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■江戸城周辺外濠跡を歩くその4<数寄屋橋御門跡~東京国際フォーラム>山下橋跡から少しだけみゆき通りを歩き、泰明小学校前を通って数寄屋橋跡へと向かいます。■泰明小学校古い小学校です。明治11年創立かつてエリートたちが、泰明小学校から麻布中学~日比谷高校~東京大学へと進学していったことで知られています。今でも学区外からも入学でき、毎年抽選となるという人気の小学校です。島崎藤村や北村透谷らも卒業生で、門前に記念碑が建てられています。制服にアルマーニを採
http://ameblo.jp/adoringusagi/entry-12143858848.html写真は二重橋ですが、今日は皇居のざっくりした概略をまとめたいと思います。http://ameblo.jp/adoringusagi/entry-12234914983.html江戸城、皇居は江戸時代徳川将軍家の居城であり幕府を開いた所です☺EdoCastle,ortheImperialPalacewastheplacewheretheTokugawaShogun
石神井公園では例年4月の最後の日曜日に「照姫まつり」が開催されています今年(2024)は4月21日(日)に開催されました太田道灌に滅ぼされた石神井城主豊島泰経と娘の照姫、奥方が三宝寺池に入水したという照姫伝説を題材としたお祭りです石神井公園の周辺で「時代行列」があります石神井公園の特設舞台で物語がはじまります照姫豊島泰経奥方太田道灌との戦いがはじまります金龍に導かれ豊島安経、奥方、照姫は三宝寺池に入水します石神井公園の周辺を行列しますキャストは一般公募です時
川越市のマンホール。--------------------------川越市のシンボル「時の鐘」と「蔵造りの町並み」をイメージして制作したマンホール蓋です。約400年前の創建当時から川越の町に時を告げている「時の鐘」は、高さ約16メートルの木造三層の鐘つき堂です。平成28年度の耐震工事を経て、現在は明治27年の再建当時の姿が復原されています。一方、江戸の町で流行した耐火性の高い町家である「蔵造り」は、商業で江戸との結びつきが強か
今回はこれまで名前が出てこなかったけど、以仁王の乱で頼政や仲綱らとともに命運を共にした子孫たちと、生き残って後世に代を繋いだ子孫たちをまとめて簡単にご紹介します何やら似たような名前が多数登場して混乱してしまうかもしれませんが、おつき合いいただければ幸いです◎源宗綱【みなもと-の-むねつな】〔?~1180年(治承四年)〕源仲綱の嫡男、源頼政の嫡孫です。『尊卑分脉』によれば、位階は従五位下、官職は肥後守を歴任し、宇治平等院の戦いで祖父・父とともに自害したとあります。◎源仲光【みなもと
今回の参詣は、もうじき1000回目を迎えるにあたって、自分にとって度々所縁のあった港区内で、公開せず残っていた5つの神社を巡ります。高輪の高山稲荷神社に続いて訪れるのは三田の銀杏大明神へ。銀杏大明神パークコート麻布十番ザ・タワーの敷地内に鎮座しています。もとは50メートルほど北側(現:パークコート内の北西)にあった大銀杏の下に祀られていたお稲荷さんです。現在、なんだかわからないモニュメントが立つ位置が元鎮座地です。ここに樹齢400年ほどの大きな銀杏が2本あり
ヤマブキ(山吹)花言葉【気品】ヤマブキ色のヤマブキです。小学生の頃使っていたクレヨンにあった‥‥‥水彩絵の具の中にあった‥‥‥ヤマブキです。ヤマブキという名前の由来にはいろいろな説があります。しなやかな枝が、かすかな風に吹かれ山中でユラユラ揺れる様子が転じたとする説‥‥山中でフキに似た黄色い花を咲かせていたからとする説があるようです。ヤマブキ(山吹)には…こんなエピソードが……七重八重花は咲けども山吹の蓑(みの・実の)ひとつだに無きぞ悲しき江戸城築城を担当した武将とし
4月21日、石神井公園周辺で行われている「第37回照姫まつり」に行ってきました。野外ステージの舞台演技「照姫伝説」の様子です、少し左側の観覧席から撮りました。照姫伝説とは:室町時代中期、太田道灌に攻められて石神井城が落城した際、家宝の「金の乗鞍」を載せて白馬にまたがった城主・豊島泰経とともに、娘の照姫は三宝寺池に入水したと伝えられています。照姫まつりのパンフレットの表紙です・・・三宝寺池側の入り口の広場です・・・野外ステージの舞台演技「
2021.3.27一日一季語山吹(やまぶき)【春―植物―晩春】道灌にゆかりの小江戸濃山吹佐々木新蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えた少女の差し出す濃山吹。この話で山吹は一層有名になった。八重山吹の特に黄色が鮮やかなものを「濃山吹(こやまぶき)」と言うそうです。山吹と太田道灌の逸話を取り合わせた句だが、小江戸濃山吹という言葉に深さを感じました。⇒画像をクリックするとブログ記事が読めます。*2021.3.26新宿御苑にて【傍題季語】面影草(お
昨日の記事からの続きです。一ノ井川(用水路)に掛かる橋のひとつ。参集殿側から見た景色。水車もありますよ。なぜ水車があるのかという謎。昔は水車を使って精米していたので、水車は酒造りには欠かせなかったのでは?と推測します。**松尾大社はお酒の神様です。お酒の資料館を見下ろす高台から。車祓所。車を買い替えた時や、交通安全を祈願する時は、車はこちらでお祓いを、運転者とその家族は拝殿でご祈祷を受けます。亀と鯉は松尾大社の神の使いです。光の加減によって黄色だったりオレンジだったり
荷田春満と五霊社«ブログ・三ノ宮通信比々多神社のブログ・三ノ宮通信www.hibita.jp⛩五霊神社|神奈川県伊勢原市-八百万の神神奈川県伊勢原市にある⛩五霊神社の情報(投稿写真、催し物、地図と経路、最寄の駅、最寄のバス停)がご覧いただけます。yaokami.jp11.高部屋地区:見どころ満載!!文化財巡り【LC】伊勢原ゆかりの武将(太田道灌)が開基した「幡龍山洞昌院」や「太田道灌の墓」、太田道灌と伊勢宗瑞(北条早雲)に関わる伝説が伝えられる「五霊神社」、上杉館の鎮守で
夜参り令和6年4月25日平河天満宮例大祭地元番町麹町エリア直ぐ近くの平河町に平河天満宮が有ります江戸三大天神さまの一つとして知られています(こちらはお正月の平河天満宮)天神様なので学業成就にご利益があると言われまたペアで梅の実が実る「縁結びの梅」があり恋愛成就にもご利益があると言われています今日4月25日、例大祭でした子供の頃から平河町までちょっと足を運んで楽しんでいた例大祭ルーレット式のソース煎餅の屋台で100枚当てた思い出とても嬉しかったですその頃とは
日本中世史の大家、黒田基樹先生による『戦国武将・伊勢宗瑞』。素浪人から下剋上を果たしたとされてきた「北条早雲」の実像を、最新研究を総合して描き出した名著です。現時点で、伊勢宗瑞についてこれに勝る本は無いと思われます。私にとって愛読書です。(刊行直後に買いましたよ!)戦国大名・伊勢宗瑞(角川選書)Amazon(アマゾン)1,300〜5,360円しかし、太田氏に関して調べものする立場から読むと、あれ?という記載も。具体的には、63頁の「江戸時代の系図史料などでは、美濃守資家と伝え
<2023年3月27日>下総ドライブは香取神宮から佐原の街へ来ました。八坂神社の境内に「山車会館」なる立派な建物があり、この街にも祭りがあることが分かりました。その先へ歩いて行くと、こじゃれた店があります。「くつろぎテラス」という店で、物販と飲食の併設店。店の横は奥までの通路になっています。通路の奥(店の裏側)にも建物があり、これが佐原信金のATMでした。まだ奥があります。ATMブースの奥に小屋があり、そこに人がいて何やら作業をしていました。巨大な「山車」
森に溢れ輝く黄色い花は…!二俣川駅方面の公園入り口から見て、こども自然公園内を右手に大池を見ながら左側沿いに中ほどにまで進んで行くと、長さ10mほどの赤い太鼓橋があります。その橋の手前を左に行くととりでの森(アスレチック広場)に至る道があります。土日になると、朝から夕方まで子ども達を連れた家族で一杯になります。時々その脇をランニングのために走り抜けることがありますが、人が道に溢れてぶつかりそうになることもあるくらいです。とりでの森は、この公園の目玉と言ってもよいでしょう。また、ゴールデン
山吹やひとへ瞼(まぶた)の木曽女橋本鶏二山吹というと普通黄色ですが、写真のものは白色です。山吹の一重の黄色の花は五弁ですが、白山吹は四弁ですので、山吹と言っても種類が違うのだと思います。太田道灌の物語で有名なのは山吹の八重のものですね。一重のものは実をつけますが、八重のものは実をつけません。「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」。雨が降り出して蓑を農家から借りようとした太田道灌に対して、農家の娘が詠った和歌です。「実の一つだになき」と「蓑ひとつだにな