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先週の事ですが備忘録です。高野山散策でお昼はこちらへさんぽう精進料理が名物(?)ですよね胡麻豆腐湯葉巻き揚げ胡麻豆腐鍋胡麻豆腐も美味しかったですが粟麸の田楽がモチモチしてて美味しかった買って帰りたかったけれど粟麸は生では無いのかな?胡麻豆腐はこちらでお土産用にお土産屋さんでも取扱がありました季節外れだったせいか観光客はそんなに多くなくお店も閉まっているところがチラホラ休憩に立ち寄ったこちら出来たて和菓子、焼きもちを店内でいただけますお茶はセルフサービス
こんにちは😄今回は関西人かつアラフィフより上の世代にしか分からない話になりますが😅💦旦那がこの曲を聴いていてもうめちゃくちゃ懐かしい気持ちになりました。今の新喜劇で有名な曲は②番のほうなんだけど、私が子どもの頃は①番の曲だったんですよ✨当時は(私が低学年の頃)(画像お借りしました)花紀京さんや岡八郎さんがメインで今の新喜劇のように明るい笑いばかりで構成されたストーリーではなくお金のない酒飲みの、人の良い自由人がおもしろおかしく周りと関わる人情味溢れるストーリーが
春休みのなんば花月ですが、漫才ブームでうめだ花月に若手の人気漫才師を集結させたため、看板さんは出てますが、やや地味な番組編成です。看板はやすし・きよし、チャンバラトリオ。「四次元落語」と題した企画で、桂文珍と東京から三遊亭円丈。若手噺家も「リレー落語」で桂文太、桂文喬、桂文福。ポケット・ミュージカルスは橋本収構成の「ハッピー八方」で、月亭八方が主演。こうして見ると演芸で漫才はやすきよだけで、噺家の出番が多いですね。しかも色モン女性芸人が皆無。吉本新喜劇は中村進作・演
雨がシトシト日曜日〜🎶昔!昔!に流行ったお歌のフレーズが出てきます温かい日なんだけど雨☔が降りこの雰囲気も京都に似合う気がします日曜日は1回目がカメリハ2回目が収録となっております合間はねチュートリアルのradikoに行ってきましたわプライベートではあまりお話する状況はなかったけどさすがです2人ともにトークが楽しい😀ついついお喋りが弾んでしまいます楽しかったー!!KBSのアナウンサーの方も小さい頃からなんば花月行って観てましたー!!ってなんか盛り上がり
1985年4月から土曜お昼の朝日放送の名物番組「わいわいサタデー」の中で生放送でのなんば花月からの中継番組(10月からは単独の番組になり翌年3月終了)。駅を舞台に島田紳助を中心に繰り広げられるコメディ。新喜劇陣だけでなく色モンの出演者も多かったですね。内容はドタバタでバカバカしいお話がほとんどで、当時姉妹番組と言われた「さんまの駐在さん」とは全然雰囲気が違いました。中でも月亭八方は毎回スポーツ新聞を片手に登場し、劇中で阪神に関するフリートークをして帰るだけの楽な役(笑)そしてこの番
ひな祭り🎎は五目チラシ〜火曜日はりくろーおじさんツアー参加者3名みんな大阪の都会に不慣れ焼きたてチーズケーキ食べる〜から始まったけどでもはるばる大阪まで行くから他も色々〜まず朝お仕事があった人待ちどっちにしろ並ばなあかんやろうから先に行って待ってまーすカフェオープン前に到着一組待ちで一人の到着がまだまだかかりそうだったので午後の部予約したなんば花月へ下見〜そして焼きたてチーズケーキに響かない程度に友人の下調べより二人でシェアソースが二つ
人を泣かせるのって結構簡単。ドラマや映画でもだいたい一定のテーマで泣けるし。だけど…人を笑わすのは難しい‼️あくまで自論ですが。私がそう簡単に笑わない自信があるから。お笑い番組見ていてもみんなが笑っていても笑わない自信があるなんの自慢にもならないけども‼️笑いのツボって人それぞれやから私ごときが笑わないからと言ってそれがどーしたと言う事なんだが。何を言いたいかと言うと人を笑わす仕事の人はすごいなぁと尊敬しているわけですよ。舞台役者さんもそう。演技で人
今日は晴れ☀️穏やかな日和です早咲きの桜🌸とか見に行くのに良いですね♪観光地は混んでるでしょう今日はひな祭り🎎子供が大きくなるともうみんなでひな祭りをお祝いするって感じではなくちょっと寂しいです今次女は友達と昨日からこちら↓今日は漫才を見になんば花月に行ってるみたい長女は勉強中夜は簡単に3人でお家ひな祭りご飯です
恒例の課の社員旅行に行ってきました。コロナ禍も収束しつつあり、久しぶりに復活しました。幹事は私が仰せつかりました。まずは、なんば花月!パネルは人気者のしげ蔵じいさんとすちこさんです。第一部は漫才M1チャンピオン「令和ロマン」やレジェント「桂文珍」さんが見られてラッキーでした。夕食前にコリアンタウン「鶴橋」歩行者天国の街を散策。そして、夕食は焼き肉!これだけ食べれば満足でした。しめは冷麺!今日はなんば花月と焼き肉が楽しみでした。参加した皆さんが喜んでくれてよかったです。
なんば・うめだ・京都の花月三館の、団体観劇案内のポスター。ポスターに掲載されているメンバー的に、昭和53年後半から昭和54年秋頃までと思われます。当時の芸人の格付けが分かる感じで、番付表みたいになってますね。やはり笑福亭仁鶴、桂三枝が大きく載っており、やすし・きよし、コメディ№1、Wヤング、チャンバラトリオが写真付きで大看板。意外に通常興行のポスターや出番ではトリの幸朗・幸子や、松竹から移籍したダイマル・ラケットは小文字。カウス・ボタンもチャントリより扱いが小さいです。逆にデビ
皆さまのおかげさまで、昨日でいいね!大吉数の32達成しました♪と言う事で、ブログの閉鎖は止めになりました!!吉本興業の大崎洋会長が仕掛けた『新喜劇やめよッカナ?キャンペーン』をヒントを得ての企画で、当時なんば花月で、今田耕司さん、東野幸治さんを起用した新生新喜劇観ました。ベテランから若手への切り替えが上手くいった最幸な例ですね♪やめよっカナ?は見事成功して、ダウンタウンの生みの親、大崎洋さんは会長まで昇っていきます!!30いいね以上行くのはなんとなくわかっていたので、止めなくていい
2月20日火曜日〜その45時過ぎに休む。9時25分、目覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、ピルクル400で喉を潤す。松本清張著『翳った旋舞』を読む。P147には、大阪のぼやき漫才について触れている。(写真)真っ先に思い浮かぶのは、人生幸朗・生恵幸子師匠。大阪のぼやき漫才の大看板。菊水丸コレクションより、旧なんば花月のメクリ。楽屋でご一緒させて頂いたことは、貴重な思い出であります。
吉本新喜劇のテーマ曲は関西圏の人なら子供の頃から聴いてきた音楽でしょう(^^)。この曲がオリジナルではなく「なんたら」というジャズだとは聞いていたのを思い出して調べると,すぐにありました。「なんたら」はデキシーランド・ジャズ編曲の「SomebodyStoleMyGal」という少々あやしい題名(^^;;;;の曲でした。SomebodyStoleMyGal·PeeWeeHuntVintageJamSession-1954なんば花月(現NGK)がオープンした1
2月6日火曜日〜その4P229に、テレビのやすしきよしではなく、大阪の寄席で十五分、二十分と演る横山やすし・西川きよしのオカシサは、筆舌に尽しがたいと書いて有る。(写真)S55年8月中席、私が初舞台を踏んだ旧なんば花月。トリはやすきよ師匠。いやぁ…凄かった。
心優しい友人が、さんまさんの悪口を言っていて、私が「いい人なんだから、悪口言うのはやめて!」と止めている夢を見ました。40年も前から、昔のなんば花月で見ていてファンなんですよね!
なんばグランド花月の話なんだけど、まずは、私達は、お笑い番組はあんまり見ないし芸人さんそんなに知らないし、ましてや若手芸人さんなんて・・・そもそも、M-1も、笑い飯が鳥人やった時までは、見てたけど、その後、見てないし、旦那さんなんか、今年のM-1優勝者知らないよ。後、R-1とか女性芸人さんの賞とか何がなんだか、わからないし、興味がない。かといって、笑点を見るわけでもないんだよね。ただ私は家にいる次男と時々YouTubeで次男おススメの漫才を見るんだけど、若い子
地元の幼なじみグループ4人で2泊3日の関西の旅に出てきました2、3年に一回のこの恒例行事かれこれ20年になります私を含めて3人はウチも超ご近所で幼稚園からのおつきあいそのひとりがお寺の住職になり京都に誘ってくれたのが始まりでしたコロナ禍明けの久しぶりの今回は京都に加えて大阪の「なんば花月」へつらいことは笑って吹き飛ばすのが一番と父の葬儀で導師様を勤めてくれた幼なじみが企画してくれましたいいおっさん、おばさんになっても4人でいると童心に戻ちゃうこの日はハイキングウォ
1月21日日曜日〜その4P247には、笑福亭仁鶴師匠によるインタヴュー番組に出演した際のやり取りを書いておられる。(写真)菊水丸秘蔵の旧なんば花月楽屋の化粧前名札。こちらは、笑福亭仁鶴師匠のもの。
さて続きランチした千日前からノッポン橋方向へ日本橋といえば道具屋筋外国観光客狙いやねtorikoはんは野菜の5種絵柄の小皿を買っちゃったわーこれが笑えた!楽しんだ後は難波へと進むなんばといえばだよね特に欲しいものはないがー表裏この消しゴム330円2個買った値段見知ったら買わなかったわ~(笑)ボールペン660円そこからなんばシティーへお茶をするにも意外と無いし満員でね疲れて探すのも面倒結局ロッテリア(笑)暫く休んで帰路へ御堂筋線で梅田まで婿さん
1月15日月曜日〜その9(写真提供河内音頭記念館・撮影石田裕二さん)S55年8月中席旧なんば花月での初舞台のポスター。17歳。冨好さんとは、ほぼ同期の芸歴。(写真)S59年6月18日、大阪府高槻市の西武百貨店5階ホールで開催された『プラスQ一周年パーティー』。これが、冨好真さんとの初顔合わせ。当日の台本。プラスQは、後の関西版ぴあ。(写真)こちらは、たった一度だけ劇場出番をご一緒した、H4年11月9日〜15日なんばグランド花月のチラシ。持参しましたが、御披露する時間がなくなり、
「アホの坂田」の愛称で親しまれたお笑いタレントの坂田利夫(さかた・としお、本名地神利夫=じがみ・としお)さんが29日、老衰のため、大阪市内で死去した。82歳だった。コロナ禍で舞台から遠ざかり、近年は老人ホームに入所し、間寛平夫妻が最後を看取ったとのこと。坂田利夫は大阪ガスに就職するも、芸人にあこがれて研究生として1965(昭和40)年に吉本新喜劇に入団。その後、先輩座員だった前田五郎と漫才コンビ「コメディ№1」を結成。1972(昭和47)年に名曲「アホの坂田」がレコード発売されるも、教育
正月は昔から嫌いだ。無駄に高いスーパーの食材なんやねん、1000円のカニカマて。ちっこいパサパサの鯛の塩焼き2000円てなんやねん釣ってきたるわそんなもん。どこに行っても正月料金おまけに無意味に人が多かったり。謎の年末のバタバタ社会人の宿命何回今年はお世話になりましたと言わなきゃならないんだ大して世話になってねぇよ。年明けたら年明けたで何度も繰り返す明けましておめでとうの挨拶この人言うたっけ?って毎年なる。親戚への挨拶何気にこれが一番ダルい。色々要らんお世話じゃっ
おはようさん今年もあと2日娘っ子と、娘っ子の彼氏と昨日行ってきましたがな毎年年末恒例のホテルのビッフェカニ🦀食べ放題すんばらしーい✨✨この前悪友とカニ🦀食べたばっかなのでカニ🦀はちょこっと🦀🦀お料理とスイーツ🍨めちゃうまーい値がはったけどお値段以上7300円その後なんばへ移動なんば花月へおばちゃん先月抽選で指定席はゲット立見席も満席でえらい人人西川きよしさん初めて生お初県民ショー📺ではいつも出てるけど1人漫才さすがレジェント👑めちゃおもろかっ
おはようございます。ほやほやばあちゃんです。THEWの次はTHEMANZAIこれまた見応えあったわーみーんな面白かったけど、やっぱり中川家最高漫才界で1位やと思います🏆観るたびにどんどん面白くなっていく感じまた一度、なんば花月で漫才観るのもいいな。さて今日は暖かい朝〜ちょっと曇り空なので雨がふるのかな?お仕事行ってきまーす。
12月7日木曜日〜その7(写真)元ヒップアップの島崎俊郎さんの訃報。私は、S55年8月中席なんば花月劇場で初舞台を踏みました。17歳で吉本興業に入った時には、折からの漫才ブームの絶頂期。果たして河内音頭という地味な芸能で世の中ヘ出られることが出来るのか?と長いトンネルの中で、彗星のごとく現れたヒップアップの皆さんの姿をテレビ越しに眩しく眺めていました。時が流れて『カーキン音頭』でようやくトンネルから抜け出せた頃、番組で島崎さんとお目にかかることがかなって感激でした。H12年7月22日、毎日放
12月2日土曜日〜その6伊賀上野まで出て、治田ICより名阪国道に上がる。大阪府泉佐野市市場東へ向かう。西名阪〜阪和道〜堺泉北道路〜阪神高速湾岸線を走行。泉佐野北ICで降りる。11時40分『2023泉佐野市人権のつどい』が開催のエブノ泉の森ホール関係者駐車場に到着。吉本興業イベント営業部エグゼクティブプロデューサー松井清治さんがお出迎え。舞台で、和太鼓三条史郎さんとギタリスト幾島学さんとサウンドチェック。(写真)20代の頃に出会った松井さん。当時は、旧なんば花月の事務所に勤務さ
11月28日火曜日〜その4P105では、S55年に紀伊國屋ホールで「熱海殺人事件」を観て興奮してあてもなく街を歩き回っていたことが記されている。凄い芝居を観てしまった、という高揚感を一人で持てあましてどうしていいか分らない…との感情に、とても羨ましく思う。なぜならば、其の年、私は旧なんば花月で初舞台を踏み、プロ活動をスタートさせたばかりで、他の芸能へのアンテナを張る余裕が無かった。(写真)私は映画版が公開されたS61年10月27日〜28日、広島県安芸郡江田島町の海上自衛隊慰問への道中、バスの
河内音頭河内家菊水丸S57年2月上席(1日〜10日)なんば花月「ポケットミュージカルス〜河内悪名伝」エンディング河内音頭口演中山礼子ギター八多恵太三味線岡本貞子和太鼓河内家菊水丸※18歳(写真)ポケットミュージカルの画像は残念ながら現存しません。こちらは、S56年9月18日、なんば花月特別興業『中山礼子芸能生活四十周年記念リサイタル』のエンディングでの河内音頭。ポケットのエンディングと同じ演出でした。
昭和60年1月24日になんば花月で行われた「林家小染を偲ぶ会」のチラシ。昭和59年1月31日に交通事故で死去した四代目林家小染。大酒のみが災いし、それが元で亡くなったのが残念でなりません。小染さんといえばもちろん噺家ですが、吉本は噺家や漫才師も芝居に出ることが多く、小染さんも「花の駐在さん」や「あっちこっち丁稚」の印象が強いですね。さてこの偲ぶ会はABCでも放送され、その際に舞台後方の小染さんの大きなパネルが異常に揺れたことも話題になりました。小染さんの人柄もあって、この会に
11月16日木曜日〜その7P474に、我が吉本興業の、母校此花学院の大先輩坂田利夫師匠が登場。(写真)S58年12月24日、旧なんば花月劇場特別興行『河内音頭DEX’mas』に駆け付けて下さった、コメディNO1の坂田利夫師匠。私は20歳。