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inputからoutputへ中田敦彦YouTube大学【歴史偉人伝】千利休1/2がエクストリーム授業百“文”は一見に如かず!詳しくは動画をご覧下さい。エクストリーム授業とは?なるべく分かりやすく「面白いんだよ」という事を全面にお伝えする授業!【結論】堺の魚どん屋の一介の商人・田中与四郎が千利休まで登り詰め、織田信長、豊臣秀吉に仕え、そして切腹を命ぜられる。前半では、千利休の年表的説明。後編では、千利休とは一体どういった人物なのか?なぜ切腹に至ったのか?を徹底解
オイラの辛気臭いネタをご覧いただき、ありがとうございます。さて、「写楽はウリナラ起源」、以前もやってましたw【韓国メディア】浮世絵師の写楽は韓国人金弘道(キム・ホンド)が芸名で10ヶ月間日本で活動し帰国した(PC、スマホ推奨です)2chまとめブログ。政治経済ニュース、東アジアニュースを中心に。台湾、チベット、ウイグルのニュースを取り上げています。hosyusokuhou.jp槐山延豊県監金弘道(キム・ホンド)の朝鮮ルネサンス前略)キム・ホンドは秘密裏に1
正観さんによると…。(旅じょうず入門…昭和57年)●ホテルのキャンセル家族だけでやっているホテル(旅館営業のものが多い)は別として、フロントマンなどがいるホテル(日本ホテル協会やビジネスホテル協会に加盟のホテル)は、前日夜までに届いたキャンセル(予約取り消し)を、翌日午前9時ごろから調節する。接客でないホテルマンは、午前8時半とか9時出勤になっている。普通のサラリーマンと同じである。出勤してから、前日来たキャンセル分を、空き室表に入れるか、あるいはコンピューターに入れる。(令和の
イージー茶道カフェつなぐのホームページはこちらInstagramつなぐ茶道教室&カフェはこちらお問い合わせ・お申し込みどうやって茶道始める?と思ったときに、短期集中講座茶道講師募集つなぐ茶道教室講師紹介先日会社トップおふたりの対談がありつなぐを撮影場所に選んでくださいました😊どなたかは下記HPのお客さまの声をご覧くださいー。体温を上げる×異彩を放てこちらのおふたりです!いつかおふたりの対談を拝見したいですーと話していたらあっという間に現実に・・
大阪といえばお好み焼き。間違いではありません。お好み焼の祖先は安土桃山時代、千利休が茶会で振る舞っていた「麩(ふ)の焼き」というものだそうです。これは水で溶いた小麦粉を薄く焼いた生地に、みそなどを塗った茶菓子。ここから時代を経て、具材や作り方が変わったものが、お好み焼きだとされているそうです。お菓子から主食へと食べ方が変化した大きなきっかけは、戦後の食糧不足。当時の駄菓子屋には、小麦粉の生地にソースをかけて食べる「一銭洋食」というメニューがあり、子どものおやつとして親しまれていました
先回の続きですが、瀬田掃部の茶杓に関しては、「南方録」にこんな逸話があります。瀬田掃部が、高麗茶碗を持っていた。平たくて大きく、直径が畳十五目(21cm強ほど)もある品で、掃部は利休に、これに銘をつけてほしいと願い、利休は「水海(湖)」という銘を付けて、その茶碗に載るような長い茶杓を削り、「瀬多」という銘をつけて与えた。茶碗の銘は琵琶湖を意味し、茶杓の銘は湖の傍の名所「瀬田(勢多)の唐橋」と、所有者掃部の姓を掛けたものです。喜んだ掃部は、この茶碗に晒し茶巾を仕込み、茶を点てて、利休からそ
本日もお読みいただきありがとうございます。大徳寺へ行ってきました。(1月26日訪問)金毛閣(きんもうかく)秀吉の命により、千利休自刃の原因となった利休の等身大の木造が安置されています。当時としては大きい身長の180㌢仏殿(重文)と方丈(国宝)は工事中で、囲いがしてありました。最近「龍🐲」に見えてしかたのない黒松襖絵の見すぎ〜🙄今回訪れた塔頭は、大徳寺山内の一番北の奥まった場所にあります。芳春院「京の冬の旅」で現在特別公開中です。(〜3/19まで)初
利休七哲と呼ばれる利休の弟子は、皆様ご存知でしょう。その中に、瀬田正忠がいます。従五位下掃部頭に叙任したので、通常、瀬田掃部と呼ばれます。「茶道美談」には、次のような逸話が載っています。利休の茶の湯に招かれた掃部が、棚に飾ってある柄杓を見て、盛んに感心するので、利休が何を感心しているかと訊くと、今日の柄杓は、柄がいつもより五厘(1cm5mm強)ほど短いのが、至極格好よく見える、こういう風にありたいものだ、と言って帰宅した。その後、利休が掃部の茶の湯に招かれ、茶会が終わった時、利休が「今日の
満開になれど侘しき利休梅(まんかいになれどわびしきりきゅううめばい)「桜」の花もほとんど散ってしまい、今はその名残りのように、花屑が道路脇に積もっている。観光客で溢れていた通りも、今は疎らになり些か寂しい感じがする。そんなおり近くを散策すると、ある古家の玄関先に植わっている「利休梅(りきゅうばい)」の大木が、今が盛りと多くの花を咲かせていた。ただ、色が地味なせいか、それを愛でる人は「桜」や「梅」ほど多くはない。本日の掲句は、そんな「利休梅」を見て詠んだ句である。尚、「利休梅
イージー茶道カフェつなぐのホームページはこちらInstagramつなぐ茶道教室&カフェはこちらお問い合わせ・お申し込みどうやって茶道始める?と思ったときに、短期集中講座茶道講師募集つなぐ茶道教室講師紹介もうすぐ春になりお茶会のシーズンになってきます。お茶会までいかなくても抹茶を飲む機会や和室に立ち入るような機会も出来たりする方もいらっしゃいますでしょうか。そんなはじめてお茶会行くときに絶対持っていくべきものとは?これだけあればOKという3つの物を説明しま
4月21日が命日・忌日の有名人・著名人1109年76歳没(?)アンセルムスさんカンタベリー大司教、神学者、哲学者1509年満52歳没(結核)ヘンリー7世さんイングランド王1591年70歳没(切腹)千利休さん安土桃山時代の商人、茶人わび茶の完成者1612年(慶長17年3月21日)?歳没(火あぶりの刑)岡本大八さん岡本大八事件で知られる武将1699年59歳没(肝癌)ジャン・ラシーヌさん劇作家1701年(元禄14年3月14日)26歳没(切腹)浅野長矩さん
ひょんな事から知ったこの言葉。四規七則(しきしちそく)皆さんご存知ですか??私は10分ほど前に知りました(笑)調べたら、千利休が説いた茶道の心得だとかー。四規とはー和敬清寂(わけいせいじゃく)・和…お互いに仲良くすること・敬…お互いに敬い合うこと・清…外見だけでなく心の清らかさのこと・寂…どんな時にも動じない心のこと七則とはーお客様をもてなす時の七つの心構えで、一、茶は服の良きように点てニ、炭は湯の沸くように置き三、冬は暖かく夏は涼しく四、花は野にあるように入れ
こんばんは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日もお忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。家の玄関に上がるときには、脱いだ靴の先を扉の方に向けて揃えるというマナーがありますよねこのように靴をつま先が玄関で、かかとが室内に向くように置くことを「出船の形」といい、出港していく船になぞらえています。この「出船の形」がマナーとして普及した由来
イージー茶道カフェつなぐのホームページはこちらInstagramつなぐ茶道教室&カフェはこちらお問い合わせ・お申し込みどうやって茶道始める?と思ったときに、短期集中講座茶道講師募集つなぐ茶道教室講師紹介幼稚園生で通われているお子さんの目的として非常に多いものが小学校受験。茶道はお辞儀、和室の所作、歩き方・立ち方行事ごと、季節の移り変わり、お花等を学べるため、またお子さんからも自然と茶道やってますとお話が出ることもあってか当教室に小学校受験する方は60%以上は
現存する日本最古の茶室『待庵(国宝)』を見てきたお話です。待庵があるのは大阪府との府境に近い京都府大山崎町そう、あの「天下分け目の天王山」と呼ばれた山崎の合戦で秀吉軍が陣を構えた天王山の麓の町です。JR山崎駅から徒歩30秒駅前にある妙喜庵『豊興山妙喜庵』臨済宗東福寺派の・・・小さなお寺さんです通常は拝観謝絶です拝観は寺用のない日曜日の午前10:30と11:30の2回のみ見学を希望する一ヶ月以上前に、往復ハガキで申し込みをします志納金千円です待庵は天正10年(1582年)山崎
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イージー茶道カフェつなぐのホームページはこちらInstagramつなぐ茶道教室&カフェはこちらお問い合わせ・お申し込みどうやって茶道始める?と思ったときに、短期集中講座茶道講師募集つなぐ茶道教室講師紹介茶道体験に来られた方に最初にお伝えしていることが立ち方・歩き方。和室の立ち方・歩き方は通常とは少し異なります。今日は足運びのポイントについて。裏千家茶道では入るときは右足で、出るときは左足で、が基本の足運びになります。畳の縁とよばれる黒い部分は踏まな
今日は今宮神社へ町内のお千度参りに行ってきました。お千度は京都ではよく行われる行事で、氏神様へ一年の感謝を込めてお参りする習わしです。私の町内は今宮神社が氏神様なので、町内の皆さんと共にお参りに行きます。春桜の頃に行われる町内もありますが、私の所は紅葉の時期大体10月の終わりごろに行います。本来はお千度ということで、拝殿の周りを千回廻るのですが、Σ('◇'*)エェッ!?千回は無理!でも町内の人が1
日曜日友と日本茶カフェへ170年以上続く地元老舗のお茶屋つぼ市製茶本舗さん町屋をリノベーションした店内はゆったりとくつろげる静かな空間つぼ市三昧友はほうじ茶私はお煎茶(利休の詩)この「利休の詩」香り高く美味しいの贈り物にもよく選びます愛飲の玄米茶今日も良い1日でありますようどうぞ健やかに☆
温かい春の日。朝起きると鶯の鳴き声がしてうれしく感じた。タグリッソ332日目。読んでいる小林正観氏の本「淡々と生きる」の「千利休」に、「人生の本質は、淡味にあり」という言葉がある。新しい茶葉で入れた一杯目のお茶は、甘い。同じ茶葉で十度くらい高いお湯で入れた二杯目のお茶は、渋みが出る。さらに、十度くらい高いお湯で入れた三杯目は、苦みが出る。さらに、九十度以上の熱いお湯で四杯目を出すと甘味もなく、渋みもなく、苦みもなく色だけのお茶になる。このかすかに色がついているだけのお茶の味を千
さて螢の仇を討つべく主馬を追い詰める慶次、だけどもそこに現れたのが…前田利久!前田利家の兄であり、慶次の養父ですな。まぁ病弱だったのはホントのことのようですよ。長男がそれじゃ家督も奪われちゃいますわな…さてそんな前田利久もついに臨終の時を迎えます。その知らせを聞いた慶次は…踊ります(笑)まぁでもそれもいいんじゃないでしょか。誰かが死ぬ、その時に別に神妙にする必要は無いよなぁ…そして慶次のおかんであるお春も回想で登場。彼女は滝川益氏の子を孕んだまま利久のとこに嫁に来たんですが…外国種
いつも読んで頂き、ありがとうございます。今月の同門誌、「千家人物散歩」は「武蔵鐙の文」。千利休から古田織部に宛てて書いた、数少ない、書状です。小田原攻めに居た、利休が、織部に最高の出来の花入れを送り、その返事の返事。歌を添えて、その花入れの素晴らしさを語り合う二人の関係に、熊倉先生も、「内容も筆跡も素晴らしく、全文紹介したいところですが、それだけでこの回は終わってしまいますので…。」と古文書好きが溢れ出ています。最後に、利休最期の前に細川三斎と古田織部が
床の間に掛物と花入が共に飾られる「諸荘り(もろかざり)」の場合の床に置く花入の位置だが、これは床の間の構造に関わるので、小難しい。これについては、多くの解説書で、「上座床」、「下座床」で区別して書かれている。「上座床」(じょうざどこ)は、亭主が座る点前座の前方にある床のことで、多くの茶席でみられる構造茶席の構造として、茶室の床に光を取り入れるため床の右側に墨蹟窓(障子窓)がある。「下座床」(げざどこ)亭主が座る点前座の後方にある床のこと
毎年恒例の「京の冬の旅」が開催されている。何度も目にするものもあるが、今回の注目は何と言っても40年ぶりに公開される、西陣の興聖寺の「降り蹲踞(つくばい)」。私もこの地に古いお寺があるのは知っていたが、具体的な事は全く知らず、ネットで調べてみたが、ネット文化が始まってからは一般公開されていないので、殆ど詳しい事は解らないまま、先日伺ってきた。興聖寺は慶長八年(1603年)に、虚応円耳と云う、日蓮宗の僧侶を開山として、大名茶人・古田織部により創建と伝わる。1701年より日蓮宗
俺のシリーズです本日4月21日命日追悼プリンス(PrinceRogersNelson)2016年没(享年57歳)プリンスはアメリカ出身のポップスターでしたね~日本でも一時プリンスブームありましたが俺は受け付けませんでしたわ~一人で全てをやってのけるマルチな才能を持ってまして楽器は全て熟すレコーディングからプロデュース、数々の賞を受賞してますがR.I.P田中好子(本名:小達好子)2016年没(享年55歳)女優として活躍している中なんと19年間
前回の表千家の続きは裏千家。表あっての裏だが、実質、日本の茶の湯の代表格は裏千家でもある。千利休の孫に当る宗旦の長男の千宗拙(せんそうせつ)は父との折り合いが悪かった為、家を継がず早くに家を出て江戸で浪人暮らしを送っていた。最初に茶道を継いだ三男の江岑宗左(こうしんそうさ)は、父の茶室である「不審庵(ふしんあん)」を継ぎ表千家を創設。そして四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)は、表通りに面する不審庵の裏側に茶室「今日庵(こんにちあん)」を建立し、これが裏千家の由来となる。その
①千利休(SennoRikyuu)のレシピグリーンティー・リキュール・・30mlミルク・・・・・・・・・・・・30ml使用グラス3㌉カクテルグラス製法シェークGarnishバニラアイス1tspフロート度数11.5%②千利休(SennoRikyuu)のレシピ日本酒・・・・・・・・・・・・30mlグリーンティー・リキュール・・20ml緑茶・・・・・・・・・・・・・20ml抹茶・・・・・・・・・・・・・茶さじ1杯使用グラス抹茶碗製法抹茶碗の中で茶筅で点
花戦さFlowerandSword(2016)専好の活けた花を見て「大胆な設えですね」と言う利休に、専好はこう話す。池坊、かっこいい!織田信長が天下統一の道を歩み始めた天正元年(1573)、京の都にある頂法寺の花僧・池坊専好は信長が花を所望しているということで岐阜へ行き、なんとか無事役目を終えることができた。その12年後、本能寺の変で信長が去り、豊臣秀吉が天下統一の道を突き進んでいた。頂法寺では執行だった専栄が亡くなり、兄弟子の専伯が旅に出たままで、専好は向いてないの
こんばんは!吉野桜の続きです。上の千本まで来ました。ここでちょっと一服、葛餅を頂きました。竹林院に入ります。聖徳太子の創建と伝わる寺院です。入って右側は、宿坊になってます。庭園の群芳園は、千利休が作庭し、細川幽斎が改修したといわれ、大和三庭園のひとつひとつになっています。昨年はもっと綺麗でしたが、今年の桜は散りかけですね。来るのがちょっと遅かったです。水面が花いかだになってます。竹林院を出ます。次は、櫻本坊に入ります。本堂櫻本坊を出ます。途中、わかの店に寄ります。わか
「じんせいしちじゅうりきいきとつわがこのほうけんそぶつともにころすひっさぐるわがえぐそくのひとたちいまこのときぞてんになげうつ」と読みます。千利休の辞世の句です。多少難しい読みになっていて困りますね。平仮名に直すと少しわかりやすいでしょうか。この句を詠んだ後、彼は切腹します。原因は豊臣秀吉との不仲と言われていますが、切腹を命じられた直接的な原因はいまだに不明なままです。この辞世の句に関しても様々な解釈がありますが、ざっくり言えば「人生70年いろいろあったけど、まあ、ここで終わりだ