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今日アップするのは常磐道矢田部IC近くにある古墳です↑矢田部遠見塚古墳、北西側より訪問日は3月28日。古墳上の桜の木・・・・まったく咲いていません場所はこちら:36.017514,140.083385↑南側の様子東谷田川右岸、標高23メートル、台地縁部上。直径13メートルの円墳。↑破片が転がってました。↑反対側↑墳丘上には小さな祠↑矢田部遠見塚古墳、東側の様子茨城県つくば市の古墳、後日に続く
3月22日に訪れた奈良県葛城市の古墳、続きです「道の駅かつらぎ」近くに消滅した古墳の石室・石棺が移築された広場があります↑国土地理院地図(赤い文字はふっき~が加筆)地理院地図/GSIMaps|国土地理院↑道の駅に車を停めて、ゆっくりと見学できますよ。場所はこちら:34.494593,135.702261↑弥宮池(やみいけ)1号墳の解説板北へ100メートルの場所にあった6世紀後半築造の弥宮池1号墳(円墳)。内法全長7メートルの石室。↑移築され
1月4日に訪れた栃木市大平町にある古墳、続きです↑まずは国土地理院地図より(赤い文字はふっき~が加筆)地理院地図/GSIMaps|国土地理院今日アップするのは茶臼山第1号古墳。(白岩第7号古墳は明日アップします)↑赤い矢印の先に茶臼山第1号古墳があります。写真を撮った場所はこちら:36.337976,139.678997↑この場所から両毛線沿いにある小道を通って墳丘を目指します。↑茶臼山第1号古墳手前にある大きな石は元天井石かな?直径
6月17日に訪れた日野市の古墳巡り、続きです以前のブログで、新撰組の土方歳三の出身地が日野市と書きましたが、日野市って土方さんという名字、多いんですよ(たぶん)さてさて古墳について↑西平山古墳群1号墳、現存直径5~6メートルほど、高さ1.4メートルほどの円墳。6世紀中頃築造。紫陽花が咲いています。↑1号墳を別角度でこちらから見ると、「古墳」ということがわからないですね↑国土地理院図より、赤い〇や文字は「ふっき~」が付け加えたものhttps://maps.gsi.
茨城県つくば市にある古墳、続きです。訪問日は3月28日。『常陸の古墳群』によると、3基の円墳からなる赤塚駒形古墳群。1号墳と2号墳は6世紀代築造で埴輪をもつとのこと。現状、2基が削平され、現存は1号墳(鹿島神社裏古墳)のみ。↑つくば市赤塚にある鹿島神社場所はこちら:36.039895,140.119799↑鹿島神社裏古墳(赤塚駒形古墳群1号墳)手前にある石碑・・・・石室石材?↑埴輪の破片がありました。突帯ですね。↑立てかけてるのは
おはようございます(*--)(*__)ペコリ昔のアルバムを見ていると懐かしい写真がいっぱい出て来ました。.+:。ヾ(◎´∀`◎)ノ。:+.まずは今から二十年以上前に訪ねた天王原古墳の写真👀📷️✨この看板もまだ残っているのかな?🤔こちらの古墳は古墳時代後期(七世紀)のものだと推測されています。墳丘は現存しませんが、おそらく円墳ではなかったかと推測されます。残されているのは石室の一部奥壁の一枚岩と側壁の一部です(;´・ω・`)出土品としては金環、鉄斧、須恵器等々です゚+.゚
中学生か高校生の頃、ニュースで流れた藤ノ木古墳から出土した靴と冠、今もけっこう覚えていますもちろん当時は「古墳」自体に興味をもってませんでしたが被葬者は穴穂部皇子と宅部皇子か?みたいな情報にワクワクしていました↑藤ノ木古墳、南東側よりベンチもあってキレイな公園として整備されています。直径48メートル、高さ9メートル、6世紀後半築造の円墳。↑解説板を抜粋、整備される前の藤ノ木古墳。ふっき~としては、これくらいが良いのですが↑コンクリートで固められた
丸山宮址(伝神武天皇丸山御陵)大和国高市郡奈良県橿原市大久保町(「畝傍山」内)(登拝記事は→こちら)■祭神(不明)「畝傍山」北東部麓、尾根裾辺りに鎮座する古社地。「宮」と刻まれた5本の石碑で円形に囲われた一角。社殿等は存在せず、現在は奉斎もなされていません。◎この地が神武天皇の「橿原宮跡」であり、また「御陵」でもあったという伝承が残っています。宮跡比定・陵墓治定の経緯を辿ると、現在の橿原神宮や神武天皇陵は明治政府が恣意的に行った結果であることが浮彫りとなります。以下、Wikiよ
3月28日に訪れた茨城県つくば市の古墳、続きです↑つくば市上岩崎にある(上岩崎)稲荷塚古墳、東側の様子西谷田川左岸、標高約22メートルの台地上。直径約18メートルの円墳。場所はこちら:35.980811,140.100183↑南側から赤い鳥居と「稲荷塚古墳」と書かれた標柱もあります。↑墳頂にある小さな祠↑墳頂から振り返って↑西側の様子
9月28日に訪れた石川県。まず最初に訪れたのが石川県金沢市の才田御亭山(さいだおちんやま)古墳です↑才田御亭玉古墳、北西側より現地に訪れた時は「ずいぶん平地にあるなー」という印象でしたただ、グーグルマップ等の上空からの写真を見ると微高地上ですねこの古墳から北西方向には「河北潟」があるので、古墳時代にはすぐ近くまで海が迫っていたのでしょう。↑才田御亭山古墳、南東側より直径約20メートル、高さ約5メートルの円墳。↑「お亭山の由来」完全に「古文
☆喪山古墳美濃国不破郡岐阜県不破郡垂井町垂井1966(P無し)(登拝口は冒頭写真の反対側、道路は広いものの住宅地であり停め置きは難しそう)天稚彦の伝承墓。非常に謎深い神であり、私自身もまったくその正体を掴みきれていません。記紀には天孫降臨の2番目の神として地上へ遣わされます。最初の天穂日命派遣が失敗に終わり次に派遣されています。ところが大国主命の娘の下照姫と結ばれ、8年間も復命しませんでした。さらに自分が地上の王になろうとして高天原を裏切ります。そこで高天原司令塔高皇産霊神
昨日アップした「道の駅かつらぎ」近くにある「弥宮池1号墳の移築石室」と「小山2号墳の移築石棺」がある広場より、南阪奈道路をくぐった先に太田古墳群弥宮池支群に属する2基の古墳があります↑昨日と同じ国土地理院の航空写真(赤い文字はふっき~が加筆)地理院地図/GSIMaps|国土地理院↑弥宮池(やみいけ)2号墳、南側の様子。墓地になっています場所はこちら:34.495768,135.702365↑弥宮池2号墳の墳頂、赤い〇で囲った箇所、天井石と思われる石が
大洗町の諏訪神社から近く加波山神社がありました小さなお社です道路の脇にちょこんとありますなかなか良い気ですあらポスター発見磯浜古墳群じゃ~古墳がたくさん早速行ってみましょう着いた先は車塚古墳です結構大きいなぁ円墳ですこの一帯が古墳ですねこの扉から入って良いの
3月13日に訪れた愛知県春日井市の古墳、続きです。↑住宅地の中、奇跡的に残された高蔵寺第3号墳、西側より直径約15メートル、7世紀中頃築造の円墳。場所はこちら:35.261657,137.049725↑高蔵寺第3号墳の解説板↑南側に横穴式石室が開口しています。玄室長さ3.4メートル、羨道長さ3.8メートル、全長7.9メートル。高さ1.8メートル、幅1.4メートル。須恵器の堤瓶、広口壺の破片が出土。↑7世紀中頃の石室ですが、切石ではないん
1月21日に訪れた茨城県小美玉市の古墳、続きです↓昨日アップした折戸古墳のすぐ南側↑香取神社、一の鳥居(木製)があります。こちらから香取台稲荷古墳を目指します。この鳥居のある場所はこのあたり:36.172750,140.346505↑参道とてもキレイにされてました。大事にされてる神社のようです↑参道を進んで行くと、右手に香取台稲荷古墳が見えてきます。直径約15メートル、高さ約3メートルの円墳。古墳の場所はこのあたり:36.171988,14
富山県への一人旅、最初に訪れたのは若王子(わくおうじ)塚古墳と宮塚古墳です↑北側(国道8号線)より左が若王子塚古墳、右が宮塚古墳。国道を走る車からも、よく見えます↑国土地理院図より、赤い〇は「ふっき~」が付け加えたものhttps://maps.gsi.go.jp/#16/36.716023/137.310150/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=airphoto&vs=c0j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1国道と新幹線の高架に囲まれた地域です
8月19日、富山県への一人旅中に訪れた古墳、続きです今回の富山県での古墳巡り、事前リサーチは古墳の位置くらい。各地の古墳がどんな形状か?まったく知らずに訪れています。↑清水堂古墳、北側より白岩川流域古墳群に属しています。この古墳、実は新幹線に乗っている時、発見していました「あっ!墳丘の形状を利用して全部が墓地になってるよー!」と車内でニヤニヤしていたんですよ。清水堂古墳に近づいて、「さっき新幹線から見た古墳だ!」と気がつきました(笑)↑国土地理院図、1974~
「田舎っぺうどんさきたま古墳店」が閉店する!そんなコオロギさんからの情報があったので、昨日(2月3日)行ってきました↑田舎っぺうどんさきたま古墳店こちらに初めて訪れたのは2017年の7月。麺のコシに驚き、すっかりハマってしまいました↑今回食べたのは、きのこ汁の重ね盛うまかったー相変わらずお客さんがたくさんさきたま古墳公園拡充に伴う移転とのこと。お金を払う時に店のお婆さんお姉さんに尋ねたところ、移転先は決まっていないものの、「古代蓮の里」あたりに移転しそう・・と
上天草市松島町阿村に所在する県指定史跡の大戸鼻(おおとはな)古墳群です。上天草市HPによると、大戸鼻古墳群は、大戸ノ瀬に突き出した標高30mの大戸鼻丘陵にある5基からなる古墳群です。そのうちの北古墳・中古墳・南古墳の3基は、昭和49・50年に保存工事が行われました。北古墳は、奥行き2.1m、幅1.9mの方形の横穴式石室を持つ装飾古墳です。石室内の北側の石障に線刻で3個の円文と東側に4個の円文が描かれています。中古墳の構造も、北古墳と同様の横穴式石室です。内部は奥行き3m、幅1.
https://twitter.com/_9105294027642/status/1490975475535020032?s=21ヴィクトリア女王情夫に小松宮彰仁親王が選ばれた理由。女王はユダヤ人ディズレリー首相の知識と包容力に引かれ、度々邸宅訪問。肉体関係。女王のソロモン王への憧れから、ソロモン王子孫亡命日本で、似た情夫を求め、マクレオド来日。親王は試され合格。贈呈されたネクタイを締め続けた為、本人確認。pic.twitter.com/VrX35gNzCg—片山徹(@_91052
こんにちは、スタルペスです。馬塚(うまずか)古墳から国道3号線に戻り、北に行ったところに日輪寺というお寺があります。”つつじ”が有名で季節になると日輪寺公園の山一面がつつじの花でいっぱいになります。私たちも何度か”つつじ”のお花見に伺ったことがあります。しかし、今年は新型コロナウィルスで「さくら」「つつじ」「ふじ」の春のお花見はことごとく自粛で楽しむことができませんでした。その日輪寺公園に古墳があるということで緊急事態宣言が解除を理由に伺うことにしました。日輪寺は、国
前回、広島県東広島市の三ッ城古墳、第1号古墳について書きました今回は、その続きで第2号古墳&第3号古墳のお話です【第2号古墳】↑直径約25mの円墳。こちらは、第1号古墳より先に築造されていたものだそうです第1号古墳のすぐ隣にあります↑3基の位置関係ですが、看板によると、上から第1号古墳、第2号古墳、第3号古墳となっています丘に登り、この連続する3基が見渡せる写真を撮影一番奥から、葺石のあるものが第1号古墳、青い矢印が第2号古墳、赤い矢印が第3号古墳です第3号古墳が、説明パネルによる
京都・大阪の一人旅中、かなりの数の「こじんまり古墳」も巡っています4月29日に訪れた「こじんまり古墳」、3基をアップしますまずは京都市西京区大原野石見にある芝古墳(芝古墳群1号墳)↑芝古墳(芝古墳群1号墳)、南東側より左手が「前方」部、右手が「後円」部。墳長約33メートル、埴輪をもちます。6世紀初頃築造の前方後円墳。ロープが張られており、これ以上近寄れません。↑『井ノ内車塚古墳第9次調査現地説明会資料』より拝借上記の分布図にあるように芝古墳の周囲にも円墳が存在する
11月5日は茨城県取手市へ+古墳探訪です↑堤防の先、河岸段丘上の森の中に市之代古墳群(1号墳・2号墳・16号墳)右手は小貝川取手市農業ふれあい公園に駐車場があります↑農業ふれあい公園駐車場の案内図、古墳群の分布図が記されています↑市之代古墳群1号墳、左手前が「前方」部、奥が「後円」部の前方後円墳↑市之代古墳群1号墳、「後円」部の裾の様子竹やぶが激しくて、全体像が撮れません墳長26メートル、「後円」部径16メートル、高さ2~4メートルの前方