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3月28日に訪れた茨城県つくば市にある古墳、続きです。昨日アップした島名榎内古墳群から石棺だけが残っている島名榎内西古墳を目指したら・・・・↑あれ?前方後円墳60~70メートルはありそう石棺だけだったはず???困惑しながら近づくと・・・・↑西側から見たら廃棄物の山でしたあらためて榎内西古墳を探します↑マウンドが2つこれは古墳ではないな・・場所はこのあたり:36.052349,140.049560↑奥のマウンドは残土ですね。
中学生か高校生の頃、ニュースで流れた藤ノ木古墳から出土した靴と冠、今もけっこう覚えていますもちろん当時は「古墳」自体に興味をもってませんでしたが被葬者は穴穂部皇子と宅部皇子か?みたいな情報にワクワクしていました↑藤ノ木古墳、南東側よりベンチもあってキレイな公園として整備されています。直径48メートル、高さ9メートル、6世紀後半築造の円墳。↑解説板を抜粋、整備される前の藤ノ木古墳。ふっき~としては、これくらいが良いのですが↑コンクリートで固められた
茨城県つくば市にある谷田部台町古墳群、続きです。↑大日塚古墳、方墳、東側より道路によって削られて擁壁になっている・・・・古墳あるあるです。場所はこちら:36.037881,140.078012↑墳頂を目指します↑墳頂の大日如来様↑鼻が大きい独特な大日様↑反対側からこれは石棺材なのでしょうかね??↑墳頂には大日様とは別に石室材なのか?石棺材なのか?気になる石も。↑北側の様子↑墳丘に近づ
こんばんは。ユンで〜す今日は一日中雨やった。外仕事も出来ないし殿様が温泉に行こうって午前6時前に出発🚗すると…。目前にすごい黒煙が上がってるのが見えたん近付くと炎🔥も出てる。けど、消防車🚒が来る様子もサイレンも聞こえんし…。私、119番へ通報。火事であることと場所を伝えたん。この火事🔥のニュースは夕方、テレビで放送されたよ。3時間も燃えたんてさてとハプニングがあったけど熊本へと車を走らせたよ。こないだ行った熊本とは方向が違うと。こないだは古
今日アップするのは茨城県つくば市にある島名榎内古墳群。円墳6基、方墳1基からなる古墳群。現況、円墳2基と方墳1基のみが確認できるようです。↑森の中で見つけた道場塚古墳(島名榎内古墳群4号墳)一辺23メートルの方墳。場所はこのあたり:36.054278,140.054650↑草木が多くて、ちゃんと墳丘を撮るのが難しいです。↑墳頂は平坦です。すぐ近くに3号墳があるはずなのですが、見当たらず諦めて車に戻ろうとしたら・・・・↑小山を発見。これは
8月30日に訪れた福島県の古墳、続きです。国見町から桑折町にかけて所在する塚野目古墳群。以前は四十八塚と呼ばれ、50基ほどの古墳があったと思われますが、現状は11基が現存です。今日アップするのは塚野目古墳群に属する国見八幡塚古墳(塚野目1号墳)です↑墳長72メートルの前方後円墳。前方部が墓地として削平されてますが、航空写真では「前方部」部の名残りがよくわかります。周溝を含めると墳長は82メートル。↑国見八幡塚古墳(塚野目1号墳)、南側より八幡神社となっています
3月28日に訪れた茨城県つくば市の古墳、続きです。↑谷田部浅間塚古墳、北側の様子住宅地の中に残されている直径25メートルの円墳。谷田部台町古墳群に属します。場所はこちら:36.036711,140.081902↑南側はゴミ捨て場になっていたり、擁壁化されています。谷田部台町古墳群、「いばらきデジタルまっぷ」では円墳1、方墳1。『常陸の古墳群』では円墳3、方墳1とありますが、現況確認できるのは円墳1、方墳1との記載も。↑埴輪の破片が転がってました。
今年2月に島根県益田市で古墳巡りをしていたのですが、それには理由がありました2022年11月の新聞で「スクモ塚古墳が前方後円墳だった」という記事を見かけたので、見てみようと思ったからです20年以上前に行ったことがあり、当時は造り出し付き円墳説と前方後円墳説があって、どちらかよくわからなかったんですこれでスッキリしましたけど、前方部に方形壇があったそうで、今回はそういう目で見てみようと思いましたレンタサイクルをかっ飛ばしてきましたが、雨が降りそうでヒヤヒヤしています全長約96mの前方
2月11日南紀白浜へ行ってきた時の続きです歓喜神社から臨海(海沿い)を走り、旅館街のほうへと向かいます。南紀白浜といえば「円月島」。いやいや絵文字「」が、あるくらいですから・・・。夕陽をバックにすると尚、良しですよ。南紀白浜温泉の旅館街が見えます。お天気が悪かったのが残念です。熊野三所神社駐車場のすぐ横に足湯『御船足湯』があります。ちょくちょく前を通るんですけど、未だに浸かった事ない!いっちょ、足湯するか~!露天風呂とか、わりと入ったりしますけど、足
4月1日に訪れた栃木県宇都宮市の古墳、続きです。まずアップするのは日陰坂上古墳群。2基の円墳からなる古墳群。1基は直径約8.5メートル、高さ1.5メートル。もう1基は直径約6.5メートル、高さ1.5メートル。日陰坂上古墳群・・・・探しましたよ↑藪の中に顔を突っ込んで探していたら、ようやく1基、見つけました。墓地の後にあります。場所はこのあたり:36.587578,139.981066↑アップでもう1基は見つけられず。日陰坂上古
今日アップするのは石室が保存されている栃木県宇都宮市の古墳です↑谷口山古墳、南東側より円墳5基からなる谷口山古墳群。他の4基が現存しているのか?現地では確認できませんでした。場所はこちら:36.597594,139.892829↑谷口山古墳の解説板直径24メートル、高さ2.8メートル、6世紀後半築造の円墳。↑未盗掘で見つかった横穴式石室。人骨はほぼ元位置で確認され、最低10人の遺体が埋葬されていたことが判明しています。直刀3、鉄鏃1、耳環3、ガラス小
4月1日に訪れた栃木県宇都宮市の古墳、続きです。↑今日アップする竹下浅間山古墳は宇都宮市指定の史跡だけあって、ちゃんと案内板もあります↑案内板がないと入りにくい民家と民家の間を進みます。↑見えてきました、竹下浅間山古墳です。↑竹下浅間山古墳の解説板↑解説板を抜粋・・・・現在の築山は、危険防止のために盛土したもので、古墳の墳丘ではない・・・・うーん、それは残念↑国土地理院の航空写真、1960年代の様子地理院地図
昨日アップした竹下浅間山古墳から北東へ700メートルほどの場所。清原中央小学校のすぐ近くにあるのが、どどづか高塚です。↑フェンスに囲まれてる、どどづか高塚。北側の様子。清原工業団地3号緑地内にあります。駐車場も近くにあるので、車を停めてノンビリ観察できます場所はこちら:36.561523,139.978300↑どどづか高塚についてこの円丘は、高さ約3メートルで、以前「大塚古墳」と呼ばれたこともありましたが、その形状から江戸時代ころに造られた供養塚ではないかと考え
今日から名古屋市守山区にある志段味(しだみ)古墳群をアップしていきます↑志段味古墳群に属する勝手塚古墳は「勝手社」という神社になっています場所はこちら:35.252864,137.036271↑国土地理院の陰影起伏図地理院地図/GSIMaps|国土地理院帆立貝型の前方後円墳というのがわかります。↑訪れた日は墳頂上の社殿が修築中でした↑勝手塚古墳の解説板墳長約53メートル、6世紀初頃築造の帆立貝型前方後円墳。↑現地解説
みくるです『自律神経を整えるぬり絵日本の二十四節気をぬる』から「穀雨」のページが完成しました。「みくるの森」に投稿したのでリンクをクリックして見て下さいね【日本の二十四節気をぬる】「穀雨」ポリカラーの重ね塗りで色鉛筆を楽しむ塗り絵ブログ【日本の二十四節気をぬる】「穀雨」ポリカラーの重ね塗りで色鉛筆を楽しむこの記事では『自律神経を整えるぬり絵日本の二十四節気をぬる』より「穀雨」のページをご紹介しています。「三菱色鉛筆ポリカラー」の色んな色で重ね塗をして、色鉛筆が持つ魅力を存分に味わいま
昨年11月と今年の3月にも訪れた茨城県八千代町にある仁江戸(にえど)古墳群、続きです↑この森の中に仁江戸古墳群の2・3・4号墳の3基が現存してるはずですが、ふっき~でも諦めてしまうくらい猛烈な藪の中なので、探訪は断念しています↑こちらは仁江戸古墳群5号墳、北西側より昨年11月の訪問時は、周囲に人が数名いたので、遠くから写真を撮ったのみ。↑今年の3月12日にも訪れてみました。直径30メートル以上、5世紀代築造の円墳。場所はこちら:36.158568,13
昨年11月14日に訪れた茨城県八千代町にある仁江戸(にえど)古墳群を数回に分けてアップしていきます↑今日アップするのは香取神社古墳(仁江戸古墳群1号墳)、東側より左側が「後円」部、右側が「前方」部、墳長約70メートル、5世紀前半築造の前方後円墳。壺形埴輪の破片が大量に見つかっています。場所はこちら:36.158690,139.938561↑香取神社の鳥居↑香取神社への階段。ここから「後円」部。↑階段を登ってから振り返って
11月11日から12日、1泊で訪れた諏訪周辺の一人旅。今日から2日目の話題です↑諏訪大社上社前宮、国道より↑木がキレイに色づいています↑諏訪大社上社前宮の本殿諏訪大社上社前宮の詳細については、やはり色んな方々がブログで取り上げていると思うので、そちらを参照して下さい(笑)ここは御柱4本とも触れることができますよ(私は触ってませんが)↑本殿の解説板「本殿」となっていますが、実際は「拝殿」なのでしょうねここ
西暦672年、皇位継承をめぐって発生した壬申の乱。敗北したのは大友皇子(弘文天皇)。その大友皇子(弘文天皇)の妃、耳面刀自(みみものとじ)が葬られた古墳がある※耳面刀自は大化の改新で有名な中臣鎌足の娘ですそんな気になる伝説を初めて知ったので見に行ってきたのです↑内裏塚下古墳、南東側より↑内裏塚下古墳、北西側より写っている車はタイムズカーシェアで借りた軽自動車ハスラー↑内裏神社(下社)の鳥居と、解説板↑ちょっと見にくい解説板こ
千葉県成田市にある公津原(こうづがはら)古墳群の続きです外小代(そとこだい)公園内に公津原古墳群の30号墳から38号墳が保存されています↑まずは公津原30号墳外小代公園の南西端、昨日アップした27号墳からすぐの場所。直径10メートル、高さ1メートルの円墳。草が伸びていたので、高さが1メートルほどしかない古墳だと、あまり目立ちません↑続いて公津原31号墳直径12メートル、高さ1.5メートルの円墳。場所はこちら:35.796671,140.285481
12月28日からの一人旅(2泊3日)、最初に訪れたのは断夫山(だんぷやま)古墳でした↑断夫山古墳、東側より↑「後円」部裾にある解説板墳長151メートル、前方部幅116メートル、後円部径80メートル、前方部高さ16.2メートル、後円部高さ13メートル、6世紀初頃築造の前方後円墳。「前方」部がかなり発達した形状ということです。↑墳丘東側の様子。手前が「前方」部の裾、奥が「後円」部側となります。大きすぎて全体像がわかりませんね濠は後世のもの。本来の周濠はもっと外側
2024年4月25日。もうすぐGWらしいなあ何処に行く❔❕パパから貰うた動画(を切り取って)👆をお借りしましたm(__)m去年はオフ会あってみんなに会えたんじゃった一昨年は人混み避けて古墳巡りが多かったなあ・・・ココに行きてえが…人混みに負けるかもなあどこかダッシュ出来るところ無えかなあやっぱHOMERUNココかなあ・・・😄
11月10日~11日、1泊で訪れた諏訪大社4社巡り+諏訪湖周辺の古墳探訪、最後に訪れた古墳2基です↑二子塚古墳、南東側より「古墳」と思えないくらい変形されています↑解説板大正時代に隣の公会所建設のため、大きく変形を受けたとのこと。元は前方後円墳か2基の円墳だった可能性あり。6世紀築造。↑二子塚古墳、北西側より、右に写っている公会所側に階段があり、墳丘に上がれます↑墳丘上の様子、平坦になっており、古墳の面影はありません↑石室の一部の
現在の印西市に印旛沼はありますが、かなりの内陸部です↑古墳時代の頃の地図実は香取海(かとりのうみ)という内海が広がっていました。現代を除いて、長い歴史の中では「水運」が経済・物流では重要となりますまして外海を当時の船で長距離航行するのは危険なので、内海と河川が重要なルート。古墳時代の香取海周辺はかなり経済的に発展した地域なのでしょう。その証拠は古墳当時の香取海を取り巻くように古墳がいっぱいあります。すでに何度も印西市には古墳探訪に出かけていますがまた
先日、ブログで「真行寺廃寺」についてアップしました。『千葉県山武市真行寺廃寺』しばらく栃木県の古墳が続いていたので、今日は千葉県山武市の廃寺についてアップします↑国土地理院地図より、赤い〇や文字はふっき~が加筆地理院地図/GSI…ameblo.jp↑この真行寺廃寺から、東の方向、森の中を進んで行くと、山武市指定文化財の「石仏」があります↑こんな案内板・・・最後の分岐にしかありません途中、三叉路まであって、確実に迷います(笑)Googleマップのコメント欄に分岐の進み方
昨年末の墳活一人旅の二日目、12月29日に訪れた奈良県河合町にある大塚山古墳群、続きですまずは地名から。「穴闇」・・・・知らないと読めない地名ですよね「なぐら」だそうです「穴闇」という地名の由来は、推古天皇がこの地を通りかかった時に急病を患い「穴暗い」と言われたという説と、穴穂部間人皇女(聖徳太子の母)が大きな倉に入った際、「穴倉のようだ」と言われたという説があるようです。※「いかす・なら」の聖徳太子プロジェクトを参考にしました。↑国土地理院の航空写真(赤い文字はふっ
1月29日に訪れた静岡市にある八幡山古墳群、続きです。昨日ブログで触れた八幡神社は山の麓に拝殿、山の中腹に本殿という構造。↑こちらが八幡神社の本殿↑本殿から下に写ってるのが拝殿です。↑本殿敷地の隅に八幡山2号墳があります↑横穴式石室が開口していますが、落葉でかなり埋まっています。静岡観光おでかけガイドさんによると、墳丘をほとんどもたない横穴式石室墳。万葉集に載っている防人の歌を詠んだ有度部牛麻呂の墓という伝承があるようです。↑石