ブログ記事833件
我が家の中川右介が、日刊ゲンダイに【海老蔵と息ぴったり寺島しのぶ“歌舞伎女優誕生”の瞬間】という見出しで短評を書きました。その記事はこちら→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170211-00000008-nkgendai-ent寺島しのぶは、ご存知のとおり、歌舞伎役者・尾上菊五郎の長女で女優。映画『キャタピラー』で、ベルリン国際映画祭・銀熊賞を受賞。歌舞伎役者の家に、女の子で生まれたばっかりに…、悔しい想いをしてきたことも、様々に…。しかし今月
吉例顔見世大歌舞伎|歌舞伎座|歌舞伎美人松竹が運営する歌舞伎公式サイト。歌舞伎の公演情報、ニュース、俳優インタビューなどをお届けします。こちらは吉例顔見世大歌舞伎|歌舞伎座に関するページです。www.kabuki-bito.jp初マハーバーラタの友人にどんな話?と聞かれてインドの王子たちの兄弟争いで、✨キンキラ✨の神様が沢山出てくるってざっくり説明で終わらせちゃったけれど、すっごく楽しんでくれて嬉しいなちなみに1人は王蟲の精で丑之助に墜ちて今日もさらに深みへはまってた😁友人たちと
来月開催される、團菊左(團菊祭)にてまず生前大変お世話になった左團次さん🙇♂️を追悼して四世市川左團次一年祭追善狂言として、息子さんの市川男女蔵さんが、歌舞伎十八番の内「毛抜」を成田屋が後見をし、音羽屋がお付き合いをする中で上演されるという、正に、左團次さんのお人柄がさせた演目演者で、現在は歌舞伎界とは距離を置いている私でも、とても嬉しい事だなと思う次第です👌男女蔵さんの五代目市川左團次襲名が待ち遠しいな😁左團次さんとの面白エピソード大阪松竹座で團菊祭が開催された時、
おはようございますいつもお読みくださりありがとうございます。只今みなさまのブログへのご訪問等控え気味になっております☆のんびりゆっくりうかがわせていってくださいませさて…思った以上に長い長い文章になってしまいました💦大阪松竹座関西・歌舞伎を愛する会七月大歌舞伎10日夜の部上州土産百両首感想は書き上げたものからアップしていっています。順不同で読みにくいかと思いますがお許しくださいませ昭和八年(1933)9月東京劇場で六代目尾上菊五郎=正太郎初代中村吉右衛門=牙次郎
今回は市村座の筋書に関連して久しぶりに明治時代の歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。※注:今回の筋書に出て来る役者名は当時名乗っていた名跡で記しますのでご注意ください。明治30年2月歌舞伎座演目:一、五十三次扇宿付二、弓始春重藤三、積恋雪関扉本編に入る前にこの頃の状況について説明するとまずこの公演の前の公演に当たる明治29年11月公演から歌舞伎座は渋沢栄一の義弟に当たる皆川四郎を社長に据えて株式会社歌舞伎座として発足しました。しかし、11月公演の経費を巡
明けましておめでとうございます。今年度も引き続きご愛顧お引き立てのほどをお願いいたします。さて、今回は正月元旦に相応しく大正6年11月に行われた九代目市川團十郎の十五年祭…の前に少し時代を遡りますがこの前手に入れた特別な公演となるこの筋書を先に紹介したいと思います。※注:今回の筋書に出て来る役者名は当時名乗っていた名跡で記しますのでご注意ください。明治38年10月歌舞伎座九代目市川團十郎三年祭追善公演演目:一、口上ニ、岩窟景清三、北条高時四、勧進帳五、大森
尾上菊五郎さんのインタビュー。国立劇場で、聞き手は黒崎めぐみさん。尾上菊五郎(7代目)-Wikipediaja.m.wikipedia.org家系図初舞台ではしかにかかり、鬘が入らなくなるほど顔が腫れた。六代目菊五郎(祖父)「初舞台から休んだら縁起が悪い。素顔でも良いから出なさい」酷い。小道具で遊んでいたら、壊して怒られた。笑三之助時代。「3人でガム島行った。(ステーキの肉)それ焼いてくれるのが辰之助、私は酒飲んでるだけで」立役も始める。🍀初代は京都京都の音
今回は吉右衛門が脱退前最後の公演となった市村座の筋書を紹介したいと思います。大正10年2月市村座絵本番付演目:一、八陣守護城二、小磯ヶ原三、六歌仙四、新皿屋敷月雨傘この時既に脱退日のXデーの日取りまで決めていた吉右衛門でしたが秘密が漏れるのを恐れてか弟子や弟達にも脱退を打ち明けていなかった事もあり、市村座の幹部や菊五郎は今回の公演が吉右衛門との最後の公演になるとはつゆ知らず帝国劇場から宗之助をゲストに再び迎えての座組となりました。参考までに大正7年に宗之助
衛星劇場で見た。明治時代の歌舞伎コメディかしら?前に一度、市川猿之助の紅長で見たことがある。客がいない。それもそのはず。この公演月は2021年の10月。そう、例のウィルス騒ぎで歌舞伎座も商売を制限されていた頃。かくいう私もこの公演のチケットはゲットしていたものの、開演時間を間違えて行くのを止めた。それでいつか衛星劇場で見ようと思っていたのが叶った次第。菊五郎御大や市川団蔵もこの頃はお元気だった。いや、無理を通していらしたのかもしれない。