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謎解きの旅が始まってすぐの頃、大本教と出口王仁三郎の存在を知った。その時のことは今でもはっきりと覚えている。神社仏閣を巡るために奈良を訪れていた。当時、私は他のブログを書いていた。そのブログに王仁三郎の言葉を発信されている方が足跡を残してくれた。その方の記事に王仁三郎の画像があり、それを見ると強く引き込まれるような感覚があった。今思い返すと、王仁三郎の写真を通して、私に高次元のエネルギーが流れ込むかのような感覚だった。王仁三郎はスサノオの生まれ変りだと言われている。私
この文明の転換期について語る上で、「入口出口王仁三郎」を避けて通ることはできません。また、これからこのブログのメインテーマ「愛とエロス」に入っていく上でも、出口王仁三郎について書いておく必要があります。王仁三郎を1つの記事で語ることは出来ませんが、イルミナティblogに更新予定の記事をフライングで載せておきますイルミナティ崩壊の雛型神劇出口王仁三郎は近代宗教界の巨人と呼ばれる大霊能者で、人の数だけ様々な評価がある「魔性の男」である。丹波哲郎と船井幸雄が「最も尊敬する人物」
久しぶりに図書館に行って、もう1度読みたいと思っていた、魚谷佳代さんの淡路ユダヤの「シオンの山」が七度目《地球大立て替え》のメイン舞台になる!を借りて読み返してみたら、想像以上のことが書かれていて、びっくりでした。淡路ユダヤの「シオンの山」が七度目《地球大立て替え》のメイン舞台になる!Amazon(アマゾン)3,067〜11,176円著者の佳代さんが不思議な方々を通じて天啓を受け、淡路島の由良にあるシオンの山に、縄文、ユダヤをつなぐ神座を祀ることになるのですが、
“凡俗は小なる悲観者であり、また小なる楽観者である。社会、娑婆、現界は、小苦小楽の境界であり、霊界は、大楽大苦の位置である。理趣経には、「大貪大痴是れ三摩地、是れ浄菩提、淫欲是道」とあつて、いはゆる当相即道の真諦である。禁欲主義はいけぬ、恋愛は神聖であるといつて、しかも之を自然主義的、本能的で、すなはち自己と同大程度に決行し、満足せむとするのが凡夫である。これを拡充して宇宙大に実行するのが神である。神は三千世界の蒼生は、皆わが愛子となし、一切の万有を済度せむとするの、大欲望がある。
・「稲荷は飯成(いひなり)の神にして、衣食住の元の神なり」“……明治三十一年も四月に入る。ある日、喜三郎(=出口王仁三郎)は御嶽教太元教会の中教正(ちゅうきょうせい)松山昇の強いすすめにより、同教本部を訪れる目的で家を出ようとした。そのとき、月見里(やまなし)神社に付属する駿河の稲荷講社総本部の役員で三矢喜右衛門という人が尋ねて来て、いろいろ神霊学の話をし、講社の総長、長沢雄楯翁の霊力非凡なることを吹聴した。そして長沢翁との面会をしきりにすすめたのである。喜三郎は稲荷講社とい
・「大峠」がはじまる時“もう一つ、昭和五年の御巡教の折、信者の一人が「大峠とか最後の審判とか言いますが其の時には本部から通達が来ますか。」と尋ねました。聖師様は「そんなものが来るかい。又、そんな余裕も無いわい。」とおっしゃる。「其の時はどうしたらよいのでしょうか。」とお尋ねすると聖師様は、「時期やその時どうすればよいかは全て内流を受けて悟るのだ。御内流を受けられるだけ普段からみたまを磨いておく事だ。或いは夢で知らされる者も居る。各地にそれぞれ御内流を受けるみたまをまくばってあるのでみんな
・瑞雲大龍神(佐賀県嬉野市石垣大本佐賀分苑)“……この神社が存在している石垣地区には百数十年の昔からこの地区の守り神として龍神様をお祀りし、春のお祭りにはその年の豊作を祈り、夏の干ばつの時には雨乞いを祈願し、秋には五穀豊穣の感謝祭を行い、霊験あらたかな御神徳を崇め敬ってきました。この龍神様のご称号は何時の頃からか定かではありませんが、八大竜王と申し上げるようになったのです。そのことは、今から百二十七年前の慶応二年春のお祭りに石垣地区民が奉献した二本の大きな幟旗に、墨痕あざやかに
・「便所にはとても美しく、尊い女神さまがいらっしゃる」“国祖の大神様が開祖様に「直よ、こんどの大望なご用をつとめあげてくれたら、どんな御礼でもするが、その方に望みはないか」と申されたとき、開祖様が「せんち虫にしていただきとうございます」と申されると、さすがの大神様も「直よ、えらいことを申す」と驚かれたということです。「開祖様は、一代どん底におってというおもいで申されたのであろうが、せんち虫は便所のようなどん底におるが、やがて人の頭にもとまるようになる。これほど出世大
“「霊界物語」の拝読は、私たちのみたまの糧として大事なことはよく判っていますが、また亡くなられた霊にとっても、大事な糧であるという一例を申し上げてみたいと思います。綾部へ聖師さまのお供をさしていただいた時の話ですが、聖師さまはいつもお寝みにななる時は物語の拝読を聞きながら、お寝みになられるのですが、いつものように山水荘で物語を拝読しておりますと、誰もいるはずの無い二階からトントントントンと下りてくる人の足音がして、衣擦れの音と共に、私の横にチョコンと座る気配が致します。私は“アッ、気持ちが
新興宗教「幸福の科学」の総帥『大川隆法』教祖がお亡くなりになりました。信者はこれからどうなるのだろうか?教祖が居なくなったら、信者は何を拠り所に信仰を続けていくのだろうか?「オウム真理教」然り、「阿含宗」然り、「大本教」然りであります。教祖亡き後の教団は分裂したり、弱体化していく。内部分裂して無くなってしまうかもしれませんね?所詮人の作ったを教えですから。幸福の科学では教祖自らが神を名乗のり、自身を「エル・カンターレ」と言っていましたね。また「我は法なり」と言っていましたが、死ん
まず、神様の預言書、日月神示について説明します。《日月神示について》終末預言としては、ノストラダムスが有名ですが、極めて、漠然としていて、どうとでも解釈できる。だから人類滅亡の預言と思われています。しかし、明治に日本の降りた預言は、本物の高級神霊からのメッセージであり、その代表的なものは、大本教の「出口なお」に降りた「国常立尊」の『お筆先』であります。そして、その続編としては、出口なおの死後、大本の信者の画家、岡本天明に降りた国常立尊の預言が、この『日月神示』なのであります。
・伊都能売(いづのめ、出口聖師の神格)“吾々大本人の唱導する、伊都能売の御魂とは、如何なる神格を具有する神であるかと云ふに、古来仏教家の間に唱へて来た、観昔に等しきものである。神道にては、木の花姫命と称へて居る神の事である。観音の性質を調べると、報身の観音あり、法身の観音あり、応身の観音あり、或は蔵通別(ぞうつうべつ)教の観音あり、円教の観音あり、理想の観音あり、事相の観晋あり、分身の観昔あり、本体の観音があつて、その一々の意味が、幾分づゝ違つて居る如くに、木の花姫命の性質又は御活動
ご訪問くださりありがとうございます。https://pin.it/46GMcA6昨日は、現在スピリチュアルの元は「大本教」。コロナパンデミックは、大本教出口王任三郎の計画だった。と題して、コロナパンデミックを引き起こした「犯人」と、現在スピリチュアルの思想と深いつながりがあるので、一刻も早く「偽スピリチュアル」からは離れるべきだ、と書きました。今日の記事は、昨日の続きになります。大本教の思想は、現在スピリチュアルだけでなく、「宗教」とも深い関わりがあります。大本教そのもの