ブログ記事1,115件
2024年2月17日(土)大坂城修道館6級以上の審査昇級・昇段審査が行われました。審査後の大会では受験者、皆よく頑張りました。大会成績初段受験優勝岩手君2級受験5位小縣君3級受験2位池川君4級受験優勝開田さん2位横田君頑張りました
初代大坂城代1619年に内藤信正が就任し1627年に大坂定番(玉造口門・京橋口門定番)の制が創始され、それから数年後には大坂加番(山里加番、青屋口加番、中小屋加番、雁木坂加番)の制度もスタートしています。徳川綱吉が将軍となって3年後の貞享3年(1686年)、当時の老中4名、松平日向守信之、戸田山城守忠昌、安部豊後守正武、大久保加賀守忠朝から大坂城の警備陣に出されたものです。内容は、目付2名を派遣するので良く相談するようにというもので、派遣されたの目付が大坂城に持参した辞令のような公文書で
昨日の続きです。大阪歴史博物館の史料からその一部を引用しています。今日は大阪歴史博物館9Fの船場と角の芝居です。大坂城城下町として、堺や平野・伏見など周辺の町から商人を強制的に移住させて発展します。船場の1街区は40間(72m)四方の正方形で、街路は碁盤目状です。城下町なので大坂城から見て、東西方向の街路を通(とおり)といい。計23本あります。当初の幅員は4・3間(約7.7m)に設定されていました。一方、南北方向は大坂城から見ると横となり、南北方向の街路を筋(すじ)と
「第三話「明日は明日」按針の暗殺未遂事件後、大坂城は緊張に包まれていた。夜明け前、虎永との会談に呼び出された藪重は、自分の裏工作がバレたのではないかと死を覚悟したが、虎永は同盟を確認し、藪繁に危険な任務を課した。虎永自身は大坂に残り、按針を安全な伊豆の領地へと向かわせるという。しかし、出発直前で宿敵の石堂がやって来て、部下を護衛につけるよう強要したのだった。●時代背景長らく続いた戦乱の世に終止符を打ち、天下を統一した太閤。しかし、側室・落葉の方との間にできた世継ぎの八重千代がまだ幼いう
前回のブログで、「”現存三重櫓”を色々な方向から顔・姿を見る」を番外編含め、合計12基+1基で終了しました。「現存三重櫓」(12基+1基)は、下記をクリックしてください。https://ameblo.jp/highhillhide/theme-10112595030.htmlしかし「三重櫓」は、現在でも「天守」にも勝るとも劣らず魅力的な建造物が、数多く存在しているのを見てきました。江戸時代通じて、「三重櫓」を備えた「お城」は、今回紹介してきた「お城」の「三重櫓」以外にも存在し
大阪城で、2番目に表面積が大きい肥後石とよばれる巨石京橋口を入った正面にそびえています!小豆島の旅から帰ってすぐに大阪城へ、小豆島産の石を確かめに行きましたその時の写真写真では巨石の大きさが伝わりにくいですが、この一枚岩、表面積は、畳33枚分の広さ高さ約5.5m、長さ約14m重さ約120トンといわれます。石の厚みは意外となく、70センチくらいとのこと。(巨石を薄く加工する技術もすごい)この石は、小豆島から運ばれてきたものだそうです
「お城紀行」の投稿で中断していた全国お城の「石・石垣シリーズ」は、本日から『「石」の使われ方』において「石樋(いしどい)」が見られるお城をご紹介します。北から順番にお届けしていきますが、あくまで私がお城の中で見つけたものですので、それ以外にも多数設えていると思います。「石樋(いしどい)」というのは、お城の中、特に石垣に雨水が溜まるのを防ぐための排水設備の一つで、「排水溝」とも言います。石垣から、少し石でベロを出したり、口を尖らせたりしていますが、これは排水が直接石垣に当たらないような仕掛け
『近畿の地質的景観』第2回<上町台地>上町台地は大阪平野を南北に伸びる丘陵地・台地である。縄文~室町時代の上町台地周辺は、埋め立ても少なく自然の土砂の堆積で遠浅になっていきました。江戸時代から大地の西側が、埋め立てや安治川治水、大和川すげ替えなどの土木工事が盛んになりました。・「梅田」:大阪駅界隈の大阪の顔。何故,「うめだ」と言う名前?⇒浅瀬を埋め立てたので「埋めた」→「うめだ」。・「大坂城」:大阪のど真ん中の城。何故,本願寺や大坂城がここにあったの?⇒北東西が遠浅の海や湖
小豆島紀行[2019](2)大坂城残石記念公園、大坂城石垣用石切丁場跡:十六世紀末、豊臣秀吉による大坂城築城の際、その石垣を構成する岩の一部が豊臣配下の大名によって小豆島から切り出されたと伝えられている。そして十七世紀始め1615年の豊臣家滅亡後に徳川幕府が大坂城を再建する際に、島から多くの岩が切り出されて運ばれたのは確かであり、当時の石切丁場の跡には、運ばれなかった大岩が現在でも放置されている。その中で、形の良いものや切り出した大名家の刻印が刻まれているものを集めて屋外展示してあるのが、大坂城
石堂らとの対決を決意した虎永は、疎遠になっていた異母弟の佐伯真辰と同盟を結ぶために久々の再会を果たす。互いに笑顔で再会を喜ぶも、その夜、虎永が佐伯のために豪華な宴会を催す最中、佐伯の大軍が網代を包囲する。佐伯は、虎永に代わって会合の一員に選ばれており、虎永に大坂城に出向き、切腹するよう命じに来たのだった。◤『#SHOGUN将軍』最新エピソード𝐍𝐎𝐖𝐒𝐓𝐑𝐄𝐀𝐌𝐈𝐍𝐆🔥◢第𝟕話「線香一本の時𝐀𝐒𝐓𝐈𝐂𝐊𝐎𝐅𝐓𝐈𝐌𝐄」配