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ご訪問ありがとうございます。前に「飛鳥の夢」というテーマで、飛鳥時代を取り上げた時に、「大兄」について考えているのですが、ここでもう一度整理しておこうと思います。目次大兄制とは何か?「嫡子」欽明天皇の即位勾大兄皇子の大兄冊立の意義「嫡子」による継承大兄制とは何か?大兄制(コトバンクより転載)おおえせい皇位継承が兄弟間で継承されることの多かった5世紀の段階から、父子継承が根を下ろし始める7世紀後半に至るまでの過渡的な皇位継承の制度。「おいね」とも読む。6世紀の勾大兄皇子(まが
ご訪問ありがとうございます。今回は屯倉ミヤケ設置の記事が続くので、ささっと読んでいただいて大丈夫です。黒字のところだけでも良いかと…で、屯倉?氏姓制度?という疑問には、次回‼️「入門編」で、教科書レベルで解説いたしますd(>∇<;)目次百済の入貢皇后の屯倉妃たちの屯倉大河内直味張と三島県主飯粒春日部の采女武蔵国造の争い屯倉の整備目次を開く百済の入貢5月、百済は下部脩德カホウシュウトク(百済の官位)嫡德孫チャクトクソン・上部都德ジョウホウトトク己州己婁コツコル等を派遣、
⁰ご訪問ありがとうございます。今回はめちゃくちゃ問題の箇所です継体天皇が亡くなるのですが、「日本書紀」には驚きの記述が⁉️天皇と太子・皇子が一緒に亡くなったというのです❗なんと言うことでしょう…(´;ω;`)目次「日本書紀」の記述「安閑紀」の記述「古事記」の崩年干支「継体・欽明朝の内乱」説「二朝並立説」の矛盾点「二朝並立」論のまとめ目次を開く「日本書紀」の記述25年春2月、継体天皇は病気が重くなり、7日に磐余玉穂イワレノタマホノ宮で崩御しました。御歳82歳であった。