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娘が動脈管開存症の手術をしてから10ヶ月が経ちました今日ふと見たらだいぶ綺麗になっていたので、母としては安心です動脈管開存症手術後10ヶ月傷の場所も水着やブラでも隠れるくらいの位置でありがたいですこれから手術を控えている赤ちゃんのママ、不安に思っているママがいたら、ぜひ見てみてください大丈夫!きっと大丈夫!ここから長いですお時間のある方はどうぞ。娘は641gで生まれて、生後5日までは自力で動脈管が閉じていたもののすぐに開き…その後、閉じては開きを繰り返し、生後20日で手術をしました
1度帰宅していた私の携帯に、娘からの連絡が入ります。「輸血の効果が出なかったよ。もうぶくぶくに浮腫んできてる。」妹には、もう自力で動脈管を閉じる力は残っていないようでした。新生児科の主治医の話では、既に心不全を起こしていて、直ぐにでも手術による治療が必要なようでした。手術を渋る娘に、主治医の先生は…「手術しなければ、死にますよ。」とど直球の言葉。それくらい逼迫していたようです。急遽、小児心臓外科のある別の大学病院から先生が呼ばれます。居ても立っても居られない私は、特急に飛び乗ろ
こんにちは!ご覧いただきありがとうございますいよいよダウン症の告知をされます。先生からの現状説明の日、夫婦揃って「いいお話しをされるかもね~」と楽観的に考えていました。カンファレンス室に通され、先生、看護師さん、心理士さん、私たち夫婦というメンバーでお話しが始まりました。先生が用意してくださった書類には、①動脈管開存症→まだ開いている。この先も注意してみていく。②新生児一過性多呼吸→良くなっている。③筋力低下、哺乳力低下①~③が書いてありましたが、私の目に真っ先に飛び込んできた
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みなさまこんにちは!本日のビシュケクは寒いです!さてさて、4コマどこまで話しましたでしょうか??そうそう、長女は一足先に試験をクリアし無事に4年生に進むことになりました。その後、進学のための身体検査を受けなければいけません。普通の学校や幼稚園でもありますよね?こちらは血液検査や尿検査はデフォルトなんですがバレエ学校はもうちょっと詳しく心電図や肺活量なんかも検査します。将来アスリートとして仕事ができるか適性検査ですね。試験と進学のスケジュールがタ
今朝は0時に9.5ml、4時に8ml、7時に9.5mlと、3時間おきには起きられなかったけどまあまあ良いペースで搾乳できました。朝食を食べてお茶を飲もうとしたら、先生がやってきました。抗生剤で治療をしていくか、手術で直接患部(?)から溜まった細菌を除去するか、など今後の方針を内科の感染症専門の先生とも相談してみるとのことでした。しばらくすると感染症科の先生が研修医と学生を連れて3人で来られました。私はちょうど歯磨きをしていたところでしたが、ちょっとお話するだけだと思って、そのままうが
みーちゃんとよっちゃんが生まれた当日の話です。ママは帝王切開後のため、丸1日絶対安静でした。ベッドから動くことができませんでした。ベッドに戻ってから10時間後に初めて水を取ることの許可。翌日からベッドからの移動開始だったので、赤ちゃんどころではなく、自分のことで精一杯で、出産のときの「何か違う」という違和感は忘れていました。しかし、よっちゃんはNICUで動脈管開存症、低血糖、呼吸が浅いという症状がみられたため、パパには医師から説明があり、そのときに
こんにちは!ご覧いただきありがとうございます息子の方は無事に入院できました!慣れない環境で、ギャン泣き→寝る→ギャン泣きを繰り返しております過去と現在が入り乱れていますが、生後1週間たった頃の話です。生後1週間が経過したある日、いつものように面会へ行くと看護師さんから、「生後1週間になったので、先生の方から現状の説明があります。お父さんお母さんがそろって面会にいらっしゃれる日を教えて下さい」と声をかけられました。夫は忙しい人なので、私だけではダメかと聞くと、「基本的にご両親そろって
姉の心雑音は、生後数週間のうちに担当看護師さんが気付いてくれました。直ぐに担当医によってエコーの検査がされましたが、いかんせん身体が小さくてしっかりと確認が出来ない。心臓の形に変化がないので、経過観察となりましたが、その後「心室中隔欠損」と診断されます。小さな穴が、2つ空いていました。妹の心雑音は、動脈管開存症が原因だと思われていましたが、心臓外科の先生が手術の検査時にやはり「心室中隔欠損」を見つけました。こちらは、卵円孔に穴が開いているようでした。更に、「肺動脈弁狭窄」。成長に伴
みなさまこんにちは!学校に通えるようになって一安心する暇もなく私たちの頭の中は次女の心臓病のことでいっぱいです。幸いなことにほとんどの生徒にとってムダでしかなかった健康診断で次女の病気が発覚いたしました。このタイミングで見つからなかったらきっと具合が悪くなって本当に学校に通えない状態になっていたかもしれません。もしかしたら成人してから重い症状に陥ることもあったかもしれません。いま。とっても元気な状態でみつけられたのは本当にラッキーでした。変なバレエ
3年前…24週1日641gで産まれた娘。たくさん頑張った。たくさん苦労した。たくさんの人に助けられて、願い、祈り、愛され…自力で泣けない、自力で呼吸できない、そんな娘が、気づいたら、あっという間に、自分の足で歩いてた。←端折り過ぎもいいところwww今、お腹で大暴れしている君は24週1日を迎えて、きっとあの頃の娘と同じサイズなのだろうか?と思うと怖くて幸せで、なんとも不思議な感覚に襲われる。(これは実物を見た人なしか分からないと思う。)↑赤ちゃんの問診をしてくれます最近
長くお世話になった看護師さんたちがおめでとうございます、と言いに来てくれて、ありがとうございます、と言っていいのか複雑な気持ちの私。お世話になりました、と言っていたと思います。ショックなのを見せたくなくて、産まれちゃいました~とも言ってたかな。まだこの時は早産だけど大丈夫、と思っていたので小さい息子にショックはうけつつも、がんばらないと、と前向きだったので言えました出産翌日、車イスでNICUへ。想像以上に小さい息子、保育器に入り、呼吸のため挿管されていました。穴から手を入れて触れるもの
染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みは『妊娠から出産まで』生まれてからダウン症と診断された娘ですが、妊娠から出産までの出来事を記録しておきます結婚3年目に入り(当時30歳)、そろそろ子供が欲しいねと不妊治療を始めまし…ameblo.jpダウン症と診断されるまで①『ダウン症と診断されるまで①』染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこちら『妊
退院が延期になって、入院生活ももう3週間となりました。今日も何度か熱が出てダウンしたり腹痛が酷かったり、体調がイマイチ。。気づけば8月も終わりですか早い〜思えば切迫早産で入院したので、11月までずっと入院だと思っていましたが、8月中に母になるとは...そして搾乳の厳しい現実を知るとは色々予定外でしたが、今日も娘は頑張ってくれていました今日で日齢9となり、状態は落ち着いていて、授乳量は1回2.8ml×8回!毎日0.6mlずつ増やしているそうで、明日は3.4mlずつあげるそうです.
なかなか更新できずすみません。色々ありまして…。この件についてはまた追って書きます。ひーちゃんのお友達のママがお昼間に面会に来てた。久々見た。前、他の人に会いたくないから夜しか来てないって言ってたから珍しいなぁーと思いながらも会話できる雰囲気じゃないから私もひーちゃんの面会に。ひーちゃんのお友達は他人の私でも分かるくらい状態は良くないんだなって。人の赤ちゃんの所はいけないからこっそり「がんばれー」って応援はしてたけど…。ちょっと話したかったから面会時間終わって
大きく生まれた妹(何度も書きますが932gです)の最初の印象は、姉に比べて手足に力が無いなぁ…といった感じでした。胎盤の栄養を殆ど使い、ど真ん中に臍帯が付いていたにもかかわらず、週数の割に体重も1,000gを超える事は無かったのです。今思えば、姉に栄養を分けていた事で妹自身も疲弊し、限界を迎えつつあったのかも知れません。産科の先生方が、あの時決断してくれなかったらどうなっていたのかと、今更ながら恐ろしく感じます。妹の母乳量は、順調に増えて行きました。(と言っても、1mlからです。)消
帝王切開後生後0日帝王切開が終わって病棟にベッドのまま運ばれて時間を置いて夫と家族が案内されて来ました。夫が「おつかれ」って声を掛けてくれたのが凄い嬉しかった:;(∩´﹏`∩);:赤ちゃんはNICUに連れて行かれて身体測定含め検査されてるらしい。検査が終わり次第、夫が呼ばれて色々と説明があるとの事。私も説明聞きたいけど麻酔効いてて動けないから夫だけが説明受けるんだけど心配…理解できるかなあ…😦夫も私の両親も赤ちゃんを見て凄く安心したらしく喜んでいました。と言うのも、私自身が母親
染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこちら『妊娠から出産まで』生まれてからダウン症と診断された娘ですが、妊娠から出産までの出来事を記録しておきます結婚3年目に入り(当時30歳)、そろそろ子供が欲しいねと不妊治療を始めまし…ameblo.jpダウン症と診断されるまで①『ダウン症と診断されるまで①』染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこち
ご覧頂き、ありがとうございます。今回は、第二子ちゃん出産1日目〜出産3日目.緊急搬送まで書いてみようと思います。【出産1日目】主人と長女が面会で遊びに来てくれました。その時は、第二子ちゃんも保育器から出してもらい、15分くらい、家族4人の時間がありました。この時は、まさか、、、、第二子ちゃんが産まれてから今まで、『この瞬間だけ』が家族4人の時間になるとは思ってもみませんでした。そしてこの時、第二子ちゃんの鳴き声にも変だな‥と感じましたが、低体重なので、成長と共に普通
染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこちら『妊娠から出産まで』生まれてからダウン症と診断された娘ですが、妊娠から出産までの出来事を記録しておきます結婚3年目に入り(当時30歳)、そろそろ子供が欲しいねと不妊治療を始めまし…ameblo.jp2021年7月7日午後8時4分2477gスリムボディーでスルッと生まれてきたMIAちゃん生まれた直後は微熱があり、呼吸が安定しないということで入院扱いとなりました。な
初めまして!超未熟児の息子をもつ母です!息子のあだ名はきーくん☆在胎25週0日体重は794gで誕生しました。沖縄県出身の私と夫は福島県出身で今は家族全員沖縄に住んでいます。息子が産まれたときはお正月休みで主人の実家に帰省していたとき悪阻も落ち着いて、お腹も大きくなりつつあって出産したら福島へ帰れなくなるからと強行突破の帰省でした・・・福島から沖縄へ帰る日の朝出血・・・やばい、どうしよう、、帰れなくなるかも、、明日から夫は仕事だよどうにか
こんにちはご覧いただきありがとうございます息子の容態を告げた後、夫は帰宅しました。夫が帰った後、息子の状態について色々調べ始めました。「新生児一過性多呼吸」「動脈管開存症」「肺高血圧症」…。いずれも、これ以上症状が悪くならないように祈るしかない…病院にお任せするしかない…と感じました。そんな中で、「ダウン症の特徴」についても調べていました。調べた特徴と、生まれたばかりの息子の写真を見比べ、気のせいか…と結論づけていました。実際は、写真なので明確に照らし合わせができなかったのです
こんにちはご覧いただきありがとうございますウエストの内服、シロップと服薬ゼリーでなんとか飲めております。今の所、劇的に良くなっているかんじはありませんが、発作で疲れるみたいで夜は早く寝てくれます話はまた過去に戻りまして…生後4日目の話です。生後3日目、息子に面会中に胎盤の残りが出て出血が多くなり、慌ててクリニックに帰りましたが、一晩休むと出血は落ち着いていました。生後4日目の本日も外出許可をもらい、夫と一緒に息子の面会へ行きました。この日はタイミング良く、オムツ交換とミルクをあげるこ
ご覧頂き、ありがとうございます。リアルタイムの現在が、ずっと辛い‥😭。。早くここに書きたいけど、頭の中まとめて整理して😞遅くなっちゃうけど、ちまちま更新していきます。前回の続きです。【出産4日目】出産3日目の朝にNICUのある病院へ転院した、にこちゃん(第二子ちゃんの名称とします)。その為に、私は1人で産院に泊まりました。母子同室ではなかったので、さほど変化は感じませんでしたが、にこちゃんがNICUへ運ばれていったので、ずっと不安で苦しくて仕方ありませんでした。この日、私は退
〜改めて自分を責めた日〜お久しぶりですもちむぎママです投稿期間があいたのは、別投稿でお話ししたいと思います次女の月イチ通院日やったとです動脈管、少しは閉じたかな〜とかちょっぴり期待しながらエコー。モニターに青と赤の血流の流れの中に黄色くシュッシュッと流れとる。あ〜〜〜やっぱり閉じないんだ。体重は成長曲線に入ってるもののちょっと緩やかになってるらしい。暑いからじゃない?寝返り練習しとるけん?夜通しなるようになったけんじゃない?とか思ったけど、「心臓の負担がかかっ
娘の手術が急に決まり、いつになるか、どうなるか、、心配で眠れない・・と思っていたら、21時〜23時の点滴中に寝落ち左手動かせないから何も出来なくて、つい寝てしまう慌てて起きた0時(9.5ml)と4時(8ml)と6時半(8ml)に搾乳しました。朝6時の点滴の後、採血で2回失敗され、危うく鼠蹊部から採血されそうになりましたが、なんとか研修医の先生に右腕から採取していただけましたと思ったら、その血の内容が良くなかったみたいで採血のお代わりが今度は左手からで一発で血管を捉えて頂けましたが、
とーっても元気な娘ですが、実は生まれた時から動脈管開存症という病気です。動脈管開存症は、出生後に動脈管が自然閉鎖しない病気。胎児期は大動脈と肺動脈間の交通路である動脈管が開いていますが、生まれた後はここが塞がります。でも、娘のは塞がらなかった...ちなみに心雑音はない、サイレントPDAというやつらしいです。カテーテル治療するかグレーなところでしたが...このたび、カテーテル治療を行いました。3泊4日の入院。付き添いは、医療従事者である夫がしました。手術前は、娘は元気であるものの
こんばんは今日のひかちゃんはとっても落ち着いていました。転院後初めて、だっこさせてもらいましたぁパパが抱っこしています。すずちゃんとお揃いのCPAPです。7人の小人のように見える。。。(実際はかわいいおじいちゃん達ですが)お帽子がきゃわいい今日のひかりは、とても落ち着いていました。皆さんが言うように、18っこちゃんは、ゆっくりゆっくり自分で調整してバランスをとっていくんだと思います。ひかちゃんもゆっくりでいいから、肺呼吸に慣れていこうね〜病気と闘っている18っこちゃん
更新が久しぶりになってしまいました!産後の血圧のこととか、赤ちゃんの様子とか書きたいことは山ほどあるのに追いつかない日中は横になろうとすると上の子が怒ったりのしかかってきたりするからまったく休めなくて、夜は一緒に即寝落ちしてしまう出産してからまもなく3週間、産後退院してから2週間がまもなく経とうとしてます。産後は帝王切開の痛みと3時間おきの搾乳に追われて、退院後は上の子のお世話やふれあいと入園準備に追われてましたで、ムスメとの面会は新型コロナウイルスの影響で病院全体が面会禁止となって
なんで食べてくれないの…→偏食の長女がキルギスで食べたもの【キルギス子育て奮闘記(52)】|英語の達人WORLD(eigojin.com)みなさまこんにちは!コラムがアップされましたのでお読みください。さて、スゴイタイトルでびっくりしたと思われますが本当です!実は今日手術の予定でして「本当に手術が必要なのか?」と疑っていた時にかられたのがもし手術しないと余命は20年以内。25歳がこの症状の平均寿命。もし!しなかったらね!!開存症といって