いろんな
救急車に乗ってから総合病院へ着くまでもお腹の痛みは増すばかりだった。子宮内の出血の痛みと陣痛が両方起こっているらしい。総合病院に着いてからのことはあまり詳しく覚えていない。手術台のようなところに横になり何人もの助産師さん(?)に囲まれ手術着に着替えさせられたり採血をしたり…とにかくバタバタしていてもみくちゃになっている気分だった。1人の助産師さんが内診で子宮口のチェックをしてくれた。「だめだ、開いてない。全身麻酔で緊急帝王切開を行います」帝王切開になるのか。