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我が家には特に何も関係のなかったGWも無事に(笑)終わりました。のんたんの利用するデイは日曜・祝日がお休みのところが多くて、連休はほぼ利用出来なかったので私は仕事をお休みしてのんたんと過ごす日もありましたそれは有難いんだけど、職場のスタッフさんには申し訳なかったです。GWが待ち遠しい、、みたいな生活、、一度はしてみたい結局、、のんたんと過ごすと言っても、ダァ子と3人でダラダラしただけです5月になり、我が家の変化ヘルパー利用ができるようになりました。うちの自治体、、、、障害児に
妊娠37週目にして、私は常位胎盤早期剥離により大事な大事な我が子を亡くしました。いろいろと調べたところ、常位胎盤早期剥離の既往歴があると次回妊娠時に再発しやすいとのこと。私や夫としては、やっぱり子どもをもうひとり育てたい。でも、怖い。そんな思いでずっと葛藤していました。出産前、私は今回が最後の妊娠だからと卵管切除も検討していました。でも、健康な子宮の一部を失うのはなんだか悲しくて。助産師さんに相談したら「迷うくらいならしない方がいいよ。今はミレーナとか避妊方法もいろいろあるから!」
月明かりの眩しい夜でした。便意に似た腹痛で目を覚ましました。時計を見ると3時ちょっと前でした。4度目の出産。帝王切開の予定日から10数日前でした。なんとなく、今回は先に陣痛がきてしまう予感はありました。幼い子ども3人の相手でゆっくりする間などなかったからです。今までより、張ることも多かったです。でも、安静にすれば治まる、その程度の張りでした。検診時に先生にも診てもらったこともありましたが、子宮口もしっかりしまっていて問題ありませんでした。その他のエコーや検査も問題ありませんで
今年は花粉症がかなりキツく、外来でも妊婦さんに花粉症の薬を処方することがとても多くなりました。妊婦さんにも使える薬はあるので、花粉症で辛い時は、かかりつけ医に相談して下さいね。それで、今回は花粉と同じ時期に問題になることが多い「黄砂」と、妊娠の関係についてみていきたいと思います。黄砂は、中国やモンゴルの砂漠から飛んでくる非常に細かい砂で、毎年3〜5月に最も多くなっているのですが、この黄砂と妊娠中の「常位胎盤早期剥離」の関係が指摘されているのです。それを検証した日本の論文がこちら。Exp
よんちゃんとの予定。ついに最後の火葬のみとなりました。朝のピクニックを終えた私たち6人は、家に帰ってからそれぞれの髪の毛と爪を切りました。爪は、夫がお父さん指、私がお母さん指、長男がお兄さん指、長女、次女がお姉さん指です。地域によって風習があるそうですが(私の住む地域にもその風習はなく、したことはありませんでした。)『亡くなった方が淋しくないように』という意味があると聞いたので、私たち家族はすることにしました。そして代わりに、よんちゃんの爪と髪の毛を切って胎毛箱に入れました。ちなみに
「めち子さん!!手術終わりましたよ!」ハッと、目を覚ました。終わったのだ、何もかも。ボーッとした記憶。ベッドごと運ばれる私。赤ちゃんのことは誰も何も言いません。終わったのだ、本当に、何もかもが。眠くて、キツくて、痛かった。夫がやって来ました。目を真っ赤に腫らしていました。泣きながら「良かったね。」と言っていました。何が、良かったのだろう。何度も会話の途中に眠っていました。全身麻酔の影響だと思っていました。お腹を切ってみたら、赤ちゃん蘇生したとか無いかな、とか、僅かな期
よんちゃんとの同室が始まってからは、朝昼晩、一回ずつ授乳をしました。もともと母乳の出が良い体質のため、母乳がにじむ程度にマッサージをします。あまり分泌させると、吸ってくれる相手はいないのにバンバン張ってしまうからです。医師から、母乳を止める薬も処方されました。しかも、1錠だけ。たったひと粒で効果を出す薬。4人目の授乳が、こんな形で終わることが悲しくてなりませんでした。助産師さんから、この薬は、私のタイミングで飲んでいいですよ。と、言われたので、お別れするまでは飲まずに過ごそうと思い
慢性早剥羊水過少症候群(CAOS)chronicabruption-oligohydramniossequence;CAOS四国がんセンターにおけるCAOSの6例31.pdf(tyuushi-obgyn.jp)参考CAOSとは(1)分娩7日以上前から持続する原因不明の性器出血(2)当初は羊水量が正常(3)破水の所見なく羊水過少に至るこの3項目を満たすものと定義されます。早産の原因となったり、出生後の慢性肺疾患、肺低形成、drylungに関連するために
夫とふたりきりで出かけたのは久々でした。実は、出産予定前のゴールデンウィーク中、1日だけ実家に子ども3人を預けて出かける予定でした。車内で「ふたりきりは久々だね。デート行かずじまいだったね。」とか「夜中は渋滞もないし病院もすぐ着くね。」とか、他愛もない話をしていました。ナビ画面に流れるテレビ番組の内容に突っ込んだりしながら、楽しく向かいました。お腹の痛みは、相変わらず、まぁ痛いなぁ、くらいでした。当初予定していた誕生日より早まったけど、もうすぐ会えるんだなぁ、このまま帝王切開、腹をくく
妊娠37週。よんちゃんの命が絶えました。その4日後には、姿かたちも消えてしまいました。今は、ポツリと骨壺の中です。よんちゃんが亡くなってから梅雨に入りました。私の心を映すかのように、毎日、毎日、雨が振り続けます。ザーザーと降り続く雨。それを見て、なんだか癒やされていました。今は、ずっと雨でいい。悲しみにくれる私。私の身体は、37週間かけて赤ちゃんを育てる為に少しずつ変化していました。母乳も出るようになっていました。身体も骨盤が開いたり、下半身にたくさんのお肉がついていまし
少しのスイッチですぐに涙が溢れてしまう。そんな日々もあっという間に過ぎました。長かったような早かったような。記憶の中から、あの出来事がスッポリと抜けているようです。あれは、夢だったんじゃないか?そんな気持ちさえします。5月のカレンダーには「38週」とか「妊娠検診」とか「赤ちゃんのお誕生日(予定帝王切開だっため)」とか「退院予定日」が記載されていました。これを書いていたころの私は、とても幸せだった。会える日が指折りとなり、ワクワクしていた。あれはどうしよう、これはどうしようと考え
昼過ぎ、部屋の移動がありました。産婦人科病棟の一番奥、個室の、静かな部屋でした。いろいろな配慮があっての事だと思います。夫も、昼過ぎに来てくれました。夫とよんちゃんと、3人で過ごします。助産師さんの提案で、手形足形を取ったり、沐浴や授乳をすることになりました。手形足形は、病院にキットがあったようで、それを使わせていただきました。夫が、ビデオを持ってきたので、その様子を撮影しました。手が真っ赤っ赤だねー。なんて、話しながら撮影しました。手と足が真っ赤になったよんちゃん。今度は
年内に書いてしまいたい。気持ちの整理なんてできないけれど、なんとなくそうしておきたい。あの日の事、の続き。再び、大学病院への搬送が決まった(後から思う事、やっぱり田舎って嫌だわ、都内の病院すぐだったら助かったのかな、という正直な気持ち)お昼にお腹の痛みを感じ始めて、2時間後に産院へ到着し、更に1時間後にこの病院へついて1時間苦しんでそして、さぁオペだ切ってくれという寸前に「ここでは、できません」と。・・・・再びの救急車。県をまたいでる。驚いたのは、2回目大学病院行きの救
こんにちは。2人目不妊で不妊治療中の32歳りりりです。休職中の看護師です。長女を出産後、2021年に次女を死産。38週常位胎盤早期剥離でした。その後帝王切開瘢痕症候群と診断され手術。体外受精で2人目の不妊治療をしています。2023年11月体外受精で妊娠も初期流産2024年3月移植2回目で陽性判定おとといの少量出血から2日おりもの自体が少なくあまりわからなかったけど、朝がっつり出血500円玉2個分くらい、サラサラで茶色その後もちょっとずつその色のおりもの気のせい
火葬場には予約時間の30分前に着く必要がありました。火葬場に着くと、私達の親族が待っていました。静かな火葬場に、見慣れた顔が並びます。皆、喪服を着て、悲しそうな顔をしています。よんちゃん。あなたのお父さんお母さん、お兄ちゃんにお姉ちゃん。ひいおばあちゃんにおじいちゃんおばあちゃん、おじさんもおばさんも、みんな生きてるんだよ?なんで、最初に逝ってしまったのですか?また涙が溢れてきました。たまらなく、つらくて苦しかった。よんちゃんをみんなに抱っこしてもらい、手続きに入ります。中
はじめまして。はるのぶと申します。妻と、長男あきのぶ、次男ときのぶの4人家族です。2022年5月17日早朝、お腹に違和感があるから病院に行ってくる、と妻はタクシーで向かいました。30分後には「緊急の手術になるからすぐに来てくれ」との電話。寝ていた長男あきのぶを小脇にかかえて近くのばーばの家にぶち込んで病院へ。状況としては「常位胎盤早期剥離」そこから4時間、地獄の待ち時間を経て、妻は無事一命を取り留めましたが、次男ときのぶは酸素が回らない時間が8分ほどあり、脳に障害がでる可能性があ
かかりつけ医に着きました。いろいろな思いでいっぱいいっぱいになり、吐きそうになりました。つわりのものとは違う、冷え冷えとした気持ち悪さ。涙を拭って、産婦人科に入ります。時間はちょうど昼休み前で、患者さんは少なめでした。妊婦さんが数人座っています。みんなそれぞれ、スマホやテレビを見ています。いいなぁ、みんないいなぁ。私もついこの間まで、そうやって腰掛けていたのに。よんちゃん、お腹の中で生きていたのに。基本的に予約制の病院。アポも何もしていない私。おどおどと、事務の方に声を
うちの長男は、アスペルガーの特性を持つ男の子です。数字が大好きな小学生です。とてもとても、よんちゃんの誕生を楽しみにしていました。一緒に妊娠週数を数えていて、週数が増える曜日には「何週になったよ!」と、教えてくれていました。よんちゃんは37週で亡くなりました。火葬も済ませた後のある日、長男が「お母さん、今日で38週!」と言いました。そっかぁ、よんちゃんがまだお腹に居たら38週だったんだ。なんで、いなくなったんだろう。空っぽになったお腹。帝王切開をして痛い痛いお腹。長男に「よん
火葬時の職員が、私達の控室にやって来て火葬が終わったことを告げました。火葬を始めてから1時間が経過したころでした。小さいため、通常より早く終わったようです。そのころには私も、少しだけ気持ちが落ち着きつつありました。子どもと手を繋いで、よんちゃんの元に向かいます。案内されたお部屋には、まだ熱をもった台がありました。そしてそこには、小さなお骨がありました。どこがなんの骨か、良くわかるほどキレイに残っていました。私達はそれを、ひとつひとつ丁寧に取り上げました。ハッキリと分かる骨が無く
3年前の6月。妊娠41週めに突入した臨月のおなかは大きくふくらみ、ぱんぱんで苦しいくらいだった。わたしは腸閉塞になりやすく腸管の癒着もあるため帝王切開はできるだけ避けて経膣分娩をするつもりだった。いまや予定日も過ぎたため、産科の先生と相談し、入院のうえ陣痛促進剤を使って出産に挑むことになった。入院した日のこと。泊まり込みで付き添いたいと申し出てくれた夫に、明日から本格的に付き合ってもらうから今日のところはしっかり寝ておいてねと説得、しぶしぶ家に帰ってもらった。入院した日の晩ごはんはシー
読んで下さる方、いいね!して下さる方、フォローして下さる方、ありがとうございます3.11『産科医療補償制度【結果】』ついに、3月9日に届いた産科医療補償制度の審査結果通知書を開封しました。結果は『補償対象』となりました正直な感想は、ただただビックリですそして、色々と大変だった申請を思い返して報われた気分と、娘にもっとお金をかけてあげる事が出来る事への安堵ですリハビリに通っている発達センターの先生には『歩けるから多分ムリかな?』みたいな反応をされていましたし、最初の頃に診ていただ
子ども達4人を乗せた賑やかな車が、我が家に到着しました。よんちゃんのお骨が眠る、我が家に。夫が、赤ちゃんを連れて自宅に入りました。その周りを3人の子ども達がまとわりついていました。私は、少しの荷物を抱えてゆっくりと自宅に入りました。久しぶりの自宅。10日前に、大きなお腹で自宅を出た。あの時、お腹の中にいた赤ちゃんは、今、私たち家族に抱かれている。よんちゃんの時は、妊娠37週でお別れしたから。最後の最後まで、不安で不安でたまらなかった。だから、本当に、良かった。そう思い、久し
月齢が、あの日に近づいてきました。よんちゃんが生まれた日。私は夫と「月が眩しいね。満月だっけ?」と話していました。まだ、痛みが始まってすぐの頃でした。あの、穏やかな時間はどこに行ってしまったのでしょうか。あの時にはもう、私の胎盤は剥がれだしていて、子宮の中にみるみる血が溜まっていったのだと思うと、苦しくてたまりません。あれから2周目のお月さまがやってきます。先日、「ご注文の商品の発送を完了しました。」とのメールが届きました。よんちゃんの出生体重と同じ、メモリアルベアです。これは
夫たちが出かけている間、私はよんちゃんのお着替えをしました。我が家の子供たちは皆、布おむつで育っています。よんちゃんも布おむつにしてあげました。少し、胎便もついていたのでキレイにしました。お洋服は、セレモニードレスを一旦洗濯することにし、よんちゃんの為に新調していた服を着せました。我が家に、少しでもよんちゃんが使ったモノを残したかったのです。思い出の場所やモノ、出来事をできる限りたくさん。夫と長男が帰宅しました。骨壺を買った帰りに、注文していたケーキも受け取っていました。実は、
よんちゃんを常位胎盤早期剥離で亡くしてから、ずっとずっと考えていた問題。いったい、あとどれくらい早くいけばあの子は助かったのか。ネットや本、同じように辛い経験をされた方の体験記等をたくさん読みました。私はお医者さんでも医療従事者でもなんでもありません。ただの一経験者です。だからこれが本当なのかも分からないし、程度によって個人差があると思います。でも、私が感じた感覚として…『腹痛を訴えてから分娩までの経過時間』○約1時間後に出生で脳性まひという方を拝見しました。お辛かったと思いま
男の子の赤ちゃんが寝ている。ふっくらとしたほっぺをぷにぷにと指で触る。そこで、目が覚めた。夢だった。そして思う。よんちゃん、死んじゃったんだ…あの赤ちゃんは誰だったのかな。よんちゃんじゃない気がする。毎朝、起きる度によんちゃんがいないことを確かめ、苦しくなります。よんちゃんが亡くなって以降、清々しい目覚めをしたことはない。次女はまだ2歳になったばかりで、抱っこが大好きです。お腹の傷や血腫もだいぶ治まったので、ちゃんと抱っこができるようになってきました。次女を抱え、この子の
私たち夫婦は、入院バックを部屋に運んでから、再び、子ども達の待つ駐車場へと戻りました。子ども達とはあと数日、お別れです。とはいえ、赤ちゃんと会えた嬉しさや、総合病院と違ってちょこっと会えるようにもなったので、子ども達も以前ほどの寂しさを感じなくなっているようでした。3人共、ニコニコしながら自宅へと帰っていきました。病室に戻り、ひとりでソワソワと過ごしていると、看護師さんが赤ちゃんを連れて帰ってきました。看護師さんは笑顔でお帰りー!本当に良かったね。みんなでめち子さんが帰って来るのを
助産師さんとは、その後もしばらく、お部屋で話を続けました。私のカルテ情報を更新したいからと、家族のことについても聞かれました。ジェノグラムをかく際には「ちゃんとあの子もかくからね。名前は何くんかな?」と言って、よんちゃんもかいてくれました。よんちゃんだけ、黒く塗りつぶされてしまったけど…そのジェノグラムを見て、よんちゃんの存在がしっかりと記録に残った事がすごく嬉しかったです。助産師さんは、前回、私とよんちゃんを襲った常位胎盤早期剥離についてお話してくれました。私に対し、早剥はうちの
御列席の皆様。本日は貴重なお時間を取って頂き、私たちのパーティに足を運んで下さりありがとうございます。私たちの結婚に際し、沢山の方が喜び、心を寄せて下さった方に心から感謝致します。今回の披露パーティのテーマでもあるターニングポイント。それを象徴するのが10年前の出来事でした。私とっては人生最大のピンチ。今までに味わったことのない喪失感と孤独感、自責に苛まれ”これは何の仕打ちなんや?!””こんなに一生懸命生きてるのに何でこんな想いをせなあかんの?!”そんな想いで当時を過ごし
明日は術後1ヶ月検診です出血は少なくなってきましたがまだまだ鮮血が続いていますどうなることやら…!今日職場の契約更新があり、今年度も終わるんだなあ、とふと死産した子のことを思いました私は看護師です。前職場で新卒から2人目の産休まで働いて、死産後に転職しました。同期より少し結婚が早く、1人目の育休明けに同期はちょうど昇任試験やキャリアアップの真っ只中一方私は時短勤務でできる業務も限られて毎日迷惑をかける身当然話も合わなくなってくるし、悔しい気持ちになってしまっていましたそんな中コ