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ある大学では、模擬患者さんが参加する医療面接演習が毎年行われています。どうしたわけか、昨年の演習では学生たちの態度が、いつもきちんとしている例年とは全く違っていたとのことです。面接をしている後ろで、他の学生たちは雑談したり、黙って部屋を出て行ったり(トイレかもしれませんが)。雑談の声が大きくて、面接で医師役の声が聞こえなかったりしたこともあったとのこと。複数の模擬患者さんから同じような報告があったので、一つの研修室だけのことではなかったようです。指導教員が特に注意しなかったことにも
研修医オリエンテーションでは、医療面接演習をロールプレイで行っていますが、みんな「上手」です。優等生たちなので(?)、OSCEで学んだことをちゃんと覚えています。「解釈モデルを聞いたほうがよかったのでは?」「患者さんの希望を、もっと具体的に尋ねては?」「表情が良かった」「こちら(患者役)を見て、話を聞いてくれた」というようなコメントが次々に仲間から出てきます。(〈2022.12.21「溢れ出てくる言葉を両手で受け止める」〉にも書きました。)医療面接演習では、過不足なく患者さんの話
つい最近まで、医師と言えばまずは男性のことで、女性の医師だけわざわざ女医と言われてきました。でも、医学部生の中に女性の占める比率が高くなるにつれ、男性医師、女性医師と言われることが多くなりました。ちなみに、私の母校では、私が入学した年には女性は80人中5人でしたが、次の学年からは80人中10人を超すようになり、このところずっと30%以上のようです(女性が半数以上の大学もいくつもあります)。それでも、女性医師はいまでも陰に陽に「攻撃」(差別)され続けます。女性医師は、「(結婚や育児に
(前回の続きです)KJカードに「謙虚な心を持ち続ける」「謙虚」と書いている人が何人もいました。オリエンテーションで私が何度も「謙虚さ」について語ったためだと良いなあと思いつつ、でも、「謙虚」と言っているだけではたいてい「謙虚」でないほうに流されてしまうのにと少し心配になりました。謙虚とは、敬語で話せること、礼儀作法が守れること、挨拶ができることだけではないはずです(最低限それができないと困りますし、「まずそれができれば」と私は書いてきていますが)。さだまさしに「主人公」という
新入研修医オリエンテーションの最後は、「2年後にどのような医者になっていたいか」をKJ法でまとめてもらいました。2グループに分かれて、みんなの考え/思いを書いたカードを整理して、模造紙に絵としてまとめてもらいます。どちらのグループも人間の絵を描きました(そこに自分の考え/思いを書いたKJカードを張り付けています)。これまでも病院でKJ法を行ってもらうと、しばしば人体図が描かれます(いかにも医学生/研修医/医療者らしい)。そして、その真ん中の「心臓」のところには、医師/医療者の「
「人として、こうなりたい」と思うような看護師に何人も出会ったと言う研修医がいました。倫理についてのディスカッションの際(〈2024.5.7〉に書きました)、「治療が難しくなったガン末期の祖母にたいして、受持ち医が「あとどれくらい生きるつもりなの?」と尋ねた」という事例をあげた人でした。ホスピスに着いて緩和の看護師に出会った時、その看護師に「後光がさしている」ように感じたとのことです。その看護師は患者にも家族にも患者の療養環境にも細かい気配りをする人だったということですが、出会いの瞬間に
イタリアの教育プログラムの枠組みについて説明している資料がボローニャ大学から出ています。https://www.unibo.it/en/teaching/enrolment-transfer-and-final-examination/the-university-system/the-university-system学位レベルを読み替えると以下のようになります。日本:学士課程→イタリア:Firstcycledegree日本:修士課程→イタリア:Secondcycle