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金沢が誇る名勝・兼六園の敷地内、現在霞が池の南東岸一帯に広がる台地には、かつて加賀藩十二代藩主・前田斉広によって造営された竹沢御殿が存在していた。この竹沢御殿は、斉広の死後に取り壊されたが、斉広の枕元跡を踏まないように建てられたのが地蔵堂である。こちらが地蔵堂。この地蔵堂はクロマツの樹林地の中に建っており、二基の石地蔵尊が安置され、安産・出世・眼病治癒に御利益がある地蔵として信仰されている。8月24日には、主に茶店の人たちが中心になり、地蔵堂祭りが行われる。明治の頃には地蔵堂の横に小屋が
なかなか前に進めないので清水寺A~Eまで頑張ってまとめましたので毎日ブログにUPしたいと思っています宜しくお願いいたしますそのあとは多分1日置きに以前と同じようになると思いますモミジは影の中百体地蔵堂清水寺本堂の最も有名な部分である清水の舞台は、13メートルの高さの木造の舞台で、釘を一切使わずに組み上げられています。
おはようこざいます(´・ω・`)昨日、ぷち散策へ行ってきました最寄りの場所から辿ります県立紀伊風土紀の丘専用駐車場南側の市道を西へ行き、次の四つ角を右(北)に曲がり、左側に公園がある四つ角を右(西)に曲がって道なりに行き、住宅地から山手に入る四つ角を真っ直ぐ(南西)行くと一番奥に金龍大神があります⛩️紀伊風土紀の丘の中からも行くことが出来、近くに古墳もあることから、「金龍大神」「金龍大神(六地蔵経由)」と記された道案内表示が何ヵ所も設置されています⛰️金龍大神(資料なし)旧名草郡岩
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです最寄りの場所から辿ります熊野古道の瀧尻王子から国道371号を東へ道なり(途中から道幅狭くなります)に走ると右側に八柱神社があります⛩️八柱神社『和歌山県神社庁公式サイト(瀧尻王子宮十郷神社の項)』『紀伊続風土記』より旧牟婁郡栗栖川荘石舟村に鎮座し、江戸時代後期の社号は「天神社」と記され、境内は周60(約108メートル。山を含む)。『紀伊続風土記』に一文あり、「村中にあり、村中の産土神なり」とだけ記されている。公式サイトによれば、明治41年
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです写真少なめです🙇戒壇院北門から西へ行くと左側に御拝壇があります御拝壇戒壇院北門から見て左側にあります地蔵堂道路を挟んで御拝壇の向かい側にあります中御門(焼門)跡慶長11年(1606年)に焼失して以来、再建されることなく、後に「焼門」と呼ばれるようになったそうです。内側に礎石が残されています交通量が多いので、十分注意してください一旦、県道に出て右(北)へ行くと転害門があります転害門(国宝)由緒書によれば、元々平城左京一条大路の