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45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこど
人生は後悔の連続であり、在宅介護も同様に「もっとああすれば良かった」「こうすれば良かった」「もっと優しくすればよかった」とか後悔は必ず誰にも残ります。在宅介護でも後悔が残る訳で、施設に預けた場合家族は一生重い荷物を背負って生きなければならないのでは思い、私は現職の頃は在宅介護を勧めてきました。今は、介護者がいなくても「訪問介護」「訪問看護」「訪問医療」の三点セットで殆どの高齢者は自宅で人生を終えることができます。しかし中には、世話になった親に恩返しがしたい、どうしても自分で親の
X(旧Twitter)で「高齢者施設にレクリエーションは不要。生活介護以外の仕事は職員の負担でしかない」っていうのを発見。こういうの、定期的にあがるよね…。確かにいただいている料金は「排泄、食事、入浴介助と3食とおやつの食費」だけなんですよね。老健はあと医療費とリハビリ費ですかね~。わかります。レクリエーション、職員にとっては「余計な仕事」。わたしもレクやれ、レクやれと言いながら申し訳ないな~って思っ
先日のこの記事のお母さん。『職員の悩み事』先日職員から「入院中の母親の老健を探している」と相談されました。え~うちに連れてきたらいいやん!「いや~。めっちゃナースコールが多くて文句ばっかり…ameblo.jp無事(?)当施設にご入所となりました~(笑)。入所に反対だったのは職員だけで当のお母さんも他の家族もうちの施設希望だったんだってさ。お母さんは「親子であることは秘密にしておいてあげるから!〇〇さんってアンタのことも名字で
ごきげんようつたないブログをお読みいただきありがとうございますコメントも、、ほんとうにありがとですこのところ母が不穏でコメントのお返事ができずごめんなさいアドバイス等しっかり頭に入れていますそこでさっそく今日は母の口腔ケアを行いましたいつもはガーゼで行いますが専用のスポンジを買ってきましたやはり専用のアイテムですと奥の方までケアできますね今日は水分摂取も進まず口腔ケア後を期待しましたがやはりあまり進まずでした。。口の中に水分を含んだあ
ごきげんよう日曜日と月曜日は、、母の在宅日でした。。母は、、全く起き上がれないわけではなく全く飲まないわけではなく全く食べないわけではなくけれど、、一日のほとんどの時間を眠って過ごし命を保つ程度の水分とほとんど足りない栄養を摂り今日はデイサービスへ出かけましたわたしに微塵の不安も感じさせない介護士さんの変わらぬ笑顔大丈夫と思わせてくれる安心感を得られる笑顔です介護士さんはわたしの話を神妙になり過ぎずに聞いてくださるでも決して
2024.04.11主治医のいる地元の総合病院へ転院。9:30に『今病院出発しました』と連絡が…11時着と言っていたのにもう出た道が混んでなければ10:30前に着くじゃん大急ぎで母と姉に電話して、地元の総合病院へ向かう。10:30前に着くとすでに前医の車が到着しており、父の姿がない受付をして入院手続きをする。病棟へ上がると主治医からの説明が。•肝臓の状態がよくない。•ビリルビン値は9(通常1.5未満)(この前会った時に黄疸もでていたから、高いだろうとは思っていた。)•
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>2023年9月9〜28日
夫が食べず、話さなくなってから、27〜38日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月11〜16日手術から10〜15日後オンライン面会はできないので、基本的に何か用事があった時に病院から電話がかかってくるのを待つだけしかできない。夫の様子は全くわからない病院のスタッフさんたちと何か会話をしているのだろうか?ほんの1ヶ月前までは、普通に日常を過ごし、家族と話し、テレビを見て携帯を触って過ごしていた日々を今は一日中何をやって過ごしているの
うちの夫の場合、前兆はこれと言って思い当たることがありませんでした。2023年2月13日、あの日は夜勤明けで小雨が降っていたので、夫を車で駅まで迎えにいきました。前日、夜勤へ出勤する時はいたって普通、、、だったような気がします。しいて言えば、電車に乗る前に珍しく財布を忘れたと電話があり、駅へ届けに行ったぐらい。今思えば、それが前兆、、、??夜勤が終わり、迎えの車の中で夫は無口。最近口内炎ができしゃべりずらそうにしていたし、疲れているのかな、と思いましたが、
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日明け方5時10分に電話がなる。(4時50分にも一度電話があったみたいだが気づかなかった)病院からだった。「容態が急変しました。今すぐ病院へ来られますか?」と。まず夫の両親に電話をして、子どもたちを起こして急いで病院に向かった。昨日の医師からの話では、今日明日でどうこうなることはないけど予断は許さない、というお話だった。まだ、逝かない
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日午前7時過ぎ、手術が始まった。本当は2日後に、他の大学病院からも医師が集まり最新技術のもとなるべく脳の大事な部分を傷つけないように手術が行われるはずだった。昨日の今日で、こんなに急激に腫瘍が大きくなるとは。。。「何かありましたらすぐお呼びしますので」と言われていたので待合のロビーで医師や他の患者が自動ドアで出たり入ったりするた
なんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!2023年4月12日手術から42日後あたりこの日は、13年前に死産した双子の赤ちゃんの命日です。夫にも動画でそのことを伝えると、伝わっているかどうかはわからない
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々もうやるしかない。在宅介護の準備202
こんばんは、はーちゃんです。病気を見つけてから、再び4月を迎えることができました。本来だったら一緒に桜を見に行きたかったのですが流石にそれはできない状態です。少しでも季節を感じられるように夫にいろいろな春をお伝えしたいなと思います。退院後すぐからせん妄が既にでており、「喉の乾き」と「座りたい、立ちたい」の欲が止まりません。やり切るまでずっと主張します。また、昼夜も完全に逆転しており深夜に特に激しくなるので私とお義母さんが交互に見守り要望を叶えていきます。頭痛も治まっ
こんにちは、はーちゃんです。昨日まであんなに元気だったこーちゃんの容態が急変しました。『ごちそうと麻痺と散歩【3月14日〜3月15日】#妻より』こんにちは、はーちゃんです。麻痺や頭痛と向き合いながらも日々充実した生活を送っていますごちそうと散歩【2024年3月14日】気分の悪さや吐き気を少し感じてはい…ameblo.jp覚悟はしていたのに、やはり突然になると動揺を隠しきれません。救急搬送・入院【2024年3月16〜18日】この日の私は不安からの寝不足で少し不機嫌でした。その様
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目20
美術の授業で描いた絵を、美術の先生がとても評価してくれた。介護の破壊力を知った15歳高校1年生の春でした・・・。続く(次回4/24更新予定!)⭐︎これまでのお話し⭐︎↓↓↓『昔話〜第1話〜』ところが・・・。家に電話をしても、母は出なかった。あの時、そうやって自分に言い聞かせたことを覚えています。続くameblo.jp『昔話〜第2話〜』私は、なみちゃんに電話を借りた。私は、帰宅することにしました。私を心配して、なみちゃんは一緒に着いてきてくれたのでした。続く(次
心身ともに苦しくてたまらない1日。全身が激痛でたまらない。うつ病の悪化の激痛なのか線維筋痛症なのか区別がつかない。気力だろうが気合だろうが入院している母の誕生日だから逢いにき母の笑顔をいっぱいにしてあげたかったのは出来て良かった。いつものように私が椅子に座り母をお姫様だっした事。母に誕生日プレゼントを渡すと笑顔。ラッピングを外してこちらのプレゼントを見せた。母は「わぁ、ママが好きな洋服」といい最高な笑顔を沢山みせてくれた。
84歳の実母脳梗塞の手術直後から軽い認知症の気配が…いきなりですけど…私なんかのブログでも…定期的に…『アメトピ』これに…載ったりしています。先日は…以下の記事が…アメトピに載ってました。⇒声を荒げて孫に『金くれ』と言う母!で…その記事を投稿して…3日後(昨日)に…次のようなコメントを…頂いてたんですョ…(^^コメントを下さった方…ありがとうございます…m(__)m頂いたコメント怒るのは、怒れば自分の願いが叶う
夫が食べず、話さなくなってから、20〜26日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月5日手術から4日後待ちに待ったオンライン面会。目を開けている!!!手を動かしている。こちらの声掛けに反応しているように見える。けど、、、タブレット越しの私たちのことは認識しているのかどうかわからない大きな声で一方的に話しかけた。会話はできない。目はうつろ。無表情。全く別人の夫がいる。そんな夫を見て、子どもたちは黙っている右手は動いているが、左
🟢90歳実母🟢要介護4🟢認知症末期症状🟢在宅ひとり介護中〜現在の介護形態〜🟠月曜〜土曜ディサービス半日利用⚫︎家族送迎⚫︎帰りは自宅まで送って貰える⚫︎当日の朝の母次第で利用可否判断可能🟠日曜自宅「いい加減にしてよ💢」今朝久しぶりに母に怒鳴ってしまった。朝はディサービスへ行く時間を逆算して丁度良い時間に起こすのですが大体いつも6時位から起きて母は活発に動きます。ディサービスに送りたくても早すぎるんだよね。この時間から起きてしまうと送りたい時間には疲れて横になろうと
車椅子の変遷を書いていきますね。車椅子に初めて乗れたのは2020年夏倒れてから2年が経っていました。初めての在宅当初は家に帰れただけでうれしいベッドの次、なんて考えらえる状態ではありませんでした。その後、何度も命を脅かせながらようやく落ち着いてきたころ外の空気に触れさせてあげたい!そう思うようになりました。そして、ウッドデッキを作りました。完成当初現在お庭を改造し、外から見えにくくしました
おはようございます、はーちゃんです。やっとブログが今に追いつきそうです。頑張って書いてたら長くなるし色々やりながらだと気づいたら日が変わってたりしますね。こーちゃんの不安がピーク【2024年4月8日】相変わらずおしゃべりさんではありますが介護ベットの角度変更でしか座れなくなりました。角度をきつくしただけで首が痛すぎるようで(夫){やっぱり無理だ〜〜寝かせてくれ〜〜我慢するから座らせてくれ〜やっぱり無理だ〜〜うわ~〕の繰り返しになってきました。夫なりに頑張っているの