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皆様、こんにちは😃!ゆいレディースクリニックです。今日は、常位胎盤早期剥離という大変怖い病気のお話です。(通称、ソーハク)寒さも本格的になってきましたが、産婦人科として経験的に感じているのは、この寒い時期、常位胎盤早期剥離(略して早剥)という病気のシーズン?にはいってきたなぁという事です。早剥とは、子宮内の正常の位置にえる胎盤が分娩の前に剥離して、大出血になる重篤な疾患です。通常、陣痛が来て、子宮口開いて、胎児の娩出後に胎盤が剥がれて、臍帯と一緒に出てきます(後産)。これが、陣痛の前
読んで下さる方、いいね!して下さる方、フォローして下さる方、ありがとうございます3.11『産科医療補償制度【結果】』ついに、3月9日に届いた産科医療補償制度の審査結果通知書を開封しました。結果は『補償対象』となりました正直な感想は、ただただビックリですそして、色々と大変だった申請を思い返して報われた気分と、娘にもっとお金をかけてあげる事が出来る事への安堵ですリハビリに通っている発達センターの先生には『歩けるから多分ムリかな?』みたいな反応をされていましたし、最初の頃に診ていただ
慢性早剥羊水過少症候群(CAOS)chronicabruption-oligohydramniossequence;CAOS四国がんセンターにおけるCAOSの6例31.pdf(tyuushi-obgyn.jp)参考CAOSとは(1)分娩7日以上前から持続する原因不明の性器出血(2)当初は羊水量が正常(3)破水の所見なく羊水過少に至るこの3項目を満たすものと定義されます。早産の原因となったり、出生後の慢性肺疾患、肺低形成、drylungに関連するために
妊娠37週。よんちゃんの命が絶えました。その4日後には、姿かたちも消えてしまいました。今は、ポツリと骨壺の中です。よんちゃんが亡くなってから梅雨に入りました。私の心を映すかのように、毎日、毎日、雨が振り続けます。ザーザーと降り続く雨。それを見て、なんだか癒やされていました。今は、ずっと雨でいい。悲しみにくれる私。私の身体は、37週間かけて赤ちゃんを育てる為に少しずつ変化していました。母乳も出るようになっていました。身体も骨盤が開いたり、下半身にたくさんのお肉がついていまし
2024年10月に妊娠32週で娘を死産(常位胎盤早期剥離)したきおです。死産後の気持ちや、検診、不妊治療のことなどを書いています。常位胎盤早期剥離を知らなかった自分に読んでほしいサイト常位胎盤早期剥離について、正直、出産前の私はきちんと認識していませんでした。妊娠高血圧症候群の気があったのにポンコツ野郎だなと思いますが…死産後の入院生活で、たくさんのwebサイトや、早剥経験者の方のブログ・SNSを読み漁りました。その中で、特に産前から読んでおけ
実は、よんちゃんのお父さんは医療従事者です。周産期医療センターも入っている大きな病院に勤めています。夫は、同僚である医療従事者の方に、よんちゃんが常位胎盤早期剥離で亡くなったことを伝えていました。その中には、産婦人科やNICUで働く看護師さん達が何人もいたそうです。そして、その方達はだいたい「えー!早剥!!早剥はねぇ…」という感じで、言葉を失う。夫の勤めている病院では、年に4、5件くらい、常位胎盤早期剥離があるそうです。この症状を訴える妊婦の受診があると、医療スタッフも軽くパニッ
手術が終わっても、私はずっと眠くてたまりませんでした。気づけば眠りについてしまう。遠くから、自分のいびきも聞こえてしまう。代わる代わる、看護師もやって来ます。「めち子さん、お名前と生年月日を教えてください。」私は乾いた声でようやく答える。「めち子、センキュウヒャク…」何度も何度も、このやり取りを繰り返しました。その度に看護師さんが液体を取り替え、私の身体に異常が無いかを聞いてきます。よく見ると、右腕には点滴、左腕には輸血がされていました。しばらくして、先生が来てくださいました
妊娠37週目にして、私は常位胎盤早期剥離により大事な大事な我が子を亡くしました。いろいろと調べたところ、常位胎盤早期剥離の既往歴があると次回妊娠時に再発しやすいとのこと。私や夫としては、やっぱり子どもをもうひとり育てたい。でも、怖い。そんな思いでずっと葛藤していました。出産前、私は今回が最後の妊娠だからと卵管切除も検討していました。でも、健康な子宮の一部を失うのはなんだか悲しくて。助産師さんに相談したら「迷うくらいならしない方がいいよ。今はミレーナとか避妊方法もいろいろあるから!」
妊娠報告をしていた友達には入院中に3〜4日かけてLINEで自分から死産報告しました。早いと驚かれるかもしれませんが、産休に入って間もなかったので直近で友達と会う約束がいくつかありすぐ報告せざるを得なかったのです。その報告をきっかけに、共通の友達のグループ内で「報告受けた」「報告受けてない」の差が出てしまわないように短期間でいっせいに連絡しました地元メンバーのつながりが強いためふだんから、良くも悪くも情報伝達のスピードが早いんですよね。まあ内容が内容だけにむやみに広
前記事からの続きです。①やっぱり病院は悲しかった。死産後1か月の検診でピヨちゃんを出産した病院へ。妊婦検診と間違う病院のスタッフの対応に涙したり…久しぶりに会った先生や看護師さんの笑顔に涙したり…ピヨちゃんとの日々を思い出して涙したり…そんなこんなで始まった診察。内診を終えて本題です。先生は、私が言葉を詰まらせる度に「うんうん」って笑顔で待ってくれので、余計に涙が溢れて来ました。検診とはいえ、ピヨちゃんの事を知っている人とピヨちゃんの話が出来るの
常位胎盤早期剥離での死産を経験して、しばらくはその事で頭がいっぱいでした。私は医療従事者ではないので、詳しいことは分かりませんが、自分なりにいろいろと、この病気について調べたりしました。その中で、よんちゃん妊娠期間の私の症状として気になったのが、妊娠高血圧症候群でした。私は元々、血圧は低めの体質で、上100台/下60台くらいを推移しています。(特に低い時は上が80台)よんちゃん妊娠期間も、高い時でも上が110くらいでした。なので、血圧自体は高くありませんでした。尿検査の
おはようございます今日は、私が2人目不妊になった理由を綴りたいと思います。もしかすると、同じような悩みにぶつかる方もいるかもしれないので。もしくは、妊娠や出産を控えている方にはぜひ知っていただきたいです。私は娘(1人目)を自然妊娠しました。それも妊活をしていたわけではなく、子供できたら良いねなんて、ゆる〜く夫と話していた頃です。なので、正直、不妊とは全く無縁の人間でした。娘妊娠中の39週目。いつ陣痛くるのかな〜とドキドキしていましたそんなある日、夕
読んで下さる方、いいね!して下さる方、フォローして下さる方、ありがとうございます3.22『新版K式発達検査2020の結果』1月の末に出生病院で受けた新版K式発達検査の結果が出ました。5歳6ヶ月の娘の検査結果です。【全領域】2歳1ヶ月【姿勢・運動】1歳4ヶ月【認知・適応】1歳9ヶ月【言語・社会】2歳10ヶ月という結果になりました。評価の良かった所は絵を見て物の名前を答える所や、自分の名前と年齢を何とか答えられた所、表情の絵を見て答える所は良かったです。総合評価の下がる要因
息苦しくて、頭の中はふわふわとしたままでよく眠れないまま迎えた翌朝。旦那は小さな簡易ベッドを借りて付き添いとして隣で見守ってくれていた。「○○さん、おはようございます!今日担当のSとTです。採血しますね」この日、私を担当してくれる30代くらいの2人の助産師さんが明るく病室に入ってきた。採血や検温、悪露交換や点滴交換を2人でテキパキと行ってくれる。私はやはり、されるがままだ。「お母さん、頑張ったね」「昨日、赤ちゃんに会えました?」「身体の感じはどう?」「痛みは我
2017年8月18日無事、息子の一周忌を終えることができました。この日は旦那も私も仕事を休ませてもらえたので、朝から義実家へ向かいました。部屋に入ると、義母が息子コーナーを今までで一番賑やかにしてくれていました。住職さんに読経をしてもらうような法要は行わない予定だったのですが、そのかわりに義母が般若心経の録音を流し続けてくれていました。お経の声を聴いたすぐは「息子が亡くなったこと」を実感し、そして火葬の日を思い出してしまい、やはり胸が痛んで涙が出ました。しかし、そこで一度涙を拭いてか
よんちゃんが亡くなってから、2年8ヶ月あまり。妊娠37週1日のこの日。ついに、私の人生4度目の帝王切開が始まりました。ずっとずっと、この時を目標に頑張ってきた。本当に、良く頑張ったと思う。私も、家族も、周りで支えてくれた方々も。みんなで手に入れたこの時だと思う。ようやく、ようやく、生きた我が子に会える。手術中は、オペ室の看護師さんと家族の話等をしていました。きっと、私が不安にならないように気遣ってくれていたのだと思います。看護師さんは、ずっと私の手をぎゅっと握り締め、話しかけ
タイトル通り出産しました!早産です最悪なことに常位胎盤早期剥離になりまして、急遽緊急オペ!子どもは無事に生まれNICUへわたしも通常の帝王切開とそこまで大きく出血量もなく無事でした!以下レポです!どなたかの参考になれば!と自分の記憶が薄れる前の記録!まず夜中23時過ぎ頃から生理痛のような腹痛。痛いけどんーー10段階でいうと5-6ぐらいの痛み。便秘かな?とか思ってトイレで踏ん張ってちょっとでる0時まで様子見るもだんだん痛みもきつくなる陣痛のような間
「めち子さん!!手術終わりましたよ!」ハッと、目を覚ました。終わったのだ、何もかも。ボーッとした記憶。ベッドごと運ばれる私。赤ちゃんのことは誰も何も言いません。終わったのだ、本当に、何もかもが。眠くて、キツくて、痛かった。夫がやって来ました。目を真っ赤に腫らしていました。泣きながら「良かったね。」と言っていました。何が、良かったのだろう。何度も会話の途中に眠っていました。全身麻酔の影響だと思っていました。お腹を切ってみたら、赤ちゃん蘇生したとか無いかな、とか、僅かな期
文面にしたら簡単だけれど、いとおしい、可愛い祖父母に愛され、うえのこに可愛がられ、誰からもそう言われ目に入れたら痛いけれどw食べてしまいたいほどwというのは、3年経っても変わらぬ気持ち。一方で、思う事ずっといてくれるよね、いつかいなくなっちゃわないよねという気持ちうえの子の時にはなかった気持ち、たまに襲う心の奥底からふつふつとくる不安縁起でもないけれど、失ったときのあの時の事、その後のいろいろがしばしば思い起こされる。3年経っても尚。きっと、今後一生つきあ
2024年10月に妊娠32週で娘を死産(常位胎盤早期剥離)したきおです。しばらく死産した日のことと、それからの入院生活〜火葬までの話を書いていきます。病院到着。いつも測る血圧がすごく低い職場から病院までは少し道が混んでいたものの、15分ほどで到着。いつもの産科に行き、母子手帳などを提出。いつも通りに血圧と体重を測りましたが…その時、また「あれ?」と思いました。妊娠高血圧を指摘されていたのに、その時測った血圧はいつもより上下とも20以上低い値で。おか
私は、頭の中で何度も思いました。まだ生まれてなかったし、夫と、上の子3人の生活に変わりはない。ただ、元の生活に戻っただけなのだ。何度も何度も、そう考えました。そう考えないと、心がおかしくなってしまいそうでした。真正面から、受け入れられなかったのだと思います。よんちゃんの命が絶えたと分かってから、少しだけ、医療スタッフの動きも緩やかになったように感じました。たぶん、もう緊急に取り出す必要がなくなったからなのだろうと悟りました。夫は、かかりつけ医から車で駆けつけました。夫は、ポロポ
お父さんに車で送ってもらってかかりつけの産婦人科へ🚗車の中ではかなりの激痛。。「ぱぱもう少しスピード出して」って言った。痛すぎてとにかく早く着いて欲しかったし、その一言しか言葉出なかった。。あとは身体に身を任せて座ってる感じ。。その時21時半すぎかなぁ、、幸い病院までは10分で着いた!(これもとにかくよかった)もう病院はやってないからインターホンぱぱに押してきてもらって急いで助産師さん看護師さんが走って車椅子を持って来てくれた!!!車椅子ないと完全に動けなかった、
常位胎盤早期剥離既往がある場合の妊娠。再発の可能性は、既往歴がない場合の10倍だと聞きます。あっという間に赤ちゃんの生命を奪う。母体も一気に状態が悪化。亡くなるケースもある。やっぱり、こんなに残酷な経験をした後の妊娠はいろいろと覚悟が必要だった。妊娠してからは毎日、毎日。1分、1秒たりとも気が抜けなくてずっと苦しかった。前回、死産をして直ぐに当時の担当医から「次の妊娠では管理入院」との説明を受けていたから、きっと、それなら大丈夫だと思うことができた。でも、結局、私の場合は管
職場から連絡がありました。今後のことについて話したいから来てほしい。と。まだまだ心も身体も傷が癒えていない。本当は行きたくありませんでした。でも、時は進み続けます。よんちゃんは、二度と帰っては来ません。ガタガタの身体で、ハンカチを握りしめ、職場のある建物の中に入りました。職場から「出産時の領収書」「火葬証明書」の持参を指示されたので持って行きました。念の為「死産届」の写しも持って行きました。私は、死産となってから、上司に報告した際、「まだ2歳の次女に対する育休を取ることはできな
入院2日目の夕方から、病室へ赤ちゃんを連れてきてもらえることになった。火葬が2日後に決まってしまったのでそれまではできる限り一緒に過ごせるように。「親子3人で過ごしてね」との気遣いで両親と義父母は夕方までに病院を出てそれぞれ帰宅してくれた。改めて、赤ちゃんに会える。昨日は私が「私じゃなかった」から今日はきちんと向き合うんだ。会いたいけど、どこか怖い気持ちもあった。私だけが生きてしまった罪悪感、そして赤ちゃんが亡くなってしまった現実を受け入れなければいけない残酷さ。
手術が終わってからの約24時間、私は不思議な体験をした。機械や点滴だらけで寝返りも打てず、周りだけが忙しく動いていくのを呆然と見ているしかない状況で泣けないどころか喜怒哀楽すべての感情がなくなってしまっていたのだ。そして、声がほとんど出ない。ふだん通りに出そうとしても囁く程度にしか声が出なかった。それらが精神的ショックからくるのか、全身麻酔や輸血の副作用的なものなのか術後の痛みによるものなのかそれは今でも分からない。私を心配して数分おきに「大丈夫?」と話しかけてく
2024年10月に妊娠32週で娘を死産(常位胎盤早期剥離)したきおです。しばらく死産した日のことと、それからの入院生活〜火葬までの話を書いていきます。LDR室で輸血…赤ちゃんの泣き声が聞こえる手術室に行ったものの、一度戻されて、LDR室で輸血をすることになりました。輸血をして、数値が安定してからの手術(全身麻酔)になるということで、自分にできることはただされるがままに輸血を受けることだけ。大学病院だったので、周りには本当にたくさん人がいました。(※初診時
月明かりの眩しい夜でした。便意に似た腹痛で目を覚ましました。時計を見ると3時ちょっと前でした。4度目の出産。帝王切開の予定日から10数日前でした。なんとなく、今回は先に陣痛がきてしまう予感はありました。幼い子ども3人の相手でゆっくりする間などなかったからです。今までより、張ることも多かったです。でも、安静にすれば治まる、その程度の張りでした。検診時に先生にも診てもらったこともありましたが、子宮口もしっかりしまっていて問題ありませんでした。その他のエコーや検査も問題ありませんで
読んで下さる方、いいね!して下さる方、フォローして下さる方、ありがとうございます再5.11『4歳10ヶ月(修正4歳8ヶ月)発達』※昨日アップした記事の動画が上手く作動せず、色々試したのですが駄目でした再投稿を何度か繰り返していたら、動作が停止してしまい、記事も消えてしまいましたコメントをくださった方、いいねしてくださった方、申し訳ございませんお返事は、コメント欄に書かせていただきます〜🙇久しぶりに発達の記録です。身長:97.5cm体重:13kg体重は減ったり増えたりを繰
こんにちは!産後6日目になりました!わたしの方はすっかり体調回復貧血の値は産後すぐ8.2まで落ちましたが産後6日で10.3までに回復してました食欲もあるし寝れてるし無事に明日退院できそうです!体の方はだいぶ回復しておりますが気持ちの方は浮き沈みが結構あります!ご存知のとおり常位胎盤早期剥離にて早産で産んだ次男。体重こそ立派!でしたがまだ週数が浅いので呼吸のサポートが必要でNICUにおります呼吸窮迫症候群というそうです!レントゲンや血液検査で肺の中のサーファク