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以下は、米国の第二次世界大戦の機密文書が解除されてから書かれたものを2016/12/07に翻訳し、Yブログに掲載したものです。ここでは、日本の帝国海軍のトップである連合艦隊司令長官山本五十六は、実は、ルーズベルトと通じた米国のスパイであったと述べられています。◆◆◆TheattackonPearlHarboristhestrategyofPresidentRoosevelt真珠湾攻撃はルーズベルト大統領の戦略だ(画像)左から、スタ
日航機123便はなぜ墜落場所特定までに16時間もかかったのか?これはNHKスペシャルの特集でやっていましたが、実は日航123便の墜落場所は近所の主婦の人が目撃していて正確に長野県警に電話して伝えていたのです。墜落してすぐに主婦の人は日航機が長野県と群馬県の境にある高天原山に落ちたと伝えています。しかしなぜかこの正確な市民の通報は長野県警により隠蔽されます。この時点ですぐに高天原山に捜索にいけば多くの人が助かった可能性が高いです。もう一つおかしいのが、この日航機123便が墜落した山は地元住民
最近、町内の官舎が、建替え工事が終わって。新しくなっていた。マンション型に、高齢化社会を迎えるにあたり。エレベーター🛗つきに、かえたようだ。ただでさえ、航海手当も減らされた。家族連れの生活は、楽ではないだろう。さて、家賃の値上げは、実施されないというOBの予測に反して。家賃は倍になったようだ。年々、自衛隊創立記念日の、メリーチョコが小さくなり。🌸中心チョコ🍫の、桜の紋章までなくなり。気がついたら、義理チョコサイズになった。日本🇯🇵の税収、国力の減少を感じる今日この頃。海自夜間訓練の、ヘリ🚁衝
この週末は、長らく開発に携わってきたシステムが切替を迎えました。切替自体は、親会社のIT系の子会社とベンダーで行いますので、久しぶりにゆっくりとした週末を迎えました。結果、昨日は長らく放置していた部屋の片付けと、年末からネットを使って断捨離してきた書籍や玩具の発送に掛かり切りとなり、結局ゆっくりしている訳ではないような。それでも、断捨離では約4万円ほどの利益が出ましたので、労力は報われた?ようです。ところで、今年に入って潜水艦をいくつか取り上げていたので、今回は趣を変えて駆逐艦にしてみ
今日は艦艇について書こうかと思います。昭和20年8月15日、大東亜戦争終結時に「浮いて」いた軍艦は殆どありませんでした。【昭和20年8月15日に「浮いて」いた軍艦】戦艦:「長門」航空母艦:「鳳翔」「葛城」「龍鳳」「隼鷹」一等巡洋艦:「妙高」「高雄」「八雲」二等巡洋艦:「北上」「酒匂」練習巡洋艦:「鹿島」潜水母艦:「長鯨」敷設艦:「若鷹」「箕面」このうち、「妙高」「高雄」はシンガポール、「若鷹」はスラバヤ沖にあり内地にはいませんでした。特に「妙高」「高雄」の2
先日、大阪・千早赤阪村の建水分神社へ参拝したことを取り上げましたが、この日はせっかく外出したので一か所で帰宅する訳はなく、もう一か所回っています。千早赤阪村から羽曳野市・柏原市を経てJR関西本線(大和路線)と併走し大和川を渡り、奈良県生駒郡三郷町へ。ここには二等巡洋艦「龍田」の艦内神社として分祀された「龍田大社」があります。「龍田大社」境内入口の大鳥居綺麗に整備された境内で、この時は一部工事中の部分もありました。「龍田大社」の石柱も新しいようです。「龍田大社」の拝殿
年始なので、派手な大型艦である戦艦の話題としてみたいと思います。ただし、実際に建造した艦ではありません。当ブログの中でも、多数アクセスいただいている記事に「歴史に二度?登場した戦艦「紀伊」とは」があります。「紀伊」型戦艦は、八八艦隊の「加賀」型戦艦に続く戦艦として建造が予定されていた艦で、巡洋戦艦「天城」の防御を強化した「戦艦」として建造が予定され、大正9年10月1日に同型艦「尾張」とともに正式に命名されています。戦艦「加賀」の完成予定模型(引用:Wikipedia)(Kawa
今回は、かなりマイナーになります。帝国海軍の類別では「特設砲艦」となっていたため、正式な艦艇ではありませんが、その姿は戦闘用艦艇そのものでした。その特設砲艦の名は「南海」および「南進」の2隻で、民間徴用船の特徴である船名の後ろに付く「丸」もありません。なぜなら、この2隻は当初オランダ海軍の敷設艦として建造されたものだからです。蘭領東インド政府に配備する敷設艦として、昭和16年にスラバヤで「ラム(Ram)」および「レグルス(Regulus)」の2隻が起工されました。しかし、昭和17年
前回は、巡洋戦艦から航空母艦へ改造されるところで関東大震災により損傷し解体された「天城(二代目)」について取り上げました。今回も「天城」を取り上げます。こちらは航空母艦として竣工した「天城(三代目)」です。ミッドウェー海戦で敗北し虎の子の航空母艦4隻を失った帝国海軍は、それまでの建艦計画である「第五次海軍軍備充実計画(通称:マル五計画)を全面的に見直し、昭和17年9月に通称「改マル五計画」として改定します。このとき、航空母艦の大幅な増産を目指し、「飛龍」をベースに艦橋の位置などを見直した
8月に国会図書館関西館でコピーしてきた資料を整理していました。コピーの中に雑誌「船の科学」昭和44年8月号に掲載されたに遠藤昭氏の「日本海軍建艦計画史」という連載の第4回が載っています。この中に「日本建艦の特長」という項があります。少し長いですが引用します。「この時期の日本海軍造船陣は、優れた二つのアイデアを示すことによりその高い独創性を世界に示すに至った。その一つは、戦艦薩摩の設計に示した単一巨砲主義への目ざめであり、迅速に巨艦を建造する工業力を持った英国に1年以上遅
さて、前回は戦艦「陸奥」の大改装までについて書きました。今回は、「陸奥」の大改装の内容から続けます。この大改装工事では、水平防御および垂直防御の強化、主缶換装による出力増大、艦尾の延長、各種機器の近代化および主砲・副砲の仰角引上げなどを主体とするもので、昭和9年9月から昭和11年9月までの2年間に渡って行なわれました。艦容も前楼の重層化、第一煙突の廃止など大きく変貌します。【要目(大改装後)】基準排水量:39,050トン、公試排水量:43,400トン水線長:221.07m
昨日は、Webで学校の授業が始まるかもしれない、と子供が言うもので、外出自粛ではあるものの仕方なく、なんばのでんでんタウンで中古のカメラ付きノートPCを購入しセットアップしていたら日付が変わってしまい、ブログの更新ができませんでした。さすがに緊急事態宣言下の難波は「ひっそり」としていますね。今回は、有名な艦を取り上げます。二等巡洋艦「松島」です。日清間の関係が悪化し、清国との戦争が避けられない状況となりつつあった明治23年以降、帝国海軍は艦隊拡張計画を進めます。当時の清国には、独
先日訪れた「三菱重工長崎造船所資料館」には、艦船の進水時に使用される斧が複数展示されていました。その中でも「幸運の斧」と命名された斧に目が留まりました。「幸運の斧」「幸運の斧」の説明文この「幸運の斧」ですが、大正10年5月に三菱長崎造船所で進水した峯風型一等駆逐艦「夕風」の進水式で使用されたものです(説明文に書いてありますが…)。で、今回は一等駆逐艦「夕風」を取り上げます。「夕風」は先にも書いた通り、峯風型一等駆逐艦の10番艦で、戦艦「長門」などと共に「八八艦隊」を構成する
今日は朝からショッピングセンター「アリオ鳳」へ行ってきました。ここは、ショッピングモールに付き物の映画館があります。そうです、映画を見に行ってきました。「ゴジラ-1.0」の小説とパンフレット今回の「ゴジラ」は、設定が終戦直後の東京から相模湾、ゴジラに対峙するのは旧帝国海軍の生き残りの艦艇です。この映画には、連合国から返還された設定で、一等巡洋艦「高雄」が出てくることは、ネットで話題となっていますね(終戦の日・海上に浮いていた一等巡洋艦「高雄」)。一等巡洋艦「高雄
今回は当ブログでは珍しい「戦艦」を取り上げます。ただし実在した戦艦ではなく、幻の戦艦「紀伊」について考察してみます。戦艦「紀伊」の名は大東亜戦争終結までに二度?登場します。1度目は「八八艦隊計画」の6隻目の戦艦で、大正9年10月1日に同型艦「尾張」とともに命名されます。この記録はアジア歴史資料センターのレファレンスコードC12070077600に建造訓令があります。戦艦「紀伊」「尾張」建造訓令八八艦隊の戦艦は英米の戦艦建造計画に合わせて順次設計が変更され、また当時の造船技官「平
今日は3月3日、ひな祭りの日ですね。とは言っても、今年は私の肩痛、奥様の膝痛でひな人形を出すことを諦めました。80年前の3月2日から3日にかけて「ダンピールの悲劇」(連合軍の呼称「ビスマルク海海戦」)と呼ばれる戦闘が行われました。この戦闘を振り返ってみます。昭和18年に入ると、2月のガダルカナル島奪還に始まる連合軍の反転攻勢が始まり、ニューギニア島でも苦境にありました。これに対し帝国陸軍は、連合軍の次の侵攻目標と予測されるニューギニア島(現・パプアニューギニア)東部の各拠点に部隊
最近、通勤時にこんな書籍を読んでいます。「あゝ復員船引揚げの哀歌と掃海の秘訣」珊瑚会・編、1991年12月、騒人社お題目の如く、内容は戦後の復員輸送と掃海作業に従事した方々の、当時の回想記がメインとなっています。まだ半分ほどしか進んでいませんが、その中に終戦直前から復員輸送にかけて一等駆逐艦「欅」に主計長として乗艦された八木弘氏の手記がありました。「欅」という艦名に何か引っかかりを感じてネットを検索すると、「ゴジラ-1.0」に登場していたではないですか。「海神作戦」で、一
昨日、雑誌「丸」を買ってきました。最近、非常事態宣言の影響で書店が営業していない!特に梅田では、阪急梅田の紀伊国屋、難波ではなんばCITYの旭屋など、それなりの規模があり、よく行っていた書店が閉まったまま…。昨日、打ち合わせで外出した際に立ち寄った新大阪駅では、2階のリブロも営業しておらず、なんとか改札内のbookstudio新大阪店で購入することができました。雑誌「丸」2021年7月号の表紙(引用:「amazon」HP)今回の特集は「九九式艦爆」でした。「九九式艦爆
今回は、帝国海軍の魚雷艇について書いてみたいと思います。魚雷艇については、南太平洋・ソロモン諸島付近における米海軍魚雷艇の運用が比較的有名かと思います。後の米国大統領ジョン・F・ケネディも魚雷艇「PT-109」に乗り、昭和18年8月2日にソロモン諸島のニュージョージア島の西で、帝国海軍の一等駆逐艦「天霧」に衝突され沈没したものの生還した話は有名ですよね。米国海軍魚雷艇「PT-109」上のジョン・F・ケネディ(引用:Wikipedia)(不明-http://www.jfklib
台風が接近していますが、本ブログはいつもの調子で更新します。今回は商船改造の航空母艦計画について紹介します。帝国海軍では昭和8年頃から、有事に航空母艦に改造可能な高速商船を要望し、当時の二大商船会社である日本郵船、大阪商船に対して折衝を重ねていきます。これには、昭和恐慌において余剰船舶のスクラップ・アンド・ビルトを目的とした政府の補助事業の続きである「優秀船舶建造助成施設」を活用した補助が行われ、その交付条件として有事の特設艦船への改造準備を設計に取り入れることとされていました。この結
大東亜戦争後、防波堤として利用された艦艇が15隻あります。当ブログでも、以前兵庫・竹野港の防波堤となった一等駆逐艦「春風」(戦後に地味な武勲を讃えられた駆逐艦「春風」)と、福島・小名浜港の防波堤となった一等駆逐艦「澤風」(航空隊の訓練、対潜掃討、戦後は防波堤として活躍した駆逐艦「澤風」)を取り上げました。竹野港の防波堤となった「春風」の船体(引用:「京都府」HP、漁村・漁港の紹介京丹後市編)漁村・漁港の紹介www.pref.kyoto.jpなかでも有名なのは、北九州市の若松港
今日は寒いですね。午前中、娘の所属する吹奏楽団が、地区の文化祭のようなイベントから依頼を受けて演奏するというので見に行ってきました。会場に向かう午前11時前、霰が降ってきました。2週間ほど前は日中は半袖で十分過ごせたんですけど。本日の依頼演奏中央の阪神の法被を羽織った指揮者さんが、この楽団の主宰者の方です。大の阪神ファンで、演奏の最後はいつも「六甲おろし」で演奏を〆ます。今年の阪神は38年振りの日本一となったので、指揮・演奏にも力が入ってました(笑)。阪神、日本一オメデト
昨日は神戸・ポートアイランドに巡視船「せっつ(PLH-07)」を見に行きましたが、帰りに尼崎に寄り道しました。難波八幡神社という神社に行くためです。令和3年3月27日・尼崎・難波八幡神社本殿の前は桜が満開でした。難波八幡神社・本殿前の桜この神社にはこんなものがあります。「國光宣揚軍艦榛名」と書かれています。これは、戦艦「榛名」のマストであったものです。「國光宣揚軍艦榛名」と記された国旗掲揚柱この柱は13メートルの檜の丸太で、第二次改装時に戦艦「榛名」から取
昭和19年の今日、6月19日は帝国海軍の「あ号作戦」の発動に伴い、「マリアナ沖海戦」が行なわれた日です。この海戦で、帝国海軍は航空母艦「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」を失い、その後帝国海軍の機動部隊は組織的に米国海軍の機動部隊と対決することができなくなります。また、この海戦で失われた帝国海軍の艦艇は航空母艦のみ(作戦全体では潜水艦の戦没もあり)であり、ミッドウェー海戦に続き戦争における主役が完全に航空機と機動部隊に移ったことを象徴するような海戦でした。マリアナ沖海戦で米海軍機の攻撃を受ける航空
今日は午前中に難波の高島屋に買い物に行きました。思いのほか早く買い物が終わり、ついでに日本橋の電気屋街を一通り回りってみたのですが、それが終わったのが12時前。まだ時間が早いので、昨日ネットで検索して気になっていた中之島へ向かいました。お目当てはコレ!中之島・大阪・福島(ほたるまち)港にいたラバーダッククリスマスまでココにいて、夜はライトアップされるそうです。話は変わって、先日見た「ゴジラ-1.0」で気になっていたことがあります。主人公の敷島氏が、小笠原諸島の大戸島から
正月・関西テレビ(フジテレビ系)で「潜水艦・カッペリーニ号の冒険」というドラマを放映していましたね。リアルタイムでみることができなかったので、録画して今日の午前中に観ました。伊国通の帝国軍人と伊国軍人が上司・部下の立場でぶつかり合いながらも、次第に友情ともいえる関係を築いていくヒューマンドラマで、観ていて暖かくなるような良いドラマだったと思います。ところで、このドラマの中心となるイタリア海軍の潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」ですが、以前当ブログでも簡単に取り上げたことがあります
以前、帝国海軍艦艇について、基礎資料となる書物を紹介しました。艦艇を網羅的に知る基礎資料の要素として、(1)艦艇の種類について知ることができる(2)艦艇の姿(写真等)がわかる(3)艦艇の変遷がわかる(4)艦艇の要目がわかるなどを挙げていましたが、今回は「商船」をテーマとしてみましょう。「商船」は「艦艇」ではないですが、特設艦艇や徴用船も含めると、「商船」の一部は「海軍艦船」籍に入っていた船として扱うことができるのでは、と思いこのブログでも度々取り上げています。それら商船に対
今日からゴールデンウイークですね。とはいうものの、今日は朝から娘が「しまむら」に行くと言うので車を出し、昼前には家に帰って撮り溜めたTVのドキュメンタリーを見て、夕方に散髪に行ってきたぐらいで、いつもの休日と変わらない一日でした。昨日の4月26日は「海上自衛隊の日」でした。海上自衛隊の前身にあたる海上警備隊が昭和27年4月26日に創設されたことに由来しているそうです。今回は久しぶりに船の話で、海上警備隊創設時のトップナンバーを冠した艦艇を見てみたいと思います。海上警備隊は
先日、兵庫・竹野港の防波堤として使用された、駆逐艦「春風」を取り上げましたが、今回は浮桟橋となった軍艦について、取り上げてみます。その軍艦とは、巡洋戦艦「天城」です。結構ネット上では取り上げられていますので、ご存知の方も多いとおもいます。巡洋戦艦「天城」は、「八八艦隊」の5号艦として、また、巡洋戦艦の1番艦として計画され、大正8年7月に「天城」と命名され、大正9年12月に横須賀海軍工廠で起工されます。【要目】常備排水量:41,200トン、垂線間長:234.7m、水線長:249.9m
今日は午前中、梅田まで買物に行ってきました。昼は帰る途中のJR難波駅のサイゼリヤで昼食。サイゼリヤでの昼食これ、ワインも付けて850円です。さすがサイゼリヤ、安い!話は変わって、今回は先日訪れた「太刀洗平和記念館」について書いていきます。新大阪駅から新幹線に乗り、博多駅へ向かい、博多駅からはJR九州・鹿児島本線の区間快速に乗り基山駅へ。JRの基山駅のホームから東側を見ると、甘木鉄道の基山駅が見えます。甘木鉄道・基山駅甘木鉄道は、国鉄改革により第一次特定地方