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『【古来の神社は侍だった】秦氏・土御門兼嗣氏』山梨県の富士五湖地域には秦氏が多いです。地元神奈川県にも秦野市があります。秦、羽田、波多さんを束ねる秦氏総トップ、【土御門さんシリーズ】が最高。古代史の答え合…ameblo.jp先日の記事に「侍」についての興奮メモをしましたが、中でも一番「ひゃー」となったのが↓「侍」とは:表向きは大きな神社の集団、神主、宮司という神社の官職にしか見えない表向きは神社の集団神主、宮司うわぁ〜納得です〜富士山の小室浅間神社の一族。鎌倉時代には「南朝を
南北朝の争いは「南朝が正統」で決着しました。北朝の天皇が「北朝1」「北朝2」みたいな脇扱いされているのは、そのときの「政治決着」が今も生きているからです。北朝のスポンサーである室町幕府、足利義満が、三種の神器を南朝から取り戻すための方便として、名目上だけ妥協した、ということです。どういうことか、以下、説明します。天皇家が「持明院統」と「大覚寺統」の二つの家系に分裂したのは鎌倉時代のことで、これは純粋に天皇家の内輪もめです。後嵯峨上皇という困った人がいて、末っ子が可愛いからといって、兄
つづきE~Hをご紹介。A~Dは、Part1へ『【松島360度】ぐるっと松島湾を眺めるpart1』松島には、いつもお世話になっています。非常に明るくて、前向きにさせてくれる島です。悶々とする時(こんなブログ書いているとけっこうある)やべーとこいった後は、…ameblo.jp富山観音(E)地点利府を通り松島の海を眺めながら、27号線を走ると、左側に「富山観音堂」の看板がみえてきます。奥まった森にある富山観音堂。『伊達政宗の長女五郎八姫が改
✡✨✨『後南朝』。。。『美作後南朝』。。。ただでさえ謎に満ちた『後南朝史』であるが、現在の岡山県美作地方にその正統があったとする。奇論ともされた内容故に地元郷土史家で作家でもあった著者すらも「宮内庁の圧力」とも揶揄される不審死を遂げたとも報道された事がある。このいわゆる『美作後南朝』説には、『三種の神器』、更には『モーゼの自然石』なるものまで現われ、室町期・江戸期を経て明治期まで影を落とす歴史が連なる。また、同じ『美作後南朝』でも幾つかの流れがあるともいわれる。その
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。YouTube動画『吉野桜~後醍醐天皇と南朝皇居~』が公開されました。早速紹介させていただきます。↓こちらの方が見やすい方はこちらからご覧下さい。吉野桜~後醍醐天皇と南朝皇居~おにぎり丸と嵯峨仙識が、吉野へ旅してきました。吉野桜と南北朝時代の先頭に立った後醍醐天皇の歴史に触れた旅となっています。沙貴誉(さきほまれ)の名前でブログを書いていますhttps://ameblo.jp/basara-do
いよいよ👍https://twitter.com/biscacca/status/1600691597775343616?s=61&t=bLDK7EK8JAzJKnjds9TL4w【ブラジルEBS、戒厳令始まる】ブラジル政府、戒厳令布告市民はEBSのため15~30日分の食料、水、薬の備蓄のために出かけた軍隊はすでに街中にいて、ロックダウンが行われると射殺命令が出ます。ブラジルの友人から動画が届きました。EBSは15~30日分の食料、水、医薬品の備蓄に出かけた、pic.twi
★竹と断酒と五十の私と断酒1週間が過ぎましたが、目標1か月ですので気が楽です。前回は百日でした(成功!)僕は毎日飲んでいましたから。最初の3日間は離脱症状といって発汗、かゆみ、嘔吐などを伴いますが、これを過ぎるとあとは意志力です。最近はノンアルコール飲料がすごいですね(ALC/0.00)「のんある気分」サントリーのカシスオレンジはカクテル気分。他にもノンアルコールビールはビール派ではない僕でさえ、美味しいと思うほどです。というよりもこっちの方が美味しかった。問題
✡✨✨※『赤間神宮』『八咫鏡』※https://ssecret.ameba.jp/1994199820022006/amemberentry-12253619494.html『八咫之鏡発掘之地』!!『作東』https://ameblo.jp/1994199820022006/entry-12600434072.html『『八咫鏡発祥の地』✡』✡✨✨『後南朝』。。。『美作後南朝』。。。ただでさえ謎に満ちた『後南朝史』であるが、現在の岡山県美作地方にその正統があったとする。奇論
福岡県飯田市の明正寺で「親鸞聖人御降会〜特別企画〜本堂コンサート」が、終了いたしました〜昨日も、寒かったですが、今日、とても暖かく、爽やかな一日でした。音響照明「STAGE249西九州舞台」会社のお陰様で、本堂は、とても幻想的な雰囲気になりました!本堂は、広いです。お客様は、いっぱい入って、コンサートホールみたいです。子供達もたくさんきていただきました。みなさんは、音楽と合わせて歌ったり、踊ったり〜楽しかった!会場は、とても盛り上がりって、こちらも、燃えて暑くて、汗汗汗でした。
吉野からはいったん吉野川まで降り一度西へ向かってから国道309号線で南下し天川村に入ってからは天ノ川に沿って進むと天河神社へ到着しました大峯本宮天河大弁財天が正式名です重要文化財の能面・能装束が残る芸能の神としてよく知られていますその歴史は古く・・役行者は霊山大峯を開山しますがその折大峯蔵王権現に先立ち最高峰弥山の鎮守として天河大辨財天が祀られましたまた、天武天皇が壬申の乱の際に勝利を祈願していると、天女が現れ舞を舞い戦勝の祝福を示され、この天女の加護に報いる
毎木曜日の夜は、YouTubeで竹田恒泰チャンネルで、明治天皇の血筋を引くという竹田恒泰氏の番組を楽しみにしております。本日、竹田氏から、驚くべき話を聞きました。なんと、天皇家南朝の血筋を引く、竹内睦泰氏が1月13日に急逝されたというのです。竹内氏というと「第七十三世竹内宿禰・南朝小倉宮正統竹内文書伝承者」として、蘊蓄の広く深い著作やブログを展開されていらっしゃいました。お立場が、南朝の正当性を主張なさるので、今の時代では極端なところがあったように思います。しかし、竹内氏は、YouTubeなど
白藤を見た場所は、黒渕河川自然公園である。清流の川俣川に足を浸して涼むのを目的として夏休み中は子ども連れの家族が押し寄せる。ところが階段があって上方を見上げれば、そこは城跡なのだという。「別に~」と関心も無くこれまでスルーしてきたけど、一応、どんなものか見ておこうかと階段を上ってみた。見晴らしのよい場所に平らなところがある。説明板によれば、ここは黒渕城跡。恵良惟澄の申状によれば、少弐頼尚が八代を攻撃したとき、本城は一旦頼尚の手中となったが、恵良惟澄が奪い返したという。
今朝のふじさ〜〜ん寒い‼️溶けかかった雪がガチガチに凍ってる…最低気温はマイナスが当たり前。だけど、最強の寒気が明日から押し寄せるのだと。暖冬だ、暖冬だ、と、油断してはいけません。西側にはオモロイ雲。わんこ散歩に出るとなんとまあ、フキノトウ‼️まずいよ、まずいよ…最強の寒気が来るんだよ。陽気につられて呑気に出ちゃったあとは、寒気でガチガチに凍って黒くなっちゃう。可哀想に。相変わらずヒマに任せて画像の削除をしています。ヒマな時期でないとやら
現在の天皇家は「北朝」の子孫です。なのになぜ、「南朝が正統」とされているのか?足利義満が「南朝を正統と認めます」という政治的決着で南北朝を合一したから、です。そんな馬鹿な、南北朝は「北朝勝利」で終わったから、南朝の子孫は消えて、北朝の子孫が今の天皇に至るのではないのか?実質的にはそうでも、形式的には、南北朝の分裂は「南朝正統」で決着したんです。「南北朝の戦い」というのは、実は「源平合戦」と同じくらい、誤解を招く表現です。南北朝時代を「南朝と北朝が戦った時代」と考え「北朝の勝利で終結し
朝日新聞小説「人よ、花よ、」(13)終章「人よ、花よ、」542(2/25)~576(3/31)作:今村翔吾挿絵:北村さゆり感想とうとう迎えた最終章。連戦連勝で、和議のための下固めを万全にした多聞丸。年末に訪れた虎夜叉丸にも、必要な時には必ず力を貸してもらうと約束。これがあとになって効いてくる。そして親房による、帝を無視したまさかの「京攻め」の綸旨。戦は避けられぬと悟った多聞丸は帝に、吉野を捨てて紀伊への動座を進言。親房を抑え、それを受け入れた後村上帝。多聞丸は、帝と民を移