ブログ記事2,378件
子供をお空に見送った経験は、ずっと悲しいと思う。時薬があったって、何年か後に楽しい経験に変わることは絶対にあり得ない。子供を亡くした経験は、ずっと自分が死ぬまで悲しいままだ。だけど、子供を亡くした親はずっと不幸でいないといけないのかというと、それは違う。こんな経験してしまって不幸すぎる…。と、思ってはしまうけれど。だからって、ずっとずっとこの先ずっと、自分は不幸だ不幸だ、子供を亡くして不幸になった!死ぬまで不幸だ!と、思いながら生きるのは…違うよね。それだと、子供にとっては、自分
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます私が侑來を亡くしてからお会いしている友人達は「最初から子供が居ない人」もしくは「我が子を亡くした人」が殆どなのですが今日は以前にもブログに登場したすぐ隣の部屋に住んでいるママさんとランチに行きましたそのママさんは3歳の1人っ子女児を育てているシングルマザーさんです今日はいつものバカ話に加えて「子供の死」について語り合いましたそのママさんは我が子の死はもちろん経験していないのですが、かなり
「私は可哀想な人で終わりたくない!」と、旦那に言った。言いながら、涙が出てきた。周りの人、近所の人、全てを知っている人、みんなみんな、我が家を、私を、あの子を、可哀想だと思っているだろう。小学生の子を亡くした家族。子供を亡くした親の私。小学生で亡くなったあの子。まあ、なんてハッピー!なんて、絶対思ってない。思ってたら、狂ってる。確かに、あまり世間では滅多に起こらない、我が子が先に逝くという経験をしてしまった。ハッピーか可哀想かと言うと、間違いなく可哀想になるだろう。だから
宿命について考える。考え始めると、深みにはまる。混乱してくる。宿命が決まってるというのなら。一生懸命考えて出した答えも、宿命に繋がって行くのかなぁ。宿命ではなく、その間のどうにでも変えられることなら運命、だから考えて変わるだろうけど。【いま】一生懸命一生懸命、考えてる事があったとして。それが、どうにも変えられない部分の宿命、に関するものなら。結局、宿命が決まっているのなら、その宿命に辿り着くように辿り着くように、考えるのかなぁ。行動だって、そう。終わったことを後悔してたられば
4月15日(月)からフジテレビ系列で放送開始です。ラベルダウンロード川内ミヤビ(杉咲花)は将来を嘱望された脳外科医だったが、1年半前、不慮の事故で脳を損傷。過去2年間の記憶がすっぽり抜け落ちているだけでなく、新しい記憶も1日以上留めておくことができないという重い記憶障害を患っている。誰と何を話し、何に喜び、何に悲しんだのか。寝て、翌朝起きたら、すべてがリセットされてしまうのだ。そんな彼女に、いま許されている仕事は、看護師の補助的な仕事だけ。医療行為は一切できない。「私には
3週にわたって行われた「国民スポーツ大会(国スポ)」(以下,旧称の「国体」で)の予選会は,完全なダメ元での参加だった長男.それでも「力試し」にはなろうし,「超ハイパーウルトラスポコン研修会」だと思えば,頑張ったほうだと言えよう.6ゲームずつ3日のトータルは3,000をクリアして,AVG.としては170一歩手前だった.あのコンディションかつ1ゲームごとボックス移動という環境を考えれば,及第点だろう.そんな第2週の後,その後に控えている「第23回JB関東地区高等学校対抗ボウリング競
私はバスツアーが大好きだ!良さげな見所にバスに乗ってるだけで連れて行ってくれるし、運転しなくていいし楽ちん♪もうちょっと見たいな〜、て時に集合時間が来てタイムアップ!なデメリットもあるけど、それでも私は大好きだ。そんな訳で、今日はバスツアーに行って来ました。久し振りのアクティブ。前はこうだったんですけどね。年に3〜4回は行ってたかな。あの子がいた時はね。最後に行ったのは一昨年の夏かなぁ。去年はあの子がいない初めての1年。何にもしたくないし、どこにも行きたくない。だけど、今年
明けましておめでとうございますいつも嫁日記を読んで頂いて本当にありがとうございます皆さんがこの9時の投稿を読んで頂いてる時はもう家族で義実家に向かってるか…もしくは着いて、義実家に入ってるか…位ですここ数日でこの日の為に準備して来ましたコロナ禍以降…ましてや家の中に入るのはもっともっと空いてます…めっちゃ緊張してますまた何かあれば…書き込みますまた21時には本日あった事載せようと思います受取人誰?ご訪問頂き、
干支が同じな年の差日韓夫婦です去年に亡くなった韓国の義理母に贈る言葉を綴ります昨日の夜(今)韓国にいる旦那とKakaocallを2時間くらいした後午前2時すぎくらいかないつも朝まで熟睡の私が幾度となく目が覚めてその度に、暗い部屋の中に大きな白い光がチラチラと動いているのが見えた。義理母がこちらに来てた?気配がしたので多分、そう思う。私と娘とも、ここ数日ハルモニの話をしてたからね。『①義理母に読む物語~あの日の電話』干支が同じな年の差日韓夫婦です。
おはようございます最近、一周忌が近づいてきたせいかすごく落ちていますでも、日常生活をおくれている自分もいます不思議でしょうがないです最近は、夢の中でもはるの肉体はここにはいないんだなあと分かってるのが多いですでも、今日は生きて一緒に・・・旅行してました、でも、ちょっと病弱みたいで踊ったら身体に悪いよと私は心配してました熱がでたとか、インフルだとかまたはるの心配したい逢いたい愛してるよ今日も夢に出てきてくれてありがとう🫂
誰よりも1番、母親の私に世話になっていて死なれたら1番困る娘に毒殺されかけた気付かなかった‼️不慮の事故だと言い張ってるがっ💢💢💢不慮の事故が通じるのは3歳の孫だけだからね❓微量だったが、応急処置したとは言え・・・身体的不具合は出ましたけど💢お前は、魔か❓魔なのか❓出張帰りの父親の洗濯物の中に女性物の下着を仕込んで間接デスエンディング‼️母親の私には直接デスエンディング‼️お前が、その気なら・・・本気でヤ(殺)るよ❓ママ、こっわぁ〜い♪怖いのはお前だからね❓ったく💢💢💢
前に。あの子がいなくなって、3ヶ月くらいの頃。私は、視える人に家に来て視てもらったことがある。その人は知り合いの親族。前から視える話しは聞いていた。除霊なんかもできるけど、それを、職業にはしていない。私の周りには視える知り合いなんていないから、どうしても気になってその人に視てもらった。【あの子は突然の事故。理解もできず、事故現場に立ってたらどうしよう。】そう、思ったからだ。世の中は49日でお空に行くって言うけれど。実はその人、その人で違うらしい。実際、視てもらったのは
とある雑誌記事の写真です。サンミュージックのあった大木戸ビルを大きく写しています。岡田有希子ちゃんが亡くなった場所であり、溝口元マネージャーが亡くなった場所でもあります。この記事の見出しが酷いですね。デスダイブなどと、人の不幸を面白がってるとしか思えません。このビルの屋上をよく見て下さい。端から端までクリナップの巨大看板が設置されています。ビルの壁面と看板との隙間もほとんどありません。また、この写真からは確認されませんが、少なくとも屋上には転落防止用の柵があるはずです。こんな場所か
・幸せな結婚生活を送れない・配偶者とうまくいかない・離婚ばかり繰り返す・相手に浮気ばかりされるまたは自分が。・子供とうまくいかない・子供に障害が出る・配偶者のきょうだいが全員、大病をする次は自分の配偶者の番かとヒヤヒヤする・結婚してから体調、脳の状態、性格が運気が変わってしまった・とにかくお金に苦労するそんなご相談は山のように受けます。やはり一番、一番、一番大きな原因は【家系】ですね。これしかないです。
昨日はブログにも書いたが、バスツアーに行った。正直、ちょっと早いんじゃねーの?と不安もあった。心が揺さぶられるんじゃねーの?と思った。が、試してみたい気持ちもあり。行くことにした。行ってみて。あ!かわいい!見てほしい!と思った時に、お兄ちゃんにしか言えないな〜、と気付いた。これは、お兄ちゃんでなく、女の子のあの子に見て見て!なものだけど…な時も、お兄ちゃんにしか言えないのだな、と分かった。ほう…。これが、今でいうMAX楽しい、という状況か、と思った。悪くいえば、今の楽しいの限界
夢にあの子が出てきた。夢のあの子は、小学生。もう中2なのに、やっぱり夢では小学生。友達が家にあの子の歯ブラシを取りに来てくれた。「〇〇ちゃんは、もう透明だから、歯ブラシも透明を用意してくださいって先生が言ってた!」と、友達が言う。どうやら、夢の世界では、死んじゃって透明になった子も学校に通える素晴らしいシステム。夢の中では、今みたいに完全なる透明ではなく、あの子は半透明。色も付いてて、どこにいるかも分かる。でも、抱きしめたらスカッとなりそう。私は急いで透明歯ブラシを探してみる
遠征先でのジャンの骨折をうけて、学んだコトの一つが、保険証の携帯について。以前はずっと持ち歩いていたのだけど、「毎日持ち歩く必要もないか。。使わないし。」と、お財布から抜き取ったのがほんの1週間ほど前。そんな時に限って、不慮の事故で救急病院へ搬送されることに・・。そして、保険証の威力というか、3割負担のありがたさを痛感した。保険証を持ち合わせていなかったので、全額自己負担(一先ずは)となった上に、ニコニコ現金払いのみ受け付けとのことで。請求された金額は軽く3
あの子が事故にあったあの日。病院で先生に、その日のうちに言われた言葉。「もう、この子は歩くことも喋ることもできません。意識が戻ることは、100%ありません。残された時間は、体力が持つ日まで。それは今日かもしれないし、明日かもしれない。でも、絶対に一ヶ月は持ちません。」本当に?信じられない。だって、2時間前までは普通に朝ごはん食べてたんだよ?私は、ただただ泣くしかできなかった。何もしてあげられない。なんて無力なんだろう。だけど。心のどこかで信じてなかった。そんな訳ない
多発性骨髄腫の維持療法(治験)も今のところ順調に進んでいるのですが、左膝が初期の変形性膝関節炎で膝が痛いため、明石大橋が見える日帰り温泉で温めに行きました。ここの施設は海の横で海や淡路島、明石大橋を見る事が出来ます。お風呂に入り海の見える休息所でリラックスしていたのですが、ふとネット記事が目に止まりました。5月27日がZARD坂井泉水さんの命日で、その日に全国19の映画館で昔のlive映像を上映するみたいです。癌の治療中に不慮の事故でお亡くなりになりましたが、今生きていればと思うと本当に
職場の同僚に、物が壊れたら死んだと言う人がいる。昔っからそう。あの子が生きてる時は、ふーん、そういう言い方するんだ〜、と、思ってただけ。だけど、あの子が亡くなってからは不快になった。電気が点かなくなったら「蛍光灯がお亡くなりになりました!」ボールペンのインクが切れそうな時は「これ、死にかけやん〜!」…不快だ。あの子がお空に逝ってから、一気に不快に感じるようになった。多分相手は、私の不快さに全然気づいてない。あの子のお葬式にも来てくれたんだけどなあ。多分、もう口癖なんだね。
きょうもブログにお越しいただき本当にありがとうございます💖きょうはこちらの絵葉書をご紹介させていただきますね🌱神様がたった一度だけこの腕を動かして下さるとしたら母の肩をたたかせてもらおう風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたらそんな日が本当に来るような気がしたご存知のとおり、星野さんは現役の体育の教師でいらっしゃいました。ところが授業中の思いがけない不慮の事故により一瞬にして運動機能を奪われてしまいました。誰よりも運動が大好きだった星野さんです❗️それなのに神様が
全く全然眠れなかった7時に起きないといけないのに最後に時計を見たのは5時半だった昨日の夜は涙がこぼれて仕方なかった娘のGoogle検索を覗いてみると【女子中学生流行り】だとか【女子中学生服装】だとか【女子中学生欲しいもの】とか履歴に残ってたそうよねなりたかったよねなる予定にしてたよね女子中学生に母さんも、もちろんその予定だったよたまに止めときゃいいのに見てしまうよあなたの行く予定だった中学の行事予定を参観日、と目に入ればママ友たちは行くんだなああ
どうしようもなく寂しくて悲しい時涙が溢れて止まらない時私は思いきってあなたのクローゼットを開けるよいつもは私の気持ちと一緒に閉じたままのクローゼットあなたの着ていた服を取り出しあなたの代わりに抱き締めるまだたった10ヶ月だからねまだまだあなたの香りがするんだほんとはずっとずっと抱き締めていたいけど香りが薄れてしまいそうで私はまたそっとクローゼットを閉じるんだ神様10秒だけ10秒だけ、娘を抱き締めてさせてもらえませんかそうしたら一生忘れないよう、あの子の姿を目に焼き付
ブログを始めて、約半年。正直、まだ半年か〜!て気分だ。毎日書いてるしね。その前は読むだけの半年もあったからかな。ブログを始めて友達ができた。お子さんをお空に見送った理由は様々。だけど、私と同様、そんなに年数も経ってなく、気持ちが解り合える。ホッとする。支えあってる感じがする!分かる!分かるよ〜!てことを書いてらして、私だけじゃないんや〜、と思える。はたまた。ブログを読ませて戴いている方の中には、お子さんをお空に見送られてから、年数が経っているブロガーさんもいる。この中に、気
NHK教育「天才てれびくんMAX」に出演し、テレビ戦士として活躍していた伊藤元太さんが、昨年の8月末に事故で亡くなっていたことが分かりました。伊藤さんが活動していた「天てれサーカス部」の公式サイトで5日に発表されました。伊藤さんは一時期芸能活動を離れますが、昨春早稲田大に進学し、芸能活動を再開する予定でした。伊藤さんのツイッターは、亡くなる前日の昨年8月30日「車の免許取りましたーこれで一歩大人になった」が最後になっています。両親も「天てれサーカス部」のHPに、「我が家は元太が亡く
私は兄弟がいます。兄が二人です。兄二人とは、父親が違います。それを知ったのは大人になってからだけど。長男は東京に10年以上いましたが、地元に帰って結婚して、今は近くに住んでいます。が、交流は特にありません。次男は東京に住んでいます。こちらも、普段は連絡を取ることがありません。帰省した時にたまに連絡が来て、タイミングがあればお互いの子供を会わせるという目的で会うくらいです。二人とも都会人といった感覚の人種です。私は、ザ田舎者感覚です。なので、たまに会う分には、面白いな~で済み
あの子がいなくなってから。時間を持て余すようになった。その時間、寂しさを埋めるように、私はTikTokやYouTubeをボーッと見るようになった。たまたま、江原さんの動画が流れてきたから見た。そこには、あの子と同じ12歳でお子さんを亡くされたご家族が出ていた。そのお母さんは寂しくてしょっちゅうお子さんの部屋に入っては、机やベッドを眺め、話しかけたりしていた。…私と同じだ。お子さんを亡くされた母親は、2つに分かれる。悲しくて生前のものに近づけなくなる人。悲しくて、生前のものに何回
毎日毎日苦しい。空気が薄くて息がうまくできない。ここはまるで、暗い海の中のよう。上を見上げるとキラキラ輝く光を浴びて、お魚たちが気持ちよさそうに泳いでる。そこは温かそうだね。太陽の光も沢山で、空気も全然薄くないよね。私も一年前はそこにいたんだ。みんなと楽しく泳いでた。だから、よく知ってるよ。そこがどんなに気持ちがいいところなのかを。私も、私だって、今もそこにいるはずだったのに。どうして私だけこんなところに来てしまったのかな。まるで、ここは深海だね。私は娘を亡くしたあ
「あの日」を持っている人と、いない人。この世の中は二分されると思う。もちろん、あの日を持っていない人なんていない。結婚したあの日。就職したあの日。幸せなあの日しか持っていない人は、なんて恵まれてるのかな。でも、そんな人は極少数。誰しも人生の転機となる悲しいあの日があるんじゃないかな。でも、子供を失った「あの日」を持っている人なんて、人口の何%に当たるの?きっと少ない。私の周りも一人もいない訳ではないけど、すごく少ない。どうして私なんだろう。どうして娘なんだろう。考えても
先日、古くからの友人が家族全員で我が家に来た。旦那と、子供を二人連れて。相手に子供が生まれてからは、いつも子連れでくる。旦那は子守担当なんだと思う。正直、旦那に来られるのは気を使うし、下の子は三歳くらいだから連れてこないで欲しい。何より、子守りで付いてくる旦那もずっとスマホいじっていて、私が家の裏に公園があることを子供たちに教え、暗に連れて行くように誘導してもなかなか動こうとしない。友達も、子供が危ないことや勝手なことをしていても、「ダメだよー!」って言うだけで本気で止めようとはしない。