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(2)反省1:麻原が最終解脱者という妄信次に、ここまで述べてきたことを前提にして、麻原・オウムの修行において、いかなる盲信の仕組みがあるかについて、多少述べたいと思う。まず、麻原が最終解脱者という主張について、私こそが知る話がいくつかある。●最終解脱者を自称したに過ぎないこと麻原は、私が入信する直前の一九八六年七月に、ヒマラヤで「最終解脱」したと主張した。しかし、当時において様々な海外の高僧の称賛の言葉があったが、よく調べてみれば、現地の高僧などに認定されたものではなく、麻
2008年9月2日小林由紀1.オウムと出会う私は、24歳の頃には「どこかの寺に出家して尼さんになりたい」と思っていました。それは、不毛の恋愛に疲れたことが大きく、本気で魂の救いを求め、また、地球の平和と人々の心の平安のために生きて行きたいと思いました。お付き合いしていた男性とは、遠距離になり、電話ではまだ話していましたが、もはやそれが苦痛になり、もう他の人と付き合う気力もなく
この文書『アレフ時代(2000~2008年)の総括』は、『オウム真理教時代(1983~1999年)の総括』に続き、アレフ時代(2000~2007年)についての総括を、2008年に、ひかりの輪として行ったものです。目次【1】2000年、上祐代表の出所後からアーレフの設立まで【2】2000年~2001年、被害者賠償契約の締結など【3】2002年、上祐代表就任とその新たな宗教的活動の始まり【4】2003年初頭、上祐代表の教団改革の試み【5】2
(1)オウムへの入信と修行オウムの犯罪の原因となったのは、麻原・オウムの教えと修行である。そこでまず、私自身の体験を要約して述べた上で、今の時点で、私が、それをどのように反省しているかについて述べたいと思う。●入会(入信):1986年、23歳の時私がオウム真理教の前身団体であるオウム神仙の会に入会したのは、一九八六年の夏、23歳の時だった。当時は早稲田大学の大学院の修士課程の2年目。動機は、以前から超能力や超常的なことに関心があり、ヨーガに関心をもっていたからだ。私
(5)ヴァジラヤーナ活動に参加してしまった原因の反省●なぜ弟子はヴァジラヤーナを受け入れたのかなぜ、弟子達が、大量破壊兵器を用い、日本社会を広く破壊する可能性がある麻原の預言成就の計画に参加したかというと、それには、複雑な複数の原因・要因・背景がある。それは、人によって、時期によって、多少は違うと思うが、絶えず存在した基本的な理解とは、①教団は(大量破壊兵器を含めた)軍事力を形成・行使して、ハルマゲドン的な大災害を起こしたりするが、②その結果として、真理の社会・国家が出来、
目次【0】目次・はじめに【1】第1オウム真理教に出会うまで(~1989)――入信の土壌を形成した時期【2】第2オウム入信から出家に至るまで(1989~1990)――オウムへの確信を深めた時期【3】第3サリン事件に至るまでの出家生活(1990~1995)――教団の変質、個人崇拝に追随した時期【4】第4事件後の混乱を経てオウム休眠に至るまで(1995~1999)――社会対応に苦悩しつつ"グル肯定"した時期【5】第5アーレフ発足から「ひかりの輪」に至るまで(2000~2