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合気については、「張り合う事が合気ではない。対立しないことが合気」と考えております。ただ、もう少し狭義の意味でも捉えだした感じです。現代剣道の高段者の剣道では、合気になって触刃、交刃、打ち間と入ってゆき、そこで「勝って打つ」といわれます。で、この「勝って打つ」ということを「相手を上回る」という捉え方をするとグイグイやりがちです。しかし、相手の心身が動いちゃえば打つべき機会はできますから、「相手より弱める」というのが私としては練りやすい。なぜなら、皆さんと同じように
居着くは死ぬる手なり、居着かざるは生きる手なりこんにちは。川村義之です。達人研究所の4月の音声のテーマは、「居着きをなくすコンディショニング法最新版①」です。先ほど、今月の音声を公開しました。居着きをなくすために気軽にできるコンディショニング法を、ご紹介します。ここで言う居着きとは、ズバリ、「手の内の居着き」と、「足運びの居着き」です。今回は、手の内の居着きをなくすコンディショニング法から、お伝えします。剣豪・宮本武蔵の著書、五輪書で有名な「居
宮本武蔵は剣の極意を早く修得する秘訣として、両手に一振りずつ刀を持つことを薦めました。それは日本刀が片手で素早く振り回し、敵を斬り伏せようとしたとき、腕力でやるには重すぎるからです。武蔵自身が、「太刀重くて振り難し」と書いている通りです。つまり腕力に頼らず、脱力を活かして腕力以上に強い力を得る、武術的な身体操作を学ばせようというわけです。宮本武蔵が兵法二天一流に残した勢法(形)では、左手に持った脇差で相手の刀を受け止め、右手の太刀(または打刀)で刺す、斬るという動きが主体です。これは単
五輪書の火の巻には、次の記載があります。一四手をはなすと云事。四手をはなすとハ、敵も我も、同じこゝろに、はりあふ心になつては、戦はかゆかざるもの也。はりあふ心になるとおもハヾ、其まゝ心を捨て、別の利にて勝事をしる也。大分の兵法にしても、四手の心にあれば、はかゆかず、人も多く損ずる事也。はやく心を捨て、敵のおもはざる利にて勝事、専也。又、一分の兵法にても、四手になるとおもハヾ、其まゝ心をかへて、敵の位を得て、各別かはりたる利を以て勝をわきまゆる事、肝要也。能々分別すべし。昨年
以前参加した無想会の懇親会で、新垣師範に質問しました。「過去の達人にもし会えるとしたら、誰に会いたいですか?」すると、新垣師範はおっしゃいました。「…松村宗昆と宮本武蔵…だろうな。」・・・宮本武蔵の書いた五輪書は、現代人の僕たちにも、たくさんの知恵を与えてくれます。個人的に【水の巻】が特に好きで、最近は、現代訳よりも原文で読むことの方が、なんかしっくりきます。水の巻では、目についての記述がたびたび出てきます。目つき、観の目、見の目、などなどあらゆる箇所で、目についての説明が出て
「腕は短く使う」ということをこのブログでは五輪書の「秋猴の身」を取り上げて解説してきました。今回は「腕が伸びるのは最後」ということを書いてみます。「腕を短く使う」と言いながら「「腕が伸びるのは最後」というのは矛盾しているように感じると思いますが、そうではありません。「伸ばす」ではなく結果として「伸びる」瞬間もあるのです。打突時に腕を短く使うということは、「相手に我が身を寄せて打つ」または「相手を我が身に寄せて打つ」ということでもあります。打ちの初動から振りかぶり終
以前、「張り合う事が合気ではない。対立しないことが合気」と書きました。剣道界においては「張り合いこそ合気」という捉え方が随所にあるように感じるのです。剣道では、「実」と「実」でぶつかり合ってこそ自分を高めることが出来るという考え方。「相手の隙を打っていくのは試合ではそうするが、上の者に掛かる時は、隙を狙うのではなく小細工なしに真正面から面を打て。それが修行だ」という価値観。真正面から競り合ってどっちが上かを競う。相手より強くなることを目指すわけですね。(先生の技を盗むために打太
このブログでは、無意識の大切さを何度も書いていますが、もちろん初めからその段階に入れるわけではありません。まずは、意識して色々と試行錯誤することが大事なのです。それをやらないと、身体に何もプログラミングできていないからです。基本動作や攻めの定石など、身体に何もプログラミングできていない状態で意識を薄くしても何の技も出現しないのは当たり前ですね。お箸の使い方は、幼いころに親に注意されながら沢山練習して身体にプログラミングされているので、家族と会話しながらでもテレビを見ながらでも
前回の記事「四つ手をはなす」の続編です。試合でも、昇段審査でも、よくあるのが、一方が「ドリャー」と掛け声を出せば、もう一方も「ドリャー」と掛け声を出す光景。声を出すのを先にするか、後にするか、かぶせるかなどは考えているのでしょうが、「相手より優るつもりで声をかけねば!」と思っていませんでしょうか。指導者にも「相手に気迫で負けるな」と言われ続けてますし、審査でも「声がよくなければ」なんて言われますから当然です。でも、どうなんでしょうか。自分が「ドリャー」と素晴らしい掛け声をかけたのに、お
以前、別記事「柄は短くするべし!」では、柄を短くすると右手打ちの悪癖が改善しやすいことなどの利点を書きました。柄を短くすることは、先日書きました「竹刀の重心点を回転軸にする」との関連性も高いので、それらの利点をもう少し書いてみようと思います。柄を短くすると、当然、中段に構えた左右の手の間隔が短くなります。右手の位置が左手に近い位置にあるということですから、言い換えれば、右手の位置が竹刀の重心点より遠くなります。竹刀の重心点を回転軸にする竹刀の振り方は、テコの原理になります
「攻め勝って打つ」とはよく聞く言葉ですね。この言葉通りのイメージで出来る人は良いのですが、私の場合はこの言葉のイメージでは上手くいきません。私は、「まず攻め勝ったことを確認してから打つ」というイメージになってしまうのです。また、「まず攻め勝たないといけない」という縛りになり、相手に対し意地を張ってしまいます。それは心の居つき、つまりは身体の居つきも同時に起こってしまいます。さらに、自分より実力や経験が豊かな人には初めから歯が立たないやり方のようにも感じるのです。そ
剣道では「明鏡止水」という言葉は度々目にしますね。部旗だったり手ぬぐいだったり竹刀袋だったり。剣道で使われる「明鏡止水」という言葉は、澄んだ水のように曇りのない心でいれば、相手の隙が見えてくるというような意味で使われているのかなあと思います。剣道をやめていた20代のころ、「明鏡止水って、なぜ水なんやろう」との思いがふっと浮かびましたが、「あ、流動的でないといけないんやな。鉄や青銅ではあかんというわけか」と結論もすぐに浮かびました。結局、その時は「心も身体も決して固まらず水