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こんばんは今日は3度目の正直!抗がん剤治療薬変更日でしたが、案の定抗がん剤治療断念という形になりました。そしてあとは穏やかに最後を迎えるしかない緩和ケアだけが残りました。もう痛み止めが効かないのです。今回薬の変更などドタバタでしかも連休が重なり痛み止めのトラマドールが通院日まで最後1日分足りなくなってしまい代用でカロナールで対応しましたが、カロナール200を1日16錠飲んでも痛いのです。私は今日も先生に先に呼ばれて抗がん剤治療中断の宣言をされました。覚悟していたのに思わず
実家には毎日電話して様子を聞いてました。父は寝ていることが多い様子仕事を休職前の最後の土曜日に食事を持って実家に帰りました。母はかなり不安がってて後5日程で毎日来れるようになるからね後もう少し頑張ってねと言って帰宅次の日実家に電話したが、何回かけても電話に出ないのでおかしいと思い急いで車で実家へ家に入ると真っ暗の部屋に父と母が二つ布団を並べて寝ているどうしたん?お母さんが腰が痛くって動けないと父様子を聞いているとまた圧迫骨折か⁉️まだ前よりは少し動けるみたいなので
「哀しみの笑顔」彼女はいつも笑顔で周りを明るく見せる女性だった。しかし、その笑顔の裏には深い哀しみが隠されていた。彼女の名前は寿々(すず)。彼女は幼い頃から周囲の期待に応えようと努力し、いつも笑顔でいることを心がけていた。だが、内面では孤独や絶望に苛まれていた。寿々は幼い頃に両親を亡くし、親戚の家で育てられた。家族に愛されることがどれほど幸せなことかを知っていたが、自分にはそれが叶わないことを悟っていた。成長しても、寿々は自分を愛してくれる人が現れることを信じ
昭和が遠くなったと思う。では昭和とはなんだったのだろう?人には色々な昭和があるが、癌の告知ーというのが分岐点だったような気がする。平成の重松清の小説「その日まで」では容赦なく癌が告知されている。人は生まれたら、いつかは死ぬものだし、事実は事実として受け入れるというのが当然のようになってきたのだ。勿論余命は絶対ではないけれど、嘘で騙すことはなくなった。1988年昭和天皇の病状を伝えるのに宮内庁は真っ赤な嘘をついた。何故なら本人に知られてよいことはなにもないからだった。
日本の4月30日は、ちょっと辛い日です。6年前の4月30日、妹から電話がきてくだらない話をしながら、「なんかお腹が張るんだよね〜、ゴールデンウーク入っちゃうと病院休みだから明日行ってこようかな。多分この前の肝臓の検診で新しい薬(B型肝炎のキャリアで肝臓の薬を飲んでいました)に変えたからその副作用でお腹が張るってあったから、それだと思うけど〜」っていうので、私も「うんうん、前の薬に戻してもらえるといいね〜。」なんて話して。この日の妹は、友達とテニスをして帰ってきて「テニス暑かった〜
岸部一徳の妻が緊急逮捕の真相...近所住民が恐怖した奇行に驚愕!『相棒』でも活躍した名俳優の余命宣告された難病...突如襲った病魔の正体
夫が亡くなったことを伝えるとき、私はほとんどの人に、肺の病気で……と言ってきました。おそらく大半の方は、肺がんを患っていたと思われたことでしょう。夫は2012年の秋、肺アスペルギルス症と診断されました。(他界する約10年前のことです。)このブログは闘病ブログのつもりでもなく、夫が亡くなっている今、今さらながら病気の詳細について綴ることはやめようと思います。なので、簡単に……肺アスペルギルス症は、アスペルギルスというカビによる肺の感染症で、5年生存率は約50%と言われる、予後不良な病
しあわせな人生の選択2017年7月1日(土)公開末期がんに侵された男性と周囲の者たちとの最期の日々を追い、スペインのゴヤ賞で作品賞はじめ5冠に輝いたドラマ。スペイン在住の友人フリアンを訪ねたトマス。フリアンは余命いくばくもなく、愛犬トルーマンの新しい飼い主探しなど彼の死に支度に付き合う。あらすじカナダ在住のトマスがスペインで暮らす長年の友人フリアンのもとを訪れたところ、フリアンのいとこ・パウラからフリアンが肺がんに侵され余命いくばくもないことを聞く。すでにがんの治療を諦め死に支度を
先週の泌尿器科での検査で前立腺ガンの指標「PSA」値は測定限界値の「<0.009」だった。前立腺ガン治療薬「フルタミド」がよく効いていて3年間効果が持続しているのは嬉しいことだ。3年前までは「ピカルタミド」を使用していたが、効かなくなり「フルタミド」に切り替えた経緯がある。ただ手放しで喜んでいるほど、楽天的でもない。この薬の効果は平均3年ほどだ。いずれ必ず効かなくなるときがやってくる。がん細胞に薬に対して抵抗性ができるためだ。次の薬
まったく食べ物を受け付けなくなりずっと寝てるポッキー閉じた口の横から注射器で水をやっても、いやがるばかり。指で犬用ちゅ~るを無理やり口に入れるも拒絶される老犬が食べることを拒否したら、余命3日ほどとネットで見た。今日・・・・2日め。病院で点滴すれば少し延命できるだろけどそれは、もうしたくない。ポッキーもきっと家にいたいと思う。明日も仕事・・・気になりながら行かねばな~。
カナダドライの辛口よりさらに辛いかも?中途障害者になって以降のオレは、世間的には余生と呼ばれる範疇の中で生きていることになっているのだと自分では思っています。それでも、やれ一人暮らしだ、再就労だ、もう一旗揚げるだのと世俗的な野望は一向に尽きることなさげな未だ懲りない忙しいジジイなオレです。その一方で、そんな日常的なパーソナルな野望や願望とは別に、公言してもいい「できれば死ぬまでに誰かと一緒にやりたいことリスト」も作っておこうかな?と最近よく考えます。オレは人間としてもかなりの俗物ですが
検査入院退院から約1週間後、外来にて結果説明を受ける退院後の数日間は痛み止めの薬の効果が切れる時間帯に苦痛があったがその他はこれまで通りの日常膵臓部腫瘍生検結果説明〇病理診断にて膵臓癌(腺癌、膵尾部)〇ステージⅣ〇大きさ約3.5cm〇転移は肝臓、骨〇治療を行わない場合の余命は3か月、抗がん剤治療をした場合は1年位ある程度覚悟はしていたがかなり厳しい内容すぐに抗がん剤治療を開始することを勧められたが夫はしばらく考えるとのこと仕事の都合があ
ダイちゃんの抗がん剤治療、今回は第6週目ビンクリスチンの投与。まずは体重をチェック。6.26kg少し増えていましたよしよしそして血液検査の結果は、白血球も正常に作られていました。よしよしそういうわけで今回も無事抗がん剤を投与することができました。体調もすこぶる元気で、嘔吐もなく食欲もあるということで抗がん剤が効いているのかなぁ。だといいなー。治療費は23,320円でした。(抗がん剤は15,000円です)次はGW明け、5/7にシクロホスファミド投与と続
金持ち父さん貧乏父さんは金持ち父さんについてしか書いてないので、骨肉の争いの本ではないが、書いてある意味は分かるが習慣としてこういう考え方が身についてないのと、習慣として身についてない考え方で、経験については既に誤った考え方に分解されてるので、本から得た知識が記憶から消えていく。。。声に出して読みたい日本語。読んでて声出た方の声に出して読みたい日本語。日本国憲法前文の暗記を教える先生は多いらしいですけど。。。(気が付いたらうちの家に六法全書がないことを各所から指摘されてたけど
壊れてしまったもの千束の人工心臓に手が加えられ、充電ができないことで余命宣告が為されてしまう。ショックを受けるたきな。そして時同じくDAへの復帰の辞令を受ける。第9話What’sdoneisdoneAmazon(アマゾン)淡々と残酷な宣告を受け入れる千束ちゃん。一気に物語が切なさを増し、核へと近づいてきましたね・・・必死で千束のそばでなんとかしたいと願うたきなちゃんが健気で。でもたきなちゃんのためにDAへの復帰を打診する千束ちゃんも健気で。二人ともいい子すぎて
こんにちはゴールデンウィークになり、姉が帰省しており少し余裕が出来たので母の現状報告です。母は先日余命宣告を受けました。余命宣告は私だけこっそり呼ばれました。腹膜播種がある胃がんステージⅣは平均の余命が1年。母は予定よりも体調が悪くそれよりも早く亡くなるかもしれない。しかし腹水を抜いて食べれるようになれば抗がん剤治療も出来、余命が伸びるかもと。私は先生に余命3ヶ月を切っているという事ですか?と質問しましたが、これも腹水を抜いたその後の体調によると言われました。先生ははっ
こんばんは腹水を抜いてから5日経ちました。腹水を抜いた針穴から未だに水が出てきています。声は弱々しくボソボソと話します。昨日あたりから足首から下の浮腫が酷いです。ぶよぶよしています。一生懸命オイルマッサージ+指圧マッサージ機で2時間かけて血行を良くすると多少マシになります。ご飯も食べれる量はさほど変わらず痛みも日々強くなっています。血圧も上が110〜100の間を右往左往。足先も冷たい。先生はまだ余命が残り3ヶ月切るかどうかははっきりと分からないと言っていましたが、色々
70歳を目前にしてジジ活を始めました管理人のシローと申します。数年前にパパ活に挑戦しまして、コロナ禍の中、主に20代のJDさんとお付き合いしました。その後、勤めていた会社が倒産したり、老母の介護が必要になったりといろいろありまして、パパ活から引退しました。現在は、気ままな年金暮らし、と言っても全然生活費にも足りてなく、近々経済的には破綻しそうな状況です。それなのになぜジジ活なのか?はっきり言いましてもう余命いくばくもないという自覚があるからです。男としての機能にも自信がありません。し
内科に転科して再度主治医になった先生と話した内容で、その時はパニック状態で思考が追いついていなかったけど、改めて思い出しながら考えてみました。自分での理解だから合っているかどうか定かではないのですが…・何もしなかった時の余命は平均して1年。→これは受け入れるしかないです。でも、頭では理解しようとしてますがかなり辛いです。・転移の場合のステージはその時点でⅣとなる。→はい。こちらも受け入れるしかないです。血液かリンパに乗って全身に行っているのでしょう。想像するとこわいです
おはようございます。余命。がんになり気になったことは、あとどの位生きられるのか・・・初めからかなり気になっていました。結果から言えばまだ分かっていない、決着はついていませんが、多くのがん患者を看取ってきた、医師なら余命宣告はそうそう外しはしないのかな~と、言うのが今の感触です。患者の受け止め方や、現状把握の状況により、医師が意図的に短めに言ったり、長めにぼやかしたりすることはあっても、医師の本音が聞ける信頼関係があるのなら、主治医はおおよその見当は外さないのだろうな~というのが、私の感想で
お目に止めていただきありがとうございます所在不明だった父5日前突然の電話‥末期がんで入院中余命3〜6ヶ月、要介護3、短期記憶欠落戦時中に産まれ破天荒な人生を送り80年色々振り回され、恨み怒りで父にハサミを向けた時、突然「プツン」と糸が切れ、父の全てを受け入れてから楽になった母の性格では、かなり寂しく辛い思いをしてきたんだろと‥今日お見舞いに行くと、痩せた姿でベットに横たわってました「みんな元気しとるか?」と。「ありがとう」をたくさんもらいました私からも「ありがとう」と恩返
父に余命を告げるか告げないか問題私は告げた方がいい!母姉は告げない方がいい!自分自身なら言ってほしいと思うから正直、死ねのが確定なら怖いもの無し身体さえ動けば‥どこかの医師が言ってたな余命がわかるから癌という病気はそういう意味では良い病気だ。死ぬ準備ができる。父はまだ動けるし、会いたい人にも連絡出来るし近場なら旅行でも母姉は余命を知ればショックうけるし知ったところで出来ることは少ない。母も姉も私も自分自身に置き換えて答えを出してる。主観でしか判断できてません今さら
今日の本初読みの作家さんおじゃましている、ブログの方を読み、手にとりました。物語は、父が腰痛を訴えて検査を受けたところ、がんが発覚。余命はどんどん短くなっていくが、打つ手はなく。別れを前にした、妻、娘たち。それぞれの思い。がんについては、がんの部位やステージにもよりますが、このお話では進行の早いがんでした。同じ姉妹でも、同居しているか、結婚しているかでも感じ方は異なると、よく表現されていて、共感しました。結婚してない姉に、死ぬ前に結婚してほしいって思う両親。でも、実際はー。子供
は?俺なんか余命半年って95年前に言われたけどずっと○ぬ気がしなくて今はいつ○んでもおかしくないって親戚一同に言われてるし🌱いつもご閲覧といいねをありがとうございます✨GWが始まりましたね!沢山の笑顔と平穏に包まれる素敵なGWをお過ごしください🫶🌱うちは仕事仕事ー😆笑明日旦那とカラオケだけど行けるか分からん😳笑さあ今日も笑顔で(*'ᵕ')☆TheBirdMan(from'NausicaäoftheValleyoftheWind')Provid
みんな泣いてるけど私は違う感情余命5年の夫と偽装離婚(保育園代の為、この件は法に触れないのか?)離れて暮らす?子供と離れられる?通いで仕事行けるんじゃないの?私はあんな酷い目に遭っても旦那を見捨てる事は出来ない。
ようこそ新作映画の世界へ一年の僕が、余命半年の君と出会った話。(2024)2024年6月27日公開Netflix独占配信2024/04/25主演永瀬廉×ヒロイン出口夏希×三木孝浩監督SNSで「号泣する」と話題のベストセラー小説実写化今を大切に生きようとする二人が織りなす“期限付きの恋”の物語小説投稿サイトに投稿されていた本作が編集者の目に留まり〝タイトルで筋がほぼわかってしまうにもかかわらず、号泣する〟と書籍化され、「よめぼく」としてSNSを
脊髄小脳変性症、、母の遺伝からなりもう、⭕️年‼️結婚もせず人のために尽くした人生天台宗比叡山で修行したり、山伏だつたり、滝に打たれた人生漫画家👩🎨になりたかったが断念して何故か、天台宗比叡山の修験道へ先祖が、水戸藩、藤田東湖先生の従兄弟‼️見えない糸で、京都の聖護院門跡にて、修行する事になり、27歳の時に一旦、下山し、海苔問屋の営業、また、自分のお参りの会を開き53歳まで続けたその間、お寺から懇願があり、半年だけ戻ったことも、そこで人生を変えた男と出会った!それは、若狭敬一
膵がんはがんの中でも余命が短いと言われてます。そんながんになるとか選ばれたとしか言いようがありません。笑がんになってもうすぐ1年です。先日の血液検査の腫瘍マーカーは格段に下がっていたので、正直嬉しいです。腫瘍マーカーというのががんを表している訳ではないので全力で良くなったとかは言えませんが、気休めだとしても良い兆候だと思っています。私の生きるが続くまで治療するし、やりたいことはやれるところまでやってみたいと思います。
前回の投稿でも書きましたが血尿がひど過ぎます。近くの総合病院緊に急入院で、5日間点滴治療の開始です。携帯に入れてあるリハビリ用の絵を書いてみました。長野県松本城に1年以上前に行ったときに撮った松本城です。意外と直線だけだから簡単と思っていたらこれが難問です。最初は城の裏側から太陽の光あてて黒く塗ろうとしたがこれを別な絵に利用することができないのでこの絵はこのままにしてこの絵はもう一度使いますね。青い江戸切子のグラスに入ったマルチカンです。