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「私は可哀想な人で終わりたくない!」と、旦那に言った。言いながら、涙が出てきた。周りの人、近所の人、全てを知っている人、みんなみんな、我が家を、私を、あの子を、可哀想だと思っているだろう。小学生の子を亡くした家族。子供を亡くした親の私。小学生で亡くなったあの子。まあ、なんてハッピー!なんて、絶対思ってない。思ってたら、狂ってる。確かに、あまり世間では滅多に起こらない、我が子が先に逝くという経験をしてしまった。ハッピーか可哀想かと言うと、間違いなく可哀想になるだろう。だから
3週にわたって行われた「国民スポーツ大会(国スポ)」(以下,旧称の「国体」で)の予選会は,完全なダメ元での参加だった長男.それでも「力試し」にはなろうし,「超ハイパーウルトラスポコン研修会」だと思えば,頑張ったほうだと言えよう.6ゲームずつ3日のトータルは3,000をクリアして,AVG.としては170一歩手前だった.あのコンディションかつ1ゲームごとボックス移動という環境を考えれば,及第点だろう.そんな第2週の後,その後に控えている「第23回JB関東地区高等学校対抗ボウリング競
宿命について考える。考え始めると、深みにはまる。混乱してくる。宿命が決まってるというのなら。一生懸命考えて出した答えも、宿命に繋がって行くのかなぁ。宿命ではなく、その間のどうにでも変えられることなら運命、だから考えて変わるだろうけど。【いま】一生懸命一生懸命、考えてる事があったとして。それが、どうにも変えられない部分の宿命、に関するものなら。結局、宿命が決まっているのなら、その宿命に辿り着くように辿り着くように、考えるのかなぁ。行動だって、そう。終わったことを後悔してたられば
とある雑誌記事の写真です。サンミュージックのあった大木戸ビルを大きく写しています。岡田有希子ちゃんが亡くなった場所であり、溝口元マネージャーが亡くなった場所でもあります。この記事の見出しが酷いですね。デスダイブなどと、人の不幸を面白がってるとしか思えません。このビルの屋上をよく見て下さい。端から端までクリナップの巨大看板が設置されています。ビルの壁面と看板との隙間もほとんどありません。また、この写真からは確認されませんが、少なくとも屋上には転落防止用の柵があるはずです。こんな場所か
あの子が事故にあったあの日。病院で先生に、その日のうちに言われた言葉。「もう、この子は歩くことも喋ることもできません。意識が戻ることは、100%ありません。残された時間は、体力が持つ日まで。それは今日かもしれないし、明日かもしれない。でも、絶対に一ヶ月は持ちません。」本当に?信じられない。だって、2時間前までは普通に朝ごはん食べてたんだよ?私は、ただただ泣くしかできなかった。何もしてあげられない。なんて無力なんだろう。だけど。心のどこかで信じてなかった。そんな訳ない
多発性骨髄腫の維持療法(治験)も今のところ順調に進んでいるのですが、左膝が初期の変形性膝関節炎で膝が痛いため、明石大橋が見える日帰り温泉で温めに行きました。ここの施設は海の横で海や淡路島、明石大橋を見る事が出来ます。お風呂に入り海の見える休息所でリラックスしていたのですが、ふとネット記事が目に止まりました。5月27日がZARD坂井泉水さんの命日で、その日に全国19の映画館で昔のlive映像を上映するみたいです。癌の治療中に不慮の事故でお亡くなりになりましたが、今生きていればと思うと本当に
ブログを始めて、約半年。正直、まだ半年か〜!て気分だ。毎日書いてるしね。その前は読むだけの半年もあったからかな。ブログを始めて友達ができた。お子さんをお空に見送った理由は様々。だけど、私と同様、そんなに年数も経ってなく、気持ちが解り合える。ホッとする。支えあってる感じがする!分かる!分かるよ〜!てことを書いてらして、私だけじゃないんや〜、と思える。はたまた。ブログを読ませて戴いている方の中には、お子さんをお空に見送られてから、年数が経っているブロガーさんもいる。この中に、気
「あの日」を持っている人と、いない人。この世の中は二分されると思う。もちろん、あの日を持っていない人なんていない。結婚したあの日。就職したあの日。幸せなあの日しか持っていない人は、なんて恵まれてるのかな。でも、そんな人は極少数。誰しも人生の転機となる悲しいあの日があるんじゃないかな。でも、子供を失った「あの日」を持っている人なんて、人口の何%に当たるの?きっと少ない。私の周りも一人もいない訳ではないけど、すごく少ない。どうして私なんだろう。どうして娘なんだろう。考えても
娘を弔ってから。私は毎日2つの世界で生きている。家族皆が元気に揃っている頃は、目に見える目の前の現実だけを生きていたのに。朝起きて、朝食を食べて学校に行くお兄ちゃんを庭で見送る。いつも、そこから。1つしか無い自転車の横に、見えない娘の自転車が頭の中で浮かんで来るんだ。左に向かうお兄ちゃんに行ってらっしゃい、をしながら、右も見る。娘は右に出かけるはずだった。見えない娘にも行ってらっしゃい。重い身体で家事をして、時間が来たら私も出勤。ニコニコ元気に笑えるよ。まるで何も無かったみ
今回の記事はオカルトのテーマである。内容が内容だけに最初に書いておく。よく巷では、宝くじに当たると悪いことが起こるとか、死ぬなどと言われることがある。根拠は薄いが、おそらく人の運量は一定なので、一度に運を使うと、その反動が来るといった感じだと思う。マージャンでも、天和や九蓮宝燈を上がると、死んだり、重い病気や事故に遭うなどと言われたりする。そのようなことがあり、僕たちは誰か天和を上がったら、すぐに麻雀を中止し、その日は赤飯でも炊いてもう麻雀を止めるという約束をしていた。ところが
今、あの子は何をしてるんかな〜?今、あの子は何を考えてるんかな〜?と、よく旦那と話す。「nowよ?now!!」と、必ず付ける。私達は、【今現在】のあの子が知りたい。頭の中で回想する思い出の中のあの子ではなく。【今】のあの子の状態が知りたい。家にいたら。部屋の扉を閉めてたって、楽しそうな声が聞こえて来るだけであ!友達と電話中なんや。て、分かった。だけど、今は何にも分からない。あっちは時間の概念が無いって言うけど。時計とかも存在しないって言うけど。それにしたって、その中
👇の記事で紹介したこともある中国文学者の井波律子さんが亡くなりました😢この他にもいろいろ読ませていただきました。享年76歳。まだまだ執筆活動もなされていたはずなのに残念です敎団@Vitalize3K井波律子氏死去日文研名誉教授、「三国志」研究で知られる中国文学者|京都新聞https://t.co/RtwauzfH9Bお会いする機会には恵まれませんでしたが、中国文学の面白さや魅力等を著書を通じて教えて下さった先生でしたの…https://t.co/69ZfisjZUP2020年05月1
ママ友からラインが来る時がある。その時に必ず、と言っていいほど書いてる。昨日もらったメッセージにも書いてた。「私に出来ることがあれば、何でも言ってね!遠慮しないで!お手伝い出来ることがあれば…!」ありがとう〜!ありがたいよ〜!しかし、無い。何も、無いんだな。「ずっと、寂しくて。お茶にでも今度付き合ってくれたら嬉しいな。」とか?いや。でも、行ったほうが落ち込むから、いい。行かない。この手のメッセージに、ではこれをお願いできますか♡と、送ったことある方はいるのかな?何を
2月1日に、お亡くなりになった女子プロレスラーの朝陽(あさひ)さん(享年21歳)ご冥福をお祈り致します。報道によれば、朝陽さんの死因は、「不慮の事故」とされております。プロレスという競技は、激しい体のぶつかり合いである。それゆえ、試合中や練習中に大怪我をする事も少なくはないのです。三沢光晴氏は、試合中にバックドロップを決められて倒れ、お亡くなりになりました。また、「破壊王」こと橋本真也氏は、試合中の事故ではありませんが、「脳幹出血」が死因だ
娘を失って間もない頃。よく、旦那と話をしていたことがある。どうして、うちだったのかどうしてあの子だったのかそれがどんどん発展していって。我が子をうちのように12で弔うのと、もっと小さな幼児の頃に弔うのと、20歳くらいで弔うのと、どれが一番辛いだろう答えなんか無い比べるものでも無いだけどよく話してたどこかの本で、小さなうちに子を失うと、作れなかった思い出を悔やんで心を傷めある程度大きな子を失うと、思い出がある分辛くなると読んだことがある。そうだね。それも一理あるかもしれな
私の住む北国でも、ようやく桜が咲き始めました。毎年、桜を見ると寂しさと悲しさが募る。おうたとさよならする前は、幸せの象徴だったのに。時間の経過と共に、おうたと同じ年頃の男の子を目にしても、以前ほど憎悪を抱かなくなった。見当違いな憎しみや疎ましさの代わりに、思い返すのは自分への後悔。GWの日。旦那の実家で咲く桜の木で、おうたと木登りをした。母ちゃんは子供の頃、よく木登りをしたんだよ。おうたもできるかな?って。その2日後に、木登りが原因で事故にあった。後悔してもし切れない。ごめ
15年程前からお付き合いのあった宝石商が不慮の事故で亡くなってしまいました。カラチに駐在で来ていた方なら彼にオーダーした方も多かったと思います。私が最初に作ったのはシンプルな色の濃いガーネットのペンダントトップ。ドキドキしながらお願いしたのを覚えています。そして最後になってしまったオーダーはトルマリンのペンダントトップでした。初めはシンプルな物や大ぶりなデザインしかできませんでしたが、最近は細かなデザインもできるようになってオーダーするのが楽しみでした。娘さんと息子さんが後を継いで続け
あの子が亡くなって、1年まではウォウウォウ泣いていた。特に半年まではウォウウォウ泣いてた。ほんとに、冗談でなくウォウウォウ。鼻水ダラダラ。ウォ〜!!と、泣いてた。最近は、涙がボタボタの日もあるしザーザーの日もあるけど、ウォウウォウは泣いてない。なんで?不思議だ。あの子と自転車で通った道。あの子と散歩した道。あの子と遊んだ公園。もう二度と、現世では肉体対肉体では一緒に歩けないんだね。一緒に歩いた道を見るだけで、胸がギューーー!とするのに。なのに。ウォウウォウ泣かない。
今日はショボーンなやまっちです朝家の外に出ると、、、シビ男さん強風で倒れてましたミラー、ウィンカー、バーエンド、マフラー傷まみれです昨日から天気予報では今日は暴風となっていたのですが、、、まさかこんな事になるなんて今までこんなことがなかったのでかなりの衝撃を受けましたなぜこんな事になったのかを考えました。、、、理由わかりましたバイクカバーのせいです!雨から守ってくれるバイクカバーですが、、、風からは守ってくれないんですね。強風時はバイクカバーが帆のように風を孕んでしまってバ
誰よりも1番、母親の私に世話になっていて死なれたら1番困る娘に毒殺されかけた気付かなかった‼️不慮の事故だと言い張ってるがっ💢💢💢不慮の事故が通じるのは3歳の孫だけだからね❓微量だったが、応急処置したとは言え・・・身体的不具合は出ましたけど💢お前は、魔か❓魔なのか❓出張帰りの父親の洗濯物の中に女性物の下着を仕込んで間接デスエンディング‼️母親の私には直接デスエンディング‼️お前が、その気なら・・・本気でヤ(殺)るよ❓ママ、こっわぁ〜い♪怖いのはお前だからね❓ったく💢💢💢
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます私が侑來を亡くしてからお会いしている友人達は「最初から子供が居ない人」もしくは「我が子を亡くした人」が殆どなのですが今日は以前にもブログに登場したすぐ隣の部屋に住んでいるママさんとランチに行きましたそのママさんは3歳の1人っ子女児を育てているシングルマザーさんです今日はいつものバカ話に加えて「子供の死」について語り合いましたそのママさんは我が子の死はもちろん経験していないのですが、かなり
干支が同じな年の差日韓夫婦です去年に亡くなった韓国の義理母に贈る言葉を綴ります昨日の夜(今)韓国にいる旦那とKakaocallを2時間くらいした後午前2時すぎくらいかないつも朝まで熟睡の私が幾度となく目が覚めてその度に、暗い部屋の中に大きな白い光がチラチラと動いているのが見えた。義理母がこちらに来てた?気配がしたので多分、そう思う。私と娘とも、ここ数日ハルモニの話をしてたからね。『①義理母に読む物語~あの日の電話』干支が同じな年の差日韓夫婦です。
先日、古くからの友人が家族全員で我が家に来た。旦那と、子供を二人連れて。相手に子供が生まれてからは、いつも子連れでくる。旦那は子守担当なんだと思う。正直、旦那に来られるのは気を使うし、下の子は三歳くらいだから連れてこないで欲しい。何より、子守りで付いてくる旦那もずっとスマホいじっていて、私が家の裏に公園があることを子供たちに教え、暗に連れて行くように誘導してもなかなか動こうとしない。友達も、子供が危ないことや勝手なことをしていても、「ダメだよー!」って言うだけで本気で止めようとはしない。
私は兄弟がいます。兄が二人です。兄二人とは、父親が違います。それを知ったのは大人になってからだけど。長男は東京に10年以上いましたが、地元に帰って結婚して、今は近くに住んでいます。が、交流は特にありません。次男は東京に住んでいます。こちらも、普段は連絡を取ることがありません。帰省した時にたまに連絡が来て、タイミングがあればお互いの子供を会わせるという目的で会うくらいです。二人とも都会人といった感覚の人種です。私は、ザ田舎者感覚です。なので、たまに会う分には、面白いな~で済み
昨日はブログにも書いたが、バスツアーに行った。正直、ちょっと早いんじゃねーの?と不安もあった。心が揺さぶられるんじゃねーの?と思った。が、試してみたい気持ちもあり。行くことにした。行ってみて。あ!かわいい!見てほしい!と思った時に、お兄ちゃんにしか言えないな〜、と気付いた。これは、お兄ちゃんでなく、女の子のあの子に見て見て!なものだけど…な時も、お兄ちゃんにしか言えないのだな、と分かった。ほう…。これが、今でいうMAX楽しい、という状況か、と思った。悪くいえば、今の楽しいの限界
私はバスツアーが大好きだ!良さげな見所にバスに乗ってるだけで連れて行ってくれるし、運転しなくていいし楽ちん♪もうちょっと見たいな〜、て時に集合時間が来てタイムアップ!なデメリットもあるけど、それでも私は大好きだ。そんな訳で、今日はバスツアーに行って来ました。久し振りのアクティブ。前はこうだったんですけどね。年に3〜4回は行ってたかな。あの子がいた時はね。最後に行ったのは一昨年の夏かなぁ。去年はあの子がいない初めての1年。何にもしたくないし、どこにも行きたくない。だけど、今年
全く全然眠れなかった7時に起きないといけないのに最後に時計を見たのは5時半だった昨日の夜は涙がこぼれて仕方なかった娘のGoogle検索を覗いてみると【女子中学生流行り】だとか【女子中学生服装】だとか【女子中学生欲しいもの】とか履歴に残ってたそうよねなりたかったよねなる予定にしてたよね女子中学生に母さんも、もちろんその予定だったよたまに止めときゃいいのに見てしまうよあなたの行く予定だった中学の行事予定を参観日、と目に入ればママ友たちは行くんだなああ
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/09160610/?all=1先日、ブラタモリで恐山を特集していた。私達のような人間に寄り添った内容というよりは、当事者でない人々に、紹介するといった内容だった。ただ、南直哉さんの仰る言葉が、私達に直接語ってくれた内容もあり、ちょっと嬉しかった。僧侶や神主、教祖的な崇められる人の言葉は何一つ響かないけれど、直哉さんの言葉だけは届くんだよなーなんでだろう?また行きたくなってきたな。行けば会える気がして。
娘を亡くしてから私はたくさん本を読んだ生とは死とは元々スピリチュアル的な話は興味があって死=無とは思っていないだけど娘が見えなくてお空で楽しくしてると信じてるけど側にいなくて抱きしめれないことが苦しいんだ本にはね人には運命、宿命があるって書いてあったよ運命は努力で変えられるもの見た目や成績、仕事とかだけど宿命は変えられない産まれる国や性別それに寿命や死に方までも産まれる前から決めてくるもしもそれが本当ならあなたは12で死ぬことを決めてきたのかなも