ブログ記事41件
我が家の受験体験記をすべて書き終えて、いまはほっとしています。ブログを書くかどうかずっと悩んでいて、我が家のような、あまりにも特殊なケースの受験体験記を書いても、誰の役にも立たないのではないか、ただの面白い受験体験記として読まれて終わり…になってしまうのではないかと不安に思っていました。一浪時の予備校での一年間、そして不合格の場面などは、当時のことを思い出して書くうちに、精神的に不安定になり、具合が悪くなってしまうほどで、やっぱりブログなんて書かなければ良かったと少し後
息子が、センター試験の結果をイケメン先生に報告すると、イケメン先生は、『お母さん、安心したでしょう?』と、まず言ってくださったそうです…イケメン先生とは入塾の時に一度お会いしただけで、結局面談の申し込みもせず、すべてお任せしてしまったけれど、遠い地方から上京してきて、子どもを必死に支えている母の存在を、ずっと気にかけてくださっていたのだと、そのとき初めて知りました。なんて素晴らしい先生なのでしょう。ただ生徒に勉強を教えるだけではなく
『眠れない』というLINEのメッセージが届いた日、午後仕事から帰ってきてすぐに息子に電話をしました。勉強が追いつかなくて夜中まで続けているうちに、酷いときは明け方まで眠れなくなってしまって、当然、朝も起きられない。予備校の授業を受けられなくなっただけではなく、大切な模試も受けられなかったと。だから市販の睡眠薬を買いたい。そのお金が欲しい。そんな内容でした。驚いたのは、電話なんて面倒くさくていつも早く切りたがるのに、この時はいつまで経っても話をやめず、一時間以上話して
年が明けると、すぐにセンター試験の時期がやってきました。二次試験とは違ってセンター試験は自分が住んでいる場所に近い試験会場で受験出来るので、通常であればホテルに宿泊する必要はありません。でも、我が家の場合は息子が睡眠障害であったため、もちろんセンター試験の時も会場近くにホテルをとり、私が上京して受験のサポートをしました。多くの人がホテルでの宿泊を必要としないので、この時は受験直前でもすんなりと良いホテルが予約できて、これで大丈夫だと安心したのでした。国立はまずセンター試験
息子の二浪が決定した日、私はある方にメールを出しました。本能的に、もうこの方に頼るしかないと思ったのです。息子の不合格さえしばらく受け入れられなかったくらいですから、もし二浪したら…と以前から考えていたわけではありません。ただ、受験ブログのトップブロガーさんである、その方の息子さんが通われていた塾に、数年前から興味を持っていました。正確に言うとずっと憧れていました。予備校さえないような田舎に住んでいたので、せめて関東近郊にでも住んでいたら、遠くても無理をしてでも新幹線に
春期講習に通い、予備校に慣れたら、4月中旬頃から授業が始まりました。前も書きましたが、我が家が住む地方には予備校というものが存在せず、予備校というものがどんなものなのか息子は知りませんでした。パソコンに向き合って授業を受ける○進しか経験がなかったのです。まず予備校に慣れる必要がありました。高校生時代は毎朝私が叩き起こすまで寝ていたし、いつもギリギリに登校していたので、自分で朝起きて予備校に通えるのか、それはとても心配でしたが、とりあえず夏前までは遅刻もせずに通っていたよ
昨日ブログを書いたのですが、書き終えてUPする寸前に操作ミスで全部消えてしまい、途方に暮れてしまいました二時間もかけて書いていたのに一瞬で消えてしまうなんて…。丸1日経ってやっともう一度書き直す気力が戻りました合格発表の次の日かその次の日、このあたりの記憶があやふやですみません。入学の書類が届きました。表に大学名が入った、しっかりとした大きな封筒で、ずっしりと重くて、この封筒を郵便配達の方から受け取ったとき、あらためて合格の喜びを感じました。嬉しくて、その大きな
4月上旬、息子と2人で東京に向かいました。部屋探しは意外とスムーズに1日で終わりました。都心からは離れたちょっと田舎で、不動産相場が安い路線。そのような所の賃貸物件を狙っていくつかの不動産屋さんと、ネットで連絡を取りました。最終的に積極的に物件を探して紹介してくれた業者さんに案内をお願いし、3か所ほど行きました。その中の一つの物件が、家賃は一番安いのに、一番綺麗で、間取りも理想的で、静かで、こんな部屋が存在して、しかも4月上旬まで残っていたなんて奇跡かと思いました。
もう記憶が定かでないのですが、6月頃に○進で冠模試を受けました。その結果はわりとすぐに出たような気がするのですが、(○進模試の良い所は結果が早く出ることだった気がします)いつ頃の話だったかは、もう思い出せません…。初めて受けた模試の結果は、A判定でした。まだ早い時期なので受験者数は多くありませんでしたが、順位は一桁前半だったと思います。数ヶ月前にそこよりも少し偏差値が低いところに落ちた人間が、ここでA判定を取るなんてことがあるのだろうかと、不思議に思いましたが、それよりも内
更新が遅くて本当に申し訳ありません。毎回三時間くらいかけて、当時のことを思い出しながら、ときどき涙が止らなくなってしまって書けなくなって、気を取り直してまた書くという流れで一生懸命書いています。暑い夏が終わり、8月に受けた冠模試の結果も返却された頃、次の受験はどうするのか?ということを家族で話し合う必要がありましたが、息子がやる気になっているのに水を差すようなことをしてはいけないし、どこまで待ったら良いのか迷っているうちに、秋の模試のことを考えなくてはいけなくなり
息子は週に数回塾に通い、週に数回アルバイトをするという生活をしていました。どちらも夕方に出かけていき、夜の10時頃帰ってくるという感じです。昼間は毎日自由に過ごしていました。半分うつ状態の人なので、勉強よりも何よりもまず心が健康にならなければ…と思い、私が休みのときはよく散歩に誘いました。少し遠くの公園まで行って四季折々の花を楽しんだり、珍しい鳥を観察して写真を撮ったり、川を泳ぐ魚を眺めたり。私が仕事の時でも1日に1度は必ず外に出て、散歩をするように息子には言ってあり
秋の冠模試で、息子はB判定だったことがありました。しかし、私がそれを知ったのはずっと後でした。息子は絶対に志望校を受けたくて、B判定だった模試の結果を隠していたのです。一回でもB判定だったら、違う大学を受けることになっていたからです。なぜB判定だったのか…息子にはその理由がわかっていました。前の晩によく眠れなくて睡眠不足のまま模試を受けたら、簡単に解ける問題も時間がかかってしまったり、凡ミスしてしまったりしたのだそうです。だからしっかり寝られたらこんなことにはならない。絶
現役時代の受験結果は当然×。受験結果を見ることなく、我が家では東京の予備校に入る準備を進めていました。準備と言っても洋服と勉強道具があれば大丈夫でした。予備校の寮には机やベッド、布団などすべて揃っていて、家具を買う必要もないし、本当にすぐ生活できるようでした。息子の引越荷物も段ボール数個だったと思います。我が家の場合、地方から上京するので寮がある予備校というのが絶対条件でした。だから予備校の選択肢も少なくなってしまったような気がします。でも、調べれば食事付きの学生マンショ