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今回は「なんば花月」の写真をご紹介します。NGKじゃありません。南海通にあり、現在のSWINGよしもとビルの場所です。花月三館時代(なんば・うめだ・京都)には、うめだより後のオープンですが序列では一番とされていました。なので正月・GW・お盆ともなれば、なんば花月に出番があることが芸人としてステータスだったようです。確かにいつも客が多いイメージがあります。しかし昭和62年(1987)11月になんばグランド花月(NGK)がオープンするために10月上席をもって一旦休館となります。が
●朝日放送「日曜お笑い花月劇場」●なんば花月昭和60年8月下席(プログラムはこちら)●吉本新喜劇「大阪恥めぐり」(TVタイトル「愛たくて」)作・演出中村進【出演者】旅館客・・・間寛平その老妻・・・木村進旅館お内儀・・・南喜代子その息子・・・やなぎ浩二その嫁・・・藤里美浩二の息子・・・前田国男番頭・・・平参平離別する夫婦・・・内場勝則同・・・未知やすえその子供・・・鯵坂貴代美婚前旅行客・・・浜根隆同・・・杉本美樹美樹の父親・・・井上竜夫黒子・・・塩
●朝日放送「お笑い花月劇場」●なんば花月昭和44年2月下席●吉本新喜劇「やぶにらみ人生」作・演出竹本浩三【出演者】スタンドマスター(60歳)・・・岡八郎、その息子(予備校生)・・・奥津由三、その姉(OL)・・・山田スミ子、その恋人・・・由利謙、平の妻・・・高勢ぎん子、その息子・・・英京介、その妻・・・青島みどり、八郎の恋人(30歳)・・・安田光子、由三の友人・・・菊池大助、近所の酒屋・・・井上竜夫、タクシー運転手・・・室谷信夫、歩行者・・・大崎隆晴・横井修平、セールス見習い・・
梅雨時のなんば花月でおます。●上席全体的にいいメンバーですね♪でも演芸で現役なのは阪神・巨人と桂文珍ぐらいです。木村進が座長の吉本新喜劇は料亭を舞台に、進ちゃんお得意の早変わりの二役モン。●中席この席もいいメンバーですね。劇団インスタントがなんば花月に登場。ポケットに出てる国分恵子はコメディ№1の前田五郎の弟子。ハスキーボイスの出っ歯の姉ちゃんでしたね。吉本新喜劇は船場太郎が長い航海(旅)に出てる間に恋人の浅香秋恵が池乃めだかと出来ちゃった・・・みたいな話。南喜
●朝日放送「日曜お笑い花月劇場」●なんば花月昭和60年7月上席特プロ(プログラムはこちら)●吉本新喜劇「論より喧嘩」作・演出中村進【出演者】八百寛の爺々・・・間寛平その娘夫婦・・・浅香秋恵同・・・木村あきら秋恵の妹・・・今岡まき子店員・・・前田政二八百和の婆々・・・桑原和男その倅夫婦・・・前田国男同・・・未知やすえ国男の弟・・・浜根隆店員・・・杉本美樹商店会の老人会・・・梶原一弘同青年会・・・赤川喜久夫バスの運転手・・・塩野一平商店会幹事・・・池乃め
「アホの坂田」の愛称で親しまれたお笑いタレントの坂田利夫(さかた・としお、本名地神利夫=じがみ・としお)さんが29日、老衰のため、大阪市内で死去した。82歳だった。コロナ禍で舞台から遠ざかり、近年は老人ホームに入所し、間寛平夫妻が最後を看取ったとのこと。坂田利夫は大阪ガスに就職するも、芸人にあこがれて研究生として1965(昭和40)年に吉本新喜劇に入団。その後、先輩座員だった前田五郎と漫才コンビ「コメディ№1」を結成。1972(昭和47)年に名曲「アホの坂田」がレコード発売されるも、教育
●なんば花月昭和61年10月中席(プログラムはこちら)●吉本新喜劇「女の引き際」(プログラムでは「男の引き際」)作・演出藤井賢【出演者】喫茶店のマスター・・・中川一美、同ウエイトレス・・・園みち子、ビリヤード店の主人・・・由利謙、花屋の若主人・・・内場勝則、その妻・・・天野久美子、勝則の母親・・・南喜代子、興信所の所員・・・やなぎ浩二、サラリーマン・・・帯谷孝史、アベック客・・・赤川喜久夫、同・・・今西博子、客(サラリーマン)・・・上田宣伸、同・・・岡貴敏、同(OL)・・・堀
●朝日放送「日曜お笑い花月劇場」●なんば花月昭和60年5月下席(特プロ)(プログラムはこちらへ)●吉本新喜劇「男が男に惚れる時」作・演出中村進【出演者】活魚料理「伊勢富」主人・・・井上竜夫その妻・・・高勢ぎん子その娘・・・今岡まき子板前・・・岡八郎同・・・池乃めだか同・・・高石太仲居・・・藤里美同・・・未知やすえ酒屋の主人・・・畑憲一その倅(まき子の同級生)・・・前田国男まき子の婚約者・・・中川一美一美の父(社長)・・・柳井幸多朗運転手・・・小林一
なんば花月、昭和56年1月の予告チラシ。いよいよ漫才ブームが本格的となり、正月は花月三館人気者の出番でフル回転です。●上席凄いメンバーですよね。もう劇場は超満員だったことでしょう。トップの一球・写楽以外は売れっ子ばかりで、いくよ・くるよ、のりお・よしおがこんな位置になってます。やすし・きよし、仁鶴、カウス・ボタン、阪神・巨人・・・もうお腹いっぱいになりそうです(笑)ポケット・ミュージカルスは「ハッピー・バラエティ」と題し藤井賢の構成で、「あっちこっち丁稚」の伝次郎や仁智が出演
なんば花月、昭和53年7月下席のチラシ。さすがなんばなので、なかなかの看板揃い。日にち限定が多いとはいえ、落語が多いですね。トリの笑福亭仁鶴は21~24日、仁鶴さんが出てない25~31日は林家小染と月亭八方。月亭可朝と八方の師弟出番。漫才はコメディ№1とカウス・ボタン、後年を考えると恐ろしい並び(笑)こうして見ると毎日放送「ヤングおー!おー!」のメンバーだらけ。ワイドショウのくくりの中に、いくよ・くるよとB&B。相方を亡くした芙蓉愛花がピン出番。番組の案内役として、紙切りの
年も押し迫った師走のなんば花月です。チラシのサイズとスキャナーが合わなかったので端が切れてます。スイマセンまだ漫才ブーム前ですので、明石家さんまと紳助・竜介がポケットに出演しています。生バンド時代ですね。トリはチャンバラトリオ、モタレは桂きん枝。年末だからか、なんば花月なのに京都のようなメンバーです。トップ出番は、こだま・ひかり。現在のこだま・ひびきの前のコンビ。ひかりが不祥事を起こしコンビは解散。1981(昭和56)年にこだま・ひびきが結成。「新爆笑軍団
夏休みで満員のなんば花月です。全体的にいいメンバーで、さすが「なんば花月」という感じですね。吉本新喜劇の平参平が一ヶ月出番。上席は漫才・落語も安定メンバー。吉本新喜劇は中山美保・楠本見江子・末成由美と女優陣を揃えましたねー。山田スミ子が外部出演などが多くなり花月の出番も少なくなりつつある頃で、その合間に末成由美が頭角を現します。中席、お盆興行です。素晴らしいメンバーですね。相変わらず天津龍子舞踊劇団も・・・。下席では漫才ブームの少し前に吉本を辞めて、東京に行っ
昭和60年1月24日になんば花月で行われた「林家小染を偲ぶ会」のチラシ。昭和59年1月31日に交通事故で死去した四代目林家小染。大酒のみが災いし、それが元で亡くなったのが残念でなりません。小染さんといえばもちろん噺家ですが、吉本は噺家や漫才師も芝居に出ることが多く、小染さんも「花の駐在さん」や「あっちこっち丁稚」の印象が強いですね。さてこの偲ぶ会はABCでも放送され、その際に舞台後方の小染さんの大きなパネルが異常に揺れたことも話題になりました。小染さんの人柄もあって、この会に
2月11日、寛平ちゃんのTwitterにこのようなことが書かれてました。2018年12月5日に室谷信雄さんが亡くなられていたんですね。寛平ちゃんにとって、室谷さんは先輩であり、座長時代のライバルであり、大親友でした。室谷さんが喉頭がんになって、新喜劇を退団してからは、メディアに出ることもなく、仲間との交際も断っていました。しかし2010年に「間寛平アースマラソン」の激励の為に、26年ぶりにテレビに出て来られ、号泣する寛平ちゃんが印象的でした。その後、ゴールの際や「紳助の行列のできる
春休みのなんば花月ですが、漫才ブームでうめだ花月に若手の人気漫才師を集結させたため、看板さんは出てますが、やや地味な番組編成です。看板はやすし・きよし、チャンバラトリオ。「四次元落語」と題した企画で、桂文珍と東京から三遊亭円丈。若手噺家も「リレー落語」で桂文太、桂文喬、桂文福。ポケット・ミュージカルスは橋本収構成の「ハッピー八方」で、月亭八方が主演。こうして見ると演芸で漫才はやすきよだけで、噺家の出番が多いですね。しかも色モン女性芸人が皆無。吉本新喜劇は中村進作・演
地元の幼なじみグループ4人で2泊3日の関西の旅に出てきました2、3年に一回のこの恒例行事かれこれ20年になります私を含めて3人はウチも超ご近所で幼稚園からのおつきあいそのひとりがお寺の住職になり京都に誘ってくれたのが始まりでしたコロナ禍明けの久しぶりの今回は京都に加えて大阪の「なんば花月」へつらいことは笑って吹き飛ばすのが一番と父の葬儀で導師様を勤めてくれた幼なじみが企画してくれましたいいおっさん、おばさんになっても4人でいると童心に戻ちゃうこの日はハイキングウォ
演芸が三組続いた後は、ヤンキース、ミモファルス、ライムライト、オールディーズの四組による「ワイドショー」。ですが!ミモファルス以外は相方を替えてのスワッピング漫才で、ネタはどちらかのコンビのネタをそのままやるということをしていました。夜の部では元々の相方で漫才。そういう企画だったのか?昼の部はお遊びでそういうことをしたのかは謎です。ライト坂田とオールディーズ栩野。ライト坂田は坂田利夫の弟子、栩野はああいう事件でコンビ解散してしまったのが悔やまれます。ミモファ
「さんまの駐在さん」のなんば花月公開録画のチラシ。1976(昭和51)年4月に桂三枝(現六代文枝)と林家小染で放送を開始。その後1981(昭和56)年4月からは主演を明石家さんまが務め、引き続き林家小染とのコンビでしたが、1984(昭和59)年1月31日に小染が交通事故で死去。あとを月亭八方が継ぎました。そして放送枠が13時45分からお昼の12時に移行し、番組名も「花の駐在さん」から「さんまの駐在さん」に変わり、1986(昭和61)年10月まで放送されました。このチラシは「さん
夏の「なんば花月」。●上席桂小文枝、桂文珍の師弟が上位を飾ります。小文字メンバーもなかなか多いですな。まだ出てたか桃山こう太。ポケットはお馴染み西川美里。現在は体操教室を開いて講師をしてるそうです。吉本新喜劇は公園のおでん屋の夫婦(泉ひろし、中山美保)の息子(浜根隆)が麻薬を持って逃げている。それを追う刑事(間寛平)とヤクザ(浜裕二、高石太)。間寛平のいろんな変装と土木作業員の花紀京が実は麻薬捜査官だったのが笑えます。(TVタイトル「刑事夫婦物語」)●中席この当時ならい
天才漫才師豪快人生の真実スペシャル6日に放送された日本テレビ系バラエティ番組『ザ!世界仰天ニュース』(毎週火曜21:00~)では、漫才師・横山やすしの伝説に迫る。西川きよしとのコンビ「やすしきよし」は、テンポの良い漫才で結成1年足らずで上方漫才新人賞を受賞。全盛期には漫才タイトルを総なめにした。その一方で、やすしは酒を飲んでテレビに出演、ボートで劇場まで道頓堀を移動するなど、はちゃめちゃな振る舞いで人々を驚かせた。さらに、テレビでの自由奔放な言動で番組を降板、飲酒運転で2年以上も謹慎