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はじめに熊本大学医学部の起源は、江戸時代中期の宝暦6年(1756年)に肥後藩主・細川重賢公によって創設された藩校「再春館」に遡ります。この「再春館」は、日本初の公立医学校として、明治3年(1870年)までの115年間、肥後医育の拠点となりました。他藩からの就学希望者も受け入れており、当時の医学教育において藩域を超えた大きな役割を果たしていました。再春館から私立熊本医学校へ明治時代に入り、再春館は廃止され、西洋医学を導入する「西洋医学所(古城医学校)」が設立されました。その後、明治29年(1
私が病院で研修担当していた時、研修医オリエンテーションでいろいろな現場体験をしてもらっていましたが、そこでの雑談で看護師から「医者ってだんだん偉そうになるんだよね」と言われたと研修医が報告してくれました。「研修医って、どうして2年目になると態度が悪くなるの」と、職員食堂でたまたま同席した旧知の看護師長が私に尋ねました。(〈2023.2.12「ふつうの暮らしの世界」の記憶から学びほぐす〉にも書きました。)誰もがそのようになるということは、医師の育つ土壌が悪いということです1)。