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今宵あなたが聞く歌はStannotesentiraiunecanzoneAnnaritaSpinaci/岸洋子この楽曲は、1968年のサンレモ音楽祭で、アンナリタ・スピナチと岸洋子が歌った。岸洋子は、着物姿でイタリア語歌詞を唄った。そしてその後、彼女は、日本語歌詞でセルフ・カヴァーした。(フランスでは、ミレイユ・マチューがイタリア語でカヴァーした。)イタリア語歌詞は、別れる男に対して歌われるもので、少し恨み節のような感じになっている。男にとってみれば、かなり怖い。
1日(水)「ライブ」「ボンボン」(銀座)19:00op/19:30〜4,400円+飲食代3日(金)「るみまりの部屋」「ウナカンツォーネ」(四谷三丁目)18:00op/18:30〜4,200円+飲食代6日(月)「ライブ」「KUWA」(新宿三丁目)18:45op/19:15〜6,000円11日(土)「ソロライブ」「バルバラ」(赤坂見附)18:30op/19:00〜6,000円14日(火)「ソロライブ」「ラマンダ」(自由が丘)18
少々UPが遅れてしまいましたが、3月22日(日曜日)の日本シャンソン館Liveです。この日は、本当に久しぶり(なかなか日程が合わずお伺いできませんでした...)となる秋山美保さんと大美賀彰代さん(🎹)の組み合わせでした。私のブログ記事を遡ってみますと、何と2019年の5月(この日がシャンソン館「初」Liveだったようですね)以来、約7年ぶりでした💦最近、物忘れが酷くて(先日はスキーに行った時、何とウェアーを忘れてしまいました)、1週間前のことなのに、なかなかセットリ
別離(わかれ)UnAnnoD'amoreミーナMinaMazziniこの楽曲は、ニノ・フェレールが自ら書いて歌ったシャンソンとしてライナーノーツを既に書いている。そのシャンソンをミーナがイタリア語歌詞で唄い、ヒットした。そして、そのカンツォーネを岸洋子が日本語でカヴァーした。シャンソンからカンツォーネ、そして日本語カンツォーネという珍しいパターンだ。もっとも、ニノ・フェレール自身がイタリアの出身で戦後パリに出て来てフランス国籍を取得したわけだから、カンツォーネの要素を
急流(岩谷時子・訳詞)越路吹雪この楽曲について、サンレモ音楽祭に参加したカンツォーネ、グロリア・ラッソが歌ったカヴァー(シャンソン)とライナーノーツを書いた。最後に、岩谷時子が訳詞して越路吹雪が歌ったカヴァーについても触れておきたい。岩谷時子は、元のカンツォーネではなくて、フランス語歌詞のカヴァーの方をもとに日本語歌詞を書いている。(歌詞の趣旨は以下のとおり。)はやせのように山から街に流れて来たけれど、昔のわたしは今はない。心を街でいつか失くしてしまった。故郷の山の泉ま
明日から4月、桜に入学式、花見の季節です。1人サッポロクラッシックをもって花見をしてみました。夜桜最高ー!4月も頑張っていきましょう!4月4日(土)ベッラマッティーナ(田尻企画)開場18:30開演19:00ゲスト:高梨雄太郎4月5日(日)天使のコンチェルト開場13:30開演14:004月6日(月)ウナカンツォーネ開場18:30開演19:004月8日(水)リエゾンライブ(ラマンダ)開場18:00開演18:304月10日(金)ベッラマッティーナ開場18
NadaMalanima-IICuoreèUnoZingaro-Sanremo1971RemasteredoriginalHDナダ(イタリアの歌手)-恋のジプシー(イル・クオーレ・エ・ウノ・ジンガロ)-1971年サンレモ音楽祭優勝曲(リマスター・オリジナルHD)ナダ(ガッブロ–ロジニャーノ・マリッティモ、1953年11月17日)、芸名ナダ・マラニマ、サンレモ歌謡祭で何度も優勝したイタリアのシンガーソングライター兼女優。「ILCUOREÈUNOZ
Quandol'amorediventapoesia·MassimoRanieri愛の詩(愛が詩になるとき)-マッシモ・ラニエリQuandoL'amoreDiventaPoesia[愛が詩になる時]-Milva愛の詩(愛が詩になるとき)-ミルバジョヴァンニ・カローネ(1951年5月3日生まれ)、職業的にはマッシモ・ラニエーリとして知られるイタリアの歌手、俳優、テレビ司会者、舞台監督1969年、マッシモ・ラニエリが歌った邦題「愛の詩」はサンレモ音楽祭
バラのタンゴTangodelleroseニラ・ピッツィNillaPizziこの楽曲「バラのタンゴ」は、1928年にフィリッポ・シュライエル(FilippoSchreier)とアルド・ボッテロ(AldoBottero)が作曲したイタリアのコンチネンタルタンゴで、演奏だけでなく、歌詞も付けられて唄われてきた。ニラ・ピッツィは、1919年ミラノ生まれのイタリアの歌手・女優であり、1950年代から60年代にかけて活躍したので、当然ライヴでこのタンゴを歌っていたが、意外なことに