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スタン・ハンセンは現役時代、インタビューで語っていた。「テリー・ファンクは尊敬してるよ。強いし、手ごわいしな」しかし、すぐそのあとで「でも個人的には嫌いだな。ドリー、テリーはずっと自分たちがテキサスの代表みたいなことを言ってるけど、やってることは全然違うことをやってるからな」スタン・ハンセンは、我こそが強くて荒っぽくて逞しいテキサスの代表レスラーという自負心があったのかもしれない。テリー・ファンクの全盛期は70年代で、そのピークがブッチャーとの血の抗争だった。今でも77年
1985年IWGPタッグリーグ戦の全ての公式戦が終了し、ブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌーカ組が29点で断トツだった。アントニオ猪木、坂口征二組が23点。藤波辰巳、木村健吾組も23点。大相撲ならブロディ、スヌーカ組がこの時点で優勝だが、勝ち点の多い1位と2位のチームが決勝戦で闘うルールなので、猪木、坂口組VS藤波、木村組が決勝戦進出を賭けて闘うことになる。そして、勝ったチームがブロディ、スヌーカ組と決勝戦を行う。しかし、猪木組と藤波組の試合は、そう簡単に勝負がつくとは思
キン肉マンと新日本プロレスの選手によるコラボティシャツが販売されていたのは前から知っていたけど、全日本系のレジェンドレスラーとの商品もあったんだね。ということでちょっとご紹介!キン肉マン×三沢光晴コラボレーションTシャツキン肉マンソルジャー-CONVICTwww.convict.jp5,500円商品を見る小橋建太Tシャツキン肉マン全日本プロレスNoahチャンピオン三沢光晴|フリマアプリラクマ小橋建太とキン肉マンのコラボTシャツです。カラー=ブラック黒サイズ=
「目で殺せ、目で殺せ、視殺戦だ。両雄の視殺戦第3ラウンドだ」リング上でアントニオ猪木とブルーザー・ブロディが睨み合うと、古舘伊知郎アナも一緒にプロレスしていた。第3Rとは、後楽園ホールでの初遭遇と公開スパーリング、そしてきょうの初対決だ。1985年4月18日、両国国技館。猪木の左腕には痛々しい包帯が巻かれている。激怒の眼光でブロディを睨んだ猪木は、マイクを持つと英語で何かを言った。するとブロディもエキサイトしてチェーンを振り回し、猪木に当てようとする。猪木は強気に自分の顔
先週末、『アイアンクロー』を観に行った。やっぱり昭和のプロレスファンならば気になる映画じゃないの?だって実話をベースにした鉄の爪エリック一家の人間ドラマだし。父親フリッツ・フォン・エリックの代名詞と言えば、なんといっても必殺アイアンクロー!昭和のプロレスファンでこの名を知らぬ者はいない!オレが小学生の時、テレビでエリックの試合を観てたら、(対戦相手はG馬場さんかJ鶴田か忘れた)当時、まだ若手レスラーでセコンドに付いてた大仁田厚が、エリックのアイアンクローに捕まり、なんと、リング外から
好きな相棒・名コンビといえば?▼本日限定▼ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようDONスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ最高で最強のコンビでしたSOG06からの投稿
1985年4月18日、両国国技館。この日、ブルーザー・ブロディのチェーンのことでもめていた。新・国技館の初使用は、85年1月に大相撲初場所が開催されたばかりだ。相撲協会はしきたりを重んじるところで厳しさは有名。新日本プロレスも必要以上に気をもんだのかもしれない。そのため、壁でも傷つけたら二度と会場を貸してもらえなくなると思い、ブロディにチェーンの使用を禁じたが、ブロディは断った。アントニオ猪木は、コスチュームの一部と考えれば、それほど気にすることはないという意見だが、この猪木の
1983年12月5日、世界最強タッグ決定リーグ戦の公式戦で夢の初対決が実現した。ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセンVSミル・マスカラス、ドス・カラス。福岡国際センターに「スカイハイ」が流れ、マスカラス兄弟が入場して来ると、あちこちから少年ファンが「マスカラス!」と声援を送る。マスカラスの前にはファンが大勢群がり、なかなか前に進めない。ものすごい人気だ。マスカラス兄弟がロープを飛び越えて華麗に入場すると、今度は「サンライズ」が流れ、先頭はブルロープを振り回すスタン・ハン
お疲れ様です。好きな相棒・名コンビといえば?超獣コンビ不沈艦「スタン・ハンセン」インテリジェントモンスター「ブルーザー・ブロディ」ってか最強コンビでしたよねぇ〜でもプロディに問題だらけ…(汗)ザ・ファンクスグレート・テキサン「ドリー・ファンクJr」テキサス・ブロンコ「テリー・ファンク」そんさんがプロレ
IWGPタッグリーグ優勝戦をボイコットしたブルーザー・ブロディは、永久追放になるかと思ったが、ブロディにも大いに言い分があった。あんな無理難題を強要しようとした新日本プロレスに対して、プライドがエベレストよりも高いブロディが承諾するはずもなく、答えは「NO!」しかない。ブロディは新幹線を下りたあと、親しい記者に「新日本プロレスに移籍したのは失敗だった」と語るほど嫌気が差してしまった。しかし、アントニオ猪木はハワイで直接ブロディと会い、和解。ブロディは再び新日本プロレスのリングに
ケリー・フォン・エリックがリック・フレアーを破ってNWA世界ヘビー級王者になったのが1984年5月6日。忘れられない試合です。ケリー・フォン・エリック、父親が「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック、兄のケビン、デビッド、弟のマイク、クリスもレスラーの超名門一家の一員。左から、デビッド、ケビン、ケリー。1980年代前半テリー・ファンクが引退表明(結局復帰しますが)したとき、エリック兄弟に「第二のファンクス」になってほしいと個人的に思いました。ファンクスみたいなヒーロー的な兄弟になれる