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テリィは拳を握った。何か言おうとしてやめた。何を言ったところで、あの日を消せるわけではない。「理由は新聞で知った。でもだからと言って、あんな状態でシカゴへ帰ってきたのか、それはわからなかった」しばらくしてから、低く言う。「しばらくして、アニーから聞いた。あの日、スザナさんが自ら命を絶とうとして、それをキャンディが止めたことを」アーチーは小さく首を振った。「だから事情は分かってる」テリィは黙っている。「君がただキャンディを捨てたんじゃないことも分かってる。君も苦しかったんだろうって
スージーは、帽子屋でもらった薄い給料袋をコートの内ポケットにしまい、キャンディの講義を手伝った帰り道、どこか沈んだ顔をしていた。歩調が自然と落ちていくのを感じたキャンディは、立ち止まってスージーを見つめる。「何かあったの?」スージーは手に持っていた封筒をぎゅっと握りしめた。赤十字社から届いた“奨学生試験・過去問題”一式だ。「キャンディ……これ……」封筒を差し出す手は震えていた。キャンディがその封筒を開くと、びっしりと書き込まれた問題文が目に飛び込んできた。英語の長文読解。算術ではな
庭園から戻ると、テリィはジョルジュに案内されて一階の応接間へ移った。アルバートから、「きみが来てるのに申し訳ない。急な仕事を少しやらないとならなくて。ここはたくさん本があるから、少し待っていてくれ。夕食までには終わらせるから」テリィはソファへ腰を下ろし、アルバートとの会話を思い返していた。――キャンディの伴侶が君でよかった。ほっとした。正直に言えば、それが一番だった。アルバートなら反対することはないだろうと思ってはいた。それでも、キャンディの養父へ結婚の許しを願うというのは、舞台へ
キャンディファンのみなさま、お変わりありませんか?本編終了から5年、最後のスピンオフから2年半の月日が流れました。今でもこのブログを訪れてくださる読者さんがいらっしゃることに、驚きと同時に、心からの感謝を申し上げます一度は筆を置き、ブログを放棄してしまった罰当たりなブログ主ですがイメージ画「きちんと終わらせるためにもう一度始めよう」「責任を持って、このブログの管理者であり続けなければ」という気持ちになりました。この5年間、人の欲やネット社会の歪みを目の当
その夜。食卓には、簡単な夕食が並んでいた。スープの湯気がゆらゆらと立ち上る。テリィは椅子に腰を下ろし、ナイフを手に取りながら、ふと視線に気づいた。「……なんだ?」向かいに座るキャンディが、じっとこちらを見ている。「え?」「いや、“え?”じゃなくて」テリィは少し眉をひそめる。「さっきから、ずっと見てるだろ」キャンディははっとして、慌てて視線を逸らした。「み、見てないわよ」「見てる」「見てない」「見てる」短いやり取りのあと、テリィはふっと笑った。「……まあいいけど」けれ
兄妹は言葉を失った。ニールの喉がわずかに動く。「……何のことだ」ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどかすれていた。テリィは責めるような口調ではなかった。「あの日、キャンディの名前で届いた手紙」イライザの肩がぴくりと震えた。「そして、俺たちが厩舎へ入ったところへシスターたちが現れた」庭園に沈黙が落ちる。「偶然にしては出来すぎている」テリィは兄妹から目を逸らさなかった。「君たちの親戚が教えてくれた。手紙の文字が、イライザ……君の筆跡にそっくりだと」イライザの顔色が変わる。まさ
今さら・でも―キャンディキャンディいつもアクセスいただきありがとうございます©水木杏子/いがらしゆみこ画像お借りしますブログを最初から読む二次小説を最初から読む11年目のSONNET目次スピンオフ本編前本編後キャンディ雑談を読むFinalStoryの考察を読む考察①FinalStoryって?考察②新旧手紙の比較考察③あのひとは誰?考察④Finalと漫画の違い考察⑤テリィの手紙考察⑥男アルバートさん考察⑦
ポニーの家の大きく開け放たれた窓からは、焼きたてのクッキーの甘い匂いが午後の風に乗って流れ、丸いテーブルには、湯気の立つ紅茶が静かに並べられている。そのテーブルを囲むように座っているのは、キャンディ、アニー、そしてパティの三人。それぞれが別々の場所で新しい時間を生き始めてから、以前のようにただ他愛もない話をしながら笑い合う時間は、いつの間にか少なくなっていた。だからこそ、こうして三人だけでゆっくり顔を合わせる午後が、たまらなく懐かしく感じられるのだ。ポニーの家の窓を揺らす風も、遠くから聞
数日後の午後、診療所に一束の新聞が届いた。町の雑貨屋が、まとめて仕入れている地方紙だ。マーチン医師が無造作に机の端へ置いたそれを、キャンディは何気なく受け取り、待合室のラックにしまおうとした。――そのときだった。視界の端に、写真が入り込んだ。一瞬。本当に、ほんの一瞬。黒い見出し。舞台照明の下に立つ、よく知った横顔。《テリュース・グレアム、『ハムレット』、今季最高の評価》《劇団を背負う主演俳優は、今年もブロードウェイの顔に》キャンディの指が、止まった。(……だめ)そう思ったの
★★★1-13オーク材の長テーブルを覆うパリっと糊がついた白いクロス。色とりどりのばらが活けられ、整然と並べられた銀のカトラリーは、貴族の格式そのものだ。そんな中運ばれてきたのは、見覚えのある料理。「・・・アイリッシュシチュー?」「キャンディスさまが作られました。いつお坊ちゃまがお戻りになってもいいようにと」「キャンディが?」「ストラスフォードでも毎日作られていたそうですよ。坊ちゃまの好物だとか?」好物だと伝えた覚えはないが、そんな妻の勘違いに、思わず口元が緩む。「
夏の陽射しが、畑一面に降り注いでいた。背の高いとうもろこしが風に揺れ、ざわざわと乾いた葉音を立てている。結婚式の披露宴で振る舞うため、村では収穫が急ピッチで進められていた。けれど人手が足りず、畑のあちこちから忙しない声が上がっている。「人手がもう少しあればな……」その言葉を聞いて、テリィは自然と顔を上げた。「足りないなら、手伝いますよ」あまりにもさらりと言われたその一言に、その場にいた男たちは思わず顔を見合わせた。大都会ニューヨークから来た男。そんな彼が、とうもろこしの収穫を?
★★★1-14イギリス人の朝は、一杯の紅茶から始まる。戦争中であろうと、茶葉が配給制になろうと変わらない。「・・本土防衛か・・この文字を見ない日は無いな」紅茶の色が薄いことに気づかずに、テリィは新聞の文字を追っていた。今やドーバー海峡に面した全フランスの港はドイツに占拠された。フランス基地にはドイツ機が翼を休めている。「・・ロンドンへの空爆が、可能な距離になってしまったな」朝から何度もため息が漏れるのは、新聞が知らせている各国の惨状のせいだ。――ノルウェーもベ
木槌を打つ音が、まだ客の入っていない劇場に規則正しく響いていた。大道具係が背景幕を吊り上げ、照明係が一本ずつ明かりを確かめていく。ストラスフォード劇場では、『じゃじゃ馬ならし』の稽古が三週間目を迎えていた。かつて舞台を包んでいた悲劇の王子の影は静かに姿を消し、劇場は新しい季節を迎えるように、軽やかな笑いへとその表情を変え始めている。その喧騒から少し離れた楽屋で、電話のベルが鳴った。乾いた、短い音だった。テリュースは壁に背を預け、静かに目を閉じていた。頭の中で反芻していたのは、第一幕第二場
イライザは困惑したままテリィとアルバートを見比べた。「でも……どうしてここへ?」アルバートが穏やかに答える。「今日は私に会いに来てくれたんだ」テリィも静かに頷いた。アルバートは微笑み、穏やかな口調のまま続けた。「テリィは、私へ一つ報告に来てくれた」テリィはまっすぐアルバートを見ると、改めて口を開く。「“アルバート”さんには、昔からお世話になってきた。それに、キャンディの養父でもいらっしゃる」少しだけ表情を和らげる。(“アルバート”?キャンディ?え?え?何を言ってるの?……)
「あなたたち、もう四年にもなるのよ」甲高い母親の声が、午後の光の落ちる部屋の空気をかすかに震わせた。車椅子の車輪は、静かに止まったままだ。「テリュースもすっかり名が売れたことだし、いい加減けじめをつけてもらわないと困るわ!またこんな小娘と噂になって。どんなスキャンダルに発展するかわかったものじゃない。あなただって元は女優だったんだから、そのくらいわかるでしょう。自分の口から『結婚』を言い出しにくいなら、ママがうまく話をつけてあげてもいいのよ?」スザナは膝の上で静かに両手を重ね、前だけを見つ
七月も半ばを迎えたシカゴは、強い陽射しの中に夏の気配を濃くしていた。街路樹の葉は深い緑に染まり、石造りの建物の壁には、午後の光が白く反射している。行き交う馬車や自動車の音、人々の話し声。大きな街の喧騒が絶え間なく続いていた。テリィにとって、シカゴは初めて訪れる街ではなく、劇団の地方公演で、これまでにも何度か滞在している。それに私的にはつい数ヶ月前にキャンディとシカゴで会った。テリィは数日前、シカゴで借りた自動車を走らせ、インディアナのポニーの家へ向かった。ポニー先生とレイン先生へ、キ
★★★1-6翌年4月。セントラルパークが春の息吹を見せ始めた頃、冬眠していたドイツ軍がついに動き出した。ドイツ軍、ノルウェーとデンマークに侵攻!「ノルウェーもデンマークも中立国なのに、、」新聞を手にするテリィの腕がわなわなと震えているのを見て、アルバートの勘が働いた。「両国の王室は、イギリス王室と親戚関係にあったか?」「はい。グランチェスター家とも縁があります。しかもノルウェー国王とデンマーク国王は兄弟です。この両国を同時に襲撃するなんてっ」アルバートの表情がいつ
11年目のSONNET・終章――EternalCoda――エターナル・コーダ世界大戦の後、1919年に締結されたヴェルサイユ条約によって、厳しい制裁を科せられた敗戦国ドイツ。巨額賠償金、領土縮小、極端な軍備制限――世界恐慌の煽りも受け、屈辱と失業の深刻化の中で不満を募らせていくドイツ国民。ヒトラー率いるナチ党は、それらを覆すと力強く約束することで支持を拡大、再軍事化を開始した。「ゲルマン民族※は一つの帝国に統
スザナ・マーロウの訃報が新聞各紙に載ったのは、その週の金曜日だった。年が明けたニューヨークの朝は冷たく、劇場街の歩道にはまだ昨夜の雪が薄く残っていた。新聞売り場には特別版が並び、人々はコートの襟を立てながら足を止める。ハムレットの成功以降、テリュース・グレアムは世間の注目を集める存在になっていた。だから彼に関わる出来事もまたニュースになる。スザナの死も例外ではなかった。劇場へ向かう途中、何人もの人が新聞を広げていた。誰も悪意など持っていない。ただ悲劇を惜しみ、若くして亡くなった元
書斎での話は、思っていた以上に長く続いた。十年以上という歳月は、語るべき出来事をいくつも積み重ねていた。窓の外へ目を向けると、夏の日差しは少しだけ傾き始めている。アルバートは穏やかに立ち上がった。「せっかく来たんだ」微笑みながら言う。「屋敷の中も案内しよう。キャンディの夫となる君には知っておいてもらいたいからね」「はい、ぜひ拝見したいです」二人は書斎を後にした。廊下へ出ると、ジョルジュが静かに一礼する。「ウィリアム様、ご案内なら私が」「いや、いい」アルバートは軽く首を振った。
スザナの葬儀から、数か月が過ぎていた。春が近づき、街の空気は少しずつ柔らかくなっていたが、テリィの周囲にはまだ、どこか冬の残り香のような静けさが残っていた。劇場の稽古場では、次の作品の準備が進んでいた。長いロングランを終えたばかりの彼にとって、新しい舞台は新たな出発でもあった。その日、劇団の一室で次作の発表会見が開かれていた。テリュース・グレアム主演、新作舞台。劇団にとっても大きな作品になる。フラッシュが焚かれ、記者たちの質問が続いた。「今回の役柄について教えてください」「前作の
★★★1-10「なるほど、公爵家の・・グランチェスター閣下のご長男、幹部候補ですな」クッキーの案内により、テリィは初めてこの船の指揮官であるインネン中佐の部屋へ通された。壁に貼られた大きな海洋地図と大陸地図が、不気味なほど威圧感がある。中佐は殆ど癖のように後ろに手を組みながら地図を見上げ、ぼそっとつぶやいた。「絶望的だ・・」テリィは一瞬、思考が止まった。中佐は今、何と言ったのか。速まる動悸を感じながら次の言葉を待った。「もはやフランスも持ちこたえられない。・・イタリアが
「ありがとうございます」短く答える。アルバートは静かに頷いた。しばらく、二人は互いの空白を埋めるように話し続けた。テリィは舞台の世界を一度離れ、再び戻ったことや、アルバートが旅をしながら身分を隠していた時期のこと、そして、自分がアードレー家の総長であることを明かした経緯。話せば話すほど、十年以上という年月の長さを思い知らされる。二人は、あの頃のままではない。多くのものを失い、多くのものを背負った。けれど、互いへの信頼だけは、不思議なほど変わっていなかった。やがてテリィは、グラスを机
秋のニューヨークは、どこか澄んでいる。空は高く、夕暮れの色はゆっくりと深まり、街路樹の葉は赤や金色に染まりながら静かに落ちていく。舞台の稽古を終えたテリィは、劇場街の喧騒を抜け、ペントハウスのある建物へ戻ってきた。エントランスは、夕方の光を受けてやわらかく影を落としている。扉を押して中へ入り、習慣のように一階の郵便受けを開けた。厚みのある封筒が、いくつかの通知や書類の間に挟まっている。舞台関係の封書、請求書、広告。いつもの顔ぶれの中に、ひとつだけ違う紙質が混じっていた。生成り色の、
ふたりはまだ若い。結婚なんて、ずっと遠くの未来のことだと思っていた。けれど、ニューヨークの小さなアパートで始まった暮らしは、いつの間にか“夫婦みたいな時間”を、少しずつふたりに覚えさせていった。その夜、雨が降っていた。窓ガラスに打ちつける雨音が、リズムを刻むように絶え間なく続いている。初夏とはいえ、部屋の隅にはじんわりと冷気がたまっていた。「なんだか、寒いな」テリィがベッドに腰を下ろしながら肩をすくめる。「ね、今夜ちょっと冷えるわね」キャンディは毛布を広げながら、ふうっと息を吐いた
公聴会から数日が過ぎても、シカゴの冬はゆるむ気配を見せなかった。ブラックストーン鉱山事故で近くの病院へ運ばれていた重症患者たちは、容体が落ち着いた者から順次、シカゴのクック郡病院へ転院し、ジョーをはじめ長期の治療が必要な負傷者たちも、今はそこで療養を続けていた。キャンディもまた、彼らの看護を引き継ぐためシカゴ市内にあるクック郡病院へ移り、慣れない病棟と看護師寮を新たな居場所として、休む間もない毎日を送っていた。その日も昼過ぎまで病棟を駆け回り、ようやく交代の時間を迎えたころには、窓の外には
★★★1-12熱烈な歓声を浴びる兵士の列に合流したジャスティンは、足の踏み場もないほど混雑した列車の中に消えていった。残されたテリィは、しばらく波止場で海を眺めていた。背後から時折フランス語が耳に入ってくる。「俺たちは、祖国を見捨ててしまったのか・・?」「フランスには家族がいるんだ」「イギリスに来ちまって、どうすればいいんだ」フランス軍人の声には、命拾いした安堵だけではない、複雑な感情が漏れ出ていた。クッキーは少し離れたところで、嬉々として話し込んでいた。相手は
夕方の病棟には、長い一日を終えようとする静かな時間が流れていた。薬の時間を告げる看護師の足音も、家族を見送る患者たちの声も、雪解けの湿った空気に溶けるようにやわらかく響き、人々の疲れをそっと包み込んでいた。キャンディは熱の下がらない患者へ水を飲ませ、枕の高さを少しだけ直して病室を出た。廊下を歩くたび、開いた扉の向こうには、それぞれ違う時間が流れている。眠る夫の手を握ったまま窓の外を見つめる若い妻もいれば、退院を明日に控え、孫の描いた絵を何度も見返している老人もいる。病院という場所には痛み
ジョー・マッケンが、初めてキャンディの前で「ありがとう」と口にしたのは、ブラックストーン鉱山事故から二十日ほどが過ぎた、夕暮れの病室だった。それは感謝を伝えようとして選んだ言葉というより、胸の奥に長く澱んでいたものが、ようやく静かにほどけて漏れたような、小さく頼りない声だった。キャンディは何も言わず、傷口の様子を確かめながら新しいガーゼを当てていく。熱はもうほとんど下がり、赤黒く腫れていた腕も、少しずつではあるが治る力を取り戻し始めていた。窓の外では、暮れなずむ空に街の灯が一つ、また一つと
「そろそろお別れの時間ですね。今夜最後にお届けするのは、いま静かに話題を集めている曲――『十二月が来るたびに』。作曲はJ・クウィル、ピアノ演奏はエリック・A・ローランです。どうぞ、あたたかくしてお休みください。お相手は、ショーン・ブリンクリーでした。おやすみなさい。よい夢を」――また、この曲か。テリュースは、胸のずっと奥のほうが軋むような感覚を覚えた。最近、ラジオから幾度となく流れてくる、ピアノの独奏曲。『十二月が来るたびに』ひとつ、またひとつ。鍵盤からこぼれ落ちる音は、ま