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昭和43(1968)年4月。南千住にあった東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の本拠地東京スタジアムのナイター開幕広告。対戦カードにはパ・リーグの東京オリオンズと西鉄ライオンズ、南海ホークス、阪急ブレーブスの対戦日程が記されているが、いずれの球団も今はもう存在せず…。当時のプロ野球人気は良くも悪くもジャイアンツ至上主義で、今となってはあまりにバランスが悪い。現在のほうが人気もフランチャイズも分散しており、よっぽど健全だ。昭和43年4月13日(土曜)のラジオ欄ナイタ
ホークス宮崎⛺️春季キャンプ2024⚾️🥎⚾️🥎元ホークス投手自由枠(ドラフト1位)新垣渚さんが👌⚾️🥎ホークスJr.にて少年野球の指導者とのコト✌️美破VIVA‼︎ホークス2024⚾️🥎[にほんブログ村]下記↓クリック応援よろしくお願いしますにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
⚾️🥎福岡ソフトバンクホークス2024⚾️🥎第5戦🦅山川穂高⚾️🥎新たに羽ばたけ🦅ホークスで柳田悠岐周東佑京⚾️🥎先発東浜︎👍🏻̖́-好投も打線の援護がそれでも現地はイイ⚾️🥎⚾️🥎福岡ソフトバンクホークス2024美破VIVA‼︎⚾️🥎[にほんブログ村]下記↓クリック応援よろしくお願いしますにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
⚾️🥎福岡ソフトバンクホークス2024⚾️🥎第6戦🦅ホークス勝利🏆だった︎👍🏻̖́-和田毅⚾️🥎福岡ソフトバンクホークス夜の福岡DOME⚾️🥎周東佑京⚾️🥎福岡ソフトバンクホークス⚾️🥎福岡ソフトバンクホークス2024美破VIVA‼︎⚾️🥎[にほんブログ村]下記↓クリック応援よろしくお願いしますにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
⚾️🥎福岡ソフトバンクホークス2024⚾️🥎⚾️🥎ライオンズに3タテ‼︎yeah‼︎⚾️🥎大津多彩な変化球で相手打者翻弄安定のピッチンgoo👍3回表タイムリーを放つ柳田⚾️🥎タッチアップできっちり3塁に進んでいた牧原を生還させる⚾️🥎5回表ライトへ2ベースヒットの柳田⚾️🥎6回表21打席ぶりやっとこ安打の栗原⚾️🥎井上や野村勇と変わる可能性も8回選手交代を告げる小久保裕紀監督⚾️🥎ライオンズに3連戦3連勝盛り上げるホ
思い出のプロ野球選手、今回は「黒田正宏」選手です1970年代~80年代中盤まで貴重な控え捕手として活躍し、南海では野村克也捕手兼任監督の控えとして、その後黄金期序盤の西武でも活躍しました。3回連続で捕手の記事となりましたが、現在お送りしている1947(昭和22)年生まれの世代は主力・控えにかかわらず名を成した捕手が多かったと感じます。【黒田正宏(くろだ・まさひろ)】生年月日:1947(昭和22)年12月21日入団:南海('69・ドラフト6位)経歴:姫路南高-法大
Sランク捕手国内新人選手Sランク捕手リスト出身地近畿成長超晩成衰え早め初期値評価その知名度に反して初期値は低め。史実でも一年目は控えどころか壁だったので当然といえば当然。打撃も走力に劣るような有様。残念ながら即戦力ではない。しかしながら肩とCリードは新人にしては少し高い程度にはあるので球団解体直後ならこれよりひどい選手もいるので場合によっては…いやそれでも留学をさせてあげた方がいい。全盛期評価年齢的な全盛期長打がS+になっており走力もBに近いCで盗塁も狙える
野球と歴史、関西への旅3日目。この日は、海外から来た知人に会うため18時には大阪駅に戻らねばならない。色々と迷いましたが、当初の予定をここでも変更!!この日決めていたのは「南海ホークスメモリアルギャラリー」。南海ホークスの歴史が詰まったギャラリーですが、つい数年前まで「野村克也」の存在が無いものとされていました。それが改装され、遂にノムさんが登場したとのことで、行ってみたいと思っていた場所です。しかしそれだけでは時間を持て余してしまう・・・・。当初は大阪市内を散策しようとした
今日はちょっとNPBなお話し。BallparkBarのある大阪・難波には、かつて南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)というプロ野球チームがありました。マスターも子供の頃に試合をよく観に行きました。その南海ホークスの本拠地・大阪球場の跡地には現在、複合商業施設「なんばパークス」となっています。ここが大阪球場の跡地だと示すものとして、南海ホークスメモリアルギャラリーの他に、ピッチャープレートとホームベースのオブジェがコンコースの床に埋め込まれています。そのピッチャープレートとホーム
ホークスの歴史は、鶴岡一人、野村克也、そして「あぶさん」こと景浦安武という3人を物語れば、ほぼ全てが繋がると言っても過言ではない。この中で、「あぶさん」は水島新司が描いた漫画のキャラクターであるが、南海・ダイエー・ソフトバンクと変遷する、ホークス激動の歴史の生き証人でもある。(左から順に、『あぶさん』の原作者・水島新司、野村克也、水島新司原作の『野球狂の詩』の出演者・木之内みどり、小池朝雄)今回は、ホークスの歴史を、上記の3人と、ホークスが九州に移転して以降のマスコット、「ホー
南海ホークスホーム用・ビジター用1974年〜1976年、1977年限定ホーム用ユニフォーム1976年、1977年略年表1974年《ホーム・ビジター共通》ピッツバーグ・パイレーツ型と併用する形で採用。4月頃のみアンダーシャツが黄色になるが、後に緑に変更。アンダーソックスに黄色を採用。1975年《ホーム・ビジター共通》Vネックのラインが黄色・白・黄色に変更。左袖にペットマークが入る。こちらは1977年まで。1976年限定ホーム用ユニフォーム(プロトタイプ)を採用。197
本日(5/19)は、1993(平成5)年5月19日、神宮球場で行われたヤクルト-広島戦で、何と、「ヤクルト17-16広島」という、物凄いスコアでの大乱戦が有った日である。「17-16」というスコアは、今もなお、「プロ野球史上最大スコアでの1点差試合」として、記録に残っている。このように、野球の試合において、投手陣が総崩れになり、両チームが激しく打ち合い、大量点を取り合う試合を「乱打戦」というが、そのような展開を、俗に「馬鹿試合」ともいう。というわけで、今回は、1993(平成5
外野手Bランク出身地関東成長タイプ早熟衰えタイプ急降下初期値論評長打に関しては目も当てられないが巧打は並走塁と守備に関しては文句なしで即戦力として活躍ができると思われる。1年目の作戦室での能力起用しての感想成長ピークの能力とその年の成績2年目時点で巧打がBに到達するので早々に戦力に守備と走塁は初期値時点でかなり高めなので1.2.8.9番でセンターかレフトを任せることができる。しかし急降下の衰え傾向のせいで29歳からは目も当てられない成績になっ
現在、連載中の「サザン史・外伝【連続ブログ小説】『クワタとハラ坊』」というシリーズ記事は、私自身も、書いていてとても楽しいのだが、1つ1つの記事を仕上げるためには、少し時間がかかる。ちょっと気合いを入れて(?)書いているシリーズ記事であるが、一旦、ちょっと「お休み」させて頂き、今回は、肩肘の凝らない(?)記事を書かせて頂きたい。今回、取り上げるのは、かつて阪神タイガースに在籍していた赤星憲広が、試合後のヒーローインタビューで、思わずファンに対して言ってしまった一言、「入ってね
鍵谷陽平、来季構想外に2019年に鍵谷・藤岡と、巨人の吉川光、宇佐美との交換トレードで移籍した道産子投手の鍵谷陽平が来季構想外、事実上の戦力外通告と発表。現在33歳、年齢的にも陰りは見えてしまうが、あと2、3年は戦力として計算できそうだが…巨人は原が退任し、来年からは鍵谷の中央大学の先輩にあたる阿部慎之助が監督に就任する。阿部の中で鍵谷陽平は構想外と判断したのだろう。2019年/45登板/0勝2敗7ホールド(※途中加入)2020年/46登板/3勝1敗13ホールド2021年/59登板/3勝
今回はある名選手について述べていく。その選手の名は小池兼司。かつて南海ホークスにいた遊撃手である。1939年静岡県生まれ。浜松商業高から専修大を経て1961年に南海ホークスに入団。入団後は正遊撃手として活躍し、1974年の引退後はホークスや台湾球界で指導者などで活躍、現在は大阪ホークスドリームというクラブチームで終身名誉監督の職にあるようである。↓年度別成績はコチラ小池兼司(南海ホークス)|個人年度別成績|NPB.jp日本野球機構身長169cmと小柄ではあったが、
投手Sランク国内新人選手Sランク投手リスト出身地東海・甲信越成長タイプ晩成衰えタイプ普通初期値論評初期値論評球威制球は新人相応の能力だが変化球の多さとその球種はかなり優秀。カーブとスクリューとCアップはこのゲームでは強い球種なので期待できる。それよりなによりも素晴らしいのはスタミナと回復である。先発も可能なスタミナと中継ぎも可能な回復力を持っているのでどこにおいても腐らない。育成に時間はかかるがどのような役割でも活躍できそうな可能性を感じざるを得ない。
本日(10/24)は、今から47年前の、1973(昭和48)年10月24日、野村克也監督率いる南海ホークスが、プレーオフで阪急ブレーブスを3勝2敗で破り、南海ホークスが7年振りのリーグ優勝を達成した日である。当時、南海ホークスを率いていたのは、「選手兼任監督」で、「4番・捕手・監督」という、一人3役の重責を担っていた、野村克也であったが、その野村監督率いる南海ホークスの優勝には、様々なドラマが有った。そして、結果としては、この1973(昭和48)年が、南海ホークス最後の優勝と
唐突だが、皆さんはあの門田博光氏がドラマに出演していた事があるのをご存じだろうか。Wikipediaでも触れられているので、一応知っている方もいると思う。それは1993年1月26日に放送された「ホテルドクター」というドラマの第3話である。門田氏はラーメン屋のオヤジ役で出演している。↓以下登場シーンの抜粋これが門田氏の屋台。「ぶたまん」と書かれた幟が印象的である。ぶたまん…門田氏は現役時代、阪急ブレーブスの応援団長に「ぶたまん」とヤジられた事でも知られる。そこから来ているのだろうか、