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おはようございます昨日、畑仕事をしていたら新たに隣の畑を借りたベトナム人夫婦がアルファードで登場、なんと片言で会話したら30歳前後と若かったのに驚いた。そのお話は明日に。土と野菜と会話する私~大人になっても変わらない?~実は恐ろしいことに、人と人とのコミュニケーション能力は、成人するまでの育ち方でだいたい決まる・・・と言われています。つまり、小学校・中学校・高校時代に友達と爆笑しながらバカ話をしてた人は、大人になってもノリがいい!先生に「静かにしなさい!」と
当団体は「オウム教団内部の信者死亡事例の情報」の提供を求めて窓口を先日設置したところですが、早速この窓口に、オウム真理教の元出家信者Aさんから情報提供がありましたので、以下にお伝えいたします。それは、事件自体はすでに公になっている「男性在家信者死亡事件」――いわゆる「真島事件」に関する新しい情報です。1,真島事件についてこの事件は、1988年9月に発生したもので、オウム真理教教団における初の死亡事件で、初の違法行為と位置付けられているものです。東京地裁による麻原に対す
●改革の内容:事件の明確な否定と麻原の位置づけの変化この改革の試みでは、一連の事件を明確に否定したことと、それに伴い、麻原の位置づけが、微妙に変化したことが特徴だった。それまでの教団では、表向きは、麻原の指示した一連の事件を否定し、賠償をしていたが、裏では、麻原はグルとして絶対的な存在で、事件は否定すべきではない、ないしは、信者がその是非を判断してはいけないものという考え方が支配的だった。しかし、改革では、私は、先ほど述べた宗教的な体験もあって、一連の事件を起こした麻
■上祐代表の教団復帰と運営方針の転換1999年の12月、上祐代表(当時はまだ代表ではありませんでしたが、本文ではこの呼称で統一します)が、服役していた広島刑務所から出所、オウム教団に復帰しました。そして、当時の横浜支部に居住しながら、地域住民やマスコミ・当局の激しい批判や団体規制法にさらされた教団の立て直しに入りました。上祐代表の個人総括にもある通り、この時点での上祐代表は、麻原への信奉は依然として残しつつも、麻原の予言をそのまま信じることは非現実的だと考えている状態でし
1994年7月上旬、前回の記事でも述べた清流精舎及び旧上九一色村の教団施設などで起こった水道水の汚染と異臭騒ぎの犯人探しが始まった。その結果、教団信者の冨田俊男さんが犯人と疑われ、「イニシェーションを行う」などと嘘の話で教団の第2サティアンに連れてこられ、新実智光元死刑囚(教団名:ミラレパ正悟師)、中村昇受刑者(教団名:ウパーリ師)、杉本繁郎受刑者(教団名:ガンポパ師)らから陰湿かつ凄惨な拷問をされた末に殺害されるという事件が発生した。※この事件についての事実確認の詳細は、
当ブログは1万ページ以上有ります。オーラ、神秘・心霊体験、死後の世界、爬虫類、ニャンコなど主な目次は↓最新記事一覧↓のテーマをポチって飛んでくださいね。京都不思議空間夕馬(現実主義オーラカウンセラー)さんのブログです。最近の記事は「同例・同レベの話と心身の繋がり。(画像あり)」です。ameblo.jp『死の使い。番外編・「故人〜ズ」に訊いてみたっ!』当ブログは約1万ページ有ります。オーラセッション、クリスタルヒーリング、神秘体験、爬虫類、ニャンコ、自分の幸せ、死後の世界など主な目
麻原彰晃1955年3月2日太陽とアセンダントのセクスタイル健康と、非常にポジティブな方法で自己の人格を表現する能力と機会が約束されている。人生に対して創造的で、哲学的なビジョンを持っている。社交的、外交的であり、他者のために行うことを楽しみ、よいセルフイメージを持っている。周囲へのアプローチは、誠実で、直接的であり、思い通りにいかない場合には、飽きてしまうかもしれない。よく働き、経験を活かすことができる。月とアセンダントのクインカクス扱いにくいまでに敏感で、ひととうまくや
前半からの続き※後半に移る前に読者の方々にお断りしておきたい。前回の記事で昇格式典が行われたと書いたA正悟師に関しては、現在は教団を脱会されている模様であり、その子供がもしいたとしても教団で何かの役割を果たした訳ではないため、繰り返しになるが詳細について私(筆者)は書くつもりはない。また、〝雄叫び祭〞の昇格式典はこの二人についてのみ行われ、他に早川紀代秀(教団名:ティローパ正悟師)、B正悟師なども認定されたではないか、という指摘があったようであるが、この祭典に参加した私(筆者)が昇格〝
朝霧高原は1年中来てます冬でも雪は❄️積もるほどではない夏は牛🐄の放牧でいい景色ですさてここは、、、、ここから見る富士山🏔️は違う気持ちがしますオウム真理教のサテアンがあった場所🏟️今は公園になってますブログに書くのは初めてですここでサリンが作られた警察👮がカナリア🐤の籠🧺を持って突入した映像は衝撃的だった大勢の信者が暮らし最後、麻原が捕まったのもここ以前は上九一色村とよんでました慰霊碑が建っているんです麻原が捕まってから今年で30年何度かテレビで放映されるのを
細川美香2017年2月改訂■1,現在の麻原・オウムに対する見方のまとめまず初めに、現在、私が麻原をどう思っているかについて述べたいと思います。麻原は自分の欲望、そして被害妄想、誇大妄想によって、オウム事件といわれるさまざまな事件を起こし、無差別大量殺人である松本サリン事件、地下鉄サリン事件を起こした首謀者であり、そうしたところから、麻原は主張したように神の化身ではなく、ただの人間です。オウム時代
30年前の1995年3月20日(am8時)は、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった日である。思えばこの年は、事件の2ヶ月前の1月17日に、阪神大震災という、未曾有の災害が起こった激動の年でもあった。地下鉄サリン事件については、先ほど21時から関西テレビで2時間ドラマ(主演津田健次郎)として放送していたが、明日3月22日(土)17時30分からのTBS「報道特集」ではドキュメンタリーという形で報道される。なので、あらためて、この日のホロスコープを検証してみたいと思う
吉田さんがまたしても逮捕された。アレフ時代にも詐欺容疑で逮捕されているので今回で2回目かな。https://news.a902.net/a1/2003/0625-43.html前回の逮捕から今回の逮捕まで何もしなかったのかといえば、そうではなく逮捕に至ることはなかったとしてもグレーなところでは枚挙が暇がない。公安調査庁や西成道場大家さんに提出した陳述書なんかは、有印私文書偽造じゃないの?って思われる部分もあったし、今回の容疑でもある「検査忌避」なんかはひかりの輪設立時から行われてきた。ちょっと
オウム真理教の出家信者となったにも関わらず、私が犯罪行為に加担させられることもなく、その後脱会し、苦しい生活ながらも生き長らえていられるのは、この時の判断と対応のためであると今でも思っている。その判断とは何か?〝どちらかわからない時、どちらと決めつけた行動はしない〞ということである。1989年11月4日坂本弁護士一家殺害事件(当時は失踪事件)が発生し、オウム真理教の関与が疑われていることを私が知った直後、当時既に教団の在家信徒だった私は全ての教団活動を停止した。しかし在家信徒は
私(筆者)の場合、オウム真理教に入信したり出家したりする動機が、神秘体験ではなかった。私(筆者)の幼少期、オウム真理教などまだなかった頃、仏教には法事や葬式ぐらいしか触れる機会がなく興味もなかった。しかし、ヨガには興味があった。肉体や精神の鍛練法として優れていると思ったのである。そして何と釈迦という人は実在の人物であり、悟りを開く以前にはヨガを行じていた!という知識を得てからは、俄然ヨガにも仏教にも興味を持つようになったのである。それ以来、ヨガと仏教を関連づけた本を書店で見つけては読み
早いものでオウム真理教による地下鉄サリン事件から30年が経ちました。北海道新聞に掲載されたジャーナリスト・江川紹子氏による事件を振り返ったコラムから、「なぜ、人はカルトに惹きつけられるのか?」、「何が彼らを引きつけたのか?」を考えてみました。コラムの中で江川氏は事件の犯人達は、教団と出合う前は、我々の隣にいてもおかしくない、ごく普通の人だった、と書いています。そして彼らの多くは大学で学び、大学院を出た優秀な者も何人か、かといって、とっつきにくい頭でっかちでもなく、家族や友人に好
1995年3月中旬(15日頃だったと思う)ほとんど毎日行われていた広瀬健一からのワークの指示が突然来なくなった。当然あちこちの教団サティアンに連絡してみたが「わかりません」と言われるばかりだった。もちろんワーク以外にも達成しなければならない修行の課題は多かったので手持ちぶさたにはならなかったが、何とも言えない違和感は感じていた。まさにその裏で地下鉄サリン事件が実行されていた訳だが、私(筆者)には到底想像にも及ばなかった。※その事件がオウム真理教が犯したもので
《前々回〝オウム真理教清流精舎で待っていたのは村井秀夫だった〞からの続き》見習い信徒としてのマハーポーシャの研修を終えて、清流精舎へと配属されてからおよそ半年が経過した。村井の指示でT君とそしてV師さらにK君(後に私筆者とは大変仲が良くなった)も加わって進められていた燃料電池開発のワークは、いっこうに良好な成果を得られずにいた。それに加えて私(筆者)の精神的な状態が、この出家見習い生活を始めた当初には想像もしていなかった苦痛を感じていた。現世のものは全て捨て去って、強い決意をしてこ
オウム真理教全サマナ参加の祭典〝雄叫び祭〞(1994年8月10日~11日)について私(筆者)が教団全信者が参加する祭典に参加するのはこれが初めてであり、そして結局これが最初で最後となった。この雄叫び祭の内容と、私(筆者)の思うところを前半と後半の2回に分けて述べていきたい。尚事実関係は当時のままをできるだけ再現しているが、感想は現在の私(筆者)の感想及び考えであり当時のものではない。また松本サリン事件を犯し、それを隠蔽した教団が祭典を行う一方で、事件の第1通報者である河野義行さ
テレビでオウム真理教の地下鉄サリン事件から30年とやってましたあの、宗教がらみの大事件あの、オウム真理教が東京の地下鉄がサリンでテロを起こして騒然としてその事件のせいで駅にゴミ箱が無くなったりしましたあれから30年あの頃朝、会社で大騒ぎしたっけ・・・教祖は麻原彰晃、山梨県の上九一色村(今は名前が変わってる)にサティアンという巨大建物を作ってアジトにして色々活動してました麻原が逮捕される瞬間も話題になったりしてサティアンに籠ってる麻原が大勢の捜査員が乗り込んでとうとう捕ま
松本サリン事件から26年が過ぎた。事件の風化の風化が進む中、オウムの後継団体は今なお存続している。死刑も執行され、今ではオウム後継団体のひかりの輪上祐が、生き証人としてオウムを語る場面が多く、上祐に都合よく歴史が修正されていることも多い。例えば、上祐は「事件を反省してひかりの輪を立ち上げた」などと、平気で嘘をついているがアレフを辞めた時には、「二つのファウンデーション」という説法をしきりにしていた。アレフと新団体、どちらかが残れば真理の灯明(オウムの教え)は残せるという考え方である。
■大量殺戮、国家との対決意図を強固に示す1994年は、ますますヴァジラヤーナ活動が加速化し、武器製造や暗殺等の違法行為が教団の裏で本格化していきました。麻原は、この年の2月、その意図を一部信者らに明確に示しています。判決では以下の通り認定されています。被告人は,かねてから自己の前生は中国を宗教的政治的に統一した明の朱元璋であるなどと公言していたが,同年2月22日から数日間,村井,新實,井上,早川,遠藤,中川ら教団幹部や真理科学技術研究所のメンバーその他の出家信者ら合計約8
地下鉄サリン事件から30年地下鉄・霞ケ関駅で犠牲者を追悼|NHK【NHK】14人が死亡し、およそ6300人が被害に遭ったオウム真理教による「地下鉄サリン事件」から20日で30年です。東京の地下鉄…www3.nhk.or.jp30年前・1995年3月20日、当時のオウム真理教の信者が都内を走る地下鉄の3つの路線で猛毒のサリンをまき、14人が死亡し、およそ6300人が被害に遭いました。東京・千代田区の霞ケ関駅では、構内に献花台が設けられ、遺族や被害者、それに利用客などが訪れ、花を供
教団の金庫番「石井久子」同僚に誘われたヨガ道場。気が付けばカルトの最古参幹部。「石井久子」は、なぜカルトに熱中したのか。出所後に教団を離脱するが、一時、精神を病んだらしい。彼女は、オウム神仙の会で最初の出家信者となった。出家信者の財産を収奪し、その管理を任されている。また、教祖「麻原彰晃」の愛人であった。彼女は4人の子(一人は死産)を産んだ。教団は、恋愛禁止が打ち出されていた。カップルで入信すると、上祐史浩などは、彼女を麻原に献上している。この時点で、教祖をペテン師だ
例えば・・・オウム真理教と同様に、国から解散命令を出されるほど、ヤバい宗教団体だったわけで、そんなヤバい宗教団体を、政治的に利用していた安倍さんもヤバいのです。それで・・・安倍さんの命が奪われ、それがキッカケになったわけで、安倍さんを襲撃した犯人のした事は、許されないけれども、最終的には犯人の悲願を達成したといえるのです。いや~・・・歌手の桜田淳子さんや、タレントの飯干恵子さんが入信し、私が若い頃、テレビのワイドショーを賑わしていましたが、その後どのようになったか全
1995年4月23日(死亡時刻は4月24日の午前2時~3時頃)に起こったオウム真理教上層幹部村井秀夫刺殺事件から27年の月日が経過した。当時のことを振り返って書いた記事を掲載させて頂く。『村井秀夫の最期』村井秀夫(教団名マンジュシュリーミトラ正大師)の最期の日1995年4月23日17時頃だった。私(筆者)は村井に呼び出され、教団施設第8サティアンの…ameblo.jpこの記事を読まれた方には既にお分かりかと思うが、私(筆者)は村井秀夫刺殺事件の真相について、村井自身が
👇「れ」なので関連します👇『れいわを支持するという意味は』👇関連記事👇『うんこがうたうw』👇せっかくなのでこれの続きw👇『左翼は歌いたがる』👇いちおうこれに関連するので👇『誰だよこんなヤツ呼んだのは』なんで自民党の党…ameblo.jp『れいわしんじゃこわいw』信者っつーか仕込みの人達なんだろうけど、こういうのを放送しちゃうんだもんなぁwもうギャグなんでつか?明子さん報告ありがとう(`・ω・´)ゞれいわ信者の…ameblo.jp『れいわはねえわ』2024年02月05日(月)
昨日の朝の雪から一転、よく晴れた朝だった。30年前の朝も晴れていた記憶がある。院の修了式だった。日本語日本文学専攻の博士課程前期修了者の総代だった私は、早めに家を出た。なんやかんやリハーサルがあったからだ。修論を提出し、口頭試問を乗り切り、短大に就職も決まって。晴れやかに迎えた日だった。それなのに。まさかあんなことがすぐ近くで起きていたとは。巻き込まれかけた人、巻き込まれないで済んだ人、巻き込まれてしまった人がこんなにも身近にいるとは。衝撃だった。あ
(1)麻原の人格の心理学的な分析私達が2007年に、麻原信仰を払拭し、アレフを脱会する上で大きな課題となったのは、麻原彰晃という人物をどう理解すればよいのかということだった。一般の人から見れば、麻原は人殺しの狂人にしか映らないだろうが、それだけならば、信者になるわけがないし、また、事件発覚後も、信仰を続ける人がいるわけがない。つまり、信者にとっては、自分達が麻原に帰依する理由となった、自分達が体験した彼の能力と人格と、彼の犯罪に関する狂気が、なかなか同じ一人の人間のものとは思えな
【公安調査庁】https://www.moj.go.jp/psia/aumarchive/sarinattack/地下鉄サリン事件-Wikipediaja.wikipedia.orgオウム真理教-Wikipediaja.wikipedia.org麻原彰晃-Wikipediaja.wikipedia.org麻原彰晃こと(本名・松本智津夫)って嘘ちゃうんけ?徹底的に官報で調べろ。在日カルトのテロ集団。皇室までテロを計画をしてた事は、オウムの残党(ア
カルト教団オウム異聞---"美女信者たち"飯田エリ子の罪と罰飯田エリ子は、文化女子短大を卒業後、三越に就職した。だが、1ヶ月で辞め損保会社・日産火災海上保険へ転職する。そのころ彼女が何を悩んでいたのか知る由もないが、あるヨガサークルに入門した。もちろん、その団体がカルトであるとは、知らなかった。教祖・麻原彰晃に悩みを見透かされ、彼女は、教祖の霊的能力を信じてしまった。損保会社の同僚に「石井久子」がいた。『ヨガ道場に凄い人がいるのよ。今度行ってみない?』石井久子は、家庭が面