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この4月、ピンク・レディーのTBS出演映像を多数収録したDVDボックスが発売され、ミーちゃんケイちゃんの往年の活躍ぶりを楽しめる映像がボリューム的に一気に充実しました。現在、DVDで視聴可能な映像はどれくらいあるのでしょうか?「ザ・ベストテン」78年8月24日放送(「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」所収)そこで今回、歌唱シーンの映像に絞ってリストを作ることにしました。ピンク・レディーが活動した1976~81年に国内のテレビで放送された歌唱映像を
ピンク・レディーのシングルB面曲をリリース順にたどっている。今回取り上げる18作目は、A面曲ともども、かなり奇を衒った突飛なタイトルが目を引くユニークな楽曲である。<基本情報>タイトル:ザ・忠臣蔵’80作詞:伊藤アキラ作曲・編曲:川口真発売日:1980(昭和55)年5月21日A面曲:世界英雄史通算18作目、80年になって2作目のシングルは、前作から作家陣を“総取っ替え”する形となり、作詞は伊藤アキラ氏、作曲と編曲は川口真氏が担当した。残念なことに両氏とも昨年相次いで亡くなったが、伊
昨日は夫の先輩夫婦宅でランチ会夫作の冷凍カレーを手土産にごちそうになりました奥様手作りのタレで食べる鶏BBQ他にも色々出て美味しかった今日は、アサイチ銀行で所用を済ませ、ドン・キホーテへリピ買いしてる【やみつき昆布ソフトタイプ】など買い物マイホへ抽選せず、開店して入る甘でまったり遊ぼうと先日入ったキュインパチンコ【甘ピンクレディー】150回転回すも熱い予告もなく歌リーチも弱々しかなくヤメ【甘からくりサーカス】単発【中森明菜】単発【郷ひろみ】5連
とべ!スーパー・スター…宇宙に、西部に、恋の世界に…ミーとケイのキュートな魅力が大爆発!(LPレコード帯のコピー)ピンク・レディーが1977年から79年にかけてリリースしたオリジナルアルバム12作品が、主要な音楽配信サービスでハイレゾ音源も含めて聴けるようになっている。これらのアルバムについて【PLあるばむメモ】としてリリース順に書いてきたが、今回は8作目にあたる「ピンク・レディーの活動大写真」を取り上げる。これまでのアルバムは、記事を何回かに分けて個別の楽曲についても書いてきたが、今回
近年、東京で話題のエリア、“奥渋”の一角としても知られる渋谷区富ヶ谷は、ミーちゃんケイちゃんがデビュー前から住み始め、新人時代を過ごしたピンク・レディーゆかりの街である。富ヶ谷での生活はどんなものだったのか?そして2人にいったいどんな出来事があったのか?今回も当時の資料や関係者の回想などをもとに探っていく。前々回、前回の記事と併せて、お読みいただければ幸いである。『【デビュー45周年】何があった?ピンク・レディーの富ヶ谷生活(1)』この8月でデビュー45周年を迎えたピンク・レディー。「スター
いつも当ブログ、『昭和TVワンダーランド』へのご訪問をありがとうございます。さて、2022年6月よりYouTube番組『昭和サブカル打ち上げTV』の昭和アイドルシリーズが再開しておりますが、またまた更新がありますのでお知らせいたします。【ピンク・レディー】後編歌謡界のあらゆる記録を塗り替えた軌跡を、デビュー曲からリリース順に考察。果たして平成女子の反応は?【昭和アイドル談義Season2第6回目】当時のマスコミバッシングにより、きちんと報道がされなかったピンク・レディーのアメリ
もはや、テレビ感想のブログと化している今年のここですが。本日も録画再生して素晴らしかった、NHK-BSで放送された「アイドル誕生輝け昭和歌謡」というドラマ阿久悠と酒井政利という2人の昭和歌謡のキーパーソンの活動を軸にしたドラマなのですが、テーマがあっしにどんぴしゃ!子供の頃のアイドルの話。子供の頃の記憶って、変な邪見がはいってないから、素直な物として残っているので、楽しい。それを扱ってくれたからねー。こういう「本物」の写真、映像も含みつつ・・・そういやシンシア夫の
ウィキペディアとピンク・レディーピンク・レディーについて記事を書くのにいろいろ調べ物をするのだが、ウィキペディア(Wikipedia)にはずいぶんとお世話になっている。何か調べたいことをネット検索すると、たいてい結果の上位にウィキペディアの記事が表示され、それを読めばおおよそのことはすぐに把握できる。日本語版の記事数は、現在120万を超えているそうだ。つくづく便利な世の中になったものである。ものごとを手っ取り早く知るのに適したウィキペディアではあるが、記事の細かい部分に目をやると、中
こんにちはSENです雨降りの日が続いてますねこの前の24日の日曜日は岡崎のよさこいチームさん『最果て』さんのレコーディングでした最果てさんとは前回は2019年に『時雨想』という曲をレコーディングして以来5年振りの再会でした今年の曲は『瀧山寺鬼祭り』文字通り岡崎市の瀧山寺で行われる『鬼祭り』をテーマにした曲です(岡崎にも鬼祭りがあるんですね)毎回それぞれのチームさんが詩や曲に思いを込めて振付を考えて曲が仕上がっていきますなかなかバンド活動とは一味違う作業ですが
♪世間をさわがす不思議なことはすべては透明人間なのですあの頃のミーちゃんケイちゃんに会える貴重な映像を収録したDVD「ピンク・レディーin夜のヒットスタジオ」。初めての出演から順に、これまで17回分を見てきたが、ディスク1に収録されているのは、あと残り2回となった。1978年9月25日と10月30日、いずれの回も彼女たちが歌ったのは、9枚目のシングル曲「透明人間」である。「透明人間」といえば、「ザ・ベストテン」に出演した際、2人の姿がほんとうに消えてしまう演出が、当時文字通
1970年代のテレビは、多くのスター歌手たちが、歌番組を中心に綺羅星のごとく輝きを放っていた。そんな時代に社会現象とも言われる大ブームを巻き起こしたピンク・レディー。現在DVDなどで視聴できる当時のミーちゃんケイちゃんの映像から、今回は絵柄が何ともシュールなシーンをご紹介する。「SinglesPremium」DVDより引用(以下の画像も同じ)今回ピックアップするのは、2011年にリリースされたCD+DVDボックス「SinglesPremium」に収録されている「NTV紅白歌のベストテン」
kazumiです。先週、身内が集まり、私の還暦を祝ってくれました還暦(KANREKI)のお揃いTシャツでパチリ孫の桜空も、私より背が高くなり、時の流れを改めて感じました。還暦(KANREKI)のエプロンをはじめ、皆から、たくさんのプレゼントを頂きましたこれまた、感謝、還暦、幸せいっぱいですhttp://www.pin-lady.com/豊橋のバンド「PIN☆LADY(ピンクレディーのコピーバンド)」東三河を中心に活動するバンドのホームページwww.pin-lady.com
この8月でデビュー45周年を迎えたピンク・レディー。「スター誕生!」でスカウトされたミーちゃんケイちゃんが、プロ歌手を目指して故郷・静岡から上京したのは、デビューの約4か月前、1976年4月12日のことだった。2人が東京で初めて住んだのは、渋谷区富ヶ谷。山手通りと井ノ頭通りが交わる辺り、NHKや代々木公園、東京大学駒場キャンパスなどに近い、都心の住宅街である。近年は渋谷の繁華街の奥にありつつ、静かで落ち着いた佇まいが魅力の「奥渋」エリアの一角としても注目を集めている。この街で、輝かしいキャリ
夫は前立腺癌の中でも希な「小細胞癌」に罹患している。前立腺癌は、ほぼ「腺癌」に属するらしく「小細胞癌」は希なケースで標準治療のガイドラインはなく、小細胞肺癌と同じ治療をするとの事。治療の指針が無いというのも不安だけど、私達は治療を主治医におまかせするしかない。最善を尽くして治療に当たっていただいていると信頼し身を委ねているネットで検索すると余命は平均9.8か月、転移ありで7.3か月、転移なしでも13.2か月。こんな数字を見てしまうと、今は元気な夫で想像もつかないけど、
私がまだうら若き10代の頃にピンクレディーさんとCMに出演していました♪♪牛乳石鹸シャワランビューティーシャンプー&リンスのCMですこのシャワランシャンプーのCMは色々なバージョンがありますがこれを載せてました😊懐かCM見てね~♪😘こちらは髪をなびかせてます髪を洗ってるバージョン♪この髪をなびかせている絵柄のこのTシャツ👕持ってます♪牛乳石鹸さんが愛用者用に作ったプリン
ピンク・レディーの最大のヒット曲、「UFO」。斬新な歌詞、サウンド、衣装、振付、そしてミーちゃんケイちゃんの卓越したパフォーマンスによって、歌謡曲の歴史の中でも異彩を放つ独特の世界観を作り上げ、日本中の老若男女を魅了した。あの頃テレビの前で一緒に歌い踊った昭和世代だけでなく、今なおCMやネット動画などを通して多くの人に親しまれる、世代を超えた名曲である。前回の記事で述べた通り、ピンク・レディーが活動した1976〜81年にかけて、国内のテレビで放送され、現在DVDで視聴できる2人の歌唱映像を
ユニークな楽曲とミニの衣装、奇抜な振付、そしてミーちゃんケイちゃんの唯一無二の歌声と溌溂としたキャラクターで、日本中を虜にしたピンク・レディー。年に300本もの番組に出演するなど、テレビと歌謡曲の全盛期を象徴するスターだった。現在DVDなどで観ることができる当時の出演映像の中から、2人の活躍を振り返っている。今回は、昭和のアイドルが当たり前にこなしていた水着での歌唱映像をピックアップする。「SinglesPremium」DVDより引用(以下の画像も同じ)今回も前回と同じく、2011年にリリ
kazumiです。最近、暑かったり寒かったり毎日、何を着ようか迷いますが、とりあえず半袖で過ごしています。今週末は寒くなるらしいので、長袖かなぁ??と、迷っております。さて、石垣島旅行記の続きです。今日は初日に行ったフサキビーチリゾートの夜の事を書きまーす。海から上がり、簡単にシャワーを浴びて(ファミリーが多くゆっくり浴びられず)ビーチを散歩しました。海に浮かぶ桟橋を渡りながら、海の中に魚達がたくさん裸眼で見えて、びっくりさっきまで潜っていた所は全然見る事が出来なかったのに、こ
今日は黄色のトップスと黄色をベースにした花柄のズボンで、張り切って一本目のレッスンをしたわけ。で、レッスン終わった後にあるお客様がスタジオを出られる際に、【先生、今日のズボンはそんなデザイン?】とよくわからない一言。え??と言いながら、ズボンに目をやると、ああああああぁぁぁぁ‼️‼️‼️ズボンのファスナーが半分以上開いてる‼️😆その光景を見ていた、他のお客様方が次々に、【そこばっかりに目が行ってレッスンに身が入らなかったも〜ん‼️】みんな爆笑😆😆‼️私【アンタ達〜っ‼️わかっ
こんちは、yoichiですまだまだ、桜は咲きませんね~今日はかなり、温かくなりましたけど先週はメチャメチャ寒かったですもんねさて、久しぶりに「PIN★LADY」の動画をアップしました3月2日に豊川で行われた『ピン★レディーatOnebyOne』より「山口百恵メドレー」ですVo.SEN(セン)が歌うので「山口千恵メドレー」とも言いますどうぞ、お楽しみ下さいませでは、今週はこの辺で・・・PIN★LADYのホームページはコチラ豊橋のバンド「PIN☆LA
山口組三代目の田岡一雄組長が1978年7月11日に店内でピストルにより狙撃されたことで有名な京都のナイトクラブ「ベラミ」の1976年6月のショー・スケジュールとコースターとマッチ。この月には菅原洋一やフランク永井らが出演。越路吹雪、坂本九、ピンクレディーらもここのステージに立っている。山本千代子ママの死で1985年に閉店した。
さよならピンク・レディー、ミーとケイの告白ドキュメント。苦しみとむなしさだけが残った〝人間ケイ〟の恋。今回は、ピンク・レディーの解散についての記事です。週刊平凡で、解散まで4週激載された記事の中から、第二回目の連載を切り取り引用。4回のうちの2回目とは中途半端ではありますが、手元にあるのがこれだけなので、とりあえずピンクレディーの経歴を簡単に、1976年8月25日ペッパー警部でデビュー。1978年レコード大賞受賞。1979年全米デビュー。1981年3月31日
今から45年前の今日(8/31)、1978(昭和53)年8月31日は、サザンオールスターズが、TBS「ザ・ベストテン」の「スポットライト」のコーナーに初登場し、デビュー曲の『勝手にシンドバッド』を歌い、世間に衝撃を与えた日である。1978(昭和53)年6月25日、サザンは『勝手にシンドバッド』でデビューしたが、それから約2ヶ月ほど経った、この日(1978/8/31)に、サザンは遂に「ザ・ベストテン」に初登場した。そして、この日を境に、サザンは「売れっ子」への道を歩み始めた。従って、197
寒くなったり、暖かくなったり、、なかなか落ち着きませんが、少しずつ春の気配も感じられるようになってきましたね。3月前半の森は、なかなかのタイトスケジュールでブログやSNSも放置状態。。💦まずは今日明日で確定申告を済ませます(笑)先日の3月10日は、いつもお世話になっている藤沢の若泉楽器店さんでのセミナーでした。いよいよ年度末も近いので、次の環境が決まっている方も多く、それぞれに胸に秘めた想いを感じることができました。次回は5月12日(日)を予定しております。新年度ス
昨日は、Over50アイドルの曲、SEVENTEENの振り入れに東京へ。スタジオ着くまで緊張がバァ〜〜って。一回は出てくるのよ。いいよ、いいよ。湧いてくるんだもんしょーがない。何でこんなに緊張するの?「練習」とか「覚えなきゃ」って言うのが拍車をかける。踊っていて思い出したよ。小学5年生、6年生の頃を。ピンク・レディー全盛の時で、テレビつければふたりを見ない日は無い。次から次へと新曲が出てその度に一緒に歌って踊って。兎に角、楽しかった。彼女らが乗り移ったか
今年(2023年)サザンオールスターズは、「デビュー45周年」を迎えたが、当ブログでは、サザンの「デビュー45周年」を勝手に記念し(?)、サザンのデビュー曲『勝手にシンドバッド』誕生秘話のシリーズを書いている。サザンがデビューする前年である1977(昭和52)年、桑田佳祐が、『勝手にしやがれ』(沢田研二)、『渚のシンドバッド』(ピンク・レディー)のタイトルをくっつけ、『勝手にシンドバッド』という曲を作り、それがサザンのデビュー曲になったという「物語」を、私は書かせて頂いた。そして
何年も前に録画した中島みゆきを見ながら、寝てしまった目が覚めて・・寝ぼけてました!ふと口ずさもうと思ったら、歌えない頭の中ではちゃんと歌えているのにそうだ!もう喋りにくかったんだ泣きました🤧🤧🤧でも、思い出したんです友達とカラオケに行って、ぶりっこで歌った森高千里🤭🤭🤭会社の忘年会で同級生と歌って踊ったピンクレディーおばさん二人のピンクレディー(笑)まだ悔しくてすぐ泣いちゃうけど・・頭の中でぶりっこしながら、歌って踊ります
36歳の出発TBS3時にあいましょう(昭和56年10月22日放送)(昭和56年(1981))高校三年生みんな旅人舟木さんの36歳は、前年に長男の純君が誕生しています。活動が停滞していた頃で、かなり痩せられて、公の場にもサングラス姿で、登場される事が多くなっている時期です。前年にリリースした「グッド・バイ・ソング」は舟木さんのオリジナル、作詞作曲・上田成幸。3月31日に行われた、ピンク・レディ解散コンサートでは、この曲がラスト曲でした。表立っての歌手として
※ママチャリ等の前輪の上の(泥除けの)スチール部分、もっと前に出ていたように思いませんか?(かなり以前から一貫して、下記画像の様な感じになっています・・ご自分の自転車&駐輪場等でも、ご確認ください)◎昭和のアイドル自転車◎過去記事『・マンエフェ情報局番外編『黄色信号は"止まれ"』』※何度か記事にしておりますが、(現在の世界線では)黄色信号は『止まれ』です。黄色で突っ込むのはNGですので、お気をつけてください。本
禁酒したことある?お酒は好きですが禁酒したことはありません~飲み過ぎに注意して、週3回程度で楽しみます私の好きなのは、カクテルとワインです・・特にホテルのBARで飲むと良い気分になりますね~(ネットからのお借りもの)ビールは夏の間、飲み会での最初の乾杯で飲みます▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう