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宗秀斎です。秋の訪れ、涼しくなってきました。今年の夏を振り返ると震災、災害に見舞われ慌ただしい日々を送っていたように思います。幾度と体験した私としても注視していかなくてはならないと改めて痛感します。そんな中でも製作関連で史跡、寺院仏閣の現地調査や展示会などに足を運ぶなど精力的に動いておりました。またツイッターなど私の作品を実際に見たいという光栄なご意見を多数頂くことが多くなり、本格的に展示する機会を設けようと考えています。個人的な考えですが、これまでの作品は今まであまり目にしたこ
みなさまおはようございまそ。闘茶は難しい:(;゙゚'ω゚'):…………にゃんこ耳でつ。闘茶とは、日本の中世に流行ったお茶の味を飲み分けて勝敗を決めるゲームです🍵室町時代には賭博にもなって、幕府から禁止令出されるほどだったとか江戸時代には衰退したものの、歌舞伎役者の遊びの一つになって、連綿と受け継がれて現在に至ります抹茶って、産地はもちろん、点て方、湯の温度で味が味や舌に残る感触が変わってくるので、バチクソ難しい∑(゚Д゚)で、室町〜戦国時代のお衣装を身につけた方々に囲ま
前回まで、南北朝期の平安京の変化について書いてきました。ようやく室町に存在する「花の御所」に言及出来て、やっと室町時代の話ができるようになった気がします。ここまでくると、室町時代の地図を見てみてたくなりますが、残念ながら、そのような絵図はありません。応仁の乱で主たる建物が焼け、天皇の御所、将軍御所、それぞれが仮設建物であった時期もあり、地図なんて作って意味あるか?て状況だったのでしょう。地図とは異なり
室町無頼1,836円Amazon(あらすじ)※Amazonより応仁の乱前夜、富める者の勝手し放題でかつてなく飢える者に溢れ返った京の都。ならず者の頭目ながら骨皮道賢(ほねかわどうけん)は権力側に食い込んで市中警護役を任され、浮浪の徒・蓮田兵衛(はすだひょうえ)は、ひとり生き残った用心棒を兵法者に仕立てようとし、近江の古老に預けた。兵衛は飢民を糾合し、日本史に悪名を刻む企てを画策していた……。史実に基づく歴史巨篇。ならず者の頭目・骨皮道賢は幕府に食い込み、洛中の治安維持を任され
「3つある一条家をそれぞれ解説しよう!」という、連続3回やらかした前企画。「一条家(五摂家)」は、なんだか二条家の解説っぽくなってしまったのですが(もちろん理由があってですよ…無駄に語ったからじゃない!と思う)これに便乗して、二条家の曖昧回避もやってしまおうかな…などと思い立ってしまった…というわけで、今日はそんなお話になります。相変わらず、どこに需要があるんだか分かりませんが(笑)、まぁ自己満足もまた、立派なストレス解消なのでねー。さっそく、wikipediaで「二
友人から鮎の炭火焼が届きました。今は通販でこんなものも贈れるんですね。炭火焼の鮎は冷蔵品となります。早速食べてみたいと思います。グリルで軽く温めてから頂きました。流石に焼きたてとは違いますが、近所のお店で買って家のグリルで焼くよりも美味しいです。頂きっぱなしとは出来ませんので何を贈るか考えなければなりません。さて、、、「酒の肴何がよいでしょうか」最近は備忘録ばかりです。記事を書く時間の問題も有ります。流石に仕事に使う時間をおさえてとはいきません。ネタになる事も少ないのも理由です。私生活で
★割引クーポンはこちら★◆明日以降のご予約状況はこちら◆【問題】次の中から,室町時代の三管領にあてはまらないのはどれでしょう?【答え】山名氏です。その他のクイズへ戻る西船ボウルブログ目次へ戻る
菜園の一隅に実った「柑子(こうじ)みかん」今の「温州みかん」のご先祖さまのようなもの。「花柚子」ぐらいの大きさ。室町時代の吉田兼好作『徒然草:つれづれぐさ』の「神無月のころ」に出てくるみかん。昔、「柑子みかん」が好きな私のため、実家の父が自宅横の畑に植えてくれていたんです。その木を、父が他界した時、なんと母が処分したんです。父を思い出すからと。(別に嫌いではないんです。幽霊が怖いだけ。)「が~ん????」で、晩秋~冬になると、「柑子みかんの季節だあ~」とつぶやくようにな
江戸初期、1614年、徳川幕府は南総里見八犬伝で有名な里見氏の館山藩を改易(取りつぶ)した。室町時代以来の里見氏の歴史は幕を降ろした。館山藩の廃藩後、1618年に幕府代官の手によって再検地が行われ、安房国は、以後天領、旗本領、小藩、他国の藩の飛び地領に細分化され、安房一国を治めていた旧館山藩の規模を継承する藩は現れなかった(wiki)。長い歴史の里見氏が改易されたから、即、消滅したとは考えられない。単に殿様と一家が処分されて歴史から消滅しただけでは無く、一族や家臣さらには長い歴史で結び付けられ