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45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこど
実家に久々に戻ると母がおかしな事を言ってきたキッチン用品の購入を巡り騙されて高額支払った誰にいくら支払ったのか?領収書は何処にあるの?と母に尋ねるも金額をなかなか言おうとはせずに11万ぐらい?いや100万円?(そんな馬鹿な)話が全然前に進まない老夫婦だし新たにキッチン用品を買ったりする必要性は無いのに何故母が買おうと思ったのかも謎こちらは一生懸命支払いのことを尋ねているのに他人事のように母は呑気に別の話をし始めていてこんなにも話が噛み合わない程短期間で認知症が進
ごきげんよう堅い堅い壁の向こう、、そこにあるのはどんな世界なのでしょう。。今日はデイサービスの日母の水分摂取は50ccお食事の量は、、ゼロでした食事量が1割という事もありましたがゼロは初めてです予想はしていたので大きな落胆はありませんでした今通っているデイは資格保持者オンリーのベテランスタッフが揃う認知症型デイサービス誠心誠意尽くして下さっての水分50ccだとわかっています今の母は口から水分摂取を促せられるのは娘のわたししかい
こんばんは、はーちゃんです。2024年4月13日午前9:15こーちゃんは安らかに永眠いたしました。私の大好きで強くて頑張り屋で心が広く優しくて尊敬できる大切な人です。1年間本当に病気に心は負けずに戦い続けられました。お疲れ様です。尊敬します。私が1人にならないように頑張ってくれてありがとうございます。いつも手を繋いでこーちゃんとは寝ていました。朝方4時頃、ふと目を覚ますとこーちゃんの手足だけ冷たくなっていました。慌てて体を触ると前夜同様熱があり、呼吸もしてたの
こんばんは、はーちゃんです。病気を見つけてから、再び4月を迎えることができました。本来だったら一緒に桜を見に行きたかったのですが流石にそれはできない状態です。少しでも季節を感じられるように夫にいろいろな春をお伝えしたいなと思います。退院後すぐからせん妄が既にでており、「喉の乾き」と「座りたい、立ちたい」の欲が止まりません。やり切るまでずっと主張します。また、昼夜も完全に逆転しており深夜に特に激しくなるので私とお義母さんが交互に見守り要望を叶えていきます。頭痛も治まっ
今日はこの本。ケアマネが教える失敗しない施設選び:介護が必要になった親の住まいを選ぶ本Amazon(アマゾン)短いのでさらっと読めます。メインはサービス付き高齢者住宅や有料老人ホームを選ぶときのお話です。そういえばこういう本って特養や老健の選び方ってないよね?選ぶ余地が少ないから???施設のパンフレットを見る時にトイレの数を確認せよ、なんてアドバイス、なるほどな~と思いました。個室だからトイレ完備…かどうかは施設によ
こんにちは、はーちゃんです。昨日まであんなに元気だったこーちゃんの容態が急変しました。『ごちそうと麻痺と散歩【3月14日〜3月15日】#妻より』こんにちは、はーちゃんです。麻痺や頭痛と向き合いながらも日々充実した生活を送っていますごちそうと散歩【2024年3月14日】気分の悪さや吐き気を少し感じてはい…ameblo.jp覚悟はしていたのに、やはり突然になると動揺を隠しきれません。救急搬送・入院【2024年3月16〜18日】この日の私は不安からの寝不足で少し不機嫌でした。その様
夫が食べず、話さなくなってから、27〜38日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月11〜16日手術から10〜15日後オンライン面会はできないので、基本的に何か用事があった時に病院から電話がかかってくるのを待つだけしかできない。夫の様子は全くわからない病院のスタッフさんたちと何か会話をしているのだろうか?ほんの1ヶ月前までは、普通に日常を過ごし、家族と話し、テレビを見て携帯を触って過ごしていた日々を今は一日中何をやって過ごしているの
うちの夫の場合、前兆はこれと言って思い当たることがありませんでした。2023年2月13日、あの日は夜勤明けで小雨が降っていたので、夫を車で駅まで迎えにいきました。前日、夜勤へ出勤する時はいたって普通、、、だったような気がします。しいて言えば、電車に乗る前に珍しく財布を忘れたと電話があり、駅へ届けに行ったぐらい。今思えば、それが前兆、、、??夜勤が終わり、迎えの車の中で夫は無口。最近口内炎ができしゃべりずらそうにしていたし、疲れているのかな、と思いましたが、
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日明け方5時10分に電話がなる。(4時50分にも一度電話があったみたいだが気づかなかった)病院からだった。「容態が急変しました。今すぐ病院へ来られますか?」と。まず夫の両親に電話をして、子どもたちを起こして急いで病院に向かった。昨日の医師からの話では、今日明日でどうこうなることはないけど予断は許さない、というお話だった。まだ、逝かない
2024.04.11主治医のいる地元の総合病院へ転院。9:30に『今病院出発しました』と連絡が…11時着と言っていたのにもう出た道が混んでなければ10:30前に着くじゃん大急ぎで母と姉に電話して、地元の総合病院へ向かう。10:30前に着くとすでに前医の車が到着しており、父の姿がない受付をして入院手続きをする。病棟へ上がると主治医からの説明が。•肝臓の状態がよくない。•ビリルビン値は9(通常1.5未満)(この前会った時に黄疸もでていたから、高いだろうとは思っていた。)•
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日午前7時過ぎ、手術が始まった。本当は2日後に、他の大学病院からも医師が集まり最新技術のもとなるべく脳の大事な部分を傷つけないように手術が行われるはずだった。昨日の今日で、こんなに急激に腫瘍が大きくなるとは。。。「何かありましたらすぐお呼びしますので」と言われていたので待合のロビーで医師や他の患者が自動ドアで出たり入ったりするた
なんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!2023年4月12日手術から42日後あたりこの日は、13年前に死産した双子の赤ちゃんの命日です。夫にも動画でそのことを伝えると、伝わっているかどうかはわからない
月曜日。母の体調がなんだか思わしくない。とはわかっていながら…。出勤した。ケアマネさんには、各サービスに状態観察を依頼。月曜日は半日出勤なので、まあなんとかなるかと…1時頃帰宅。🏠私は、夜間の母コールで起こされ寝不足な事もあり、ビール🍺飲み、昼寝。母さんに異常はなし。夕食時。椅子に座るが前傾姿勢。頭もタレ。あきらかに、おかしい。身体も熱い。🌡熱を測ると38.1ベッドへ臥床し、頭、脇、鼠蹊部にクーリング。カロナールも飲ませた。💦そのまま、夜間様子みて明日は、受診だな…
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>2023年9月9〜28日
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々もうやるしかない。在宅介護の準備202
本日、退院します。夫は仕事が忙しすぎて休めず。一人で迎えに行くことになりました。訪問看護師さんが自宅で待っててくれることになっているので、なんとかなりそうです。退院にあたり、いつもお世話になっている事業所さんに連絡。入院の時もだけど、抜けてないか?心配。こういう時って、高齢の方だとケアマネさんが連絡してくれるのかな?結局、往診は金曜日の午前になりました。そして、カフ圧は、シリンジで一度抜いてから、0.8mlの空気を入れるということでした。PICUでは、一日3回計っていたそうだけ
旦那さんの入院中毎日がパロディです。早朝には隣のベッドのお爺さんがトイレに出た隙にそのベッドで違うお爺さんが部屋を間違えて就寝。。あのさドリフやないねんから。。笑ったらあかんけどそれ、どうなん?(笑)そして昨日の私のブログ『病院の薬管理であえて問う。』4月1日から1週間ぐらいの予定だった旦那さんの入院。今も継続中です。1回目に打った抗がん剤から炎症値が上がり1日3回の抗生剤を打ちながら抗がん剤治療となりまし…ameblo.jp妹の顔色がみるみる曇りそれ、あかんやろ?と
2024年4月22日いつものごとく長くなったけれど、全文掲載します。お時間のある時にお読み戴ければ幸いです。【ハンサム栗の日常】今日もボクは眠いのだよっこらしょどっこいしょおててとあんよがめっちゃ可愛い栗ちゃんです。「T医師に相談1」からの続きです。母も同席して診察室へ。マノン「T先生、私、もうすべてがしんどくて動けなくなる日も近そうです。痰もすごくて今日の午前中に出た痰を持参しました」(150ccほど溜まったボトルを見せる)T医師「これ一度でですか
84歳の実母脳梗塞の手術直後から軽い認知症の気配が…昨日…母の診察のために…総合病院へ行ってきました。母は…脳梗塞の手術をして…それからは…2ヶ月ごとに…通ってるんですけどね。で…母は…診察のたびに…3つの薬を…処方されてたんです。・胃薬・血圧を下げる薬・血液をサラサラにする薬で…昨日の診察では…次のような会話をしていました。【先生】『いつも通り、薬を出しておきますね』【私】『胃薬は、必要なんですかね?
夫が食べず、話さなくなってから、20〜26日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月5日手術から4日後待ちに待ったオンライン面会。目を開けている!!!手を動かしている。こちらの声掛けに反応しているように見える。けど、、、タブレット越しの私たちのことは認識しているのかどうかわからない大きな声で一方的に話しかけた。会話はできない。目はうつろ。無表情。全く別人の夫がいる。そんな夫を見て、子どもたちは黙っている右手は動いているが、左
人生は後悔の連続であり、在宅介護も同様に「もっとああすれば良かった」「こうすれば良かった」「もっと優しくすればよかった」とか後悔は必ず誰にも残ります。在宅介護でも後悔が残る訳で、施設に預けた場合家族は一生重い荷物を背負って生きなければならないのでは思い、私は現職の頃は在宅介護を勧めてきました。今は、介護者がいなくても「訪問介護」「訪問看護」「訪問医療」の三点セットで殆どの高齢者は自宅で人生を終えることができます。しかし中には、世話になった親に恩返しがしたい、どうしても自分で親の
息子たちが東京へ巣立ちやっと自分の人生のやりたい事が始められると思っていた矢先そわそわし始めてたのが実家の母特別な用事があるわけじゃないのに電話が頻繁にかかってくるようにまだ母は認知症では無いのですが昔からせっかちな性格でした早く知りたい!前のめりというか前々から決まったら連絡するとあれほど言ってるのに分かってて聞いてくる母宗教活動が忙しいので今は良いけどやることが無くなると関心は私の方に向いてしまうので母には宗教をずっと続けて欲しいし母がソワソワしている理由は
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目20