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テレビの画面からは、火に包まれる街や、まるで戦場のような灰色の映像が、繰り返し流れる。これが歴史ある美しい街、マウイ島のラハイナかと思うと、何とも言えない切ない気持ちになる。8月8日(現地時間)に起きた山火事は、同時期にハワイ諸島沖を通ったハリケーン(ドーラ)の大風にあおられ、大火事になってしまった。特にラハイナの被害はひどく、街の80%もが焼けてしまったそうだ。8月14日現在、亡くなった方が100名を超すとのことで、まだ、行方の分からない人たちが1000人ほどいるという。過去100
ハワイ島北部に深い緑に覆われて、ワイピオ渓谷はある。昔、この地は王たちの集う場所であった。そしてカメハメハ一世が幼い日々を過ごした地でもある。この渓谷の高い崖から流れ落ちているのが、ヒイラヴェの滝である。その高さは390メートルもあり、ハワイ最大級の滝としても有名だ。皆がヒイラヴェを見ているマウケレの輝く大地の上で私は鳥たちのゴシップにまどわされないワイピオ谷のあちこちでささやかれているが誰も私を捕まえられない私は山々の霧だから両親は私を愛してく
何とも言えない色のやさしい瞳と、天使の様な美しい声を持ったクムフラ、ウルヴェヒ・ゲレロ。「レイ・ロケラニ」と言えば、彼の歌声を思いだす人が多いと思う。今年のメリー・モナークには彼のフラ・ハーラウ・カウルオカラーがこのメレで出ていましたね。私の目にずっと映ってきたものそれは美しい花私のただひとつ愛する花甘い香りが漂う私はしっかりと編む誇りをもって身にまとう私のレイをレイ・ロケラニ愛するそして尊いレイ私の目にずっと映ってきた土地それにかなうもの
レレの静けさの中の私の愛する人私の家族の住む家そこに私は暮らしていたレレの森のウルの静けさについて十分にしることができたそれはまるで私に語りかけるように”友よ、さあ行こう”静けさの中、崖は影ってくる鳥たちはさえずっているコーラス私は美しさを見るウルの日陰の静けさを目の前にひろがるまるで私の目の前に私の畏敬の念はやむことが無いピイラニの湾を私のまえに堂々と立つウオの美しさよ瞬く合間に確かに美しいまるで私に語りかけ
「ラハイナルナ」というメレが二つある。ひとつは、「アイル・リメンバー・ユー」を書いた、クイ・リーの作品だ。上海生まれで、スコットランド人、ハワイ人、中国人の血を引く。両親ともエンターティナーであった影響か、彼はティーンエイジャーのうちから曲を書いていた。聡明な子供であったのに、度々、学校を抜け出してサーフィンを楽しんだりして、退学になっている。アメリカ合衆国のコーストガードとして2年務めた後、クイ・リーは旅にでる。本土に渡った彼はナイフ・ダンサーとして、ロスアンゼルス、ニュー・ヨ
元マカハサンズのルイス(ムーン)カウアカヒと2001年に55歳という若さで亡くなった歌手のロイヤル・ガーナーの作った曲だ。マカハサンズのムーンさんと言えば有名だし、知らない人でもフラ競技会のジャッジとしてお目にかかったことある人も多いと思う。知的でとても静かな方というイメージがある。ロイヤル・ガーナーはレディ・オブ・ラブ(LadyofLove)というニックネームで、ローカル・ディーヴァ(LocalDiva)という女性4人のグループのリーダーであった。歌の上手い歌手だった。
ここ最近、コロナ渦でボランティアさんをお招きすることが出来ず久しぶりに慰問に来てくださいました~日進市からお越しのジョイフレンズ様男性三名に女性一名で、青春歌謡曲をご披露いただきました懐かしい歌に聴き惚れて涙されていた方もいらっしゃったとか・・・ハワイアン音楽も素敵でした口ずさみながらリズムに合わせて手拍子👏👏👏アンコール曲までご披露いただきました
ムリヴァイには私の美しい家があるその場所は私の心から離れることがないこの家の美しい姿が目に浮かぶ滑りやすい床があって逃げ出したあなたは誰の子大きく厚い雲の塊の目の中には稲妻誰がそれを喜ばないだろうか(誰もが喜ぶ)たくさんの鳥たちに囲まれて私の想いはそこへといざなわれる鳥たちが喜び集うその場所へお話は語られたムリヴァイには私の美しい家があるチャールズとダニエル・ポキパラの二人によって書かれたこのメレは、アラワイ河口の近くにあっ
プエオ号は私の唯一の愛するものマウイ島の船乗りかもめハワイの旗がはためくマラマ湾の水面を愛する人よ、私を忘れないで私が戻ってくるまでこの歌は私の愛する船、プエオ号について語ってます「プエオ・カヒ」というのは船の名前で、ハワイ王政末期から共和国時代にかけて、マウイ島のハナとホノルルの間を航行していた貨物船のことだ。船はハワイの旗をはためかせ、ホノルルのマラマ湾を雄々しく進む。「プエオ・カヒ」という船名は、マウイ島ハナ近くの地名からきている。
野外での生活が通常であった昔のハワイの人々は、巨大で仰々しい建物に住むという考えは持っていなかった。王族の人々についても同じようなもので、他より少しましな、簡素な窓のない草ぶき屋根の小屋に住んでいた。カメハメハ大王がハワイ諸島を統一し、王朝を開く頃になると、(1845年)少々、状況が変わってきた。この曲で歌われているイオラニ宮殿が支配者たちの住居として使われるようになった。しかし、カラーカウア王の時代になると、建物の状態はひどくなり、あたらしいイオラニ宮殿が36万ドル(当時の金額で)
あの小さな、草ぶきの小屋へもどりたいハワイのケアラケクアにあるそこでカネやワヒネたちと一緒に過ごしたいずっと昔知っていたひとたちにギターの音色が聞こえるホナウナウの浜辺で年老いたハワイアンたちの声が聞こえる鉄の熱いうちにおいで僕の船はもうすぐ出航するコナへもどる素晴らしい所なんだ何処を見てもねぼくはただのローカルボーイホームシックにかかったアイランドボーイなんだ魚やポイを食べに戻りたいあの小さな、草ぶきの小屋へもどりた
1819年10月23日、アメリカ北東部のプロテスタント宣教師からなるパイオニア・カンパニーがサディアス号でサンドウィッチ諸島(現在のハワイ諸島)に向けて出航した。その頃、カメハメハ大王はすでに亡くなっており、何世紀にもわたって続いてきたカプ制度は廃止されていた。大王を継いだ、カメハメハ2世(リホリホ)は、大王お気に入りの妻、そしてクヒア・ヌイ(大摂政)のカアフマヌ、母であるケオプオラニと共に、国を治めていた。彼らの奨励により、ハワイの人々はすでにヘイアウを解体し、宗教的信仰を否定してい
現代のハワイでは、カピオラニといえばダイヤモンドヘッドの麓にある公園、ワイキキのホテルの名前として、人々に知られている。カピオラニとは、1874年から1891年までハワイ王国を統治したデビッド・カラーカウア王の妃の名前だ。ハワイの王族たちは大勢の家臣をつれて、島々を旅してまわった。カピオラニ女王もしばしば王国中を旅して、民衆の状況を把握しようとした。彼女は、国民の福祉は自分のクレアナ(責任)であると信じていた。ハワイの人々の貧困と苦しみ、そして伝染病による人口の減少に対応するため