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友人がお線香をあげに来てくれました。娘が幼稚園の時からのママ友です。歳も同じだったこともあってかとても気が合い長いお付き合いとなっています。夫が亡くなってから数回訪問してくれていますが、毎回、『思ったより元気で良かった‥‥』と、心配してくれます。ありがたいです会話の中で、夫は余命を知る事を強く拒んだと、伝えました。逆にわたしは絶対に知りたいです。友人も同じでした。生命が尽きる前に、会っておきたい人もいるし、子供たちにも(大人ですが)伝えておきたい事もあ
いつまでたっても変わらない息子に気持ちが沈みますいや、変わろうとしているのか??そんな風に見えた時もあったけど…父親の癌余命そんな恐ろしい事態に直面して何かしら感じて今度こそ動き始めるのでは期待して見守り中…こんな悲しいきっかけでも息子がそれで変わるなら病気も無駄じゃないねチャンスだねそんな話を夫婦でした長男の将来が心配旦那が逝き私が逝き1人になるよどんどん歳とるよ早く動き出さないと!何だって良いのよ自分の為になる事に時間を使って誰かの為になる事に時間
夫は簡単に嘘をつく人でした。例えば数時間後にはバレてしまうであろう嘘も平気でした。『どうせバレるなら本当の事を言った方がいい』とは思わないようでした。嘘の実績を淡々と積んでいくのです。癌が発覚して、余命も短いと分かった時点で、期待をしていました。もう嘘はつかないだろう‥‥誠実に生きてくれるだろう‥‥と。信じて疑わなかったわたしです。でも、夫は違いました。やはり普通の人ではなかったのです。自分を守るための嘘自分を良く見せたいための嘘亡くなるまで言い続けたので
いよいよ運命の日腫瘍マーカーCA125は前月は334今回は369で微増残念下がってくれなかったドキシル、効いてくれない造影剤CT検査結果は3カ月前よりもちろん腹水激増背中や横腹痛いときあったのに転移はなし主治医もこの結果をみてかなり悩んだんだろうなあいつになく饒舌「ドキシルは副作用がデカドロンで抑えられてるのでやってもいいんだけどそうだなマーカーが悪かったときの404を超えたら抗がん剤中止にしよう」先生、余命は?「余命?わからない
ご訪問ありがとうございます。いつも思っていたのだけれど・・ドラマで別れを描くとき、癌にかかった・・癌を患っている・・特に、私の罹っている「肺がん」で、(もうすぐお別れが近づいていることを匂わせて)別れを正当化するように「がん」を理由にするのが嫌だなあと思うのです。この病気になってから長い時間が経つけれど、ドラマで使われるたびに「またか」と嫌な思いにとらわれます。また、がんが死に至る病と刷り込まれてしまう。がんの告知を受けたばかりの人が見たらショックだろうな
外的環境が安定でないと維持するのが大変なのかも?結構疲れてきました2ndlineローブレナ25㎎服薬中です。(ローブレナ期:13か月)分子標的薬服薬歴が「アレセンサ期+ローブレナ期」で、3年5か月となりました。色々な、ALK肺腺癌ステージ4の状態があるかと思いますが、私の場合は、いわゆる現役世代なので、養育費やローンといった金銭面で、まだまだ稼ぐ必要があります。その為には、一般社会において、私は人的資源となるので、他の様々な人たちと同じ状況で仕事を行う必要が
おはようございます。一昨日は歯医者に行ってきました。揺れていた歯を抜歯。一つ痛みから解放されました😊バス通院中の倦怠感は強く、ナルサスが多いのか身体が慣れていないのか、体調はよくありませんが、ほぼドア・ツー・ドアのデマンドバスが非常にありがたいです。私の病状は痛みを麻薬系鎮痛剤ナルサスでコントロール、起きているのが大変、気を抜くと眠くなる状態です。バスの中、病院の待ち時間、あっという間に寝てしまいます。常に疲れている感じで、疲労困憊と言うのでしょうか、介護サービスに病院の送迎があると良いので
ステージⅢとわかったことについては、前述した通り、ショックが大きく、死んでしまうかもしれないと思いました。調べてみると、色々なネット記事、書籍などにより、書いていることは、まちまちですが、5年生存率は70%、10年生存率は60%ぐらいになります。もっと低い値を示すものもありますが、わたしが一番信用できると思った記事は、上記の値になります。この数値を高いと思う人、低いと思う人、様々でしょうが、わたしは低いと感じています。それに、わたしが一番知りたいことって、『何人中何人がステージⅢという状
『わかってると思うけど、肺がんだね。ステージ4❗️転移もあるからねこれはね〜治りません❗️』夫を含めて家族4人の前で医師は言いました。滑舌良く、大きな声で。一通りがんセンターでの検査が終わると、病院から呼び出しがあり、結果が言い渡されました。その医師はわたしは検査結果を伝えるだけが任務。今後の治療には一切関与しない。と、言いました。『だからね〜わたしはハッキリ言うよ』はい???随分と乱暴ながん告知でした。これにはみんなびっくり‥‥がん告知があの医師
こんにちは。いつもいいねくださりありがとうございます。私は令和5年の夏に甲状腺乳頭がんの診断を受け、11月の手術で検体から未分化が見つかり、12月から分子標的薬を服用し始めた余命2年の人です。パネル検査の結果、BRAF陽性の反応があり、以前からメラノーマで保険適用になっているタフィンラー・メキニストが効くかもということで保険適用になったタイミングで服用を開始しました。この薬が甲状腺においてはどんな効果でどれだけの延命ができるのかをまだ医師が経験しておらず、さりとて結局なにがで
2024年3月12日(火)降って湧いたように、突然突き付けられた。自分の余命。医師に「この一年、”あぁもう最後の○○だなぁ”って思いながら四季折々過ごせますか?」と問うたら・・・「それは無理」と言われてしまった。転移性の肝臓腫瘍(5cm大)に加え腹膜播種でステージⅣ原発は現在、検査中。現段階の診たてでは「肝内胆管がん」とのこと。3月13日~16日まで入院し、もろもろ検査をした。肝生検をしたので、病理検査の結果をまっているところです。
そろそろ次の段階へ・・・搬送された今の病院は急性期の病院なので、ある程度治療の方向性が決まったら転院しないといけない。1月の終わりころ、人工呼吸器を小型のものに載せ替えて胃ろうを増設した。本来なら、転院先は病院だったはずなのだが、以前にも記したように病院は面会ができない。危篤にならないと会えないなんてありえないと思い、在宅を・・・と思案したがいろいろハードルも高い。そこで、以前からお世話になっていた障害者基幹相談支援センターの方がグループホームを探してきてくれた。電話でお話だけでも・
ふと、最近思うことがある夫は結局最後まで余命と言うものを言われなかったいや、聞かなかったと言った方が良いのかな?今になって、ステージ4の中でも夫の症状はかなり悪い方だったのではないかと思う。全身転移に脳には2センチの大きな腫瘍が2つ他にも小さいものが数個そして、夫が最後に入院したときに主治医に聞かされた言葉ご主人は治療ではなく延命なので、次回の抗がん剤はやめましょうと。そうか、夫が頑張っていたのは治療じゃなくて延命だったんだと、この時ものすごく後悔したんだった。なら、
前にリンクしようとしていたブログ↓『死の予感』私は10年前に、原因不明の不可解な肺線維症を発症し、当時ネットを調べると、ブツブツバリバリという呼吸音(ベルクロラ音)が出てくると、最長でも余命は5年程度と…ameblo.jp死期が近い人の特徴とは?スピリチュアルなサインを解説死期が近い人に見られる特徴があることをご存じですか?死ぬことは未知の体験であるからこそ、気になる人も多いかもしれませんね。今回は、スピリチュアルな観点から見た死期が近い人の特徴について解説します。woman.
こんばんは、さくらです🌸先程見ていたNHKの番組で、余命を告げられた方々の日常が出ていました。その中のお一人、ととあさん。結婚3年、30代の可愛らしい方でした。酸素のチューブを付けていて結婚式をした場所に記念のディナーに行った事が描かれていてととあさんー『来年も来れるかな』旦那さんー『来れるよ、頑張ろう』ととあさんー『うん頑張る』って何も食べれない中、一生懸命ケーキだけを口にしながら言っていた会話に涙が出ましたそしてととあさんは、その2週間後に旅立ってしまったと。。。旦那さん
ついに飼い主さんが御入院されてしまわれたそうです。。。ご存命のうちに!再度アップさせて頂きます❗写真を撮ってきてもらったので改めてアップします。岡山より行き場のない猫くんの里親募集です。クロちゃんです。飼い主さんは高齢の一人暮らしの方。余命短いとのことで、本人もご承知です。既に酸素吸入もされており、少し動くと息苦しくなり、猫のお世話は全くできず、ヘルパーさんや訪問看護師さんが、ちょっとお世話してくださる程度です。それでも猫の行く末が気になり、入院もされません。訪問看
皆さまお久しぶりでございます。ぐぐは余命を半年超え毎日記録更新の日を送っております。1日1日大切に大事に生きています。見初めて縁があってうちの子になったからには何としてでもそう簡単に手放すことは出来ません。可愛いんですよすごく。苦しくない穏やかな時間が長く続くことを祈るばかりです。12月10日でまりちゃんの命日を迎えました。
無事に迎えられた元旦。気持ちを新たに、今あるものに感謝して、と思っていたのに…ダメでした。朝起きて、リビングで独り、何気なくテレビをつけると、新年のお祝いムード一色。当然のことです。喜ばしいことです。それなのに、私の心はどんどん暗くなっていきました。新年の抱負も、おめでたい料理も、初売りセールも、私には無関係なものに思えて…去年までは、ああしたい、こうしたいと願えたし、おいしいものを見れば食べに行こうと思えた。新しい服を買って出かけたかった。でも今は、楽しみにできることが思いつき
今日は久しぶりに母とお出かけしました。以前、私は小さな英語教室を開いていたのですが、病気になり、クローズさせていただくことにしました。今日は長く通ってくれた生徒さんたちへのプレゼント選びのため、母に付き合ってもらって久ぶりの街歩きです。「首元が寒いんじゃない?」「荷物持とうか?」「足元気をつけて」と何かと私の身体を気遣う母。本当なら、私が母を気遣うべきなのに…それでも一緒にいるうちに、だんだんと気持ちがほぐれ、病気のことも冗談めかして話せるようになりました。
暮れも押し詰まったある日、クリニックからもらった紹介状を持って地元では唯一の大学サテライト病院へ。とにかく混雑極まりなく、予約無しで行った初診患者は待ちつづけるしかないだろうと思ったが、割とはやく呼ばれて診察前に血液検査、CT検査を受けて来るように案内された。なんていうのかな、病院全体が薄暗い印象でCT検査室なんかも古めかしい印象。気が滅入りそうになりました。診察室に呼ばれると、若い女医さんが「あのですね、いきなりショッキングなこと言いますよ」と。そして膵臓癌であることを告げられました。そ
ドイツ・ハイデルベルク大学から下記の謝絶する旨の返事が来た。Unfortunately,aDWIMRIwasuploadedratherthanarecentPSMAPET.PSMA-PETisastrongpredictivefactorfortheprobabilityoneparticularpatientrespondstoPSMA-targetedtherapy(regardlesswhethertheradiolabel
2023/10/15術後5日目昨日、術後初めてシャワーを浴びてさっぱりしたはすが急に体調不良になった腹水が溜まって肩で息をしていた頃と同じような感覚しばらく横になっていたけれど一向に良くならないのでナースコールを押してみた血圧や血中酸素濃度を測って特に問題がなかったので「横になって様子見ますか」と言われた様子見て改善されないからナースコール押したんだけど…しんどいという気持ちがマックスになり過呼吸を起こした今度は当直の医師に看護師5〜6人採血が出来ずに
『余命があと半年と宣告されたとします。あなたはどうしますか。それでもマイホームが欲しいと思いますか。出世したいと思いますか。お金を儲けたいと思いますか。たぶんそんなことはどうでもよくなります。あなたはこう思うのではないでしょうか。「愛する人との時間を大切にしたい」と。「愛する人と過ごしたい」と。「愛する人ともっと愛し合いたい」と。魂は愛を求めているのです。愛に生きる。これが人生の基本的な価値観なのです。』(アダム徳永さん)https://www.fac
11月24日(金曜)(IE3クール2日目)❷夕方病棟先生が来た。①セカンドオピニオンについて、先生の考えを聞いた。「気になってる病院があるなら治療法を聞きに行くのは良いと思う。こことは違う提案をしてくれる可能性もある。ここは保険が効くエビデンスのある標準治療だしね。病院によっては標準治療とそうじゃない治療を組み合わせてる所もあるかもしれない。実際そうゆう患者さんも見ている。」私は自由診療はやるつもりがない事、セカンドオピニオンを受けるつもりもなかったが、手術に関して何か提案のある病院が
プロローグ令和5年2月16日(木)「かなりの確率で膵臓癌ステージⅣですね」「肝臓にも小さな影が幾つか見えます」「手術はできません」「そうですか…まいったな…」総合病院消化器内科の診察室にてドラマと違うのは、余命を聞く事はできなかった最初に頭に浮かんだのは、妻の顔どうやって伝えるべきか?涙を拭く姿が浮かぶ急に体が固くなったそして中3の娘が高校受験を控えている事長女の自動車学校やら、短大の実習の事やら診察室の机に目を落とす。まさか予想していなかった診断結果膵臓の病気だ
よくネットで調べると「早期発見でエイズの発症を抑えてHIVウイルスを抑え込める」と書いてある記事を多く見かけます。それを観て思ったことですがエイズを発症した人の予後についてあまり伝えられていないことが多く不安を煽っている気がしてなりません。結局、HIVの感染のみであればうまくウイルスをコントロールできれば寿命を全うできると。でもエイズを発症した人はどうなのか。その辺は調べても良い記載なく結局何が正しいのかわかりません。エイズの発症は死に直結するという
こんにちは。いつもいいねくださりありがとうございます。いつの間にか徐々にフォロワー様が増えていて驚いています。お役に立つ情報があるとよいのですが、甲状腺未分化がんという甲状腺がんのなかのほんの1~2%を射抜いてしまった私が経験する患者の生の声を、この世を去った後もお役に立てていただければと思って綴っています。私は令和5年夏に甲状腺乳頭がんの診断を受け、11月に手術したところ検体から未分化が見つかり、12月から分子標的薬を服用することで余命半年から2年に延長予定の人です。本日
6か月以上は生きれそう。厳しい話は分かってた。主治医先生の話。頭を抱えるご主人としっかり見据えて話を聞く息子を見ながら、私がいなくなっても、二人ともがんばれ!そんな感じに思った。
だめおやじです。昨日マルクの結果を家族と共に聞きました。寛解状態ではあるが1〜2%白血病細胞が残っている。べスポンサにより軽度のVODになっていた。輸血の不応答?不応性?だかで血球が上がらない。VODの兆候があるので、移植まで少し時間稼ぎが必要。時間稼ぎしていると白血病細胞が増えるので別の治療を間に挟む。この治療は白血病細胞を減らすというより、現状キープが目的。血球が上がらず感染症の危険が増える可能性が高くなる。血球が上がらない場合、連続入院生活で移植まで行くと半年以上入院生活
前回、「我が人生に悔いなし!」的なことを書いてしまいましたが、娘たちを残していくことはとてもつらく、口惜しいです。現在、娘たちは12歳と15歳。余命を自分で決めたとき、プラス2年で14歳と17歳。まだまだ幼いけれど…「ギリ行ける!」と思いました。14歳と17歳なら身の回りのことは自分でできるし、つらくても状況は理解できるはず。そして悲しみから立ち直る術を自ら学んでいくでしょう。姉がブライダル関係の仕事をしているのですが、母親を亡くし、父子家庭で育った花嫁も少な