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45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこど
ブログをご覧の皆様♡いつも訪問下さりありがとうございます皆様から頂くいいね(応援)・コメント・メッセージひとつひとつに優しさと温かさを感じ見守ってくれる人達が居て下さるお陰で色んな事を【乗り越える】チカラになっていますりーたんの【在宅への道】が無事ゴールを迎え家族皆で過ごせる日まで変わらず温かい目で見守って頂けたら嬉しいです『【在宅への道】町でただ1人の医療的ケア児』ブログをご覧の皆様♡いつも訪問下さりありがとうございますいつも皆様から頂くいいね(応援)・コメント・メ
ご訪問ありがとうございます看取り退院ではなく、元気に退院できると言われ喜んだのも束の間、やっぱり看取り退院でと言われ、奈落の底に再び突き落とされた私でした。そして、こんなことになったことに責任を感じて、母に申し訳ない思いでいっぱいになりました。ごめんなさい、今回は結構毒吐き。医療関係者の方々、不愉快に思われたら申し訳ありません。あまりにもショック続きでそんな思考になってしまったのねとお許し下さい🙇♀️続きです。前回の話はこちら⬇️『おかしいと思ったんだよね』ご訪問ありがとうござい
夫が食べず、話さなくなってから、16日目。2023年2月28日夫は朝からよく眠っている。いつもより深く眠っている気がする。声をかけると頷くが、目は開けない。昨日の薬を処方された時「翌日まで少し眠気が残るかも」と言われたのでそのせいだと思った。息子の幼稚園のサッカー大会を見に行く予定だったので、1階へ降りてテレビでも見ていてもらおうと思っていたが無理だった。階段までなんとか連れて行ったが、歩幅がかなり狭く、支えないと歩けない。けど、、、結
国民が苦しんでいる人たちばかりになると、じぶんには関係ないとか言ってられねぇのよ。社会の気が乱れているわけで。やっぱ殺伐としてくると、みんなの顔色が怖くなり悪い運気が流れていく。事故に巻き沿いくいやすいとか。人の心が乱れているからな。ウクライナの復興費、というが、復興ではなく戦費だろ。で、能登には微々たる小銭だけ。それを、貸す、、なんて言わないでほしかったな。
こんばんは、はーちゃんです。2024年4月13日午前9:15こーちゃんは安らかに永眠いたしました。私の大好きで強くて頑張り屋で心が広く優しくて尊敬できる大切な人です。1年間本当に病気に心は負けずに戦い続けられました。お疲れ様です。尊敬します。私が1人にならないように頑張ってくれてありがとうございます。いつも手を繋いでこーちゃんとは寝ていました。朝方4時頃、ふと目を覚ますとこーちゃんの手足だけ冷たくなっていました。慌てて体を触ると前夜同様熱があり、呼吸もしてたの
断酒中のだんなは、うつ病で入院中振り返るとアルコール依存症になる前の何年間かはおかしかった仕事への不満だんなの父からの暴言や態度子供3人を育てる責任感いろんなストレスを抱えていたのは確か私のストレスもあっただろう私側としては、なるべくストレスにならないように顔色見て話し、我慢もし、爆発もしていたモラハラなだんなの意向になるべく沿ったがそれが余計に自己中さを助長させたのかもうつ病で苦しんでいるなら仕事を辞めるよういい、それでもお金のために働き悪化したお酒を飲み
優しい人は見返りを求めない優しさもどきの偽善者は気持ちの交流力関係上からの圧力無言の恩着せがましさ何より気が向いたときだけ病気を抱えて生きていくのは過酷それゆえ【闘病】と書く罹患組はお互いを尊重しあい尊敬の念を持ち続けているいついかなる時も私が歯を食いしばって寝たきり要介護四一人暮らしから復活したのは介護保険料その他のお世話に一切ならずとも介護タクシーに乗れば利用者情報共有せずに障がい者手帳持ってますかバスに乗って付き添いが二人分と言っ
夫が食べず、話さなくなってから、6日目病気になる前の夫はかなりのキャンプ好きでテントもギアも揃えて、毎月ファミリーキャンプ&ソロキャンを楽しんでいました。〜〜〜〜〜〜〜2023年2月18日(土)この土日の連休は、6歳の息子と二人でキャンプに行く予定にしていた。私と14歳の娘は試験勉強があるのでお留守番の予定。前日に引き続き、さすがに様子がおかしい夫を行かせるのは心配で、ずっとずっと夫に「やめたら」と言っていたけど、「大丈夫」と言って荷物を車に詰め込み、結局出
皆さん、こんにちはいつもお越し頂きありがとうございます今日は外出の機会となれば、と身体障がい者の生活支援施設(デイサービス)に見学に行って来ました定期的に外に出れるきっかけが欲しかったのです行ってみての感想ですが、『………(絶句)』でした私はこれまで、福祉の現場で働いてきました高齢者のデイサービスでも働いて来ましたし精神障がい者の作業所でも働いて来ました福祉施設の免疫はあるつもりでした今回行ったデイサービスは、それ以上のカオスでしたとにかく雑然とした中で騒然とした世
こんばんは、はーちゃんです。病気を見つけてから、再び4月を迎えることができました。本来だったら一緒に桜を見に行きたかったのですが流石にそれはできない状態です。少しでも季節を感じられるように夫にいろいろな春をお伝えしたいなと思います。退院後すぐからせん妄が既にでており、「喉の乾き」と「座りたい、立ちたい」の欲が止まりません。やり切るまでずっと主張します。また、昼夜も完全に逆転しており深夜に特に激しくなるので私とお義母さんが交互に見守り要望を叶えていきます。頭痛も治まっ
先日、ある友達グループLINEから久しぶりのメッセージが届いた。送信してきた友達のことが大好きな自分。自分が辛い時、寄り添い励ましてくれた優しい奴。LINEのメッセージを読むと、、なんとその友達が、、大きな病気を患ったという。。2ヶ月ほど前に発症したそう。精神的にも辛い2ヶ月間だったんだろうな。友達に報告する勇気がスゴいと尊敬。現在は寝たきりに近い状態とのこと。麻痺もあり、言葉もほぼ発せれないそう。この友達、当然ながら働き盛りの年齢。子供はまだ小さい。。自分がその友達
夫が食べず、話さなくなってから、15日目。2023年2月27日近所のメンタルクリニックの初診が翌週末に取れましたが、そこまで待てず少し遠いところにある精神科のある病院へ連れて行くことになった。夫の両親が来てくれてなんとか着替えさせる。以前、便失禁があった時(こちらのブログ→ベッド脇に便失禁)以来、リハパンを履かせていることを、ご両親に伝えた。夫の手を引いて玄関まで連れて行く。私は自分のカバンと上着をとりに一旦部屋へ戻る。夫は玄関で私が来るま
こんばんは、はーちゃんです。たくさんのお悔やみの言葉ありがとうございました。夫にも届いてると思います。葬儀までしっかり終えてこーちゃんを丁寧に見送ってきました。友引を避けての葬儀だったので、こーちゃんは2日ほど自宅でのんびり過ごしました。自宅にいるうちに、たくさんのねぎらいの言葉をかけたり感謝の気持を伝えたり愛情を伝えたり私自身の将来の不安をぶつけたりたくさんの虚しさを話したりしながらたくさん触って過ごしました。顔が変わらないように部屋を冷やしたり定期的に顔にワセリ
こんにちは、はーちゃんです。緊急入院した日が夫にとって1番きつい日だったようです。『緊急入院【23年11月11日~11月12日】#妻より』こんばんは、はーちゃんです。夫婦揃って暗い気持ちになりながらも明日には頭痛も治まって歩けるはず…!散歩に行けるはず…!と信じていましたが相変わらず、夜も頭痛で…ameblo.jp頭痛で吐き気を訴えたことがなかった夫はこの日初めて吐いてしまったようです。朝ご飯しか食べていなかったので吐くものもなく、桶いっぱいの胃酸を出して苦しんでいたようです。
断酒して2年4カ月なのに、うつ病で入院普通に悪いところが分かって入院ってわけではないので閉鎖病棟にいます検査とかしてると思うけれどなにも音沙汰なしまずは回復なのかなあおかげで忙しいけれど平穏に暮らしているやたらと眠いしだるい疲れがどっと出た感じゆっくりしたいけれどなぜか友だちからいじわるなことを言われて落ちこんでいるここ何年も避けられていると感じたようだこんなつらい状況で人に会えなかっただけなのに今深く傷ついているアルコ-ル・薬物・
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々もうやるしかない。在宅介護の準備202
夫が食べず、話さなくなってから、8日目。2023年2月20日一昨日、昨日とキャンプへ行っていたのでお風呂に入っていない。「入ったら?」と何回も促してようやく入れたけど、なかなか出てこない体と頭を洗ってあげ、拭いてあげた。この日の出勤は昼からで、行く気はあるけどやっぱり用意ができない用意ができないというか、何をしたらよいかわからない感じでうろうろ。。。結局会社へお休みの連絡を入れた。だいぶ声が弱々しい。この電話以降は、やっぱりほとんど発語はない。夜
こんにちはトップもしくは、かなりベテランの先輩に同行してもらって修行する毎日。先輩たちはかなり厳しいですが、40歳にもなった人にやり方を注意してくれる人って貴重。注意され、教えてくれることが心からありがたくて、毎日が新鮮です長年働いていたのにずっと知らなかったことがあって。寝たきりの高齢者にSPO2を測定することがあったのですが、測ったら93%だったんです。あれ、いつもより低いな。手は温かいのに。と思ったら同行していた先輩が高齢者のSPO2を測定は、手を心臓より下にするか、
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日明け方5時10分に電話がなる。(4時50分にも一度電話があったみたいだが気づかなかった)病院からだった。「容態が急変しました。今すぐ病院へ来られますか?」と。まず夫の両親に電話をして、子どもたちを起こして急いで病院に向かった。昨日の医師からの話では、今日明日でどうこうなることはないけど予断は許さない、というお話だった。まだ、逝かない
うちの夫の場合、前兆はこれと言って思い当たることがありませんでした。2023年2月13日、あの日は夜勤明けで小雨が降っていたので、夫を車で駅まで迎えにいきました。前日、夜勤へ出勤する時はいたって普通、、、だったような気がします。しいて言えば、電車に乗る前に珍しく財布を忘れたと電話があり、駅へ届けに行ったぐらい。今思えば、それが前兆、、、??夜勤が終わり、迎えの車の中で夫は無口。最近口内炎ができしゃべりずらそうにしていたし、疲れているのかな、と思いましたが、
夫が食べず、話さなくなってから、11〜14日目。2023年2月23〜26日仕事はしばらくお休みさせてもらっていた。相変わらず話さず食べずで、寝ている時間が多かったが、日中はテレビを見させたり積極的に話しかけた。食事は水分補給ゼリーを無理やり飲ませる。トイレにも自発的に行かなくなったので、こちらから促して連れて行った。トイレの中でどうしたら良いのかわからないような時もあった。45歳の夫がこんなに急激に認知症のような感じになって、私も本当に戸惑