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ご訪問ありがとうございます。前回は「二朝並立」説あるいは「内乱」説について、その矛盾点から安閑⇒宣化⇒欽明天皇への皇位継承が、むしろ普通に行われていたのでは?としました。今回はその視点にたって、継体天皇から安閑・宣化天皇、そして欽明天皇への皇位継承のあり方を考えて行こうと思います。目次「安閑天皇紀」の記述生前譲位は行われたのか?崩年の真実「帝紀」「旧辞」の編纂について「安閑天皇紀」の記述それではここで「安閑天皇紀」をもう一度見返してみますと、(継体天皇)25年の春2月7日、
ご訪問ありがとうございます。ひさしぶりに「日本書紀」本文に戻ってまいりましたが、この頃から記事量も内容もしっかりしてきます。「内乱」説のせいで、事績としてはあまり注目されませんが、次の飛鳥時代にはちゃんと国家になっていますから、この間に着々といろんな組織とか経済基盤ができていることになります。そうでないと飛鳥寺やら法隆寺のような国家事業はできませんもんね❗それでは、「安閑天皇紀」❗まいりましょう❗(*´・∀・)つ目次安閑天皇の即位安閑天皇の后妃伊甚屯倉安閑天皇の即位ここでもう