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栃木県上三川町にある下蒲生古墳群、続きです。今日アップするのは下蒲生古墳群Ⅱ支群。↑下蒲生3号墳、西側から蒲生神社参道入口の手前、周囲の木々が伐採されているので、小さな古墳ですがとても目立ちました。直径4メートル弱、高さ0.5メートルの円墳。場所はこちら:36.420911,139.898058↑北東側から『上三川町史~資料編原始・古代・中世~』によると蒲生神社境内にあり、参道半ばにある鳥居の両側・・・・と記載されてます。昭和54年(1979年)発行の書物
前回アップした出羽三山古墳から北西方向へ150メートルほどの場所にあるのが赤岩八幡神社古墳です。↑赤岩八幡神社古墳、南東側より古墳にくい込むように社殿が建てられています。規模不明の円墳。↑赤岩八幡神社の鳥居↑拝殿とコマちゃんズ↑墳丘南東側の様子↑こちらに階段があるので登ってみます左下に写っている青面金剛?さんは享保三年と刻まれていました。西暦だと1718年、8代将軍徳川吉宗の時代。↑拝殿後ろ側の様子↑墳丘北
こんばんは。古墳っぽいようなヤツに登って来ました。2代目大工の三島です。前回の桃太郎神社。→ユーモラスなコンクリート像群。犬山市の桃太郎神社へポタリング。とても楽しく興味深い場所でした。その帰り道も思い返しては楽しむ。行きと同じくノンビリなポタリング。でも時間もう少し時間もある。なのでちょっとだけ寄り道。やって来たのは各務原の蘇原。小さな小山の入口。この山頂にあるのがコレ。市隼雄命(いちはやおのみこと)墳墓です。岐阜市の一番大きな神社、伊奈波神社。ソコの祭神の子ども
今日からしばらくアップするのは栃木県上三川町にある下蒲生古墳群です。現状、6基の古墳が確認されています。↑下蒲生1号墳、北側の様子あまりに逆光なので、通常なら撮らない角度・・・・↑上の写真をアップですぐ近くの十字路、ここを通過してきたのですが、事故直後で警察が到着してすぐ?という状況でした。十字路で2台が衝突→2台とも畑の中に・・・というのが想像できる事故現場でした。↑あらためて下蒲生1号墳の様子、南西側から『上三川町史資料編原始・古代・中世』によ
3月28日に訪れた茨城県つくば市にある古墳、続きです。昨日アップした島名榎内古墳群から石棺だけが残っている島名榎内西古墳を目指したら・・・・↑あれ?前方後円墳60~70メートルはありそう石棺だけだったはず???困惑しながら近づくと・・・・↑西側から見たら廃棄物の山でしたあらためて榎内西古墳を探します↑マウンドが2つこれは古墳ではないな・・場所はこのあたり:36.052349,140.049560↑奥のマウンドは残土ですね。
昨年12月16日に訪れた栃木県上三川町にある下蒲生古墳群、続きです。昨日アップした下蒲生1号墳、下蒲生2号墳は下蒲生古墳群Ⅰ支群。今日アップする下蒲生3号墳はⅢ支群に属します。↑下蒲生3号墳は、この森の中撮影場所はこちら:36.427178,139.897798↑望遠で撮影キレイな墳丘があるのがわかります。アプローチできる道が見当たらず、諦めようかと思ったのですが・・・・↑車の中から、この鳥居が見えました鳥居があるってことは参拝(古墳探訪
11月14日に訪れた宮城県美里町の古墳、続きです。↑保土塚古墳、東側の様子大きな古墳です。直径約50メートルの円墳。場所はこちら:38.537491,141.056084↑解説板・・・・手前の植栽が邪魔だ(笑)↑あらためて解説板前方部が削られてしまった前方後円墳という説もあるようですね。それにしても、こちらの解説板の後半・・・・階級社会が形成され、古墳を作らせた物、これに使役させられた多くの下級者が現れたことを物語っています。・・・・共産主義者が書
1月28日に訪れた富津市の草木がボーボー古墳群内裏塚古墳群の続きです↑飯野中学校跡地から見た三条塚古墳、左手が「前方」部、右手が「後円」部↑この森の中、写真中央は「後円」部。左下の解説板がある所から入れます。↑「飯野ふる里散歩道4」墳長122メートル、「後円」部径57メートル、「後円」部高さ6メートル、「前方」部幅72メートル、「前方」部高さ7.2メートル、6世紀末築造の前方後円墳。↑「後円」部東側に、一部露出している石室↑天井石の一部とのこと
先日アップした稲荷塚古墳から北へ約350メートルほどの場所にあるのが下鳥渡(しもとりわた)八幡塚古墳です。↑下鳥渡八幡塚古墳、北側より場所はこちら:37.735695,140.427177↑南西側の様子↑(下鳥渡)八幡塚古墳の解説板(前略)45.5メートルの帆立貝形をした古墳であったことが明らかになっています。周囲の溝から円筒形の埴輪が見つかっていることから、古墳の上には埴輪が設置されていたことが考えられます。埴輪の特徴から、5世紀終わりから6世紀はじ
8月29日に訪れた福島市の古墳、続きです。↑二子塚古墳、北東側より大きな円墳です。直径は50メートルほどでしょうか?場所はこちら:37.753702,140.389203↑稲荷社となっています↑登ってみます↑振り返って↑墳頂では、このような大き目な石が数点元の地形を利用して築いた古墳でしょうか?↑墳頂の二子塚稲荷神社の社殿↑国土地理院より(赤い文字はふっき~が加筆)地理院地図/GSIMap
昨年11月14日に訪れた宮城県の古墳、続きです。↑今日アップする古墳は、この民家の間の道の先。↑見えてきました!京銭塚古墳の前方部です。場所はこちら:38.537013,141.062722↑京銭塚古墳の解説板墳長66メートル、5世紀代築造の前方後方墳。日本最北端の前方後方墳。※個人的な考え:解説板では5世紀末~6世紀築造となってます。前方後方墳なので、どんなに新しくても4世紀代なのでは?と思うのですがヤマト政権から離れた場所だからって理由で、新
X(旧ツイッター)、イワオ☆城と古墳と古代官道さんの記事↑こちらの画像を見かけたことから始まった古墳探訪栃木県那須烏山市にある石尊神社裏古墳(仮称)の続きです。↑おそらく前方部先端前方部の高さは3メートルほどでしょうか。↑前方部から後円部方向草木が多くて撥形なのか?柄鏡形なのか?判別つきません。あくまで感覚で柄鏡形のように思えました。↑くびれ部あたりから後円部前方後方墳だと、もっとクッキリと後方部とわかるケースが多いので、やはり前方後円墳でしょうか。
今日アップするのは福島県福島市にある稚児塚古墳。『富山県中新川郡立山町浦田稚児塚古墳』8月19日のブログでも写真を載せた稚児塚古墳です↑稚児塚(ちごづか)古墳、南東側より↑国土地理院よりhttps://maps.gsi.go.jp/#18…ameblo.jp↑稚児塚古墳と言えば富山県立山町にある直径50メートル弱ほどある稚児塚古墳を思い出します。↑こちらが福島県福島市にある稚児塚古墳直径が6~7メートルほどの小さな古墳です。場所はこちら:37.727819,1
しばらく宮城県の古墳が続いていたので、今日は栃木県の古墳をアップします。↑久保前古墳、北西側の様子とてもキレイにされてます。東西25メートル、南北27メートル、高さ約3メートルの円墳。場所はこちら:36.676594,140.088710↑南側の様子↑立派な標柱がありました。↑墳頂の様子↑墳頂の祠↑墳丘から南西方向荒川の段丘上。段丘の端に築かれたことがわかります↑久保前古墳、北東側から
(尾張国一ノ宮真清田神社)毎年恒例の…今年もやっておきましょうか。体調の問題や転職のドタバタ等があり参拝箇所はわずか1000箇所余り。7年ぶり?8年ぶり?低水準に終わりました。また遠征もあまりできず、新しい分野の開拓もほとんどできず仕舞い。…そんな1年でした。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~(大和国葛下郡石園座多久豆玉神社)【1月】体調不良やった…。敬神活動開始は12日。総氏神の石園座多久豆玉神社と氏神の今里神社からスタート。葛木御歳神社等の計4社を拝し1月
12月7日に訪れた群馬県邑楽郡の古墳、続きです邑楽町にある松本古墳群、なんと24基も現存しているというこで、以前から行ってみたくてウズウズしていたんです↑松本古墳群1号墳、南側より国道122号線に面しています。やたらに目立ちます↑南東側より直径約30メートル、高さ約2.5メートルの円墳。↑墳丘上のコマちゃんズと菅原神社↑墳丘上の様子↑松本古墳群1号墳、墳丘北側の様子松本古墳群、次回に続く
静岡県浜松市の古墳、続きです↑まずは白山神社の鳥居↑鳥居の右手(東側)に白山神社古墳があります。写真右端に看板が見えてます。↑白山神社古墳形状・規模等不明。大正15年、境内を工事している時に見つかった横穴式石室。須恵器や人骨の一部が出土しているようです。↑横から↑おそらく開口部からうーん、ちょっと並びが不自然見つかった状態ではない印象を受けます。↑奥壁?側より↑石室から北側にはマウンドがあるような感じ
東急池上線雪谷大塚駅を降りて向かったのは鵜木大塚古墳です地名や駅名の「雪谷大塚」の由来、たぶんこの古墳なのでしょう↑鵜木大塚古墳、北側より訪問日は7月24日、真夏は草木でボーボーです真冬だと、もうちょっと「古墳」らしさを感じられるのかも。↑南側より正一位大塚稲荷大明神となっています。大田区立調布大塚小学校のすぐ隣。↑かなり字が薄くなっている鵜木大塚古墳の解説板この旧荏原郡沼部附近には多くの古墳がある。これら古墳群のなかで最大の規模をもつ亀甲山古墳(多
静岡県浜松市の古墳、続きです↑今日アップする入野古墳へは、この道の突き当りを登っていきます。↑道の突き当りには階段。さらにこの先です。↑雨の中だったので、かなり滑る道でした↑見えてきました。入野古墳です墳丘北側の様子。場所はこちら:34.701228,137.690748↑入野古墳の解説板直径44メートル、高さ5メートル、5世紀前半築造の円墳。埴輪はもちません。葺石あり。↑墳頂は平坦です。↑墳頂から
明けましておめでとうございます本年もマニアックな古墳ブログ、よろしくお願いします↑新年1発目の写真は海鮮丼から去年11月14日の昼ご飯。塩釜市千賀の浦市場にある「幸進丸水産直売所」にて。ここもうまかったな~↑昼ご飯を食べた場所・・・・素晴らしい景色でした↑お腹いっぱいになったあとは、海岸部を離れて大郷町(おおさとちょう)にある諏訪古墳へ。直径15~17メートル、高さ2.5メートル、5~6世紀築造の円墳。場所はこちら:38.428916,
神武天皇の生誕伝説地のひとつに、佐野原聖地があります。佐野原聖地は神代の昔鵜葦草葦不合命が都於郡から宮居を遷されて天下を治められた所で、尊は玉依姫命をお后にお迎えになり、この地で佐野尊(のちの神武天皇)がお生まれになったと伝えられています。現地案内板より抜粋佐野原神社「佐野原」の地名は、神武天皇の幼名佐野尊(サノノミコト)に由来しているそうです。佐野原聖地は高い木々に囲まれているので、本当はもう少し暗いんですけれど、写真は見えやすいよ
2025・1/2いつも通りのお正月♪昨年は大変お世話になりました😊今年もよろしくお願いします😄*100円ショップでフェルトでできたしめ飾り😘なかなかですね*子供達へのお年玉今もほんのちょっとですが続けていますね😅これはワンちゃんのためのご馳走セット♪人間のより美味しそう〜🎵🎶😋昨年ほとんどできなかった"古墳巡り"を今年は何とかやってみようと思っていますが😅それに絵も描こうと考えています油は大変だから水彩を(水彩も大変ですが…)ブログはいつも通り毎
11月5日に訪れた茨城県大洗町にある磯浜古墳群の続きです↑日下ヶ塚(ひさげづか)古墳、左手に「前方」部、写真中央奥に「後円」部の前方後円墳。木々が多くて写真だと形状がよくわからないですね↑国土地理院の陰影起伏図地理院地図/GSIMaps|国土地理院陰影起伏図だと前方後円墳ということが、よくわかります↑日下ヶ塚古墳の解説板※データは解説板ではなく、『続常陸の古墳群』を参照:墳長101.4メートル、後円部径64.8メートル、後円部高さ10.1メー
少し前に姪っ子と訪れた愛知県犬山市にある明治村明治時期に立てられた建物が移築されためちゃめちゃ広い施設です!ここで開催されてたアニメコラボの謎解きを姪っ子ちゃんと1日楽しみました〜。謎解きの様子『明治村文豪ストレイドッグス謎解きでそれぞれオタク発揮w』少し前に妹家族と愛知県犬山市へ!猿の図鑑を持ってるほどの猿好きな妹夫婦はモンキーセンターへ私と姪っ子ちゃんは明治村へ!https://www.meijimur…ameblo.jp『中也と太宰がいちゃついてるだけやん!?明治村で文
2月11日南紀白浜へ行ってきた時の続きです歓喜神社から臨海(海沿い)を走り、旅館街のほうへと向かいます。南紀白浜といえば「円月島」。いやいや絵文字「」が、あるくらいですから・・・。夕陽をバックにすると尚、良しですよ。南紀白浜温泉の旅館街が見えます。お天気が悪かったのが残念です。熊野三所神社駐車場のすぐ横に足湯『御船足湯』があります。ちょくちょく前を通るんですけど、未だに浸かった事ない!いっちょ、足湯するか~!露天風呂とか、わりと入ったりしますけど、足
3月24日に訪れた埼玉県秩父地方の古墳、続きです今日アップするのは小鹿原古墳群に属する古墳。↑小鹿塚(おしかづか)古墳、北西側より昭和29年に公園として整備されたため、原形がわかりません場所はこちら:36.011806,139.035125↑小鹿塚古墳、南側の様子『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』では一部残存扱い。円墳、規模不明との記載。直刀が出土。ウィキペディアには前方後円墳の可能性ありとあります。小鹿塚古墳から北東方向へ小鹿原古墳群のう
2月9日に訪れた群馬県高崎市の古墳、続きです。↑旧中山道沿いにある安楽寺。こちらの境内に安楽寺古墳があります。↑ちゃんと看板も出ています↑安楽寺古墳、南西側より木立の中が安楽寺古墳。↑境内にある安楽寺古墳の解説板直径20メートル、高さ4メートル、7世紀末築造の円墳。主体部は横口式石槨。石室内部の壁面には鎌倉時代の製作と推定される仏像が7体掘られており(安楽寺の本尊)、12年に一度、巳年に開帳。↑お寺の方に声をかけて古墳へ
さて、ここからは昨年の12月に訪問した、奈良県平群町の古墳を紹介していきます。今回は、平群町春日丘にある烏土塚古墳です。まずは古墳の説明から。墳丘は全長60.5m、後円部径約32m、高さ約6mあり、この平群谷最大の前方後円墳です。つまりは平群谷の盟主が埋葬された古墳ということですね。時期としては6世紀後半が考えられています。一段築成で葺石はなく、墳丘西裾には幅約2mの区画溝が確認されています。後円部墳頂全体にブルーシートが敷かれていました。後円部の下に横穴式
今日アップするのは第30代敏達天皇の陵墓です訪問日は昨年12月28日。高校で日本史を勉強すると、廃仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子の対立が激化した頃の天皇として学びます。ちなみに敏達天皇は廃仏派で、仏教禁止令も出しました。↑国土地理院の傾斜量図地理院地図/GSIMaps|国土地理院前方後円墳というのがよくわかります墳長93メートルもしくは113メートルの前方後円墳。埴輪をもちます。↑ここから坂を上って行きます。ローソン上宮太子校前点に車を停める
こんばんは。古墳と古墳の先駆けを見てきました。2代目大工の三島です。前回の歴史民俗資料館の後。→町営なのに豪華な施設。大口町の歴史民俗資料館で紙コップを積む。帰り道に寄ったのは神社。名前は白山神社。でももちろんただの神社ではない。ちょっとだけ高い位置にあるこの場所。実は古墳の上にあるのです!さっそく長男と神社へ。階段を登った場所にある名前はオークマ。そして左にはヤマザキマザック。どちらも大口町を代表する大企業。物作り愛知を感じますね。手を合わせて長男と参拝。ちゃん