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オウム真理教の地下鉄サリン事件から30年が経ったそうです。Tverで21日金曜よる9時30年前の1995年3月20日(月)「地下鉄サリン事件」を題材にしたドキュメンタリードラマあのとき何が起こっていたのか自らの命も危険にさらされる中で懸命に救助にあたった者たちの姿を救命ドラマとして描く#フジドキュ#地下鉄サリン事件pic.twitter.com/GjX04OJAHZ—【公式】フジテレビドキュメンタリー(@fuji_docu)March21,2025
●麻原の獄中メッセージ一九九五年の十月に偽証・偽造の罪で逮捕された。容疑は明らかで否定できないものであり、私は、いたずらに争う意味はなく、早く受刑し早く出所した方がよいと思ったが、麻原への依存が依然として深く、自分では決められなかった。そうする中で、麻原が、いわゆる「獄中メッセージ」を弟子達に出した。その要点は、①自分は、今、食事等を厳しく制限しつつ、ヨーガの呼吸法や密教の瞑想の極限的な修行をしており、②その修行で、陽神(仙道における不死の身体)を作る。それにかかる時間は遅くとも
30年前の1995年3月20日(am8時)は、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった日である。思えばこの年は、事件の2ヶ月前の1月17日に、阪神大震災という、未曾有の災害が起こった激動の年でもあった。地下鉄サリン事件については、先ほど21時から関西テレビで2時間ドラマ(主演津田健次郎)として放送していたが、明日3月22日(土)17時30分からのTBS「報道特集」ではドキュメンタリーという形で報道される。なので、あらためて、この日のホロスコープを検証してみたいと思う
細川美香2017年2月改訂■1,現在の麻原・オウムに対する見方のまとめまず初めに、現在、私が麻原をどう思っているかについて述べたいと思います。麻原は自分の欲望、そして被害妄想、誇大妄想によって、オウム事件といわれるさまざまな事件を起こし、無差別大量殺人である松本サリン事件、地下鉄サリン事件を起こした首謀者であり、そうしたところから、麻原は主張したように神の化身ではなく、ただの人間です。オウム時代
日本で1995年3月20日に起こった地下鉄サリン事件から30年ということで、日本では、あの事件を忘れてはいけない、風化させてはいけない・・と振り返る番組や報道がなされていたようですが、フランスでもこの事件を振り返る報道が出ています。「サリン」という、当時はあまり耳慣れなかった化学物質をあの東京の霞が関を中心とした地下鉄内の数ヶ所で散布されるという驚愕の事件は、平和で治安の良いはずの日本だからこそ、余計に海外諸国には、衝撃的だったと思います。当時、私は、まだ日本にいたの
今夜はひとつのフラグを立てる。ただし実現率は1%ほどだと思っていただいて良い。早い。事件当時はまだ20歳の大学生だった。当時生まれた子供がもう、三十路になるのだと思うと複雑な心境だ。オウム真理教がおこした地下鉄サリン事件から30年経つ。それにともない今一番したいことがある。はっきりいおう。元オウム真理教の広報担当である上祐史浩氏との対談である。オレは無宗教派でもちろんオウム元信者でもなんでもないが上祐史浩氏とは一度会って話したことがある。自称フリージャーナリス
(1)麻原の人格の心理学的な分析私達が2007年に、麻原信仰を払拭し、アレフを脱会する上で大きな課題となったのは、麻原彰晃という人物をどう理解すればよいのかということだった。一般の人から見れば、麻原は人殺しの狂人にしか映らないだろうが、それだけならば、信者になるわけがないし、また、事件発覚後も、信仰を続ける人がいるわけがない。つまり、信者にとっては、自分達が麻原に帰依する理由となった、自分達が体験した彼の能力と人格と、彼の犯罪に関する狂気が、なかなか同じ一人の人間のものとは思えな
当ブログは1万ページ以上有ります。オーラ、神秘・心霊体験、死後の世界、爬虫類、ニャンコなど主な目次は↓最新記事一覧↓のテーマをポチって飛んでくださいね。京都不思議空間夕馬(現実主義オーラカウンセラー)さんのブログです。最近の記事は「同例・同レベの話と心身の繋がり。(画像あり)」です。ameblo.jp『死の使い。番外編・「故人〜ズ」に訊いてみたっ!』当ブログは約1万ページ有ります。オーラセッション、クリスタルヒーリング、神秘体験、爬虫類、ニャンコ、自分の幸せ、死後の世界など主な目
●改革の内容:事件の明確な否定と麻原の位置づけの変化この改革の試みでは、一連の事件を明確に否定したことと、それに伴い、麻原の位置づけが、微妙に変化したことが特徴だった。それまでの教団では、表向きは、麻原の指示した一連の事件を否定し、賠償をしていたが、裏では、麻原はグルとして絶対的な存在で、事件は否定すべきではない、ないしは、信者がその是非を判断してはいけないものという考え方が支配的だった。しかし、改革では、私は、先ほど述べた宗教的な体験もあって、一連の事件を起こした麻
例えば・・・オウム真理教と同様に、国から解散命令を出されるほど、ヤバい宗教団体だったわけで、そんなヤバい宗教団体を、政治的に利用していた安倍さんもヤバいのです。それで・・・安倍さんの命が奪われ、それがキッカケになったわけで、安倍さんを襲撃した犯人のした事は、許されないけれども、最終的には犯人の悲願を達成したといえるのです。いや~・・・歌手の桜田淳子さんや、タレントの飯干恵子さんが入信し、私が若い頃、テレビのワイドショーを賑わしていましたが、その後どのようになったか全
(10)1994年、ロシア滞在中の出来事●94年の日本におけるヴァジラヤーナ活動裁判等の資料によると、1994年は、①麻原一行がオーストラリアに旅行してウランの発掘調査、②10月には清流精舎で麻原が、教団が毒ガス攻撃を受けていると説法、③11月中旬にサリンの試作に成功、④秋頃はマイクロ波兵器、レーザー兵器開発を検討、④11月・12月には創価学会の池田大作氏に対してサリン暗殺未遂事件、⑤第3サティアンに硝酸プラントを作る作業があったなどとされている。しかし、これらはいずれも、自分が、
(1)麻原のヴァジラヤーナ思想と犯罪の始まり●教団創設以前からの麻原の武力肯定の思想違法行為や武力行使を正当化する麻原のヴァジラヤーナ思想の始まりは、世間一般に言われている90年に総選挙で敗北した後という見方よりも、実際にはずっと早い。まず、1985年の5月に、麻原は、精神世界系の月刊誌トワイライトゾーンの取材に対し、神から『あなたに、アビラケツノミコトを任じます』という啓示を受け、それが、「神軍を率いる光の命」、「戦いの中心となる者」と判明したと語っている。さらに、自分
■ヴァジラヤーナ路線の宣言これは、あまり知られていない事実ですが、1989年が明けると、大師といわれる教団幹部らが麻原のもとに集まって、会議を開きました。この会議の場では、ヴァジラヤーナ(金剛乗)の構想が話し合われ、後に科学技術省の大臣として武装化計画の中心となる村井秀夫氏は、「私の役割は全ての魂のポワだと思います」と語りました。■麻原個人崇拝的な修行教団ではこの頃までに『グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーション』という瞑想法を信者らに伝授し、実施させていました。
2008年9月2日小林由紀1.オウムと出会う私は、24歳の頃には「どこかの寺に出家して尼さんになりたい」と思っていました。それは、不毛の恋愛に疲れたことが大きく、本気で魂の救いを求め、また、地球の平和と人々の心の平安のために生きて行きたいと思いました。お付き合いしていた男性とは、遠距離になり、電話ではまだ話していましたが、もはやそれが苦痛になり、もう他の人と付き合う気力もなく
こんなのあるのですね集団スト-カ-犯罪どこがやってますかね?世界で同じ犯罪がおこなれてます!つばさの党の杉田さんの演説中カルトナンバー通ってます信者による妨害もありましたねわさわさ集まってきてたみたいギャングスト-キング集団スト-カ-を研究している先生がおられます警察官ギャングスト-キングで逮捕日本では集団スト-カ-と言われています。2024年アメリカで検索が急浮上したガスライティング!各団体や個人で沢山の方がポスター作成していますまだ
目次【0】目次・はじめに【1】第1オウム真理教に出会うまで(~1989)――入信の土壌を形成した時期【2】第2オウム入信から出家に至るまで(1989~1990)――オウムへの確信を深めた時期【3】第3サリン事件に至るまでの出家生活(1990~1995)――教団の変質、個人崇拝に追随した時期【4】第4事件後の混乱を経てオウム休眠に至るまで(1995~1999)――社会対応に苦悩しつつ"グル肯定"した時期【5】第5アーレフ発足から「ひかりの輪」に至るまで(2000~2
教団の金庫番「石井久子」同僚に誘われたヨガ道場。気が付けばカルトの最古参幹部。「石井久子」は、なぜカルトに熱中したのか。出所後に教団を離脱するが、一時、精神を病んだらしい。彼女は、オウム神仙の会で最初の出家信者となった。出家信者の財産を収奪し、その管理を任されている。また、教祖「麻原彰晃」の愛人であった。彼女は4人の子(一人は死産)を産んだ。教団は、恋愛禁止が打ち出されていた。カップルで入信すると、上祐史浩などは、彼女を麻原に献上している。この時点で、教祖をペテン師だ
【公安調査庁】https://www.moj.go.jp/psia/aumarchive/sarinattack/地下鉄サリン事件-Wikipediaja.wikipedia.orgオウム真理教-Wikipediaja.wikipedia.org麻原彰晃-Wikipediaja.wikipedia.org麻原彰晃こと(本名・松本智津夫)って嘘ちゃうんけ?徹底的に官報で調べろ。在日カルトのテロ集団。皇室までテロを計画をしてた事は、オウムの残党(ア
●上祐代表の改革の頓挫と、松本家の人たちへの失望2003年に入ると、今までのアーレフのやり方では、よくないのではないかということにより、改革がスタートしてきました。これは麻原色をなくしていく、というものでした。この改革は、初めこそ、勢いに乗っていましたが、改革への反発が生じはじめ、徐々に動きが鈍くなっていき、ついには、頓挫することになりました。そして、私にとっては、その頓挫は、突然に起こったのです。2003年の6月の下旬のことです。その日は、烏山本部に道場のリーダー格の人
(2)反省1:麻原が最終解脱者という妄信次に、ここまで述べてきたことを前提にして、麻原・オウムの修行において、いかなる盲信の仕組みがあるかについて、多少述べたいと思う。まず、麻原が最終解脱者という主張について、私こそが知る話がいくつかある。●最終解脱者を自称したに過ぎないこと麻原は、私が入信する直前の一九八六年七月に、ヒマラヤで「最終解脱」したと主張した。しかし、当時において様々な海外の高僧の称賛の言葉があったが、よく調べてみれば、現地の高僧などに認定されたものではなく、麻
このブログに掲載した、オウム時代の反省・総括の概要について説明します。総括をまとめていく作業は、まだまだ途上にありますが、2007年~2017年の時点でまとめたものを随時掲載しています。まだ不十分なもののため、今後も引き続き、あらゆる角度から検討を加えて総括を深め続け、社会に還元できるものを作り上げていこうと努めております0.総括作業の概要ひかりの輪では、団体発足時(2007年5月)に定めた、基本理念や会則(※1)に基づき、オウム事件やオウム・アレフ全般について、その誤っていた点を振
■第4事件後の混乱を経てオウム休眠に至るまで(1995~1999)――社会対応に苦悩しつつ"グル肯定"した時期●1,教団無実を信じて対応に追われる日々地下鉄サリン事件の後からは、めまぐるしい毎日でした。翌々日の3月22日には、2000名以上の警察官が迷彩服を着て、富士山麓の教団施設になだれ込んできました。とりわけ目を引いたのが、捜査員らの毒ガスマスクでした。私のいた部屋に、まず毒ガスマスクを付けた捜査員が一人だけ警戒しながらそーっと入ってきて、その後ろの方では数人の捜
NHKニュースさんより拝借致しました。旧統一教会に解散命令東京地裁経緯は今後の手続きは旧統一教会に解散命令東京地裁高額献金などの問題で国が請求▼最新情報をこちらの記事で随時更新します▼https://t.co/oFDsdpK3Hk#nhk_videopic.twitter.com/gTwPiRvxe0—NHKニュース(@nhk_news)March25,20252025年3月25日16時39分旧統一教会旧統一教会の高額献金や霊感商法の問題をめぐり、東
以前書いた記事〝冷酷非情な男広瀬健一〞への反響がかなりあったようだ。アメブロのアクセス数を検索する機能を使って記事別に見ていくと、ほぼ毎回上位に表示される。また、この記事に対する批判コメントもなぜかtwitter(ツイッター)上で散見している。批判は大いに結構であるが、その前提となる情報が私(筆者)と批判者の間では全く異なる、ということは確認しておいてもらいたい。ほとんどの人達は、裁判が始まった後の広瀬健一しか知らない。逮捕に至る前の広瀬健一については、テレビや新聞もしくは今
こんにちは今日は春分の日です。でも寒い~そして地下鉄サリン事件から30年経ちました。世間を震撼させたカルト教団。オウム真理教はいまもなお、名前をかえて活動してます。サリンの入った袋を傘でつついたと当時、報道がありました。その日は雨が降る予報だったのか雨だったのかで傘を持っていても変じゃなかったし新聞紙で隠されていて床が濡れていても雨だったからかおかしくなかった、と記憶してます。おぼえてる…。↓これ政界にも進出したんですよ。結果はもちろん惨敗。旧ソビエト製のヘリコプタ
(1)オウムへの入信と修行オウムの犯罪の原因となったのは、麻原・オウムの教えと修行である。そこでまず、私自身の体験を要約して述べた上で、今の時点で、私が、それをどのように反省しているかについて述べたいと思う。●入会(入信):1986年、23歳の時私がオウム真理教の前身団体であるオウム神仙の会に入会したのは、一九八六年の夏、23歳の時だった。当時は早稲田大学の大学院の修士課程の2年目。動機は、以前から超能力や超常的なことに関心があり、ヨーガに関心をもっていたからだ。私
今の・・・20代の人は、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」を、知らないわけで、化学兵器を使用した無差別殺人事件で、こんな事件が日本で起こると思いませんでした。それで・・・オウム真理教は、元々はヨガサークルだったそうですが、高度成長期の世の中で、居場所を失った若者に支持され、その後、新興宗教団体として急拡大したわけです。そして・・・どこでどう間違ったか知りませんが、段々エスカレートし、出家信者に全財産をお布施させたり、教祖の血や髪の毛や、風呂の残り湯などを高額で販
■はじめに(このブログの目的)┃┣●サイトマップ(全体の目次)┣●オウム時代の反省・総括の概要┣●反省・総括に基づく各種の取り組み┃┣オウム事件被害者への賠償┃┣出版物・報道・講演等での反省・総括の公表┃┗アレフ(オウム)脱会支援活動┗●当ブログに対するマスコミ報道と識者の評価■団体総括(本編)┃┣●『オウム真理教時代(1983~1999年)の総括』┃┣【0】『オウム真理教時代(1983~1999年)の総括』目次┃┣【1】1983
●ひかりの輪の団体の本質ひかりの輪は、特定の超越者・絶対者を信奉しないので、従来の意味での宗教団体ではない。それは、「新たな精神的な智恵の学びの場」であり、スピリチュアルなアカデミーと表現した方がいいと思う。大きな挫折を負った私達が、それを乗り越えようとする中で、自然豊かな聖地・神社仏閣・仏像、古来の教え、様々な人達との交流の助けも得て、生み出したものだ。それについて、ここで説明したいと思う。●2007年5月に新団体を設立する2007年5月に、ひかりの輪を設立した
👇「れ」なので関連します👇『れいわを支持するという意味は』👇関連記事👇『うんこがうたうw』👇せっかくなのでこれの続きw👇『左翼は歌いたがる』👇いちおうこれに関連するので👇『誰だよこんなヤツ呼んだのは』なんで自民党の党…ameblo.jp『れいわしんじゃこわいw』信者っつーか仕込みの人達なんだろうけど、こういうのを放送しちゃうんだもんなぁwもうギャグなんでつか?明子さん報告ありがとう(`・ω・´)ゞれいわ信者の…ameblo.jp『れいわはねえわ』2024年02月05日(月)