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2018年12月、妻に癌が見つかり長く短い闘病生活が始まりました。癌発覚と同時に妻は毎日、日記を書いてました。闘病中の妻の思いをノートの記述を通して紹介したいと思います。(基本、原文のままです。一部、省略した部分もあります)ちなみに、私がこのノートを読んだのは、妻が旅立った日の夜。一晩中、寝ないで妻の隣で読みふけりました・・・3連休も明け、今日はよく晴れている。早いもので入院してなんやかんやで15日目かぁ~。今日は朝、採血とそしてギネ受診。出血は昨日の朝以降止
先生から話を聞き、シニさんへはどのように伝えるかという話になりました。私はその時初めに思ったのは、「余命も含めてすべてを伝える」でした。なぜなら、シニさんは手術前にがんのことをたくさん調べていて、これくらいの進行なら余命はどれくらい等の話を私としていたからです。手術の説明をすれば、余命をぼかして伝えてもわかってしまうのではないか、そしてはっきりと伝えなかったことに嫌な感情を抱くのではないかと思ったからです。そしてそのことを先生や家族に伝えました。この話はいったんここで終わり、また改め
先日のブログで、家族の選択として「余命は伝えない」ことになったと書きました。このことについて、コメントを頂き拝見して、本当に難しい問題であったと改めて思いました。正解はわからないし、今も正解はないのかなと思っています。実は、シニさんが亡くなる半年ほど前だったと思うのですが、シニさんとシニさんのお母さんとでお話している中で、この時の話になったそうです。手術からはすでに2年が経過していました。そこで、「余命2年」と言われていたことをシニさんは知り、とても驚いたようです。私はシニさんが当時
おはようございます昨日も沢山のいいねやコメントありがとうございました時間がある時に、お一人お一人にコメントを返して行きたいと思いますので、もう少々お待ちください昨日はこの映画をアマゾンプライムで観ました⬇︎ぼくたちの家族Amazon(アマゾン)2,000円お母さんが脳腫瘍になってしまう……お話です。頼りにならないお父さんと…しっかり者で一人で背負ってしまう長男と…お調子者の次男が…切磋琢磨して、お母さんの余命を少しでも伸ばそうと奮闘する内容です家族の一人が…急に…
名医からの余命宣告では…悪性脳腫瘍、神経膠芽腫グレード4の平均余命は14ヶ月と言われていました。⤵︎『5分で記憶が無くなる旦那への余命宣告』名医から旦那へのインフォームドコンセントが始まりました。名医あなたは脳腫瘍を患っています。脳腫瘍の中でもかなり悪性度の高いものです。しかもかなり大きいです。こ…ameblo.jp旦那は…その…発症14ヶ月を迎えようとしていました。かなり覚悟はしていましたが…プレイボーイDr.に…プレイボーイDr.についてはコチラ⤵︎『父の主治医、プ
私の娘、紅梨(クリ)は脊髄小脳変性症のDRPLAという病気を患っています。脳が萎縮していく病気で、遺伝性・進行性・治療法はありません。現在は寝たきりの状態です。夫、千秋さんは4年前に、クリに薬が間に合う事だけを祈りながら亡くなりました。現在はCureDRPLAという団体で治療法開発活動をしています。どうか、DRPLAの治療法が見つかりますように。自己紹介の最初からはこちらPCを整理していたら、クリの昔の写真が上がってきた。この写真は、確
珍しく怒りのブログです。脳動静脈奇形は10万人に1人の珍しい難病です。もしこの病気に掛かっても、風邪や蕁麻疹やインフルエンザ等と違って周りの友人や家族に「どんな症状の病院なの?」とは聞けない病気です。だから必ず、患者の方は医者から症状などを聞く事になります。多分、脳動静脈奇形に掛かった人で友人や家族からどんな病気か教えて貰った人はかなり珍しいと思います。僕もかなり友人は多いんですが、1人も同じ病気の人は居ませんでした。実際、医者の方から症状などを聞いた後に自分で更に詳しく調べました
こんにちは。エリカです。写真は数年前の11月のマンハッタン懐かしいな♡「肺がん」と聞いて真っ先に浮かぶのが「喫煙」ですね。あれだけ吸っていたんだから肺がんになって当然とか自業自得とか周囲がどれだけ話しても禁煙できずに吸い続け肺がんになったとしたら本人も自分の不健康さを省みて納得する部分もあるでしょう。でも、喫煙者でもなく日頃健康に十分注意していても肺がんにることがあるんです。女性に多いそうですよ。
真面目で少し暗い話です。もし自分が病気になったとしても、家族の問題は普通に起きますし、それは、今まで通り変わりません。当時、父親が人工透析と糖尿病で入退院を繰り返していました。私が一番近くに住んでいたので、用事などは私が引き受けて代わりにやったりしてました。そんな矢先に、私が乳がんの疑いができて、病院を探していたのですが、同じ頃に、父親の病院から呼び出されて、先生に話を聞きに行ったりしてました。父親はもう長くないとのことでした。「父さんは、もう、来年の5月まで生きてないかもしれない。
こんにちは。エリカです。かれこれ20年前ニューヨークに飛び立つことを考えて、考えて、考えて....本当にこれでいいのか自分にできるのか大丈夫だろうか...考えたところで答えはどこにもないわけで「その答えは自分で創ればいいんだ」と飛び立ちました。転入、転職、転居、同棲、結婚、離婚などなど、生活が一変するときってみんな同じですよね。今さらだけれど本音を言えば今回の日本への永住帰国もじっくり考えて決めたか