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ご訪問ありがとうございます。雄略天皇、今回以降は外国関連の記事が増えていきます。夏四月、百濟の加須利君カスリノキシ蓋鹵コウロ王であるは、人伝に池津媛が焼き殺されたことを聞いて、適稽女郎チャッケイエハシトである相談して「昔、女性を献上して采女としたが既に無禮なことを行い、我が國の名を貶めた。今より以後は、女性を献上するのはやめよう。」と言った。そして其の弟である軍君コニキシ崑支コニキであるに「そなたが日本に行って、天皇に仕えよ。」と言った。軍君は「王の命に違うことはありません。願わく
ご訪問ありがとうございます。「雄略天皇紀」に描かれた眉輪王の変です。もう一度読み直しましょう。最初は褒め称えたいつものパターン大泊瀬幼武オオハツセノワカタケ天皇は、雄朝嬬稚子宿禰天皇=允恭天皇の第五子である。天皇は、生まれた時に神光が宮殿に満ち、長じて壮健であることは人に抜きん出ていた。慈しみ深いとか礼儀正しいとは書いてないのに注意(o´艸`o)♪3年8月、穴穗天皇は沐浴をしようと山の宮に行幸され、高楼に登って眺めを楽しみ、酒宴を催すように命じた。しばらくするうちに楽しさも極まって宴