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今回のタイトルは、やや大袈裟ですが、改めて「ウィトゲンシュタイン哲学」を考えてみたいと思います。無論、自分は”ウィトゲンシュタイン”を語れる程では無いことを十分承知の上でです…。一般的には、「ウィトゲンシュタインの哲学」というと”難解そうだ”とか”取っつきにくい”というイメージがありますが、意外にも自分にとっては”ドンピシャ(ドハマり)”といった感じでした…。当ブログの主旨である、「配給型社会(非決済型社会)」の理論的根拠に使える…、と思ったからです…。つまり、「(ウィトゲンシュタインの)言語
テセウスの船TVドラマ前置き【テセウスの船】とは、パラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性=アイデンティティーの問題)をさす。第1話生まれる前に父・佐野文吾(鈴木亮平)が殺人犯として逮捕された主人公・田村心(竹内涼真)は、母・佐野和子(榮倉奈々)と姉兄と共に、加害者家族として世間からの厳しい視線を浴び、暗闇の中を生きてきた
ドゥルーズの大著『差異と反復』を読了しました。二〇歳代の頃、単行本で出ていたものを図書館から借りて読んで以来、文庫版での再読です。若い頃、ほとんど書いてある内容を理解できいないまま、この難解な大著のコンセプトを引用しまくっていました。「反復が微細なズレを生み、その差異が新しいものの創造につながる」といったコンセプトです。しかし、再読してみると、ドゥルーズは、差異と反復を、あらゆる物事や概念の根源として位置づけており、本書は、それまで主流だった同一性を重視する哲学(思想)を根本から転倒しようとい