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おひさしぶりです。国立前期合格発表の頃になると、毎年あの時のことを思い出します。一浪目、模試の判定も良く息子の実力があれば十分に合格できるだろうと思って受けた大学。合格者の中に息子の受験番号が無かった時のあの絶望感…以前も書いたと思うのですが、私の平凡な人生の中には一度もそんな絶望を感じるような出来事はありませんでした。それは夫も同じことを言っていて、自分の人生の中で一度だけ絶望したことがあるとすれば、あの時だけだったと。絶望して涙が枯れるほど泣いて、それでも再び
おひさしぶりです。かなり長い間更新できなくてすみません。このブログを読んでくださる方のために必ずこれだけは書かなくてはいけないと思ったのが「二浪した息子の就活がどうだったのか」ということでした。コロナ禍で各企業による採用がここ数年抑え気味だったと思うのですが、それが今年度は逆転して採用枠が増えたのか学生の売り手市場になったと聞きました。このような特殊な状況でしたのであまり参考にならないかもしれませんが私が感じたのは「二浪したことによって就職が不利になることは全く無か
我が家の受験体験記をすべて書き終えて、いまはほっとしています。ブログを書くかどうかずっと悩んでいて、我が家のような、あまりにも特殊なケースの受験体験記を書いても、誰の役にも立たないのではないか、ただの面白い受験体験記として読まれて終わり…になってしまうのではないかと不安に思っていました。一浪時の予備校での一年間、そして不合格の場面などは、当時のことを思い出して書くうちに、精神的に不安定になり、具合が悪くなってしまうほどで、やっぱりブログなんて書かなければ良かったと少し後
二次試験の日を迎えるまで、私は淡々と家事や仕事をこなし、その日まで無事に過ごせることだけを願っていました。たとえ模試でA判定を取っていても、センターで十分な点数を取っていても、ここで、息子はもちろんのこと、私が病気にでもなったら、すべての苦労は水の泡となってしまいます。休日も出かけないようにしたり、仕事の後も、いつもだったらちょっと寄り道をして帰ることもあるのに、スーパーでの買い物もさっさと済ませ、まっすぐに自宅に帰っていました。この頃は家にいる時以外は、いつもマスクをし
4月上旬、息子と2人で東京に向かいました。部屋探しは意外とスムーズに1日で終わりました。都心からは離れたちょっと田舎で、不動産相場が安い路線。そのような所の賃貸物件を狙っていくつかの不動産屋さんと、ネットで連絡を取りました。最終的に積極的に物件を探して紹介してくれた業者さんに案内をお願いし、3か所ほど行きました。その中の一つの物件が、家賃は一番安いのに、一番綺麗で、間取りも理想的で、静かで、こんな部屋が存在して、しかも4月上旬まで残っていたなんて奇跡かと思いました。
秋の冠模試で、息子はB判定だったことがありました。しかし、私がそれを知ったのはずっと後でした。息子は絶対に志望校を受けたくて、B判定だった模試の結果を隠していたのです。一回でもB判定だったら、違う大学を受けることになっていたからです。なぜB判定だったのか…息子にはその理由がわかっていました。前の晩によく眠れなくて睡眠不足のまま模試を受けたら、簡単に解ける問題も時間がかかってしまったり、凡ミスしてしまったりしたのだそうです。だからしっかり寝られたらこんなことにはならない。絶
後期試験を受けに行ってきました。早めに現地入りして、まずは物件探し狙っていたお部屋は、前日に仮予約が入ったらしい😢5部屋ぐらい内見して、次女の希望で1番高いお部屋を仮契約しました。私が狙っていたお部屋はキャンセル待ちになりました。仮契約のお部屋より12000円も安いし、大学まですぐという好立地なんだよね。試験が終わるまで、ガストでまったり。私の持っていた優待券は今月末まで。また行かないとね。清々しい顔で戻ってきた次女。試験は上手くいき、大学の雰囲気がとても良く、校舎も綺麗だったら
二浪目のとき、私は息子にあることを約束させました。それは、次の受験でその大学を受けたいと思うのならば、模試でA判定を取り続けなさい!ということでした。B判定なんて、ちょっと体調が悪ければ、ちょっと苦手な問題が出れば簡単に落ちる。(←一浪目)C判定なんて他人の何倍も努力しなければ無理(←息子には無理)D判定やE判定なんて論外。受験料の無駄。A判定だって、運が悪ければ落ちるのです。特に万が一のために受ける私大だって、合格者数を絞っているせいか、どんどん厳しくなってい
国立大学の前期試験を受けるため、息子はひとりで旅立った。その頃の息子は縛られない自由な浪人生活にどっぷりと浸っていたので『誰にも縛られない予備校生活』高校を卒業したあと、予備校に入校した息子。その間、約一ヶ月程の時間があったのだが息子が必死に勉強していた、という記憶は、無い。予備校の授業さえ始まれば、息子も…ameblo.jpひとりでホテルに泊まって、朝時間通りに起きて受験会場へ行けるのかがとても心配だった。しかし大学生協での説明会も突如中止となり、『世の中を一変させた出来事』一度
年末年始にかけて、私はとにかく精神的にきつかったという記憶しかないです。またセンター試験で失敗して信じられないような点数を取ってしまったらどうしようか…。私立大学に行くことになったらどうしようか…。毎日息子の受験のことを考えると吐き気がしていました。二浪すると、浪人中に成人式を迎えることになります。うちは男の子なので特に気にならなかったのですが、成人式の日、職場のテレビで成人式のニュースを見て、『ああ、今日は成人式だったんだ。』と、ちょっと寂しい気持ちになったことを覚えて
息子は一浪時代の予備校と寮生活がきっかけで、睡眠障害になりました。受験生にとっては命取りと思えるほど怖い病気です。息子が二浪することになってしまった原因のひとつだと思います。タイトルには『治すために』と書きましたが、実際には受験のときにも治ってはいませんでした。受験に影響が出ないように、いろいろな努力をしたという程度です。まず、うつ状態と睡眠障害は密接な関係があると思ったので、うつ状態を治すために運動をさせ、体を動かすことによって、疲れて夜少しでも眠れるようにと考慮しま
🗓️ちょこっと絵日記:土曜日3月:国立大合格発表✏️📝少食男子入試MEMO第1️⃣志望=国立♡♡大学⋯前❎️ザンネン⋯ドンマイ第2️⃣志望=私立○○大学😬学部⋯共❎️&個🈴決定!!😲学部⋯個🈴第3️⃣志望=私立□□大学⋯共🈴&個🈴第4️⃣志望=私立△△大学⋯併🈴&個❎️途中Cancel第5️⃣志望=私立♢♢大学⋯共🈴🥢超手抜き家飯🥄土曜日🍴ガンバッタネ⋯🥹
心の準備をする時間もなく、東京に行ったところで、必ず良い結果が得られるという保証があるわけでもなく、そうするしかなかったという状況で、知らない街に住み始めた私たち親子は、それぞれが少しずつここでの生活に慣れていきました。息子はイケメン塾での勉強をメインに、アルバイトとジム通いと散歩の日々。一浪目の予備校時代とはまったく正反対の、のんびりとしていて、誰と競うわけでもない毎日。それは息子の性格に合っていたようで、表情も明るくなり、トゲトゲした言動もなくなってきました。世間
東大100名受かっていた時から変わっていない、今でも通用する教材・授業方法・進度を共有します。この伝統的なカリキュラムは、数々の生徒を東大や国立大学医学部などの名門大学に送り出してきた実績があります。ラ・サールの授業の進め方の大枠は、・黄チャート→教科書・教科書傍用問題集「オリジナル」→1対1対応の演習(東京出版)→重要問題集(数研出版)・同時に5~7人ほどを黒板の前で解かせて→それを教員が添削・解説していくスタイルこのやり方は30年以上変わっていません。30年以上変わらず、今でも通用
息子二浪目のとき、私は息子に受験する大学について一つだけ条件を出しました。それは、模試でA判定を取り続けるということでした。一度でもB判定が出るようなら諦めるようにとも言いました。(一度だけ冠模試でB判定が出たようですが、私に結果を隠していました)模試の結果は絶対だと思っていたわけではありませんが、模試でA判定が出るような位置に居続けなければ、(現役時、一浪目の結果を考えて)息子の合格はかなり怪しくなるだろうと思っていました。なりふりかまわず私が上京までして始まった二
ちょっとずつフォロワーさんも増えているので、何も更新しないのも申し訳なくて何か書こうと思うのですが、子どもは『二浪した息子』一人だけなので、いまは受験のことも疎くなってしまって。考えたら、子どもは一人だったので、二浪という、ありえないことをしてくれたけれども、子どもが二人いて一浪ずつした、とでも思えば、気が楽になるのかもしれませんまあ、子どもが二人もいれば一人くらい優しくて気が利く子で、母の日に何かプレゼントしてくれるようなそんな子だったかもしれませんが、現実は一人息子で、
先日、探しものをしていて、東京で暮らしていた頃の書類を見ていたのですが、その中からイケメン塾からの請求書が出てきました。それを見て、イケメン塾に振り込んだ毎月の塾費だけが、息子のために支払ったたくさんのお金の中で、唯一、いまでもこのお金を払って良かった、本当に息子のためになったと納得できる教育費だったと、そう思いました。反対に一番無駄だったと思うのが、浪人一年目に通わせた大手予備校です。いまでも、この一年さえなければ…こんな選択をしていなければここまで悲惨なこと
いろいろなブログを読んでいると、遠方から受験するとき親が付いていくかどうかということについて、そんなことも一人で出来ないようでは…みたいな意見もあって、しっかりしたお子様をお持ちで羨ましいですと思ってしまいます。我が家なんて入試の時に親が付いていかなければ、絶対に合格できない状況でしたし、入試の時だけではなくて、二浪目はまさに親子二人三脚で一年間乗り切って、それでやっと合格を手にしたようなものなので、世間一般から見ると滑稽なというか、馬鹿な親子に見えるのだろうなと思ったり
暗い内容の話を書いたので、今日は前向きな話題に切り替えたいと思います。息子の通っている大学、私はとても気に入ってます。キャンパスや大学の設備なども想像を超えるほど素晴らしかったのですが、(これはどの旧帝大を受験しても思ったことです)いちばん満足しているのが、学生に対するサポートが素晴らしいということです。一人一人の学生を本当に大切にしてくれている、そう感じることが多いことでしょうか。息子が言うには、いままで教わったすべての教授が熱意を持った授業をしていて、学生
昨日と一昨日は旧帝の次点、地方の難関国立大学群「金岡千広」を紹介しました。次に有名なのは地方準難関、もしくは中堅上位国立大学群「5S」ですね。5Sは一応大学名の頭にSがつく、埼玉大、静岡大、信州大、滋賀大、新潟大の5つです。新潟は「N」じゃん。でも新潟大は愛称が新大(しんだい)でSになっています。ではその次は?かなりどんぐりの背比べにはなってくるのですが、「富長愛香」(とみながあいか)って知りませんか?「富長愛香?」知らんなぁ。と言う人もいるでしょう。私も去年?一昨年?まで知り
次男の大学出願をすべて終えてホッと一息ついてるケイママですやれやれ本日はサービス業のパートの事務仕事の日でして月末と月初めは事務員になるわたし9時に出勤して13時には事務仕事が終わったのでとっとと帰りましたえへそして郵便局🏣に直行し無事に次男の国立大学前期後期の出願書類を郵送して来ました♪はぁドキドキ💓私が窓口で郵送をお願いした直後に高校生らしき男子とその母親が窓口に並び手には明らかに国立出願封筒と思われる角2封筒を2通持って出願していました!どこの大学かまでは
息子が、センター試験の結果をイケメン先生に報告すると、イケメン先生は、『お母さん、安心したでしょう?』と、まず言ってくださったそうです…イケメン先生とは入塾の時に一度お会いしただけで、結局面談の申し込みもせず、すべてお任せしてしまったけれど、遠い地方から上京してきて、子どもを必死に支えている母の存在を、ずっと気にかけてくださっていたのだと、そのとき初めて知りました。なんて素晴らしい先生なのでしょう。ただ生徒に勉強を教えるだけではなく
男の子は多少苦労させたほうがなんとなくいいような気がして、指定校推薦や確実に入れる大学への現役進学より、一浪してもいいから一般入試で志望校へと、息子が高校生の頃、私はそのように考えていました。現役合格にはまったくこだわっていなかったのです。入学できればどこでもいいわけではない、本人が納得のいく大学へ進学させなければいけないとそれをいちばん強く思っていました。息子は中学時代も高校時代も、ずっと学校に行きたくないと言い続けていました。学校の勉強が楽しくないというのが理由です。
昨日ブログを書いたのですが、書き終えてUPする寸前に操作ミスで全部消えてしまい、途方に暮れてしまいました二時間もかけて書いていたのに一瞬で消えてしまうなんて…。丸1日経ってやっともう一度書き直す気力が戻りました合格発表の次の日かその次の日、このあたりの記憶があやふやですみません。入学の書類が届きました。表に大学名が入った、しっかりとした大きな封筒で、ずっしりと重くて、この封筒を郵便配達の方から受け取ったとき、あらためて合格の喜びを感じました。嬉しくて、その大きな
とうとう息子が森の家を出て行く日がきました。息子はここの環境がとても気に入っていて、大学に入ってからも、森の家が恋しいと言っていました。しばらくホームシックにかかっていたほどです。ホームシックって普通、生まれ育った家に対して思うものですよね?たった一年しか住んでいない、しかも二浪していて自分の人生の中では暗い一年だったはずなのに、ホームシックになるほどこの森の家が好きで、ここでの生活はとても平和だったと。なんだか不思議に思います。でも、考えてみると、ここでの生活はとに
長男がこの春、旧帝大の1年生になる。高校1年生にA判定(国・数・英で判定)が出て、高2で教科に理科が追加されて以降、EかD判定を延々と取り続けた長男。共通テスト模試では苦手な社会科(世界史)により、同じく低空飛行を続けた長男。高3の6月までクラブを続け、クラスメイトより受験勉強は出遅れた。どんだけマイペースやねん。大丈夫なん?とハラハラした。共通テストまであと3ヶ月ぐらいになって、塾で受けていた世界史の映像授業を片っ端から見たり、過去問で間違えた問題の時代を、前後含めて覚え始めたり、とは
3月に入り終わってスッキリしたことが今のところ2つあります。1つは、確定申告。なるべく2月中に終わらせるつもりだったけど、3月になってしまった…まぁギリギリではなかったからクリアということにしよう!自営業や個人事業主だと、この時期はホントにストレスの一つになるよね。毎年のことだから慌てないように日頃から準備しときゃいいのは百も承知だけど、日々の業務につい余裕がなくなってこの時期がきてからバタバタ。終わってホッとしてます。もう一つが、長男の国立大学受験。無事に合格する
こんにちは。いつも愛読しております。こんにちは繰り上げ合格のお話、ということで、お役に立てるかどうかわかりませんが。メッセージをありがとうございますかなり昔の話です。国立大学A日程・B日程、両方から同日に繰り上げ合格の電話連絡が入った友人がいます。3月末(20日すぎ)だったかと。C日程受験日が、15日ごろだったと思うので。募集要項に連絡日は書いてあったので、一応、電話の前で私も待機していた覚えがあります。確か、「〇コールでとれなければ、次の人へかけます」だったかと。我が家は姉兄の国立
今回は数Aの範囲から、チェバ・メネラウスの定理と三角形の面積比の問題を扱います。チェバ・メネラウスの定理から確認していきましょう。チェバの定理△ABCの3辺BC,CA,ABまたはその延長上にそれぞれ点P,Q,Rがあり、3直線AP,BQ,CRが1点Oで交わるときが成り立つ。メネラウスの定理△ABCの辺BC,CA,ABまたはその延長が1つの直線とそれぞれ点P,Q,Rで
今回は数Ⅱより円の接線について扱います。円の接線の求め方は様々ありますが、今回は点と直線の距離を用いる方法を紹介します。この方法を用いる1番のメリットは時間のロスが少ないことです。他の方法(例えば、接線ならば円と直線の交点がただ一つなので連立して判別式D=0を用いる方法など)は何回も展開と式の整理をしなくてはなりません。しかも応用問題になればなるほど計算が複雑になりミスが増えます。点と直線の距離を用いる方法ならば、圧倒的に使う式が少なくて済むのでこちらの方法をお勧めします。今回の