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いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。2023年も、ついに大晦日ですね。今年の年越しは、ミーちゃん(未唯mieさん)が金沢で行われる「カウントダウン・コンサート」に、そしてケイちゃん(増田惠子さん)は横浜アリーナで「第7回ももいろ歌合戦」に出演されるとのことです。楽しみですね。大晦日といえば、ちょうど45年前、1978年の12月31日は、ピンク・レディーが「UFO」で第20回日本レコード大賞を受賞した記念すべき日でもあります。78年12月31日「第20回日本レコード大賞」(「
バラを見ては癒やされる雨フリフリの日つぼみがいっぱい石和温泉駅の南口のバラも満開でとっても素晴らしかったです。車中とホームから覗き見ただけでじっくりは見られませんでしたが花壇のほかに、アーチ状に咲かせてたり、美しさ、お見事でした。ところで吉井さんピンク・レディーのカバーしてるんですね〜Wanted-2023MasterProvidedtoYouTubebyA-ske
先日、「ダウンタウンVSZ世代」と言う番組をやっていたナウなヤングに昭和の事を色々と紹介していた!↓そうだったかな昭和と言っても64年もあったんだから幅広いよね〜!オレはここまでじゃなかったな↓でもリンスは薄めて使うやつだった!ちなみにピンクレディーのポスターがもらえるのでシャワランを買ってもらってた↓高校生で原付免許を取った時はノーヘルで楽チンだと思ってたけど、今考えるとちょっと怖いね↓我が家はいつまで使ってたかなでも小中は水銀のやつだったな!↓小学校の校庭にあった!↓特
昭和の水着姿のお嬢様❤いとうまい子さんかたせ梨乃さんピンク・レディーミーちゃん(左)ケイ(右)ちゃん井丸ゆかりさん岡田奈々さん桜田淳子さん榊原郁恵さん坂口良子さん山口もえさん山口百恵さん松田聖子さん松本伊代さん水沢アキさん小高恵美さん斉藤由貴さん浅香唯さん早見優さん益田未亜さん森尾由美さん石川秀美さん中森明菜さん柏原芳恵さん石野真子さん从*´ヮ
ピンク・レディーの最大のヒット曲、「UFO」。斬新な歌詞、サウンド、衣装、振付、そしてミーちゃんケイちゃんの卓越したパフォーマンスによって、歌謡曲の歴史の中でも異彩を放つ独特の世界観を作り上げ、日本中の老若男女を魅了した。あの頃テレビの前で一緒に歌い踊った昭和世代だけでなく、今なおCMやネット動画などを通して多くの人に親しまれる、世代を超えた名曲である。前回の記事で述べた通り、ピンク・レディーが活動した1976〜81年にかけて、国内のテレビで放送され、現在DVDで視聴できる2人の歌唱映像を
1970年代はテレビと歌謡曲が娯楽の王様だった。ピンク・レディーは、その2つが一緒になって生み出したエンタテインメントの最大のヒット商品だったと言ってもよい。2年以上続いた大ブームの時期には、テレビでピンク・レディーを見ない日はなかった。当時は家庭用の録画機器も普及していなかったため、彼女たちの出演映像は大半が残っていないが、テレビ局などが公式に提供し、現在DVDなどで観ることができる映像の中から、印象的なシーンをピックアップしてみたい。ファンの方にはどれもお馴染みの内容になるが、改めて気にな
ピンク・レディーが活動した1976〜81年にかけて、国内のテレビで放送され、現在DVDで視聴できる歌唱シーンの映像をリスト化したところ、最も多いのが「UFO」の歌唱映像だった。78年1月19日放送「ザ・ベストテン」(「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」所収)その32件(メドレー含む。別々のDVD作品に同じ内容が重複して収録されている場合は1件と数える)の映像のうち、TBSで放送されたものは半数を占める。つまり、今年4月にDVDボックス「Pink
※ネタバレあり有楽町のイベント3デイズは連日大忙し。木曜日は男装、金曜日は女装。11/3、有楽町「I'MASHOW」で開催されたギャランティーク和恵さんのライブに出かけてまいりました。ミッツマングローブさんたちと組んでいる星屑スキャットのメンバーの一人がギャランティーク和恵さんです。星屑はテレビで見たことある方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回のライブ、正しくはギャランティーク和恵LIVE2023、有楽町ミーティング1103。会場は有楽町マリオンのビルにある小ホール、「I'MA
ピンク・レディーがデビューしたのは、1976年8月25日。まもなくちょうど45年になる。「ペッパー警部」で彗星の如く登場し、たちまちスターダムに駆け上がった2人は、歌謡曲の歴史を塗り替える圧倒的な成功を収め、社会現象と呼ばれる巨大なブームまで巻き起こした。華やかな活躍は、レコード音源やテレビ出演の映像、新聞・雑誌の記事などによって今に伝えられている。また、その舞台裏に関しても、関係者の回想などで数々のエピソードが語られ、半ば「伝説」となっているものもある。そうしたエピソードの一つに「実は“
ピンクレディーは1981年3月31日、解散コンサートを後楽園球場で行ったのだが、大して盛り上がらなかった。あれだけ出すレコード、出すレコードがミリオンセラーになった大スターなのに、最後は案外パッとしなかった。どうしてだろうか?理由は、雨が降っていたからではない。どうしても少し前にあったキャンディーズや山口百恵のファイナルと比べてしまうからだと思う。「普通の女の子に戻りたい。」と表明して解散を宣言したキャンディーズは、後楽園球場でラストステージに臨んだ。まだやめないで欲しい
1970年代後半、一時期はテレビで見ない日はないほど人気を誇ったピンク・レディー。このシリーズでは、現在DVDなどで視聴できる当時の出演映像をピックアップしてご紹介している。今回はデビューの4か月後、ミーちゃんケイちゃんがあの欽ちゃんの番組に出演し、コントに挑戦した貴重なシーンに注目する。「ピンク・レディーin夜のヒットスタジオ〜フジテレビ秘蔵映像集〜」より引用(以下の画像も同じ)2011年に発売された4枚組のDVDボックス「ピンク・レディーin夜のヒットスタジオ〜フジテレビ秘蔵映像
グループサウンズは、昭和40年頃に日本で始まった。最初は和製ポップスの延長線上に和製ロックができたと思わせた。ところが、途中から歌謡曲に大きくターンして行く。その理由を今週末noteに書こうと思っている。理由はじっくり長文で書くとして、今回は現象面だけ解説したい。GSの歌謡曲化が決定的になったのは、森トンカツで有名なブルーコメッツの『ブルーシャトウ』と、そのブルコメが美空ひばりをフィーチャーした『真っ赤な太陽』の2曲であることは間違いないと思う。前者は日本レコード大賞を獲得し
「全員!悪人!!」のキャッチフレーズで最近ビートたけしの「アウトレイジ」がヒットしましたが…この映画もそんな感じで、出てくる人全員がアウトローで生きる悪人であって、ヒリヒリするようなハードボイルド活劇です。主演は死してなおも人気の高い松田優作。そして脇を固めるのは、まだ若い岩城滉一に、渋い役柄で志賀勝と面々もなかなか濃いです。デパートで「爆弾だ!!過激派の仕業だ!!」と叫ぶ男(松田優作)がいる。そしてシュ~っとする音とともに煙が上がる。デパートはたちまちパニックに陥り、客たちは蜘蛛の子を散ら
1976(昭和51)年は、桑田佳祐とサザンオールスターズの歴史において、大きな転機となった年である。まず、青山学院大学の音楽サークルで活動していた桑田佳祐が結成したバンドの名前に、初めて「サザンオールスターズ」の名前が使われた事、そして、桑田佳祐の初めてのオリジナル曲が誕生した事も有り、サザン史における転換点とも言うべき出来事が次々に起こった。そして、この年(1976年)は日本史上最大のヒット曲『およげ!たいやきくん』が生まれ、山口百恵とキャンディーズが大活躍し、遂にピンク・レディ
こんちは、yoichiです黄金週間も終わってしまいました後半は「盆休み」と勘違いしてしまいそうな程の暑さでしたそんな灼熱の5月3日三ヶ日「WATTS」で毎年恒例「WATTSの日」が開催されました「ケンヤワンヤとザ・フォーティファイブ」にて参戦出演者だけでも9組、30人程さらに、お客さん多数賑やかなイベントでした浜名湖をバックに心地よい音楽!!入り口付近で焼かれる炭火焼の焼き鳥やら熊谷さんのホットドックやら旨いものを頬張りながらハイボール!!最高の黄金週間でした
ピンクレディー1977年昭和52年2月の雑誌グラビア。急旋風を巻き起こし、社会現象とも言える状態を作り出した彼女たちです。TV、ラジオ、雑誌、玩具、食品、衣類等、ありとあらゆる分野に広がり、今では考えられないレベルの人気でした。同じく1977年昭和52年3月の雑誌ピンナップ、第2弾シングルSOSの頃です。同じく1977年昭和52年3月の雑誌ピンナップです。いずれもオリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
この8月でデビュー45周年を迎えたピンク・レディー。「スター誕生!」でスカウトされたミーちゃんケイちゃんが、プロ歌手を目指して故郷・静岡から上京したのは、デビューの約4か月前、1976年4月12日のことだった。2人が東京で初めて住んだのは、渋谷区富ヶ谷。山手通りと井ノ頭通りが交わる辺り、NHKや代々木公園、東京大学駒場キャンパスなどに近い、都心の住宅街である。近年は渋谷の繁華街の奥にありつつ、静かで落ち着いた佇まいが魅力の「奥渋」エリアの一角としても注目を集めている。この街で、輝かしいキャリ
1980年代、尾崎亜美と竹内まりやはしのぎを削っていた。と言っても、オリジナル曲でではない。二人とも作家として、アイドルポップスの作詞作曲をしていたのだ。尾崎亜美の方が先行する。桜田淳子、榊原郁恵、金井夕子に書いた。竹内まりやは、はじめ楽曲を提供される立場だったが、アン・ルイスにLINDAを書いた後、82年からの歌手活動休業期間に本格的に曲作りを始め、堀ちえみ、河合奈保子(けんかをやめて)、薬師丸ひろ子(元気を出して)などに提供した。尾崎亜美は、松本伊代に『時に愛は』という名曲
いつも当ブログ、『昭和TVワンダーランド』へのご訪問をありがとうございます。さて、2022年6月よりYouTube番組『昭和サブカル打ち上げTV』の昭和アイドルシリーズが再開しておりますが、またまた更新がありますのでお知らせいたします。【ピンク・レディー】後編歌謡界のあらゆる記録を塗り替えた軌跡を、デビュー曲からリリース順に考察。果たして平成女子の反応は?【昭和アイドル談義Season2第6回目】当時のマスコミバッシングにより、きちんと報道がされなかったピンク・レディーのアメリ
こんばんは。LINEの文章に、。付けたらダサいらしい昭和ーーーって笑われるらしい、古っっ、と、馬鹿にされるらしいネ何とでもイイな私は、以前、エッセイスト講座に通った。その時、。の大切さを、学んだ。必要というよりもっと、深い意味があって、日本語の、美しさに、。の言語の文化有り。勝手に、美しい日本語を、壊すんじゃねえよ。いい加減にしろ‼️やれやれ、美しい、礼儀、文化を、壊す人間が多い、、てか‼️それを、聞いて、慌てて、LINEの文に、。を、付けない
テレビ朝日60年の歴史60年前の2月1日、テレビ朝日が開局。その当時は「日本教育テレビ(NET)」と呼ばれていました。「ミュージックステーション」は1986年10月スタート、もう30年を越える長寿番組。タモリさんはその翌年4月からメインMC、タモリさんが司会を務めると長く続くのですねぇ、お疲れさまでございます。テレビ朝日60年のアーカイブスからえりすぐった「奇跡の発掘映像ランキング」「お宝カバー&ものまね」部門の3位、「夢の中へ」。おお、懐かしい、1975年
夫は前立腺癌の中でも希な「小細胞癌」に罹患している。前立腺癌は、ほぼ「腺癌」に属するらしく「小細胞癌」は希なケースで標準治療のガイドラインはなく、小細胞肺癌と同じ治療をするとの事。治療の指針が無いというのも不安だけど、私達は治療を主治医におまかせするしかない。最善を尽くして治療に当たっていただいていると信頼し身を委ねているネットで検索すると余命は平均9.8か月、転移ありで7.3か月、転移なしでも13.2か月。こんな数字を見てしまうと、今は元気な夫で想像もつかないけど、
♪世間をさわがす不思議なことはすべては透明人間なのですあの頃のミーちゃんケイちゃんに会える貴重な映像を収録したDVD「ピンク・レディーin夜のヒットスタジオ」。初めての出演から順に、これまで17回分を見てきたが、ディスク1に収録されているのは、あと残り2回となった。1978年9月25日と10月30日、いずれの回も彼女たちが歌ったのは、9枚目のシングル曲「透明人間」である。「透明人間」といえば、「ザ・ベストテン」に出演した際、2人の姿がほんとうに消えてしまう演出が、当時文字通
ピンクレディー1977年昭和52年2月の雑誌表紙。人気のバロメーターとして、雑誌の表紙が顕著でしたね。ピンクレディーが表紙を飾った本が氾濫していました。表紙を飾った写真は良いものが多いです。下は1977年昭和52年6月の雑誌表紙。上と同様文字を整理しています。元ネタを単純にスキャンしたものが下になります。
こんにちはSENです長い黄金週間も終わり今日から仕事でした連休中は初夏の気温で暑い日もありましたが今日は雨降りですが暑くもなく良かったですさて、連休中は富士山方面へ行きましたが新鮮なお刺身も沢山頂きましたそしてここまで来たら『富士宮焼きそば』を食べて帰ろう!!と意気込みました行ったお店は『大阪屋』さん大阪屋【公式ページ】静岡県富士宮市静岡県富士宮市の元祖たこ焼富士宮やきそば大阪屋です。目の前で焼くアツアツの「富士宮やきそば」。昭和42年、富士宮で初めての「たこ焼
1977(昭和52)年は、サザンオールスターズのプロデビューが決まった年である。当時、学生バンドだったサザンオールスターズは、「イーストウエスト'77」というコンテストに出場し、そこで認められたサザンは、遂にプロの世界に入る事となった。今回は、サザンオールスターズのプロデビューが決まり、沢田研二の『勝手にしやがれ』と、ピンク・レディーの『渚のシンドバッド』が大ヒットし、そして、キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい!」と解散宣言して大騒ぎとなり、プロ野球では、王貞治が通算7
山口百恵には阿久悠・作詞の歌が無い。その理由は、スター誕生の予選会の時に、審査員をしていた阿久悠が「君は、何か青春スターの妹役のようなものならいいけど、歌は諦めた方がいいかもしれないね。」とコメントしたことに山口百恵がショックを受け、それがずっと棘のように心に残っていて、以降彼の作詞を拒否し続けたということになっている。だが、本当にそれが理由だろうか?私は違う見方をしている。阿久悠は、作詞で歌を作り込もうとするタイプだったと思う。自分で描いた世界を歌手に演じさせるのだから、歌手
全員1ポイント獲得のまま最終問題に突入、果たして勝利をつかむのはどの名人か?第10問Q,ピンクレディーのヒット曲♪「ペッパー警部私たちこれから」さて何と続く?A,いいところ2枠:仲野栄次名人「土の中」(❌)1枠:遠山幸雄名人「離婚調停」(❌)鈴木史朗さん「何か2人いいことするんですね」(ボタン)1枠:遠山幸雄名人「テニスをするところ?」(❌)鈴木史朗さん「テニスをするところ」3枠:成田利武名人「ダンスすか?」(❌)鈴木史朗さん「ダンスするところ」1枠:遠山幸雄名人「
現在DVDで視聴できるピンク・レディーの映像の中で、「UFO」の歌唱映像をピックアップし、当時テレビで放送された日付順に鑑賞している。今回は1978年3月と4月に放送された3件の映像を取り上げる。78年3月4日放送「8時だョ!全員集合」(「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」所収)歌謡曲全盛のあの頃、人気歌手はだいたい3か月に1枚のペースで新曲のシングルレコードを出すのが一般的だった。「UFO」は77年12月5日、次のシングル「サウスポー」は78年
皆さまこんにちは〜投稿が追いつかず、12/2の事になりますが💦「特撮微熟女部祭り」@ロフトワンプラス楽しく終わりました☺️凄い豪華なメンバー!!!楽屋はめちゃ賑やかです♪今でも現役のスーツアクターの蜂須賀祐一さん❣️ホワイトスワンも演じて下さっていました。しなやかで、優雅な動きに、私も役作りの上で参考にさせて頂いていました。今回久し振りにお会いできて嬉しかったです♡リハーサルでの写真3人だけどピンクレディー😁渚のシンドバッド🎵本気で振りを覚えて踊りました。打ち