ブログ記事2,365件
色んな本を読んでみたり。色んなブログを読み漁ったり。死後、どうなるのかを調べてみる。無になると書いていたり(1番嫌)魂だけは生き続ける、と書いていたり。様々。中には、実際に視てもらい、こうですよ!と教えてもらっている人もいる。興味がある!気になる!いつか、私も視てもらうかも?でも、実際のところは、分からないのだ。自分が死ぬまで、答え合わせができないからだ。それならば。1番、自分の心が軽くなりそうな説を信じるのがいい。無になるにせよ。(嫌だけど)魂が生きるにせ
最近の小・中・高校では、イベントの写真販売をインターネットで行う学校が多い。我が家もそうだ。スナップスナップ、というサイト。ページを開いて、学校から渡されるチラシに書いてある学校番号を入力すると、写真閲覧&購入ができるシステムだ。サイトには、兄弟の登録もできる。お兄ちゃんがスナップスナップのチラシを持って帰って来たので、学校番号を入力した。すると、娘のページとお兄ちゃんのページが当たり前のように並んで開いた。一瞬、固まる。今までも何度も見たページなのに。もう二度と、娘のページに
ワンネスは現実であり、人生に、「不慮の事故」といったことはありません。私たちのいう事故とは、認識されていない魂の目的が表現されたものです。あなたが、いわゆる「不慮の事故」にあったとき、そこで関わる人たちは、あなたの人生という映画の過去のフレーム、過去世で関係があり、それは否定的なものであった可能性があるといえるでしょう。相手を責めたり、訴えたりするのではなく、このことに関わるすべての人にとって終わらすことのできる解決法を見いだすことです。それを拒否する
職場の同僚に、物が壊れたら死んだと言う人がいる。昔っからそう。あの子が生きてる時は、ふーん、そういう言い方するんだ〜、と、思ってただけ。だけど、あの子が亡くなってからは不快になった。電気が点かなくなったら「蛍光灯がお亡くなりになりました!」ボールペンのインクが切れそうな時は「これ、死にかけやん〜!」…不快だ。あの子がお空に逝ってから、一気に不快に感じるようになった。多分相手は、私の不快さに全然気づいてない。あの子のお葬式にも来てくれたんだけどなあ。多分、もう口癖なんだね。
連投ごめんなさい。電話があった。進研ゼミから。今、切った。「〇〇さんの保護者様ですか?」から、始まり。中学の勉強の話へ。「数学、英語は得意ですか?」…。知らん!だって、分かんないもん。「まあまあですかね〜。」と言ったら「すごいですね〜!」と。いや、知らんけど。英語も数学も勉強できなかったし。中学生になれんかったし…。「以前小学講座をされてて、やめたのは何故ですか?」「だんだんしなくなったんです。」↑これは、本当。「この度、YouTubeと連動させて、
皆、家族が揃っていた時。朝起きて、朝食食べて身支度して、子供達は学校へ。私達、親はお仕事へ。起きた瞬間から、気分は【フラット】だった。そこに、寝不足だったり、熱が出たり、その日の気分で今日はやる気が起きないな〜!て日もあったりで、多少の気分的・体調的なアップダウンはあるにせよ。一一一一〜〜〜〜一一一一一〜〜一一一〜一一↑こんなものだった。だけど、いま。起きて、そうか。今日もあの子はいないんだ、てとこから朝が始まる。気分はフラットどころではない。前で言うフラットマイナス100
今から12、3年前。我が家は賃貸アパートから、新築の現在の家に引っ越した。引っ越し前に気になって方位を調べてみると、何と1番避けた方がいい方位だった。私は風水とか方位学とか、ちょっと気になる方で、新築の家を1年放置して、次の年に引っ越したいな、とその時思ったのを覚えている。1年経てば、その方角が、引っ越していい方位に変わるからだ。だけど、両親や旦那に言うと1年誰も住まずに放置するのは、ちょくちょく掃除をしに来るにしても勿体ないんじゃない?せっかく建てたのに、とのことで、苦肉の策で方違
孫っちが産まれて・・・不慮の事故続きのわたくすぅー💧骨折から骨折の『おかわり骨折』のオンパレード💧ついにパパちゃんが不慮の事故による骨折現在・・・足の小指と薬指骨折、地味なギックリ腰中に、勢いよく腰にどすんと2回やられて今だに腰が治らない💧(T^T)孫っちより先に起床してモーニング奇襲ダイブ回避‼️日中は・・・ガッツリボディースーツ、ハイウェストロングガードル、ウエストニッパーで武装‼️着脱も大変だけど💧鎮痛剤飲んでボルタレンゲル塗布してガッツリ武装して何とか稼働中・・・
あの子が亡くなって、1年まではウォウウォウ泣いていた。特に半年まではウォウウォウ泣いてた。ほんとに、冗談でなくウォウウォウ。鼻水ダラダラ。ウォ〜!!と、泣いてた。最近は、涙がボタボタの日もあるしザーザーの日もあるけど、ウォウウォウは泣いてない。なんで?不思議だ。あの子と自転車で通った道。あの子と散歩した道。あの子と遊んだ公園。もう二度と、現世では肉体対肉体では一緒に歩けないんだね。一緒に歩いた道を見るだけで、胸がギューーー!とするのに。なのに。ウォウウォウ泣かない。
これ、アルター。私の祈りの祭壇です。神社のご朱印や、ガネーシャ神天然石達や、父の遺影がある。ツインレイの彼と、1月の終わりにSNSで知り合い、毎日のようにLINEしてました彼は、アメリカが住まい。超、遠距離で、一度も会う事なく他の国に仕事の赴任が決まり2月の上旬に行きました。ある、ボタンのかけ違いから、すれ違ってしまって、4月のはじめの事LINEを送っても既読がつかなくなりました。何であんな事言ってしまったんだろうと悔やんでたまらない日々でしたが今は、其れも落ち着いたか
生きていると、時に理不尽で納得できない事が起きますよね。人間関係でも、不慮の事故や事件でも、「え?そんなことある??」「信じられないんだけど!」「おかしくない!?」ってことは数々起きるのが人生ですねそういう時は理解できないなら、無理に人を変えようとしたりせず、事を無理に動かそうとすると苦しくなるので、「きっと前世からの因果だな!」と考えてみると、
家族が揃っている時は、ネットで服を見るのが楽しみだった!疲れたな〜、と思ったら、たまには自分にご褒美♡と、自分に服を買ってあげた。大好きなブランドもあって、セールの前はカウントダウン。あと何日でセールやな!私はこれを買いたい!と数日前から目をつけてたり。買う時はいつも家族でお出かけしているところを想像して買っていた。次に〇〇に家族で行く時に、これを着ようかな〜!とウキウキ考えていた。それが楽しくて幸せだった。あの子の服もネットで見て、これはどう?と言いながら買っていた。お兄ちゃ
あの子のスマホでTikTokを見てみた。すると、あの子が他の人の動画にコメントをしているのを見つけた。いち!と書いてた。なに?いち!て。お兄ちゃんに聞いてみると、自分がその動画に対して1番乗りでコメントする時に「いち!」と書くことがあるそうだ。なるほどなるほど。知らなかった。最近の子はよく分からんな(・o・;)この世での死は悲しいこと、とされている。なんとなく怖いこと、とされている。だって、死んだらどうなるか分からないから。でも、本にはよく死んじゃってあの世に
普通の範ちゅうでありたかった。子供が先に逝くなんて。普通の範ちゅうを超えている。普通の範ちゅうとは。子供が悪さをしちゃって、呼び出されたり?何か重大事件が起こったり?多分ね、多分。普通に子供が生きててそんなことになったらね。めちゃくちゃ悩む。だけど、子供を亡くすなんて自分の中で想定もして無かったことが起こった今なら、家族皆が生きてて、みんなで悩んで解決できそうなものなら全てが普通の範ちゅうだ。悩んで解決したかったな。悩んでも考えても、解決策なんて無いもんな。天寿を全うして
夢にあの子が出てきた。夢のあの子は、小学生。もう中2なのに、やっぱり夢では小学生。友達が家にあの子の歯ブラシを取りに来てくれた。「〇〇ちゃんは、もう透明だから、歯ブラシも透明を用意してくださいって先生が言ってた!」と、友達が言う。どうやら、夢の世界では、死んじゃって透明になった子も学校に通える素晴らしいシステム。夢の中では、今みたいに完全なる透明ではなく、あの子は半透明。色も付いてて、どこにいるかも分かる。でも、抱きしめたらスカッとなりそう。私は急いで透明歯ブラシを探してみる
ママ友からラインが来る時がある。その時に必ず、と言っていいほど書いてる。昨日もらったメッセージにも書いてた。「私に出来ることがあれば、何でも言ってね!遠慮しないで!お手伝い出来ることがあれば…!」ありがとう〜!ありがたいよ〜!しかし、無い。何も、無いんだな。「ずっと、寂しくて。お茶にでも今度付き合ってくれたら嬉しいな。」とか?いや。でも、行ったほうが落ち込むから、いい。行かない。この手のメッセージに、ではこれをお願いできますか♡と、送ったことある方はいるのかな?何を
大切な人を亡くした人へ。みたいな、本だったりTVだったりでよく見たり聞いたりする言葉。残された人がいつまでも悲しんでたら駄目。楽しく、残された時間を過ごすことで、お空の大切な人も安心するんです。言ってることはすごーーーーく!よく分かる。確かにずっとずっと泣いてばかりいたら、心配もするやろう、と思う。【一緒に過した日々は無くならない。大切な思い出を胸に抱いてこれからを生きていこう】的な。綺麗だなーー!と思う。美しい!素晴らしい!と思う。端から見てる分には。でも、それを実際やる
あの子のスマホにラインメッセージが来た。削除してもいいかな?という、内容。悲しかった。だけど、もうやり取りできないし、仕方ないのかなと思い、今までの感謝を込めて、ありがとうスタンプだけ押した。すると、またメッセージが来た。どうやらその子は兄弟のスマホをもらったらしく、あの子と繋がりのある上の子は新しいスマホを買ったらしい。そうか。この子はあの子を知らなくて、直接あの子と関わりがあった訳ではないのか、と思い少し安心した。続いて、兄弟にあなたのことを伝えておきましょうか?とメッセー
去年は、寝る前ずっと毎日泣いて寝ていた。下手したら、泣きながらいつの間にか寝てしまい、朝起きてまた泣いて、そのまま仕事へ。なんて、ザラだった。それが、段々と3日に1度になり1週間に1度になり、今年に入り泣かずに寝られる日も増えてきた。それには、思考パターンが関係していると思う。初めの頃は、考えることも初めてで、何を考えても悲しくて悲しくて仕方ない。だけど、毎日毎日毎日毎日、同じようなことを考える中で、ある程度の思考パターンができてくる。こう考えてしまった時は、こう考えると落ち着く。
あの子がお空に行って、【これから、どうやって生きていったらいいのか分からない】と思っていた。ずっと。『これから先も、家族4人の幸せな日々を過ごして、子供達2人を育て上げて、巣立った後は夫婦で色んなところに旅行でもして、なんだかんだ、いい人生だったな〜!と思いながら子供達に看取られて死んでいくんやな…。』という、なんとなくの自分の中での人生プランが、あの日ぶっ壊れたからだ。どうしよう…。こうなるに違いない!と思い込んでいた、自信満々のプランが足元からガラガラと崩れてしまった…!!と、思っ
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます私が侑來を亡くしてからお会いしている友人達は「最初から子供が居ない人」もしくは「我が子を亡くした人」が殆どなのですが今日は以前にもブログに登場したすぐ隣の部屋に住んでいるママさんとランチに行きましたそのママさんは3歳の1人っ子女児を育てているシングルマザーさんです今日はいつものバカ話に加えて「子供の死」について語り合いましたそのママさんは我が子の死はもちろん経験していないのですが、かなり
私は兄弟がいます。兄が二人です。兄二人とは、父親が違います。それを知ったのは大人になってからだけど。長男は東京に10年以上いましたが、地元に帰って結婚して、今は近くに住んでいます。が、交流は特にありません。次男は東京に住んでいます。こちらも、普段は連絡を取ることがありません。帰省した時にたまに連絡が来て、タイミングがあればお互いの子供を会わせるという目的で会うくらいです。二人とも都会人といった感覚の人種です。私は、ザ田舎者感覚です。なので、たまに会う分には、面白いな~で済み
生活って、日々を積み重ねるもの。子育ても、日々を積み重ねるもの。私は、あの子のお世話ができなくなったから、あの日から現実的な意味での子育てができなくなった。現実的な意味での子育て、とは参観日に行ったり日々の生活におけるお世話だ。洗濯をしたりね。その代わり、あの日からお仏壇にお花を生けたり、お菓子を供えたり、今までとは形が変わったお世話が始まった。それが、なかなか寂しくて。やっぱり生活っていうのは、日々の積み重ねのことを言うんだな、と思ってしまう。あの子が夢に出てこなくなったのも、
私は、何度かこのブログにも書いたことがあるけれど、【女の子を育てる】というのが、この人生においての目標だった。小さな頃から将来女の子ができたら、この名前!と、決めていたし、女の子が産まれるまで産む!と決めていた。実際は不妊治療にお世話にならなくちゃいけなくて、できないかも、とさえ言われていたけど。でも、お兄ちゃんが産まれ、あの子が産まれた。念願の名前もつけた。やったー!女の子!!嬉しかった!!!だけど、女の子を育てることはできたけど、育て上げることはできなかった。髪を結ったり、
私の住む北国でも、ようやく桜が咲き始めました。毎年、桜を見ると寂しさと悲しさが募る。おうたとさよならする前は、幸せの象徴だったのに。時間の経過と共に、おうたと同じ年頃の男の子を目にしても、以前ほど憎悪を抱かなくなった。見当違いな憎しみや疎ましさの代わりに、思い返すのは自分への後悔。GWの日。旦那の実家で咲く桜の木で、おうたと木登りをした。母ちゃんは子供の頃、よく木登りをしたんだよ。おうたもできるかな?って。その2日後に、木登りが原因で事故にあった。後悔してもし切れない。ごめ
私の人生って平凡に終わるものだと思っていた。多少のアップダウンはあるにせよ、そこそこ一般的な平凡な人生を送るものだと思っていた。…あの日までは。あの子を失った日。私の思っていた人生とは180度変わってしまったんだ。事故のニュースを見ては、気をつけないと〜!と思っていたし、日本で起きた過去の事件なんかがYouTubeとかで流れてくると、怖い!気をつけないと〜!と思っていた。いま。思いすぎたのか?とも思うことがある。思いすぎたから、自分もその立場の気持ちを分かりなさい、的なことが起こ
かわいい我が子をお空に見送った親。あるいは、大切な人をお空に見送った人。その人達は1度は必ず考えること。【どうにか、お空のあの子とコンタクトが取れぬものか】私は、每日考えている。●ミディアムさんにお願いする●ブログでたまに見かけるコンタクト取れますよ!的な人を信用する●イタコに会いに行く●自分が霊界の勉強をするetc…。以前のママ友達が知ったら頭がおかしくなったと思うだろう。が!こっちは、いたって真面目なのである。そしてきっと、私の頭がおかしくなったと思う人達もこちら側に
子供をお空に見送った経験は、ずっと悲しいと思う。時薬があったって、何年か後に楽しい経験に変わることは絶対にあり得ない。子供を亡くした経験は、ずっと自分が死ぬまで悲しいままだ。だけど、子供を亡くした親はずっと不幸でいないといけないのかというと、それは違う。こんな経験してしまって不幸すぎる…。と、思ってはしまうけれど。だからって、ずっとずっとこの先ずっと、自分は不幸だ不幸だ、子供を亡くして不幸になった!死ぬまで不幸だ!と、思いながら生きるのは…違うよね。それだと、子供にとっては、自分
あの子の干支は寅だ。寅年に生まれ、寅年に事故にあい、兎になって暫くしてお空に行った。だから、干支は一回りしただけ。本当は兎年生まれのはずが、早く出て来ちゃって寅年生まれになった。あの子の性格は寅年のまんま。カオー!ガオー!て感じだ。5年前の子年から干支の置物を買うようになった。これから12年かけて揃えていこっか、て話しをしていた。事故で兎年の置物なんて買える状況では無かったから、本当なら寅年が最後で飾ってあるはずだけど、事故より前にフェイントで参拝したらもう兎年が売ってて、混み合