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子供の頃は、「とにかく大きな声をだせ」という指導も良いと思うのです。「気後れするな」「恐れるな」というのを大きな声を出すことによって弱気な自分を追い払うということにもなるでしょう。しかし、とにかく打って出る状態から、攻めからの打突ができてきたぐらいからは、「気の充実」「集中力」が大事なのですが、大きな声や、表に露わになった気勢や気迫があるからといって「気の充実」「集中力」にはならないと感じます。私の感覚では、大きな掛け声は気の充実の邪魔になる。大きな掛け声は、気が「散っ
合気については、「張り合う事が合気ではない。対立しないことが合気」と考えております。ただ、もう少し狭義の意味でも捉えだした感じです。現代剣道の高段者の剣道では、合気になって触刃、交刃、打ち間と入ってゆき、そこで「勝って打つ」といわれます。で、この「勝って打つ」ということを「相手を上回る」という捉え方をするとグイグイやりがちです。しかし、相手の心身が動いちゃえば打つべき機会はできますから、「相手より弱める」というのが私としては練りやすい。なぜなら、皆さんと同じように
藤崎台県営野球場が正式名称。少年野球を始めた頃、父親に連れられて巨人戦を見に来たのが最初。ロッテ戦や広島のオープン戦、日米高校戦などが想い出。藤崎台、西南戦争で政府軍が西郷軍に砲弾を放った場所。複数のテレビアンテナが立つ金峰山(きんぼうざん)は、宮本武蔵が五輪書を書いた山。子供の頃、"さるすべり"と呼ばれる山肌を直線的に岩を掴みながら登っていた。遊歩道で登る選択肢もあるのだが、下りも大人に止められながらも"さるすべり"を降りていた。
「腕は短く使う」ということをこのブログでは五輪書の「秋猴の身」を取り上げて解説してきました。今回は「腕が伸びるのは最後」ということを書いてみます。「腕を短く使う」と言いながら「「腕が伸びるのは最後」というのは矛盾しているように感じると思いますが、そうではありません。「伸ばす」ではなく結果として「伸びる」瞬間もあるのです。打突時に腕を短く使うということは、「相手に我が身を寄せて打つ」または「相手を我が身に寄せて打つ」ということでもあります。打ちの初動から振りかぶり終
居着くは死ぬる手なり、居着かざるは生きる手なりこんにちは。川村義之です。達人研究所の4月の音声のテーマは、「居着きをなくすコンディショニング法最新版①」です。先ほど、今月の音声を公開しました。居着きをなくすために気軽にできるコンディショニング法を、ご紹介します。ここで言う居着きとは、ズバリ、「手の内の居着き」と、「足運びの居着き」です。今回は、手の内の居着きをなくすコンディショニング法から、お伝えします。剣豪・宮本武蔵の著書、五輪書で有名な「居
兵道鏡も読みたいな。
以前参加した無想会の懇親会で、新垣師範に質問しました。「過去の達人にもし会えるとしたら、誰に会いたいですか?」すると、新垣師範はおっしゃいました。「…松村宗昆と宮本武蔵…だろうな。」・・・宮本武蔵の書いた五輪書は、現代人の僕たちにも、たくさんの知恵を与えてくれます。個人的に【水の巻】が特に好きで、最近は、現代訳よりも原文で読むことの方が、なんかしっくりきます。水の巻では、目についての記述がたびたび出てきます。目つき、観の目、見の目、などなどあらゆる箇所で、目についての説明が出て
このブログでは、剣道において「むき出しの気迫も、大声もいらない」というようなことを何度も書きました。集中力(心の開放)は必要ですが、相手を威嚇したり、自分自身を鼓舞するために大声を出すというようなことは、その集中力の邪魔になると感じているからです。では、宮本武蔵はどう考えていたのでしょう。今まで、武蔵が60歳になって書いた五輪書を題材に何度か同じテーマで書きましたが、今回は武蔵が20代の時に書いたといわれる兵道鏡の第1ヶ条を見てみましょう。一、心持之事(付たり座之次第)心の
ふと思いついたので、宮本武蔵が五輪書で書いた姿勢について、僕なりにまとめてみます。【原文】一兵法、身なりの事。身のかゝり、顔ハうつむかず、あをのかず、かたむかず、ひずまず、目をミださず、額にしわをよせず、眉あひにしわをよせて、目の玉のうごかざる様にして、またゝきをせぬやうに思ひて、目を少しすくめる様にして、うらやかにみゆる顔。鼻筋直にして、少おとがひに出す心也。首ハ、うしろのすぢを直に、うなじに力をいれて、肩より惣身はひとしく覚え、両の肩をさげ、背筋をろくに、尻を出さず、膝より足先ま
宮本武蔵「五輪書」水の巻の真意こんにちは。川村義之です。オンライン講座「達人研究所」の過去の音声を、ご紹介します。2021年6月の音声です。テーマは、宮本武蔵「五輪書」水の巻の真意。宮本武蔵は、水の巻の序文で、「兵法二天一流の心、水を本として、利方の法をおこなふ」と書いています。宮本武蔵の武術は、水のあり方をお手本として、あらゆる戦いで自分が有利になることを大前提にしているという意味です。宮本武蔵は、地の巻でも、このことについて書いています
無想剣は「ただ剣を上げて、ただ下す。」これは奥義でも必殺技でもありません。お相手に刀剣を向ければマイナスの因果が発生します。この時に、どれだけ因果を解消できたかを確認するための“秤”が“ただ剣を上げて、ただ下す”と言う動作です。より因果の大きい方に秤は傾きます。(=負け)無想剣の目的は「心の剣の追求」であり、勝敗を第一と考える事はしません。お相手に勝つため、ポイントを奪うための技術ならば無想剣の外を探した方が確実です。また、メールを含めて何人かの方から
教習をしていると、もっといい指導方法がないかと考えます。そこで先日考えていたのが今回のタイトルにもある「観の目」と「見の目」です。宮本武蔵の『五輪書』に出てくる言葉で、相手(敵)をどのように見るかを説いてます。「他の交通を敵ととらえて、宮本武蔵のこの考え方を安全運転に応用できるのではないか?」という考えになったわけですが、やはり「新しく思いついた!」と思ったものは大抵は過去の誰かが既に考えているものですね……ありました。交通安全教材としての観の目、見の目が。でも既に
空間合気の理合3次元空間の中に存在する自分のい体と顕在意識を用いて高次元空間の中に存在する自分の潜在意識に働きかける。高次元空間の中に存在する自分の潜在意識が同じく高次元空間の中に存在する相手の潜在意識と同調する。高次元空間の中に存在する相手の潜在意識が3次元空間の中に存在する相手の体と顕在意識に働きかけて3次元空間の中で統一的な身体制御をできなくする。人間のみが持つ二足直立できる能力の由来は、3次元空間の背後に拡がる高次元空間の働きによる。相手の体を含む3次元空間
現代の高校生以上の剣道の試合を見ると心がザワザワするのです。小中学生なら「元気でよろしい」と見ておれるのですが、体格も良くなってくると「しばきあい」に見えてくる。いえ、京都大会のような演武としての立合などは比較的穏やかに見れるのです(中にはザワザワする立合も混ざってくるのですが)。しかし、八段の試合でさえ、街中でケンカを見たような胸がザワザワする試合もあります。昔の全日本大会や明治村大会などの昭和の映像はじっくり見れて感動もするのですが。今の剣道は、何かが全く違う。
武蔵が「技は速さではなく、なめらかな動き(居着かぬこと)であること。そして、正しい拍子であることをもって、達人の境地とする」...「宮本武蔵五輪書」柳川昌弘著P83
私はバンド活動にのめり込んでいた時期もあるので、NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」を楽しんで視聴しています。で、今朝の福来スズ子と水城アユミのステージ対決は見事な対比でした。観客の盛り上がりの演出に大きな違いがあったので、福来スズ子の圧勝という感じでしたが、その演出がなくても、実力の大きな違いが見事に表現されていたと思います。水城アユミのステージは、歌も踊りも一生懸命さや迫力が伝わってくるのですが、力みがあり、いくらステージを走り回っても、空間が閉じている感じ。福来スズ
お彼岸に両親とともにお墓参り。車で高速に乗って1時間45分ぐらいかかるところなので、最近はもっぱら運転は私がかってでております。そもそも「お彼岸」ってなんだ?と、調べてみると煩悩に打ち勝ち、悟りの境地に達するよう仏道修行を行う期間。現在では、この期間に行われる法要やお墓参りを指していることが多い。★コチラ←お彼岸の時期は「春分の日」と「秋分の日」を中心に、前後3日ずつの7日間だそうです。なんとなく、両親が行くと行った日
文春文庫『考えるヒント3』小林秀雄その5となります。前回のブログ記事は、以下の通りです。文春文庫『考えるヒント3』小林秀雄その4アメーバブログ記事より文春文庫『考えるヒント3』小林秀雄その4アメーバブログ記事『文春文庫『考えるヒント3』小林秀雄その4』文春文庫『考えるヒント3』小林秀雄その4となります。前回のブログ記事は、以下の通りです。文春文庫『考えるヒント3』小林秀雄その3アメーバブログ記事…ameblo.jp目次です。目次信ずること
かくまでも醜き国になりたれば、捧げし人の、ただに惜しまる。日本のある戦争未亡人の歌旭日旗靖国博物館にて撮影。最近、新渡戸稲造武士道を読み、宮本武蔵の五輪書を読み、葉隠を読んでいる。自分達のルーツも知らないで我々は何も知らず、考えずに成長してしまったのではないかと改めて考えているから。例えば米国にアイデンティティーを破壊された国はそれを取り戻そうと必死になる。しかし国会議員を含め僕らはそれをしていない。
「五輪書」戦闘の場合の姿勢身体の姿勢は、顔はうつむかず、仰向かず、ゆがめず、目を動かさず、額にしわを寄せず、眉の間にしわを寄せて、目の玉を動かさないようにし、まばたきをしないような気持ちで、普段の目より少し細めにする。おだやかな顔つきで、鼻すじをまっすぐにし、やや下あごを出すような心持ちとする。首は後筋をまっすぐに保ち、うなじに力を入れ、肩から全身に力がかかるようにする。両肩を下げ、背筋をまっすぐに、尻を出さず、膝から足先までに力を入れて、腰がかがまないように腹をはる。「宮本武蔵五輪書」
身を浅く思ひ、世を深く思ふ宮本武蔵(1584年-1645年)名前本姓は藤原氏[注釈2]、名字は宮本、または新免。幼名は辨助[注釈3](べんのすけ)、通称(百官名)は武蔵、諱は玄信(はるのぶ)である。号は二天、また二天道楽。著書『五輪書』の中では新免武蔵守・藤原玄信と名乗っている。熊本市弓削の墓碑は「新免武蔵居士」、養子・宮本伊織が武蔵の死後9年目の承応3年(1654年)に建てた「新免武蔵玄信二天居士碑」(以下、小倉碑文)には「播州赤松末流新免武蔵玄信二天居士」と
稽古場にいて地稽古を見ておりますと、自分の技にダメ出ししている人が多いと感じます。「あ、当たったけど、たまたまだ。こんなの一本じゃねえ」と思うのか、折角当たった技を打ち切らないでやめてしまうんですね。パカーンといい音で打てているのに、「ちょっと深いからダメ」「ちょっと浅いからダメ」という感じで残心までいかずに自分でなかったことにしてしまう。納得のいく打ちを求めてやっているからだと思います。しかし、基本稽古ならそれでいいのですが、実戦稽古において自分の本能が咄嗟に出した技
先日、久しぶりにKさんと稽古してきました。Kさんは、大東流のほかにも様々な武術を修行されており、稽古の度に貴重なアドバイスをもらっています。今回も毎度のことながら、当初はお互いに全く技がかかりません。力がぶつかって崩せないのです。そこで、立ち方や姿勢、意識の使い方について、一つ一つ検証しながら稽古を進めます。今回は特に、立ち方について、身体のある部分を意識して稽古しました。そして、最後はこれまた毎度のことながら、お互いに「にわか達人」となり、触れれば相手が崩れ
大谷選手と、宮本武蔵の五輪書。計画と実行・実現。水の清らかさ。NEW!2024-03-0109:57:37テーマ:ブログ公式ジャンル記事ランキング:シニア305位計画を立ててそれを実行していき、現実のものとする。結婚の発表も、「結婚しました」で余計な詮索する必要が発生しないようになっている。彼のDNAですね。また水の清らかさを持っています。将棋の藤井聡太もDNA。他人が努力してそうなろうとしてもそうはなれないDNAを持っています。これは2023.12.13のブロ
まず身体が動き手足はその後に動くものである。空手の技について言えば、突き技一つとっても「身体で突け」「腰で突け」「手で突くな」という真意はこの動きの順序のことでもある。「空手の理から明かされた宮本武蔵五輪書」柳川昌弘著
その生きざまは、まさに天才そのものですね。私も、自分の”間”で生きなければと思います。*●日本ラエリアン・ムーブメント**https://www.ufolove.jp**●無限堂出版**http://www.mugendo.co.jp/index.html*
このブログでは、無意識の大切さを何度も書いていますが、もちろん初めからその段階に入れるわけではありません。まずは、意識して色々と試行錯誤することが大事なのです。それをやらないと、身体に何もプログラミングできていないからです。基本動作や攻めの定石など、身体に何もプログラミングできていない状態で意識を薄くしても何の技も出現しないのは当たり前ですね。お箸の使い方は、幼いころに親に注意されながら沢山練習して身体にプログラミングされているので、家族と会話しながらでもテレビを見ながらでも
さて、また現代剣道の「爪先立ちはおかしい」と思う私の考え方を書いてみます。爪先と踵の機能については、以前書いた記事「爪先立ちは武道的ではない」をお読みください。では、陸上競技の短距離でのスタートを思い浮かべて下さい。スターティングブロックに両足を置いてスタートしますよね。両足裏はスターティングブロックにどう付けて号砲を待つのでしょう。ほとんどの選手が次の2つのどちらかになるようですね。①爪先から踵まで、足裏全体をスターティングブロックに着けておく方法
陸上競技や競泳では、フライングすれば失格になりますね。でも、剣道では、いくらでもフライングOKですよね。第三者の審判などがいる場合でも「はじめ」の声を聞いた後は、いつどのように動いても良いわけです。だったらフライングしようと考えたわけです。「いや、打ち急いだら出鼻を打たれるぞ」という声が聞こえてきそうです。もちろん、動き出しから、即、打つ動作に入ればバレバレのフライングになるから打たれます。ただ立っているのか、間を詰めてるのか、打つ動作に入ったのかが分からない
五輪書水の巻兵法心持の事「兵法の道において、心の持様は、常の心にかはる事なかれ。常にも、兵法の時にも、少もかはらずして、心を広く直にし、きつくひっぱらず、少もたるまず、心のかたよらぬやうに、心を直中に置て、心を静にゆるがせて、其ゆるぎの刹那も、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。静かなるときも心は静かならず、如何に疾き時も心は少もはやからず、心は体につれず、体は心につれず、心に用心して、身には用心をせず、心の足らぬことなくして、心を少しも余らせず、上の心はよわくとも、底の心をつよく、心