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入院2日目、いよいよ手術当日ですここからは今後、同じ甲状腺の手術をされる方の(病院によって状況は異なるとは思いますが)少しでもご参考になればそして、私の手術記録メモです前日はシャワーも浴びて食事も出ました夜9時に血栓防止の弾性ストッキングを着用術後のICUへ持ち込む私物の準備スマートフォンwifiイヤフォンメガネ、メガネケースストロー付きカップペットボトル飲用水(透明な水のみ)歯磨きセットティッシュマスクあとから持っていけばよかったと思ったもの手鏡(術後の傷
ご心配おかけしました💦どうなるかわからなかったので…【念の為】投稿しておきました戻ってこれてよかったああああ(´இ﹏இ`)皆さんのコメント、パワーすごいです、、、会ったこともないのに想ってくださること😌なんだか不思議な感覚ですが皆さんのお顔?(アイコン)が思い浮かび踏ん張らなければと強く強く思いました。今日はその出来事のお話を残しておきます😅2月7日深夜2時過ぎお手洗いに起きて、枕に頭をつけて寝ようとすると右側の乳様突起らへんが激痛になりました温度の差や振動なのかわ
2026年4月16日午前中会社で探し物があってバタバタして小走りで走っていたら目眩してきて息切れした。探し物が見つかり、少し落ち着いて、血圧が上がったかなと思いつつ、少し運転したが目眩治らず、会社に戻る。意識はあったが救急車を呼ぶという。救急隊員に致死性の不整脈ですね、と言われ救急に搬送するという。息切れもし冷や汗も出てきて早く運んでくれと願う。途中、胸が痛くなり左肩が凄まじく痛い。病院について電気ショックを2回食らい意識を失う。目が覚めたらICUのベッドの上。痛みは無いが体は動か
手術から3日後今日も旦那は目覚めない。主治医の先生から、脳梗塞の話がでた。大きな脳梗塞はないが、専門医にみせると小さな物が所々に跡があるかもと。。。麻酔は最低限でそろそろ起きているはずだ。このまま起きないことは無いとは思うが、万一目覚めなければ気管切開もありうる。主人の名前を呼ぶと起きようとするのか眉毛が動き反応は見せる。ただ目が開かない。手足はバタバタさせているので麻痺は無いのではないか?早く起きてほしい。手術から3日、毎日泣きながら帰宅しメンタルがやられる。
わこちゃん、側弯の手術から1日目今日は、ICUに入っている、わこちゃんの面会に行きました。わこちゃんは、寝かされてます😴身体中に線がいっぱいついているからね…いまは、ICUからいつ出るかわからないので家で待機をしてます。電話があり次第、病院へ向かいます。実は大変なのはこれからで…😰わこちゃんがICUを出たら、わこちゃんがあまり動かないようにパパとママとママの妹と付き添い入院が始まります。病室のベットをふたつ、くっつけてもらい両サイドからわこちゃんを挟んで付き
ご無沙汰しています。ブログを書く余裕がありませんでした。夜中に意識がはっきりしないということで救急で病院に行ったこともありました。リハビリは思うように進まず、嚥下機能もまだ回復していません。「進歩」と呼べるような出来事が見えない日々が続いています。毎日、仕事と面会を繰り返すだけで精一杯でした。一年が過ぎ、もうすぐ娘の誕生日がやってきます。去年の誕生日、娘はICUにいました。ただ生きていてほしい、それだけを願って、毎日、毎日泣きながら祈っていました。今は、あの頃のように毎日泣いて
病院で旅立った後、家に帰ってからの話友香さんがICUから移動したのは病院の霊安室一緒に向かった。友香さんはまだ眠ってるだけのように見えた。身体は暖かくて、いつものように寝んねしてるだけに見える霊安室には初めて行ったけどドラマで見るような薄暗い雰囲気は無かったただ、そこには普段通りの友香さんがいた葬儀屋さんが来て、挨拶してから車の手配友香さんと家に向かった家に帰ろう、、、家について友香さんの部下たちが出迎えてくれた皆昨日の夜から家で待機してた友香さんが生きて帰ってくると
こんばんはあーちゃんです。今日はムシムシしてました。私用でパパのところに行く時間がなくて息子に様子を見に行ってもらいました。息子が行くと(´;ω;`)ウゥゥらしくて私が行っても泣かないのにねwww続きです...面会時間は予約をしてなんと15分...ICUから始めて面会に行って病室にはいるとパパは普通に起きてました。あーちゃんの顔をみてびっくりしていてきょとんとしていました。あーちゃんは泣いちゃうかなっておもってたけど泣かなかった...こういうところが冷た
宮内庁の異例発表…「天皇に弟はいない」!?秋篠宮さま出生の真実とは皇室問題「天皇陛下に弟はいない」③2016年、A宮夫妻は、バチカンへ行き、ローマ法王に謁見したのです。謁見したということは、夫婦そろって「キリスト教徒になった」ということです。そのために、バチカンへ行ったのです。A宮の2人娘は、国際基督教大学(ICU)へ行ったのです。ICUは、マッカーサーが創った大学です。戦前、中島飛行機の広大な土地があったのですが、GHQはその土地を撤収して、ICUを造ったのです
2023年の準広汎子宮全摘術では腸も切って繋いだため7時間ぐらいかかりました腸の縫合不全による敗血症ショックでICUにいる時せん妄が酷く初めは病院から逃げ出そうとしていましたただ暴力や暴言を吐いてみてもさぼろうは自分で身体を起こすこともできません観念した後は身の置き場がないというかどうしたって身体が辛いまま時間だけがゆっくり過ぎていくのを『もう終わらせてほしい』という気持ちさえも湧いてきませんでした治療を頑張ったというよりなされるがままになっていましたた
久しぶりの投稿ですあれからまた体調不良で入院し入院中に夜間病室で倒れ気がつくと点滴台と共に床で寝ているという大失態看護師さんにご迷惑をおかけしてしまいました翌日土曜日なんだかぼんやりすると思いつつ主治医②と退院について話し下の娘が帰省前になんとか自宅に帰れるっと、思ったのも束の間普段からわたしをよく見てくださっている看護師さんは見逃しませんでした🍫ママさんなんだかぼんやりしてるよねぇ熱測ってみようか、、、『…38℃あるわ…』そこからはバタバタで血液検査血
今から10年以上前の出来事です。【若年性1型糖尿病】午前中に近所のYクリニックの初診から医療センターにて緊急入院になった息子の病名は【若年性1型糖尿病】だった。ICUはナースステーションに近い部屋で、カーテンで仕切られただけのベッドが並んでいるだけだった。救急外来の患者さんがひっきりなしに運ばれてくるので、絶えずバタバタしていた。息子は初めての入院生活だったから、騒がしいICUはちょうど良かったのかも。パジャマを届けた後、一晩付き添っていたかった。後ろ髪を引かれる思いで帰宅した。
『父親救急車で病院へ脳梗塞』金曜日の夜、母親からちょっと来てと電話。行ってみたら父親の右側の肩から足が痺れて動かないと言う。お風呂入ってご飯食べて片付けしてたら父親の姿勢?に異変を感じて…ameblo.jp軽度脳梗塞で点滴して改善し、リハビリ転院も必要なく退院ただ、前からずーっとある動脈瘤の大きさが5ミリなことこれがいつ破裂するか分からない高齢なので、もうやらない選択肢もある。場所的にとても近いので大変な手術ではない。父親は手術を選んだ。そして12月18日9時に手術室へ
昼過ぎに、外出中の母親から電話。オヤジが出先で倒れたとの事。電話口で説明を求めても、パニック状態でよくわからない。理解した事は、館山の観光案内所のバス停で倒れた事。周りに人が沢山いて、助けられてる事。これから救急車が来る事。取り急ぎ、妹と一緒に向かう事に。次にわかった事は、今運ばれた病院では適切な対応が出来ないので鴨川の病院へ搬送し直す事。頭か心臓かというと心臓系の出来事らしい。2時間かけて、鴨川の亀田病院の緊急治療センターへ憔悴しきった母親と合流。看護師さんに状況を聞く。
変化があったのは朝起きる時背中が痛んで直ぐベットから立ち上がれない暫く毎日痛みが続き内科を受診処方された胃薬のタケキャブを飲むと翌朝から背中の痛みは取れた2025年3月25日同内科で胃カメラ検査したが異常はなかった2025年4月21日腹部エコーを取るがそれも異常はなかった血液検査も異常はなかった2025年6月26日(木)体の具合いが悪くメンタルでかかりつけだったD病院のディケアでの診察を受けた月一
ブログにお越しいただき、みなさん💕ありがとうございます20日に父のオペが無事に終わりました!担当の先生方、スタッフの皆様に深く感謝です✨この日、午前中の仕事を終えた姉と待ち合わせ電車の時間を調べると…遅延していたので💨早目に出発する事にした私!かなり早く到着(笑)駅前でお茶しようとプラプラしましたよ〜😊こちらを発見!ロックオンしてウキウキ💖抹茶が飲めるカフェです私は抹茶を点てていただく事に🎵約1時間くらい…ゆっくり過ごしました👍きな粉のお菓子美味しかったですまた1つ!抹
こんばんは〜😀もう、1ヶ月近く前の話になってしまいましたが7月7日は子宮筋腫術後半年…じゃなくて「次回は半年後に来てね」って言われていた、久々の診察でした。で、その日に以下のブログの大半を書いたのになんか、いつもどーり中途半端に放置していて今、久々に戻ってまいりました😅とりあえず、せっかく書いていたのでアップします💩でっかい病院って何のための予約なんだ?ってくらい、めっちゃ待つじゃないですか。だから張り切って予約時間の1時間前に行って
手術の翌日手術の翌日ほとんど寝られず朝を迎えた。ICUの面会時間は12時。午前中はこれでもかって位に夫と私は泣いた。(長女ごめんね)昨日の医師からの話がショックすぎてなかなか受け入れられない。受け入れないといけないのは分かっていても心がどうしてもついていけないのだ。あんなに頑張ったのにこれで終わりじゃないのか…この先が怖くて堪らなかった。悪性の上衣腫また再発する可能性が高いその言葉がぐるぐるする。泣くつもりはないのにずっとずっと涙が勝手に出てくる。ず
意識不明の時、人は何を考えていると思いますか?抗NMDA受容体脳炎になり、意識不明で昏睡状態だった1ヶ月以上、私の場合は、ずっと長い悪夢を見ている感じでした。悪夢というのは、・家の鍵が間違っていて入れなくなる・自分だけ体力テストに合格できない・性別を間違えられる・自分だけベッドがなくなる・戦争にあう・友達の親にしごかれる・川に流されるとかそういった類の悪夢に、ずっとうなされていました正直、すごく辛くて怖くて苦しかったですぼんやりと覚えていること
家系ラーメンは何となく、たまーに食べたくなります。あの脳みそに直接訴える脂の一撃を食らいたい、ジャンクな欲求。私の家の近所にICU、国際基督教大学があるのですが、そこの側に「武蔵家」さんがあります。近所だし、駐車場もあるし、月一とは言わないまでも、ちょこちょこ通っていました。ところが、何年か前に行った所、「あれ?なんかいつもの感じじゃねーな?」って、思ったんですね。で、「まあ、そんな日もあるか。」なんて、別日に訪問。「あれ?この前の、いつもの感じじゃない方に固まってる。。」ってな
2023年9月から1年ほどは敗血症ショックから始まりいろいろと予期しないことが起こりましたその後体調は落ち着いて2024年12月に仕事に復帰できました年が明けてから次は母が救急搬送されました心労からか動悸と息苦しさでしばらく体調が整いませんでした娘が驚いて「ばあちゃん老けたね」って言うほど見た目もやつれていました以前から診てもらっているかかりつけ医からも「何か大変なことでもありましたか?」と言われたそうです時間の経過とともに元気を取り戻してくれましたさぼ