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ご訪問ありがとうございます。前回まで「日本書紀」の雄略天皇のところを読んでいましたが、外交関係の記事ではおよそ20年のズレがあり、允恭天皇の頃の出来事が「雄略天皇紀」に入っているということがわかりました。つまり「日本書紀」の編者たちは、外交についての史料、ほぼ「応神天皇紀」と「雄略天皇紀」に集約して、あまり綿密な考証は行わなかったと言うことが言えます。そういうことですから、「神功皇后紀」~「雄略天皇紀」について、倭の五王を大和王権の人物とすることは妥当とする一方で、「日本書紀」に基づ
ご訪問ありがとうございます。今回から雄略天皇の治世に入って行きますが、このお方、あんまり書かれ方が良くない(^^;)その理由はおいおい指摘して行きます。(雄略天皇)元年春3月3日、草香幡梭姬クサカノハタビヒメ皇女を立てて、皇后と為す。またの名橘姬皇女。えーと(;^_^A分注の橘姫皇女ですが、何かとヤマトタケルに戻って申し訳ないですが、雄略天皇がワカタケ、またはワカタケルという名前(大泊瀬幼武オオハツセノワカタケ天皇)なので、昔からヤマトタケルのモデルだと言われてまして、「古事記」