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裏神道「陰陽道」その21◆祭祀氏族「忌部氏」やっと「韓国・北朝鮮」から「陰陽道」の本筋に戻るが、北朝天皇家によってその首を京都の船岡山に埋めれた「織田信長」のルーツは古代より神道の祭祀を行う一族「忌部氏」(いんべし)であった。神道の祭祀を行う一族というのは、基本的にみな記紀の「天岩戸神話」に登場する神々の子孫である。八百万の神々とはいうものの、重要な神は「布刀玉命」(フトダマノミコト)、「天児屋命」(アメノコヤネノミコト)、「天鈿女命」(アメノウズメノミコト)である。「天
ご訪問ありがとうございます。飛鳥時代もいよいよ大詰めです。今回は白村江の戦いを見て行きたいと思います。日本の歴史において、外国に敗れたというのは、この時と太平洋戦争の時だけとはよく言われ、昭和天皇も玉音放送でこの例を引かれたそうですが、この時は国際情勢の変化もあって、出先の局地戦での敗北にとどまったとはいえ、支配者層にはかなりのショックであったことがうかがえます。さて、なぜ斉明天皇と中大兄皇子は百済のために戦ったのか?と言うことになると蘇我氏が百済派であったということから、孝徳天皇と
奈良旅行二日目の平成31年(2019年)4月29日(月・祝)、室生寺の参拝を終え、中村屋旅館でにゅうめんをいただいた私は、奈良県桜井市多武峰にある談山神社(たんざんじんじゃ)へ向かいました。◇談山神社飛鳥寺(飛鳥の元興寺・法興寺)の蹴鞠会で出会った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足。ちなみに、この当時の名は中臣鎌子。以下、生前の鎌足について話すときは「中臣鎌足」、藤原氏の祖としての鎌足及び死後の鎌足について話すときは、「藤原鎌足」と記します。)が、藤の花が盛りの頃
2018年卒のタクちゃんが顔を見せてくれました。(笑顔)「試合観戦用のベンチを作るんだ!」なんて言っていた小学生のタクちゃんも今年の4月で高校2年生。1年坊主の分際で試合に出場させてもらったりマウンドに立たせてもらったり大きく逞しくなったね。🥹🥹テスト前という事で顔を見せてくれたけど取り敢えず勉強も頑張れな。(笑顔)大化の改新の中臣鎌足は「かたまり」じゃなくて「かまたり」だからね。🤣🤣そんなタクちゃんも電車と違ってバスはこのブザーを押さないと
とても面白く読むことができました。そうです実に面白いというやつです。これを読んでいてもう本当に前の話になってしまいますが、鯨統一郎さんという作家さんにハマっていたことがあったことを思い出しました。この内容そのままじゃないですが、小説仕立てで主人公がこのあたりの考え方を語りながら何となく、何かの問題を解決するといった作品を多く書かれていて、とても楽しく読ませていただいておりました。若干小説というものでオブラートにつつみながら、主人公を通してただただ自分の主張を披露するという、とてもなんとい
どうも、こんにちは。このたび、春から受験生になる子ども1。この年で、「やりたいこと」や「進路」を決めるのは、すごく難しいことだと思います。そして、受験生の子どもを持つ親や家族はそれはそれは気を使うと風の噂に怯えております。できれば少しでも成績を上げて、自分のやりたいことを目指して、希望する学校に入ってもらいたい!!成績が下よりは上のほうが、選ぶ選択の幅も広がると思いますし。「受験」という人生のハードルに少しでも役に立つのなら、一肌脱いでもいいんじゃね?ということで、
阿武山古墳封印事件藤原鎌足といえば中大兄王子と蘇我入鹿🐬を宮中で誅殺したクーデター(乙巳の変)の首謀者として有名な歴史上の重要人物の1人だが、その鎌足の墓の存在はあまり知られていない。いや、知らされていないと言ったほうが正解かもしれない。墓が発見されたのは、1934年(昭和9年)京都大学地震観測所の工事の際に偶然見つかった。墓には数々の貴重な遺品と、骨・肉・毛髪が残る成人男性の完全なミイラが埋葬されていた。その出立ちから当時の権力者であり、相当高貴な人物と思われる。発掘時は世紀の大発見!
ご訪問ありがとうございます。いよいよ645年の大化改新に至る経緯になります。今回の基本的な史料である「日本書紀」の「巻第二十四」は、皇極天皇の時代について書かれています。ところがこの巻、なんだか変なのです。気候の話も多いことから、何か日誌的なものが政府に存在していて、それを底本にしているのでしょうが、それ以外に童謡(わざうた)と呼ばれる風刺歌のようなものが多く書かれたり、天変地異があったり、また他の史料との食い違いもあるのですが、なによりも構成上自己矛盾が多く、時間軸もばらばらだっ