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こんばんは。気合を入れて仕事を片付けて今日も定時帰宅を果たしましたさて、ヒップをはじめました30分ほどの製作でここまで進みましたエッチングパーツを使う工程が出てきたので、それは週末にでもパラパラと先の説明書も読みましたけど、三連休中には組み立てだけでも完了しそうな感じでしたね余談春の調べリッサ海戦図装甲艦による衝角攻撃は一定の効果があるが、非装甲艦の装甲艦への衝角による突撃は効果があまり見られないという戦訓を出した海戦こ
こんにちは。アオシマの伊156潜セットの製作が完了しました青島文化教材社1/700ウォーターラインシリーズNo.470日本海軍潜水艦伊156プラモデルAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}竣工時と戦時改修仕様を選べるコンパチブルキットそれぞれで製作してもよし、一方に揃えてもよし、しかもフルハル・WL選択式なので組み合わせはいろいろ出来ます今回は第28潜水艦隊の伊60を竣工時のWLとし、第19潜水艦隊の伊56を戦時改
アオシマ青島文化教材重巡洋艦摩耶高雄型重巡洋艦摩耶はTOM2が最も好きな帝国海軍軍艦の1艦です。過去にフジミ製1/700スケールで作ったりしていました。(完成しませんでしたが)今回は、アオシマが2000年代に開発したちょっと大きめな1/350スケールです。しばらく生産が止まっていて転売マーケットで定価の2-3倍の値段で取引されていたようです。今年9月、アオシマが再販してくれたので、アマゾンJPで予約してゲット出来ました。最近は、アマゾンJPは米国への発送
昨日は、奥様が風邪を引いたようで、代わりに家事を色々としてたら時間が無くなり、ブログまでたどり着けませんでした。今日は、具合がよくなったようで、友人と会うために難波までお出かけされてます。このため、朝から少々家事をした後、買い出しへ。帰りに近所の小学校の桜が満開でした。小学校の桜79年前の4月7日、14時23分に鹿児島県・宇治群島宇治向島西方144kmの地点で第二艦隊の旗艦・戦艦「大和」が沈没した日になります。(昭和20年4月7日・戦艦「大和」最期の日)この時の「坊ノ岬沖
正月・関西テレビ(フジテレビ系)で「潜水艦・カッペリーニ号の冒険」というドラマを放映していましたね。リアルタイムでみることができなかったので、録画して今日の午前中に観ました。伊国通の帝国軍人と伊国軍人が上司・部下の立場でぶつかり合いながらも、次第に友情ともいえる関係を築いていくヒューマンドラマで、観ていて暖かくなるような良いドラマだったと思います。ところで、このドラマの中心となるイタリア海軍の潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」ですが、以前当ブログでも簡単に取り上げたことがあります
今回は前回取り上げた、対一次世界大戦における地中海での戦闘で被害を受けた駆逐艦「榊」を取り上げます。まずは、前回のおさらいです。大正3年7月に始まった第一次世界大戦では、英国は独国Uボート艦隊による通商破壊作戦に苦慮し、大正6年1月に輸送船舶を護衛するための艦隊派遣を大日本帝国に要請要請します。これに応えるため、帝国海軍は三等巡洋艦「明石」を旗艦とし、二等駆逐艦「樺」型8隻(「楓」、「桂」、「梅」、「楠」、「榊」、「柏」、「松」、「杉」)からなる「第二特務艦隊」を編成し地中海に派遣、大
先日、兵庫・竹野港の防波堤として使用された、駆逐艦「春風」を取り上げましたが、今回は浮桟橋となった軍艦について、取り上げてみます。その軍艦とは、巡洋戦艦「天城」です。結構ネット上では取り上げられていますので、ご存知の方も多いとおもいます。巡洋戦艦「天城」は、「八八艦隊」の5号艦として、また、巡洋戦艦の1番艦として計画され、大正8年7月に「天城」と命名され、大正9年12月に横須賀海軍工廠で起工されます。【要目】常備排水量:41,200トン、垂線間長:234.7m、水線長:249.9m
今日は午前中、梅田まで買物に行ってきました。昼は帰る途中のJR難波駅のサイゼリヤで昼食。サイゼリヤでの昼食これ、ワインも付けて850円です。さすがサイゼリヤ、安い!話は変わって、今回は先日訪れた「太刀洗平和記念館」について書いていきます。新大阪駅から新幹線に乗り、博多駅へ向かい、博多駅からはJR九州・鹿児島本線の区間快速に乗り基山駅へ。JRの基山駅のホームから東側を見ると、甘木鉄道の基山駅が見えます。甘木鉄道・基山駅甘木鉄道は、国鉄改革により第一次特定地方
今日は午前中に難波の高島屋に買い物に行きました。思いのほか早く買い物が終わり、ついでに日本橋の電気屋街を一通り回りってみたのですが、それが終わったのが12時前。まだ時間が早いので、昨日ネットで検索して気になっていた中之島へ向かいました。お目当てはコレ!中之島・大阪・福島(ほたるまち)港にいたラバーダッククリスマスまでココにいて、夜はライトアップされるそうです。話は変わって、先日見た「ゴジラ-1.0」で気になっていたことがあります。主人公の敷島氏が、小笠原諸島の大戸島から
本日は「在宅勤務」中に会議で「出張」してきました。何が何やら良くわかりません。いつもより早く帰ることができたので、ひとつ書いてみようと思います。今回は、貨客船です。日本郵船は、第一次世界大戦に後経営危機に陥っていた東洋汽船から大正15年に北米航路を継承します。これに伴い、旧型の就航船を刷新するため「浅間丸」型貨客船3隻の建造を計画し、実際に建造します。その一隻として昭和3年2月に横浜船渠で起工され、昭和5年3月に竣工したのが「秩父丸」です。「秩父丸」は当初川崎造船所に発注されますが
昭和19年の今日、6月19日は帝国海軍の「あ号作戦」の発動に伴い、「マリアナ沖海戦」が行なわれた日です。この海戦で、帝国海軍は航空母艦「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」を失い、その後帝国海軍の機動部隊は組織的に米国海軍の機動部隊と対決することができなくなります。また、この海戦で失われた帝国海軍の艦艇は航空母艦のみ(作戦全体では潜水艦の戦没もあり)であり、ミッドウェー海戦に続き戦争における主役が完全に航空機と機動部隊に移ったことを象徴するような海戦でした。マリアナ沖海戦で米海軍機の攻撃を受ける航空
昨日は神戸・ポートアイランドに巡視船「せっつ(PLH-07)」を見に行きましたが、帰りに尼崎に寄り道しました。難波八幡神社という神社に行くためです。令和3年3月27日・尼崎・難波八幡神社本殿の前は桜が満開でした。難波八幡神社・本殿前の桜この神社にはこんなものがあります。「國光宣揚軍艦榛名」と書かれています。これは、戦艦「榛名」のマストであったものです。「國光宣揚軍艦榛名」と記された国旗掲揚柱この柱は13メートルの檜の丸太で、第二次改装時に戦艦「榛名」から取
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43669519?ref=nicoiphone_other新番組「女性神主が語る國體論~帝国海軍中尉の娘という数奇な運命の下に生まれて(前編)」山下弘枝AJER2024.4.17(1)新番組「女性神主が語る國體論~帝国海軍中尉の娘という数奇な運命の下に生まれて(前編)」山下弘枝AJER2024.4.17(1)[社会・政治・時事]【会員制サイト:AJERcast】http://ajer.jp/【後半映像】#山下弘枝#楠木正
今日は朝からショッピングセンター「アリオ鳳」へ行ってきました。ここは、ショッピングモールに付き物の映画館があります。そうです、映画を見に行ってきました。「ゴジラ-1.0」の小説とパンフレット今回の「ゴジラ」は、設定が終戦直後の東京から相模湾、ゴジラに対峙するのは旧帝国海軍の生き残りの艦艇です。この映画には、連合国から返還された設定で、一等巡洋艦「高雄」が出てくることは、ネットで話題となっていますね(終戦の日・海上に浮いていた一等巡洋艦「高雄」)。一等巡洋艦「高雄
先日行った呉で、一番印象に残ったのは「入船山公園」の「旧鎮守府司令長官官舎」でした。呉鎮守府は明治22年7月に開庁し、昭和20年8月の終戦まで呉における艦隊の後方を統括した機関で、二海軍区(範囲「紀伊国(和歌山県)南牟婁郡界ヨリ石見(島根県)長門国(山口県)界ニ至リ筑前(福岡県)遠賀宗像郡ヨリ九州東海岸ニ沿ヒ日向(宮崎県)大隅国(鹿児島県)界ニ至ルノ海岸海面及四国ノ海面並内海」)を所管していました。旧呉鎮守府庁舎(引用:Wikipedia)(TakaHiro-http://w
今日は少し早く帰れたので、先日Amazonで注文していた雑誌「丸」2021年3月号をめくっています。この中で「秘話発掘日本海軍幻の巨大艦計画300メートル空母」なる記事があります。どうも、帝国海軍の航空本部による試案と、マル五計画の45,000~50,000トン級の航空母艦・仮称「第800号艦」型2隻建造計画によるもののようです。この「第800号艦」は、計画番号を「G-14」と名付けられていますが、概略設計すら不明な机上計画のみの艦であったようです。「丸」には、不思議な航空母
今回は、「宗谷」を取り上げようと思います。非常に有名な船ですね。帝国海軍の運送艦として運用された「宗谷」は、帝国海軍の運送艦から海上保安庁へ、そして南極観測船となった長寿艦です。「宗谷」は海軍が建造したものではなく、商船として建造されます。昭和11年9月に川南工業がソビエト連邦通商代表部から砕氷型貨物船3隻を受注した内の1隻で、昭和11年12月に香焼島造船所で起工され、昭和13年2月に進水し「ボロチャベツ」と命名されます。しかし、第二次世界大戦直前の情勢に鑑み、ソ連への引渡はなされず、
今回は、戦後に姿を変えて生き残った海軍船舶について取り上げてみます。帝国海軍には、艦艇以外に「雑役船」という分類の船が存在しました。タグボート(曳船)や、魚雷や重油、真水などの運搬船などが「雑役船」にあたります。その中に「飛行機救難船」と呼ばれる船が存在しました。「飛行機救難船」とは、基地航空隊に付属して、海上に不時着した飛行機を収容することが主な任務で、船尾に飛行機収容のための大型クレーンが搭載されています。雑役船・300頓型飛行機救難船「公称第一二六四号」(引用:丸スペシャル
今日は午前中から雨がパラパラと。昼に車検の見積をしてもらうため、最寄のイエローハットへ行ってきました。2年に1回の車検費用はバカになりません。任意保険や高騰するガソリン代…。ますます車は高価なものになってきました。それにしても、今日の南大阪はパトカーが多数走り回っています。何かあったのでしょうか…。話は変わって、今回は戦前の国際汽船の貨物船「鹿野丸(かのまる)」を取り上げます。国際汽船がニューヨーク航路急行線に使用するために計画し、昭和7年12月に浦賀船渠で起工され、昭和9年8月に
大東亜戦争後、防波堤として利用された艦艇が15隻あります。当ブログでも、以前兵庫・竹野港の防波堤となった一等駆逐艦「春風」(戦後に地味な武勲を讃えられた駆逐艦「春風」)と、福島・小名浜港の防波堤となった一等駆逐艦「澤風」(航空隊の訓練、対潜掃討、戦後は防波堤として活躍した駆逐艦「澤風」)を取り上げました。竹野港の防波堤となった「春風」の船体(引用:「京都府」HP、漁村・漁港の紹介京丹後市編)漁村・漁港の紹介www.pref.kyoto.jpなかでも有名なのは、北九州市の若松港
前回に続いて、レイテ沖海戦に参加した戦艦を取り上げます。レイテ沖海戦では、戦艦「大和」「武蔵」を中核とした「栗田艦隊」、好悪空母艦「瑞鶴」「瑞鳳」を中核とした「小沢艦隊」、戦艦「扶桑」「山城」を中核とした「西村艦隊」、一等巡洋艦「那智」「足柄」を中核とした「志摩艦隊」が参加しています。その中で、南側からレイテ湾を目指したのが西村祥治中将率いる「西村艦隊」でした。今回は西村艦隊の旗艦であった戦艦「山城」を取り上げてみたいと思います。戦艦「山城」は、「扶桑」型の2番艦として大正2年度の
最近、通勤時にこんな書籍を読んでいます。「あゝ復員船引揚げの哀歌と掃海の秘訣」珊瑚会・編、1991年12月、騒人社お題目の如く、内容は戦後の復員輸送と掃海作業に従事した方々の、当時の回想記がメインとなっています。まだ半分ほどしか進んでいませんが、その中に終戦直前から復員輸送にかけて一等駆逐艦「欅」に主計長として乗艦された八木弘氏の手記がありました。「欅」という艦名に何か引っかかりを感じてネットを検索すると、「ゴジラ-1.0」に登場していたではないですか。「海神作戦」で、一
さて、前回は戦艦「陸奥」の大改装までについて書きました。今回は、「陸奥」の大改装の内容から続けます。この大改装工事では、水平防御および垂直防御の強化、主缶換装による出力増大、艦尾の延長、各種機器の近代化および主砲・副砲の仰角引上げなどを主体とするもので、昭和9年9月から昭和11年9月までの2年間に渡って行なわれました。艦容も前楼の重層化、第一煙突の廃止など大きく変貌します。【要目(大改装後)】基準排水量:39,050トン、公試排水量:43,400トン水線長:221.07m
今回は悲運の駆逐艦を取り上げます。帝国海軍では、大正中期の「八四艦隊」、そして「八六艦隊」計画にの中で、中型駆逐艦の建造を計画し二等巡洋艦「樅」型の建造を行います。その第20番艦として建造されたのが二等駆逐艦「蕨」です。「蕨」は大阪・木津川の藤永田造船所で大正9年10月12日に起工され、大正10年12月19日に竣工しました。【要目(新造時の「樅」)】基準排水量:770トン、全長:85.3m、水線幅:7.9m、吃水:2.4m機関:艦本式オール・ギヤードタービン×2、主缶:ロ号
今回は潜水艦です。帝国海軍では、昭和11年に海軍大学校により真珠湾に在泊する米海軍艦艇に対する航空機攻撃について文書「対米作戦用兵ニ関スル研究」をまとめています。後年の「真珠湾攻撃」に繋がる研究ですが、その中では「敵ノ不意ニ乗ジ航空機(空母(艦載機)並ニ中艇、大艇)ニ依ル急襲ヲ以テ開戦スルノ着意アルヲ要ス」として、襲攻撃には空母艦載機の他に航続力の大きい飛行艇(大艇、中艇)を使用する計画であるとされています。さらに、中艇および大艇はマーシャル諸島東端付近から出発、途中に配備した水上機母艦で
昨日は、朝から昼過ぎまで休日出勤。仕事の後の中津陸橋から見た梅田方面。良い天気でした。今回は、潜水艦を取り上げます。その潜水艦の模型は神戸の「カワサキワールド」に飾られています。神戸・カワサキワールドにある潜水艦の模型その潜水艦は、戦後日本で初めて建造された潜水艦「おやしお(SS-511)」です。発足当初の海上自衛隊では潜水艦を保有していませんでしたが、その主たる任務は対潜水艦作戦と航路啓開であり、中でも対潜水艦作戦の訓練では目標とする潜水艦を必要としていました。しか
年始なので、派手な大型艦である戦艦の話題としてみたいと思います。ただし、実際に建造した艦ではありません。当ブログの中でも、多数アクセスいただいている記事に「歴史に二度?登場した戦艦「紀伊」とは」があります。「紀伊」型戦艦は、八八艦隊の「加賀」型戦艦に続く戦艦として建造が予定されていた艦で、巡洋戦艦「天城」の防御を強化した「戦艦」として建造が予定され、大正9年10月1日に同型艦「尾張」とともに正式に命名されています。戦艦「加賀」の完成予定模型(引用:Wikipedia)(Kawa
今回は当ブログでは珍しい「戦艦」を取り上げます。ただし実在した戦艦ではなく、幻の戦艦「紀伊」について考察してみます。戦艦「紀伊」の名は大東亜戦争終結までに二度?登場します。1度目は「八八艦隊計画」の6隻目の戦艦で、大正9年10月1日に同型艦「尾張」とともに命名されます。この記録はアジア歴史資料センターのレファレンスコードC12070077600に建造訓令があります。戦艦「紀伊」「尾張」建造訓令八八艦隊の戦艦は英米の戦艦建造計画に合わせて順次設計が変更され、また当時の造船技官「平
今回は、帝国海軍の魚雷艇について書いてみたいと思います。魚雷艇については、南太平洋・ソロモン諸島付近における米海軍魚雷艇の運用が比較的有名かと思います。後の米国大統領ジョン・F・ケネディも魚雷艇「PT-109」に乗り、昭和18年8月2日にソロモン諸島のニュージョージア島の西で、帝国海軍の一等駆逐艦「天霧」に衝突され沈没したものの生還した話は有名ですよね。米国海軍魚雷艇「PT-109」上のジョン・F・ケネディ(引用:Wikipedia)(不明-http://www.jfklib